忍者の乱闘に混じって密書を手にし、利吉さんの仕事が終わったので私の実習も終わりである。実に有意義な体験だった。利吉さんの仕事を間近で見られたのもそうだし、実戦経験が積めた事もよかった。一人は手練の忍者と見受けられたので、かなりの距離を走ってようやく撒き、その日は寝ずに帰路を歩き続けた。ハイになっているからか、不思議と眠くはなかった。
急ぎ足で帰っているものの、一泊はしなくてはならない。追手がいないとも限らないので、今日も個室を取って泊まる事にした。もう夫婦の振りはしなくていいけれど、別行動は危険が伴うかもしれないという事で、同室である。
就寝する頃になったが、まだまだ目が冴えていた。気分は落ち着いていると思うのだが、自分でも気付かない緊張感が残っているのかもしれない。こういうのも慣れなんだろうか。利吉さんにはアドレナリン出まくってて眠れないなんて事もそうそうないんだろうな。
座ったままの私を見て、眠れない気配を察したのか、利吉は気遣いか興味本位かわからない会話を投げてきた。利吉さんとこうしていられるのももう少しだと思うと寂しかったから、話ができるのは嬉しい。
「そういえば、お見合いするって言ってなかったか?」
言ってない。勧めてくると言っただけだ。
それで思い出したけど、あれきり手紙の返事を書いていなかった。山田先生系ハンサムの謎が解けないまま放置していた見合い話は、一体どこへ行ったのだろう。両親から催促も何もないため完全に忘れていた私は、どちらにせよもう決意を固めたので、首を横に振って少しだけ口角を上げる。
「迷ってましたけど…やめます。忍者になりたいし」
「そうか」
何故か嬉しそうな利吉を見て、私も嬉しく、そして照れた。
「ご両親には悪いけど、私も君とまた一緒に仕事がしたいと思ってたよ」
何気なく言われた言葉だったが、私からすると相当な破壊力があった。社交辞令だとしても嬉しすぎたのだ。危うく舞い上がりそうになるも、おだてられて調子付いているようでは一人前とは言えないので、一礼して平常心を見せつけた。これは実習なんだ。利吉さんの審査の目が光っているうちは気を抜くわけにいかない。
私だって利吉さんと仕事ができるならまたご一緒したい。今回は足を引っ張らない事が第一だったが、次は利吉さんの助けになるような振る舞いができたらいいな。夫婦の真似ももっと上手くなってみせる。
そのためには一般夫婦のロールモデルをもっと観察しないと…と考えながら、人の事を気にする前に自分はどうなんだと思ったため、率直に口にした。
「利吉さんは…良い人はおられないのですか」
「父上みたいなこと聞かないでくれよ…」
自分が先に聞いたくせに。理不尽すぎるだろ。
でもそういえば山田先生ってたまに土井先生にも見合い話持って行ってる気がするな。孫の顔が見たい年頃か。うちの親もそうなんだろうか。
「今は仕事が忙しいし」
「そうですか」
「油断してると君もすぐ行き遅れるぞ」
大きなお世話すぎる。世が世ならハラスメントすぎる。
「利吉さんが…」
売り言葉に買い言葉というか、咄嗟に口を開いてしまった私は、頭に浮かんだ事をそのまま舌に乗せた。考える余地もなく、言葉が勝手に溢れ出す。
「もらってくだされば…」
何を言ってるんだ?と思うのに、自分でももう止められない。
「いいのに…」
ぶつ切りに口走ってしまった。そんなこと別に考えた事もなかったのに。
お互い驚きに目を見開いて、私は自分でも自分がよくわからないまま沈黙した。恥ずかしいとかそんな事を思う段階にすらなく、本当に何を言ってるんだかわからなかった。
何言っちゃってるんだろう。気が抜けたんだろうか。さっき気を抜くべきじゃないと噛み締めたところだったのに頭大丈夫か?
疲れているのかもしれない。私もおかしかったが、それに対しての利吉の反応もおかしかったので、二人して疲労が押し寄せているのかもしれなかった。
「…でも、忍者になるんだろ?」
「え?忍者は結婚できないんですか?」
「じゃあどうして私が生まれてるんだよ…」
知らんがな。自分が言ったくせに何なんだ。
確かに変な事は言ったけどそんなに混乱する事ないだろう。冷静に仕事をこなしていた時とは別人みたいに慌てている利吉は、ようやく息をつくと、胸を押さえて目を細める。
「あーびっくりした」
本当にびっくりしたように言われ、段々と気恥ずかしさが芽生えてきた。
「君、冗談とか言えるんだ」
冗談にされてしまった。確かに本気ではなかったけど。でも普通に聞き捨てならないな?人を何だと思ってんだろ?冗談くらい言うし。社交性がないと忍者なんてできないし。すごくあるわけでもないけど。
何となく腑に落ちないながらも微妙に話を逸らして、さっきの自滅をなかった事にするべく饒舌になった。
「良い人がいらっしゃるなら、こうしてるのもなんだか悪いなと思って…」
「そんな事ないだろう。これは仕事なんだし」
今の仕事人間の言う事って感じだったな。家庭を顧みず仕事ばっかしてる人のテンプレートな台詞だ。
「なんだその仕事中毒を見るような目は」
その通りすぎて否定できず、仕事中毒を見るような目のまま利吉に言った。
「もう仕事は終わったじゃないですか」
「何言ってるんだ、忍術学園に帰るまでが実習だ」
遠足?
しかし利吉の言う事も一理あるので、反論せずに納得の顔をしておいた。実際利吉さんは密書の内容を報告する任務が残ってるし、私も無事に帰って評価を受けてこそ実習の完了である。それはそれでいいとするけど、でも、時には全然知らない奴とこうして寝泊まりしなきゃならないのかと思うと、利吉さんの奥さんになる人は心労が耐えない気がするな、と同情した。
フリーだと何でも一人でやらなきゃだし、どこで何やってるかも把握できないし、そもそも帰ってこないし、生きてんのか?という心配が付き纏うのもなかなか堪えそうだ。そういう気持ちがつい口に出てしまい、同時に溜息をついた。
「利吉さんと結婚する人は大変ですね…」
「そんな他人事みたいに…」
他人事じゃないのか?他人事だと思うんだけど。どう考えても他人事じゃないか?
やっぱり利吉さん疲れてるのかも。自分でもおかしいと思ったのか、発言を誤魔化すように咳払いすると、往生際悪く設定を言い訳に使ってくる。
「戻るまでは実習なんだから、私達はまだ夫婦だよ」
「あ、はい。すみません」
「君の方こそいい人はいないのか」
夫婦と言ったそばからブチ壊すのも何なんだろうな。読めない利吉に困惑しながら、私は素直に首を振る。
「いたら見合いなんて考えませんよ」
「それもそうか」
「それに…今は利吉さんが夫ですから」
やり返してみたら、何故か黙ってしまった。また変なタイミングで空気の読めない事を言ったかしら…と恥じらいを覚えるも、最初に言い出したのは利吉の方である。ここで引かれたら理不尽すぎる。
逆に帰りは別行動の方が敵に見つかりにくいと思うので、少し離れて歩くべきなのだろうが、そうすると夫婦の真似事も今宵までという事になる。なんだか寂しいというか、実際利吉さんが私をもらってくれるはずもないので、こんな風にやり取りできるのは貴重な機会だ。最後の一秒まで妻たる振る舞いをさせてもらえるならさせていただこう。
じっと見つめてみせると、利吉は参ったように笑ったので、急にドキドキしてしまった。本当にもらってくれていいかも、と一瞬思った。
「…そうだった。冗談も言えるんだったね」
また冗談にされてしまった。そっちが先に言ったのに。それとも利吉さんも冗談のつもりだったのだろうか。なんだかこっちばっかり意識してるみたいで恥ずかしいな。
居た堪れずにいると利吉はさらに私を困惑させる事を言い、気さくな口調のせいで余計に目が回る。
「じゃあ一緒に寝るか」
「えっ」
たまらず声を上げた私は、一瞬で全てを想像し、本気で可否を考えてしまった。別にいいかも、と結論はすぐに出たが、Eテレがそれを許すかなって感じだった。
また冗談か?本気だとしても別にいいのかな?添い寝くらいなら。利吉さんはいいのか?ていうか冗談か?適当に笑って返すべきなのか、いいですよとガチで言うべきなのか、利吉の望む答えがわからず、真剣に悩んでいると、利吉さんは焦ったように手を振った。
「ごめん、嘘、冗談だよ」
セクハラ訴訟を恐れたのか、笑って布団に入ってしまった。深刻な顔をしすぎて私が嫌がってるけど断れないように見えたのかもしれない。悪い事したな。全然嫌じゃなかったのに。
「おやすみ、レイコちゃん」
「おやすみなさい…」
いいですよ、って即答してたらどうなってたんだろ。惜しい事したか?これってどういう気持ちなんだろう。
いずれにせよ、今はランナーズハイのような状態なのでまともな判断はできそうにない。朝起きた時、惜しい事したなってもう一度思ったら、きちんと考えよう。考えたところで何か変わるわけでもないだろうが、機会があれば、添い寝くらいならできるかもしれない。