利吉さんの仕事に付き添ってから十日ばかりが過ぎた。おかげさまで実習に合格をもらえたはいいが、かなり細かい評価をつけられていて驚きだった。つまり賞賛とダメ出しが飴と鞭のように押し寄せたという事だ。
涼しい顔してたけど、利吉さん…しっかり私のこと審査してたんだな。あの笑顔の裏でいろいろ考えていたかと思うと冷や汗が出る。でもいいところもちゃんと書いてあったからそれはモチベに繋がった。また一緒に仕事したいと言われた事も嘘ではないと信じたい限りである。
わりと終始浮かれ気分だった自分を反省していたところで、利吉と再会する運びとなった。
「この前の仕事の報酬。君の分も預かってきた」
律儀に忍術学園まで届け物をしてくれた利吉は、そう言うと私に金色の簪をくれた。依頼者からの謝礼らしい。シンプルなデザインのそれは軽く、私は隅々まで観察しながら、何の仕掛けも施されていない簪に思わず声を漏らした。
「普通の簪だ」
「そりゃそうだろ」
「私の家にある簪は全部武器なんです。仕込み針とかジーファーとか」
毒が塗ってあるから触るなと母に怒られた事を思い出し、先が鋭利でない普通の簪を身につける日が来た事を感慨深く思った。簪イコール武具のイメージが少し払拭され、何より利吉さんに尽力した証が形に残る事がとても嬉しかったのだ。これを見るたびに、いざとなったら首の血管を狙えと言われた記憶よりも、利吉さんと過ごした時間が思い出されるのだと思ったら、また浮かれてしまいそうになる。
有頂天の私とは裏腹に、こちらの発言にやや引いたのか、利吉は苦笑しながら安全な高級簪に視線を落とした。
「聞いてると…君の家ってなかなか過激だよね」
私も最近そう思ってきた。利吉さんだって両親とも忍者なのに、なんか私の家とは様子が違うなって感じてる。
「それあまり人に言わない方がいいよ」
ガチ忠告っぽい言い方をされ、私は背筋を伸ばして頷いた。そりゃそうだ。忍者が仕事のことをべらべら話すのは悪手である。反省しよう。実は簪だけでなく元結も首を絞める用に頑丈な紐で作ってあるのだが、それは黙っておこう。私は使った事ないけど。
どうやら謝礼を渡すために寄っただけのようで、利吉はもう帰るのだと言う。実習の面倒を見てもらってこっちがお礼をしなきゃならないのに、忙しい中時間を割いて来てくれたのだと思ったら、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。慌てて礼を言い、深々と頭を下げながら、また会いたいな、と素直に思った。
「わざわざありがとうございました。大事にします」
「別に私が買ったわけじゃないから」
スマートに笑う利吉の言葉に、それはそうなんだろうけど、使いを寄越さず自ら私の元にこれを届けてくれた事が、とにかく嬉しかったのだと主張した。
「利吉さんが持って来てくださったものですから…宝物です」
大人びたデザインの簪を握りしめて言い、ちょっと大袈裟すぎたか?と思ったけど、でも絶対大事にすると本気で誓った。
利吉さんと会う機会も今後あまりないだろうし、卒業したらもっとないのだと思ったら、尚のこと大切にしたくなる。借金まみれになっても決して手放さないよ。いくらくらいするのか知らないけども。
私の重い発言に、照れなのか苦笑なのか判断つかない笑みを浮かべると、利吉はそれ以上話し込むこともなく帰っていった。忙しい体を引き止めるわけにはいかないと思ったのだが、ふと思い出した事があって、少し進んだ利吉に声をかけた。
「利吉さん」
振り返った利吉の顔を見ると、急に恥ずかしくなってしまったが、もはやあとには引けなかった。遠慮がちに腕を上げ、照れを隠せずに手を振った。
いつぞやに振り返せなかった詫びだ。せっかく利吉さんが手を振ってくれたのに、全く気付かずにスルーしたという大失態を私は忘れていなかったので、チャラにするつもりで行動に出たのだけれど、利吉は立ち尽くしたまま振り返しはせず、そこで私を見ているだけだった。
仕返しかな。利吉さんそういうのやりそうだからな。実習の帰り道でも、より効果的な乱定剣を私に教えながら、その辺の小石を投げられ続けたので、絶対玉を当てた事を根に持ってるなと確信したものである。
まぁこれはこれでチャラか、と感じていた時、何故か利吉さんは真っ直ぐこちらに戻って来て、その気迫に思わず後ずさりそうになってしまった。大股で長身の男が向かってくると命の危機すら感じるな。
しかしその直感は当たらずとも遠からずであった。
戻ってきた利吉は躊躇いもせず私の手を握ると、これまた躊躇いもせず唇を合わせてきて、一瞬とはいえ凄まじい衝撃に、忍者の卵なのに何の反応もできなかった。意外と柔らかい、と思った時には、何故か利吉さんも驚いた顔をしていた。
何だその顔は。自分からしたんじゃないのか。
「あ、ごめん」
あ、ごめん?
「それじゃ…」
それじゃ?
軽く手を上げた利吉は、ヘリウムガスより軽快なノリで謝罪をし、それ以上何も言う事なく去っていった。今度は呼び止めもせず、私は呆然と見送るだけだ。姿が見えなくなって初めて、停止していた思考が動き出す。
いや、ごめんで済むかいな。
びっくりした。本当にびっくりした。夢なのか?現実かこれ。今の何だったんだろう。何だったかはわかるんだけど、でも何だったんだろう。こういうの初めてだから全然わからない。いい雰囲気だったのかもわからないし、何が利吉さんをそうさせたのかもわからなかった。
でも、めちゃくちゃ動揺してたな。信じられないほど不自然な謝罪と共に立ち去った利吉の様子から、向こうもそんなつもりはなかったのかもしれないと想像した。それ以上にそんなつもりなかったのは私の方なので、今頃になって心臓が高速で動き出す。
本当に何だったんだ…。だけど別に…全然嫌じゃなかったな。利吉さん的にはよくある事なのかもしれないし、あんまり気にしないようにしよう。気にしたら好きになっちゃうかもだし。忍術学園の生徒を揶揄ったりしたら、山田先生に怒られると思って慌てたのかもしれない。きっとそうだろう。そう思わないと、今は正気でいられない。
簪を握りしめながら、これを見るたびに今日のこと思い出しちゃうな…と思って、嬉しいような切ないような気持ちにさせられるのだった。