利吉さんとはもう会う事もないかなぁと思っていた頃、偶然の再会を果たす事となった。
長い休みの時は宿題が出る。女中として某城に潜入し、殿様の飼い犬の首輪についている名札を取ってくるというのが私の今回の課題だった。
しかしこの犬が猛犬であった。姿を見せると吠えられ、近付くと牙を剥かれ、餌やりの仕事で怪我をした人の数は、赤緑時代のポケモンの数より多いと噂されている。百五二人目になるわけにいかない私は、奥の手ことちゅ〜るを使い、ようやく手懐けることに成功したので、宿題達成に向けて動き出していた。どんな犬猫も、いなばペットフード株式会社の製品の前にはひれ伏すしかないと思い知った瞬間であった。
そろそろ決行しようと思っていた頃、なんと、城の廊下で利吉さんとすれ違ったのだ。死ぬほど驚いたが、素知らぬ顔で通り過ぎ、向こうも私を見もしなかったため、きっと仕事中なのだろう。服装もいつもと違ってより背が高く見えた。かっこいい。顔整いは何を着ても整うんだな。
「…今の方は?」
噂好きの女の顔をして、市原悦子みたいな年配の女中に利吉の事を尋ねた。この人に聞けば何でも答えてくれるというベテランだった。
「雇われ用心棒。お殿様ったら最近命を狙われてるって噂があるんだって」
そうなんだ。利吉さんが絡んでるなら何か策謀を感じるな。
命を狙われてるなんて初耳だったため、普通に驚き、でもそれも利吉さんが侵入しやすくするために流した自作自演の噂かもしれないと考えた。とはいえ本当に用心棒の可能性もある。軽く接触しておくか、とタイミングを考えていると、ベテラン女中は苦虫を噛み潰したような顔で後ろ姿の利吉を睨んだ。
「あいつ本当性格悪いよ、顔はいいけど」
「そうなんですか…」
どういう演技プランでいってるんだ利吉さん。女中に嫌われるようなキャラ作り必要なのか。優しくするとモテるからか。男前には男前の苦労があるんだろうな。
何にせよ邪魔しないようにしなくちゃ。その上で手助けできるならさせてもらいたい。あの衝撃の一件以来会っていないので、いま私と利吉さんは一体どういう状況にあるのかも知りたかった。でも仕事が優先だからそっちは機会があったら聞くくらいに留めておこう。
利吉のところに夕食を持って行く女中がいたので、その役を代わってもらうことにした。助かる、と感動されたから、利吉さんは相当やばい奴を演じていると見た。どう考えても過剰な演出だろうな。逆に見てみたい、性格の終わってる男前の用心棒を演じる利吉さん。私にもその態度取ってくれるかしら。
少しドキドキしながら食事を持っていくと、利吉の部屋の前に見張りが立っていた。用心棒とはいえ完全に信用されてはいないらしい。お殿様は本当に命を狙われてるんだろうか。そのわりに城内は落ち着いた雰囲気があるので、統率の取れた城なのかもしれない。
声をかけて中へ入れば、利吉さんは夏目漱石ポーズで本を読んでいた。確かに顔はいいな、と改めて思った。これで性格までよかったら女中の間ではちょっとした騒ぎだろう。変人の演技をする理由もわかる。
「夕食をお持ちいたしました」
膳を持ってきたのが私だと気付いただろうが、特に顔色を変える事なく、そこに置いとけと目も合わせずに言われた。確かに性格悪そうだ。牧野に会う前の道明寺みたい。
廊下に見張りがいたのではまともに話せない。もし私が必要になれば利吉さんの方から接触してくるだろう。私の宿題は特に利吉の助けはいらないので、こうなれば自分の仕事をするのみである。
何の任務なんだろうなぁ。気になるけど忍者に仕事の事を聞くのはマナー違反である。後ろ髪を引かれながら立ち去ろうとした時、その瞬間はやってきた。利吉に声をかけられたのだ。来た、と心の中で拳を握り締めつつも、怯えた女中の顔をする。
「待て」
悪質クレーマーみたいな声色で引き止められると、芝居とわかっていても、シェフを呼べと言われそうでドキッとした。
しかし利吉さんは性格最悪の用心棒ではなく、我らが憧れプロの忍者である。必ずこちらの目的を確認してくるはずだ。私が邪魔にならないかどうかを。
「お前…可愛い顔してるな」
「はぁ…よく言われます」
「自分で言うな」
緊張感のない事を言ったら、普通に小突かれてしまった。マジの忠告だったかもしれない。すいません。可愛くてごめん。
「…まぁいい、今夜部屋に来い」
その言葉に、合図だ、と思った私は、気色悪い手つきで肩を撫でてきた利吉に戸惑いの表情を向けた。セクハラの演技が上手すぎて鳥肌物だった。
プロってすごいな。完全にドスケベ野郎の手の動きだった。利吉さんだとわかっていても素で困惑してしまったのは、あんな事をされた後だったからだろうか。考えながら外に出て、何にせよ接触してきたという事は情報がほしいのだろう。今夜って何時だ?と思わなくもなかったが、とりあえず仕事に戻って日課をこなした。
身綺麗にして夜中に部屋を抜け出す前、女中たちにどこに行くのかと心配された。ここの人達はいい人ばかりだ。利吉さんは何の目的があって来てるんだろう。不幸な事にならなきゃいいけど、そうも言っていられない世の中なのもわかっている。
廊下には相変わらず見張りがいた。いかにもこれからお楽しみですみたいな雰囲気を出し、来いと言われたので来ましたが…と伝えると、すぐに利吉が出て来て私を引っ張った。部屋には一つだけ灯りがついていた。
随分と乱暴な手つきに怯んだが、これも演技プランなのだろう。あまりのスピード感に見張りも驚いていた。勢いよく閉められた戸が鳴り響く中、利吉は私を布団の上に倒し、乱れた裾を直している間に覆い被さった。その上からさらに布団を被って、狭すぎる中で密着する。一瞬の出来事だった。
冷えた布団の上で見つめ合い、息がかかるほど近い。また唇に触れられるかと思って、期待と警戒がごちゃ混ぜになっていると、利吉は顔の前で指を立てた。
「すまない、話を聞かれるとまずいから」
「いえ…大丈夫です」
今さらだなぁと意地悪な事を思いながら、この間のあれがなかった事になっているとしたら、非常にモヤモヤしてきてそれどころじゃなかった。
大体本当にこの距離が必要なのか?地獄耳の見張りなのか?まぁでも誰かが覗いた時にこういう雰囲気じゃないとおかしいという事ならば納得するしかあるまい。
別にこうしているのが嫌なわけではないが、利吉にとっては何の感慨もない事なのかもしれないと思ったら、本当にショックである。あんなの初めてだったのに。簪もらって浮かれたのに。今日だって合図をもらって嬉しかった。私を信用してくれていると思ったからだ。
相手の気持ちがわからず戸惑ってしまうも、今は仕事中だ、邪魔するわけにいかず、必要なやり取りに留めておく事とする。
「何してるの、こんなところで」
「宿題なんです。犬の首輪についてる名札を取ってくるっていう…」
説明すると、利吉はすぐに食いついた。
「ちょうどよかった。あの犬には手を焼いていたんだ…」
「私も警戒を抱かれなくなるまでに十日かかりました」
「どんな手を使ったんだ?」
尋ねられたので、懐からちゅ〜るを取り出し、それを見た利吉は全てを察したように頷いた。利吉さんの家には猫がいると言っていた。ちゅ〜るの威力は身をもって体感している事だろう。
「その宿題はいつ頃終わるの?」
「本当は今日帰ろうと思ってたんですが…利吉さんがいらっしゃったので…」
「ああそう…私が邪魔をしたわけか」
顔を引き攣らせた利吉は、不貞腐れた態度で鼻を鳴らした。半分は冗談だったと思うが、利吉さんがいて助かる事はあっても邪魔な事など決してないので、慌てて口を開く。思わず腕に触れたら、想像していたよりずっと熱かった。
「お会いしたかったんです、私が」
真っ直ぐ目を見て伝えると、利吉は黙り込んだ。しかし視線は逸らさずに、しばらくじっと見つめ合う。段々と恥ずかしくなってきたところで、利害の一致に気付いたのか、利吉は提案を持ちかけてきた。
「それなら協力してくれ。君が名札を取ってる隙に細工をするから」
素直な申し出に、私は浮かれて頷いた。利吉さんに頼られた事が嬉しかったのだ。信頼を感じると胸が熱くなってしまって、この気持ちは一体何なんだろうと湧き上がる思いに頭を悩ませる。
何だかずっとドキドキしちゃうな。このまま飛びつきたいような衝動が込み上げてくる。もしかして利吉さんもそうだったんだろうか。そうだったらいいのに。いや、いいのか?どうだったらいいんだ?
思いの外早く話が済んでしまったので、尋ねる機会がやってきてしまった。向こうからは一切この前の件に触れてこないから、本当に何だったんだろうと思いを募らせるばかりである。ていうか私には聞く権利があるのではないかと思ったら、もう口を開いていた。
「利吉さん」
考えるより先に行動してしまい、直さないと、と反省しつつも、今は止まれない。
「最後にお会いした日の事なんですが…」
「この状態でよく聞けるね…」
私の言いたい事をすぐに察した利吉は、苦笑まじりに気まずい声を出した。逃げ場のない状況で問い詰められると、笑うしかないようだった。さすがに自分のした事に対して自覚はあるようだったから、答えが聞けそうな様子に安堵する。
簪を持ってきてくれた日、手を振ったら、何故か手を振り返す代わりに唇で応えられたわけだ。そんなの困惑しないはずがなかった。どうしてそうなった?と聞きたいのは当然である。確かに今その件を尋ねるのは際どい状況に思えるけど、利吉さんとはいつ会えるかわからないのだ、聞ける時に聞くしかない。仮にこのままあれ以上の何かが起きても、別に嫌じゃないと思うし。嫌じゃないというか、本当に利吉さんが私の事もらってくれたらいいのにと思う。行き遅れる前に。
「悪かったよ」
しかし利吉から返ってきた言葉は想像してたのと少し違って、胸が締め付けられそうになる。
「か」
「か?」
「…可愛かったから…つい」
つい。ついで済まされちゃった。結局可愛くてごめんなのか。
「そうですか…」
私は相槌を打ちながらも、じわじわと響いてくる痛みに、自分でも困惑して眉を下げた。つい、の二文字が脳内でこだまし、胸に引っかかって剥がせない。
つい。ついなんだ。何かちょっとショックかも。私にとっては重大案件だったけど、利吉さん的には大した事ない接触だったんだろうか。可愛いと思ったら、道端の猫を吸うように人の口も吸うわけか。私はこんなに、こんなに…こんなに…なんだろ、こんなに…好きなのに?
ここまでショックを受けてるのは、利吉さんの事が好きだからかもしれない。突然自覚し、途端に不貞腐れて、ばつの悪い顔をする相手に目を細めた。
「利吉さん…」
低い声が出てしまい、利吉も少し身構えていた。
「私…利吉さんのこと好きかもしれませんから…あまり揶揄わないでください」
「え」
傷付いた事をアピールし、それ以上何も言わずにいると、呆気に取られたような顔をしながらも、利吉は咄嗟に言葉を放っていた。
「ごめん…」
思わず謝ったと言わんばかりの声量に、態度を改められずにいると、何かが引っかかった表情で相手は首を傾げていた。
「ん?もしかして冗談?」
「いえ」
「笑えないしな…」
確かに私も冗談くらいは言えるが、今回ばかりは本気である。ようやくしっくりきて、ずっとモヤモヤしていた何かの正体が恋心だとしたらら、全てに納得がいった。
利吉さんのこと好きなんだ。嬉しかったり悲しかったりするのそのせいなんだな。いつからそうだったんだろう。わかんないけどまぁいいや、気分が晴れたから。利吉さんも私の気持ちがわかればもう軽々しく妙な事はしないだろう。触れ合えたら嬉しいけど、遊ばれるのは嫌だし。
勝手に解決した気持ちになっていると、利吉の方は何だか納得いかない様子で視線を外した。
「別に揶揄ったわけじゃ…」
それきり言い淀み、再び沈黙が訪れた。揶揄ったわけじゃないなら本気ということになるが、そんな都合のいいことがあるのだろうか…と考えている隙に、判断をこちらに投げられた。空気に耐えられなくなったのかもしれない。
「…これからどうする?」
露骨に話逸らされた。また有耶無耶にして終わるつもりだろうか。
「いっそ今夜決行しちゃおうか」
「え?」
追及するか考えているうちに、恋愛トークから仕事の話に切り替わっていた。元々今日終わらせるつもりだったという私の話を気にしてくれていたのかもしれない。退却準備はできているので全然構わないのだが、そうなると利吉さんとまたお別れなので、寂しい気持ちが込み上げてくる。お互い任務でここに来てるというのに、雑念ばかりで情けない限りだ。好きだと思ったら余計に恋しくなってしまい、どうにか感情を押し込めた。
「そうですね…利吉さんがそれでよければ」
決まったところで布団を出た。温い空気が逃げていき、遠くなった体温が名残惜しくて、思わず物理的に膝を突き合わせた。やっぱりあの時一緒に寝たらよかったなぁ、と後悔が湧いてきて、深く考えず気持ちを伝えてしまった以上、利吉さんはもう会ってくれないかもしれないと思ったら、本当に惜しい事をしたと歯を食いしばるしかない。
でもこういう感情も忍者には必要かもしれないしな…なんて勤勉な思考にシフトしながら、真面目に宿題に取り組む決意をした。それが利吉さんの助けになるならこんなに嬉しい事はなかった。
「犬の方は頼んだよ。無理に引きつけなくていい、宿題が終わったらすぐ帰るんだ」
「わかりました」
「助かるよ」
穏やかに微笑まれると、本当に離れがたくなってかなり厳しい。次はいつ会えますかと言いそうになった時、利吉は真面目な顔をして、私の頬に手を添えた。あの日とは全く違う空気だったが、同じ事が起きる予感がして、期待を振り払うよう目力を込めた。
どうしよう、もう会ってくれなくなったら。山田先生にクレーム入れちゃうかも。
何でかこれで最後みたいな気持ちになっている私だったが、そんなこと一言も言っていない利吉さんは顔を近づけ、涙目の私を覗き込んだ。
「揶揄っていなければ…もう一回してもいいのか?」
「え」
間抜けな声が出ちゃった。思いもよらない言葉に思考が止まったが、時間は有限である。断るはずもないので一刻も早く頷き、心臓がドキドキしてるのを感じながら、もしかすると私の気付かないうちに、それこそ蛍を撃った時から何かが始まっていたのかもしれないと突然思った。
「はい…」
返事と同時に目を閉じる。宣言通り唇が重なった。長いような短いような時間が通り過ぎ、息を止めている間、思いが爆発しそうで恐ろしかった。こうなるとは全く思ってなかったけど、もし利吉さんも同じ気持ちなのだとしたら、本当に嬉しい。すごく嬉しい。今なら熊も撃てそうである。
不意打ちの時とは比べ物にならない心地良さに浸り、唇が離れたのを確認してから目を開くと、すでに利吉はいなかった。まるで最初から一人だったかのような静寂に戸惑うも、残された布団の温もりで現実を再確認する。
なんか夢みたいな人だな。急に現れて急に消えて、蛍のようだ。