夜とて決して寝静まってはいない忍術学園だが、下級生たちの声がしない分は静寂を感じる。
気配を消してきたけれど、すでに気取られている感じがするな。別に寝首をかけるとは思っちゃいないが、こうも早すぎると気分が萎える。
しかしもう後戻りはできない。堂々と扉を開けて寝室へ忍び込もうとした私は、即座に飛んできた枕を払いのけ、驚いた顔の土井先生を無視し、騒がれる前に部屋へ入った。月明かりを背中に感じる。長い間曲者をやっているけど、枕を投げられるのは初めてだ。

「あら、山田先生はいらっしゃらないんですか」
「白々しい…」

とぼける私に呆れ顔の土井先生は、侵入者が私であった事に、少しは動揺したみたいだった。という事は、何の目的でやってきたのか気付いているというわけで、わずかに不穏な空気が流れる。

「…君だったのか、この密書の持ち主は」

先生の手の中にある手紙は、確かに密書だけども、大したものではない。
先日、うちの新人がしくじった。預かった密書を私の元まで届けるはずが、何の間違いか忍術学園でとっ捕まり、いかにも怪しい密書を奪われてのこのこ帰ってきたのだ。話振りから恐らく土井先生が持っていると当たりをつけてきたが、見事正解だったらしい。
それなら話は早いと微笑み、敵意のなさをアピールする。

「先日はうちのルーキーがお世話になったようですね。詳しくは聞きませんが」
「ああ…聞かない方がいいよ」

バレーボールが飛んできて…と聞いた時点で、大体の予想はついている。避けられない方が悪いし。

「大したものじゃないんですが…一応持って帰らないと」

他の先生達や癖の強い上級生に気付かれる前に済ませたい。さっさと本題に入り、私は土井先生に手を差し出した。ごねられたら事情を話すつもりだったが、案外先生はすぐに密書を手渡した。

「見ましたか?中身」
「…暗号文だった。複雑じゃなさそうなんだが…総当たりしてると時間がかかるな」

どうやら苦労しているらしい。溜息をついた先生からは深刻さを感じられなかったので、恐らく重要な文書でない事は察したのだろう。私も読めないが、別に読みたいとも思わない。

「うちの殿様、暗号好きなんですよ。殿が作ったオリジナルの暗号。これは贔屓の役者からの返事で…つまり恋文ですね」

種明かしをすると、露骨に拍子抜けする先生が見られて面白かった。こんなものを毎回毎回こそこそと取りに行ったり届けたりするわけだ、忍者の仕事も楽じゃない。まぁでもたまにこうして先生に会えるなら、しくじってもらうのも悪くないかもな。

「…そんな暗号使ってまで見られたくない内容なのか…」
「そりゃそうでしょ」

若干引き気味に先生は言ったが、恋文である、普通に見られたくないだろう。私だって先生に渡せなかったラブレターを見られたりしたら自爆していたかもしれない。殿の気持ちは大いにわかる。
先生にはそういう相手がいないのね、と思うと嬉しくなるが、私のしょうもない仕事内容を知られた悲しみもあり、今さらながら言わなくてもよかったな、と思わなくもない。でも変に疑われるリスクを負うわけにもいかず、己の信用力に賭けた。先生からすれば私は調子のいい卒業生だろうけど、決して学園に迷惑をかけたりしない事だけはわかっていてほしかった。学園に睨まれると普通にまずいし。
私は暗号文に目を通し、さっぱり読めないそれを懐にしまって、枕を返した。

「お休みのところすみませんでした。私も今夜しか空いてなくて」
「忙しそうだな…こんな大変重要な仕事を任せられて…」

うるせぇな。上司の言いなりになるしかない勤め人の気持ちがそなたにわかるか。

「お詫びに添い寝してあげましょうか?」
「いいから早く帰りなさい!」

ついつい軽口を叩いたものの、本当に長居は無用だ。しかし案外あっさり帰されたという事は、暗号文は写してあるに違いない。是非とも解読してうんざりしてもらいたいものだ。私がこんな仕事に明け暮れている事にも。
せっかくだからもう少し揶揄っていくか…と残業の腹いせに先生へ近付き、枕でガードしてくる腕をすり抜け、相手の髪に指を絡める。

「そうですね…こんなとこ見られたら…まずいですもんね」

そのまま髪をすいて指を抜こうとしたが、普通に絡まった。めちゃくちゃ傷んでるな。大した手入れもしてない上にストレスで悪化しているといったところか。
私の勝手な髪評に特に抵抗もせず、先生は心底呆れた顔で溜息をつくと、ようやく手を払って呟いた。

「そうだよ…」
「え?」

熟考の余地ありげな四文字に、完全に油断した私は、そのまま部屋の外へと押し出された。瞬く間に扉を閉められ、もはや仕事などどうでも良くなる寸前で、学園から退散する。帰りの道中で一度立ち止まり、木陰に潜んで深呼吸した。このままでは帰れないと思ったからだ。

そうだよって…何?
単に私がここにいるのを見られたらまずいって意味か?それとも…私にとって都合の良い意味か?何がそうなの?そうだよ、って言葉にも二百通りの意味があると思うんですけど。
揶揄ってるつもりがいつも翻弄されて終わってるな…と痛感し、改めて未熟さを思い知らされる。三禁三禁。ついでに三病。初心忘るべからず。土井先生に会えてつい浮かれてしまったが、もう学生じゃなくてプロの忍者なんだ、いつまでも惚れた腫れたで一喜一憂してる場合じゃない。
帰ろう、と立ち上がり、取り返した密書を見る。しかしこれを見ていると、少しくらい浮かれてもいいのでは?と感じてしまうので、すぐさま懐へと戻すのだった。

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