所用で忍術学園を訪れた際、珍しく土井先生の方から声をかけてきた。先程学園長から、土井先生が会いたがっているという意味深すぎる事を言われ、一体何故…と冷や汗をかいていた矢先の出来事だった。
「心配したんだぞ、あれから全然顔を見せないし」
食堂でうどんを食べていた私は、やっぱ食堂のおばちゃんの飯が一番だな…としみじみ感じ、孤独のグルメに浸っていた。誰にも邪魔されず自由にうどんを啜るつもりが、突然土井先生が蕎麦を持って現れ、普通に向かいの席に座り、挨拶もなくそう言ったのだ。
「全然って…まだ一ヶ月なんですけど…」
前回土井先生と会ってから、季節すら変わっていない。いきなりそんな事を言われる筋合いはないし、そもそも何故急に心配してるんだ?と疑問を浮かべる私は、当然のように乗せられたちくわ天を見つめながら、率直に謎をぶつけた。
「心配かけるような事しましたっけ」
「ほら、付き纏われてるって言ってたじゃないか」
「ああ…あれか…」
ようやく合点がいった。私の中ではとっくに終わった話だったので軽くあしらい、ちくわ天を代わりに食べてやる。昔もこうしてはんぺんやらかまぼこやらを知らぬ間に皿に乗せられていたな。つまり練り物嫌いは全く直っていないという事だ。嘆かわしい。
私をつけ回していたのは、スカウトの忍者だった。どこかの城が私を引き抜きたいらしいが、取りつく島もなく断った。かなり怪しかったからだ。
食い下がられる事はなかったけど、どうもその忍者が遠方のうちの領地から来ているらしく、何だかきな臭いので調査に行く予定である。つまり出張だ。今回は一ヶ月ほどだったが、今度こそしばらく土井先生とはお別れかもしれない。でもいい機会のような気もしている。この無意味な恋を切り捨てるための距離と時間だ。
「ただのスカウトでしたよ、引き抜きです。断りましたけど」
土井先生は安堵と拍子抜けの両方の顔をしたのち、羨ましがるような声で天を仰いだ。
「君って優秀なんだなぁ…」
きっと一年は組の良い子たちの事を思い浮かべているに違いない。
「そんなことないですよ」
「そういえば成績も良かったっけ。山田先生が火縄銃の扱いを誉めていらした覚えがあるよ」
それは私も覚えている。あの山田先生に火縄銃を褒められるなんて名誉以外の何物でもないからな。まぁ私の場合親がスパルタ忍者だからスタートが他の子達と違ったし、それなりにできて当然と言えば当然なのだが。
久々に鼻高々な気分になって、ちくわ天を喜んで口に入れた。美味い。嫌う理由がわからない。
ちくわを排除できて上機嫌なのか、土井先生はさらに私に絡んだ。
「そうだ!あの暗号」
突然声を上げると、先生は箸を置き、懐から紙を取り出した。早く食べないと伸びるぞ、なんて助言する事もなく私はマイペースにうどんを啜り、視線だけを向ける。
「解けたんだよ」
渡された用紙を見て、奪われて取り返したあの日の殿の暗号だと気付いた。何故こんなものを持ち歩いてるんだ?と指摘するのはやめておいた。きっと合間に解読していたんだろう。ちゃっかり写されていた内容に目を細め、暗号文の横にある手書きの訳が土井先生の字だとすぐわかった事に、自分で少し呆れた。どんだけ好きなんだよ。
「君の言う通り、本当に大した事ない内容だった」
「…疑ってたんですか?」
「ま、まさかぁ」
疑ってたんだな。大事な密書だったら新人なんかに持たせるわけないだろう。
溜息をつきながら箸を置き、試行錯誤の跡が見られる翻訳を読んだ。殿が贔屓の役者に送ったラブレターの返事だ。要約すると、会えない時間が長いと寂しすぎて、いっそもう永遠に会いたくないと思ってしまう…的な内容だった。暗に会いに来ないでくれと言われてるような気がしなくもなかった。嫌われてるんじゃないか?殿。深読みしすぎか?
恋の駆け引きなどわかるはずもない私は、紙を丁寧に畳んでしまった。しかしやけに自分と重なる内容に、心が引っかかる部分はある。
私も、こんなに掻き乱されるくらいなら先生と再会なんてしなきゃよかったな。そしたらもっと密やかに、青春の思い出の一つとして抱えていられただろうに。
そんな思いが深まった結果、決意めいた言葉となって口から溢れ出てしまう。
「私もしばらく土井先生には会えません」
「え?」
「出張になったんです」
いつもなら、私もラブレター送りますよ、と軽口を叩けたかもしれない。しかし思いがけない先生の表情を見てしまい、一気にシリアスな空気が己の中へと流れ込む。
「そうか…気をつけて。でも寂しくなるなぁ」
蕎麦に手をつけながらそう言った先生が、きっと誰にでも同じことを言ってるのだと思って、私の心は揺れた。
「そんなこと…軽々しく言わないで下さいよ」
「いつも軽々しく言ってる奴に言われたくない…」
さらに激しく揺れた。この温度差は自業自得とはいえなかなかに耐え難く、何だかこの出張が今生の別れとさえ思えてきた私は、思わず立ち上がってしまった。
「私、本当のことしか言ってませんよ」
「ほらまた…」
「本当」
強い口調で言い放ち、手を止めた先生と見つめ合う。まだ深刻さとはかけ離れた目をしている。私も本心を隠すのが上手くなったせいで、真実を見透かしてもらう事ができない。
「私の方が寂しいですから」
「真に受けるわけないだろう、そんなの…」
黙っていたら、さすがに先生も動揺したのか、箸を止めた。
「…え?受けた方がいいのか?」
聞くなよ。こっちが聞きたいよ。
何だか無性に恥ずかしくなってしまい、混乱し始めた先生が、私の告白に気付く前に退散を決意した。カッとなって我を見失うなど忍者の恥。愚か者すぎる。何をやってるんだ一体。いつまで都合のいい夢に浸ってるつもりなんだ。しかしこれでもう終わりだ、無理やりにでも断ち切らないと淡い期待を捨てられなくなる。
「さよなら!」
食器を下げたあと足早に食堂を出て、引き止める先生を完全スルーし、暗号の内容を頭に思い浮かべる。
永遠に会いたくなくなるほどの寂しさなんて本当にあるんだろうか。もしあるなら、そんな思いを抱く相手は一人しかいない。
「レイコ!」
遠くから先生が呼ぶ声に、思わず小走りをやめた。
「帰ってきたら学園長先生に報告するんだぞ!みんな心配してるんだから!」
土井先生らしい声かけに、私は振り向くのをやめた。そういうみんなに優しいところが好きだったのに、今はもどかしくて仕方がない。おかげで諦めの気持ちが強まったが、そんな時に限って惑わせてくるから、この泥沼は深いのだった。
「私だって…」
わずかに聞き取れる声でそう言われ、思わず振り向きそうになるも、とりあえず背中で手だけ振っておいた。
たとえ私が二度と会いたくないと思っても、先生に寂しいと言われた事を思い出して、会いに行っちゃうんだろうな、と不意に思った。そういう意味では諦めがついた。玉砕も成就もないまま生きていくしかない事は、果たして喜びなのか、悲しみなのか、今は知る由もない。