ビーチサイドエリア

チャンピオンの朝は早い。
「まぁ早朝から挑戦者は来ますから」
最近は夜中に2ちゃんねるも見れないと愚痴をこぼした。
まず、挑戦者が四天王を何人突破したかのチェックから始まる。
「やっぱり一番嬉しいのは一人目の四天王が挑戦者を倒してくれた時ね。これで私の出番ないから二度寝できるなと」
「毎日毎日いろんなタイプの挑戦者が来る。機械では相手できない」

という事をもうやってられないから、チャンピオンは辞退だ!

「自由…」

私はハウオリのビーチに立ち、解放感に目頭を熱くさせた。

私の名はレイコ。初代アローラチャンピオンだ。
初代という事は前任がいないので、私がチャンピオンを辞退するとアローラリーグにはチャンピオン自体がいなくなり、それは困るぞってことで引きとめられてたんだけど、この度めでたくお役御免となったため、カントーに帰れる事が決まったポケモンニートのレイコである。
何故急にお役御免になったのか、絶対理由があるはずなのに全く思い出せないが、そんなことは些事…ついでにどうやってビーチまで来たかも思い出せないけど、それもどうだっていいんだ。自由の身になった、それだけが重要なのである。

でも私コンビニに行こうとしてなかったっけ?と現実に戻ろうとした時、誰かが私を呼ぶ声がした。まるで意識を引き止められるかのように。

「レイコー!」

聞き馴染んだ声に振り返ると、ハウが慌てた様子で駆けてくるのが見えた。いつも走ってやってくる彼だが、今日は眩しい笑顔が消えている。

ハウといえば、このアローラで出会った純粋毒舌ボーイである。相反する二つの面が融合したハイブリッドな少年だ。
時に競い合い、時に協力し合い、元気の塊を貢がれまくった仲なので、彼にはきちんとお別れをしなくちゃならないと思っていたのだが、どうやら私の帰国はすでに彼の耳に入っていたらしい。息を切らして傍まで来ると、呼吸が整わないうちに、真偽を確かめに来た。

「帰っちゃうって本当ー!?」

深刻な感じに問いただされ、私は胸を痛ませた。ハウとの別れが惜しいくらいには、彼は私の中で大事な存在となっていたのだった。


砂浜に座り、二人並んで沈みゆく夕陽を見つめる。
今って夕方だったっけ?と時間の感覚がよくわからなくなっている私をよそに、ハウはしんみりした声で呟いた。

「俺…寂しいよー…」

常に元気百倍ハウパンマンが、聞いた事もないようなトーンで心情を吐露した時、私の心臓は握り潰されそうになった。そんな風に言われるとこっちも寂しさが込み上げ、ついつい同じ台詞を返してしまう。

「私も寂しい…」

さっきまで帰る事しか頭になかったというのに、突然の心変わりに自分でも驚いた。あのハウがここまでテンサゲ状態で落ち込んでいるのだ、そんな姿を見て何も感じないほど、私は薄情でもないし不感症でもなかった。

何…この胸の痛みは…?メレメレ島の宝と名高いハウを悲しませる事への罪悪感!半端ねぇ居たたまれなさ!本気のハラにブチのめされてハラハラさせられるんじゃねーの!?
私は怯えた。孫を泣かせたとあっては、ハラさんに腹をぶつけられてぶっ飛ばされかねない。
ああいうおおらかなタイプって怒ると怖そうなんだよな…。絶望の淵に立ち、どうしよう…と深刻に悩んでいると、ハウはそんな私の姿を見て、別れを惜しんでいると勘違いしたらしい。いや惜しんではいるが恐怖に怯えている方が大きいので、苦笑を返す他なかった。

「それならずっとここにいてさー!俺たちともっと一緒に…なんか…」

もどかしい思いを口にしようと奮闘するハウの姿は、健気でいじらしく、尊い…と言ってしまいそうになるほど、胸に迫るものがあった。言葉にできない事は無理にしなくていいってポルノグラフィティも言ってるんだ、と謎の慰めをしてしまいそうになるも、私のいなくなったアローラでヒトリノ夜を過ごすハウを想像したら、オリジナルラブも貫けそうにない。

しかし結局ずっと一緒にいられない私は、安易な言葉を言えずに黙り込み、そんなこちらの迷いを見透かしているのか、ハウは卑劣なほど初心な台詞で私の後ろ髪を引いた。邪なニートは純粋な少年に弱すぎるのだった。

「…俺がじいちゃんより立派な島キングになるところ、見ててほしいしなー」

いやそれは移住しないと見れないやつだから無理だわ。明日島キングになってくれるなら約束できるけど、ハラさんまだバリバリ現役でしょ。
気長すぎるハウの言葉に、私は当然頷けず、お得意の乾いた笑みを浮かべて誤魔化した。ハウならきっと立派な島キングになれると思うし、その時は立ち会いたい限りだけど、それでも私は帰らねばならない、あのカントー地方へ。埃被った自室へ。この世で最も快適なニートルームへ!南国性に合わねぇし!

暑いんだよアローラ…。最近はすっかりポケセンかリゾートに引きこもっている私は、どうせ実家に帰ったところで似たような生活をするのみなので、それならまぁもうしばらく滞在しても変わりないと思い、焦る気持ちを落ち着かせた。

そうだよな…ポケセンはフリーWi-fiもあるし、今のところ何の不自由もない生活だもんな。家で寛ぐかポケセンで寛ぐかの違いなので、チャンピオンを辞退した今、慌てて家に帰る必要もないわけである。クソ親父の顔も全然見たくねーし、ホームシックこじらせるまでは観光を楽しんでもいいんじゃないか。
まんまとハウに心動かされた私は、南国ニートもたまには悪くないと掌を返し、仔犬のような眼差しを向ける彼へ微笑みかけた。

「…じゃあ、もうちょっといようかな」
「本当ー!?」

私を引き止めることに成功したハウは、喜び勇んで両手を挙げた。万歳三唱でもしそうなテンションだったが、勢い余って前のめりになり、体が傾いていく。砂に足を取られたせいでバランスを崩すと、そのまま私の上に倒れ込んだ。もちろん私も倒れた。棒倒しのような無気力さで。

様々な窮地を乗り越えてきた私が、一切反応できずに砂に埋もれる物悲しさ、おわかりいただけるだろうか。

嘘だろ?普通に重力に引かれて転倒したんだけど。
熱い砂の上でショックを受ける私は、とうとう反射神経もゴミになってしまったのかと項垂れ、アローラで堕落にまみれすぎた自分を恥じた。

そりゃ実家にいる時はナマケモノのような移動速度だけど、旅の最中はいつだって機敏だったはずなのに…ハウを助け起こす事もできないなんて…リラックスできるのは実家だけだと思っていたが、どうやらアローラもホーム感覚だったと気付いて、感慨深い気持ちになる。

本当にしばらくいてもいいかもな…この土地に。地に落ちてようやく悟りを開き始める私をよそに、ハウは慌てて体を起こすと、ドミノのように倒したことを詫びてきた。

「わ!ご、ごめ…」

大丈夫だよ、とテンパる彼に微笑み返した時、一瞬意識が遠くなる感覚があった。砂の熱ささえ感じず、しかしすぐに感覚は戻ったので、立ちくらみならぬ倒れくらみか…と結論付ける。
けれども何だか、目の前のハウがやけに輝いて見え、次第に頭もぼーっとしてきた。

なんか…近いな…。遠近狂ったか?と手を伸ばすと、すぐにハウの頬に触れたので、どうやら正常みたいである。

ハウ…一緒に旅立って成長を見守ってきたけど、本当に強くなったよな…。ポケモン勝負だけじゃなくて、芯的なものがより太くなったっていうかな。確かに島キングになるまで見てたい気持ちあるよ。どんな大人になるか気になるし。

でもやっぱ、ずっと一緒にはいられないよ。だって私ニートだもん。実家以外の都はない。アローラももちろんいいところだが、陰キャの私に永住は無理なんだわ。パリピを憎むこの根暗には、アローラで楽しく過ごす価値などない、そう思う。

ごめんね…という気持ちでハウの頬に両手を添え、見つめ合った。美しい私に顔を近付けられたハウは、緊張した面持ちで目を閉じたけれど、不安になったのか公然の事実を打ち明ける。

「お、俺…キスした事ないからさー…」

だろうな。あったらびびるわ。進みすぎだろ田舎のガキ。

私だって事故チューしかねぇよ、と悲しい事を思って、今度はこっちが目を閉じる。

「レイコ…俺…」

近付いてくるハウの気配に息を止めた時、突然額に何か冷たいものが触れた。どう考えても人体の感覚ではないと思い目を開くと、さっきまでいたはずのハウの姿が消えていて、謎の瞬間移動に驚き、体を起こす。

…え!どこ行ったんだあいつ。一秒前まで確かにいたぞ!
ビーチで一人佇みながら、私は不可解な現象に冷や汗をかいた。どういう事…?と首を傾げ、呆然と立ち尽くすしかない。

ていうかそもそも…私なんでこんなところにいるんだ?何故かハウといい感じになったのもおかしい…青少年健全育成条例違反のリスクを犯すような真似をどうしてこの私が…。

何だか頭が痛くなってきて額を押さえると、さっき感じた冷たい感覚がまだある事に気付いた。というか、何かが貼りついている。

え…なに…?気色悪…!冷えピタ…!?

咄嗟に引き剥がせば、そこにあったのは真ん中に穴の開いた銀の円盤で、どこかで見た気がする物体に、体中を悪寒が駆け巡る。そして顔が写るほど磨かれた表面に、黄色い何かが写り込んだ瞬間、私はハッとして振り返った。

「す…っ」

スリーパー!お前のパターンのやつか!

今年もやるのかよ!と撃沈し、ひとまず青少年健全育成条例に反していなかった事には、ホッとするレイコであった。