モーテル

メレメレ島のモーテルで、最近ポケモンによる車上荒らしが多発しているらしい。

私の名はレイコ。アローラチャンピオン兼ニートだ。
チャンピオンの仕事といったら、まぁ防衛戦が主なんだけど、他にもいろいろ頼まれたりして、かなり面倒な職業である。なまじ腕が立ちすぎるため、凶悪なギャラドスが暴れている現場にヘルプで呼ばれた結果、一撃で沈めてやったり、浜に打ち上がったホエルオーをワンパンで海に帰してやったりと、まぁ大体そういう感じの事も任せられていた。早くニートになりたい、心から願う毎日である。帰りてぇ。

そんな雑事をこなす私に、性懲りも無く舞い込んできた依頼は、車上荒らしの捕獲であった。
何でもメレメレ島の二番道路にあるモーテルで、その事件は多発しているらしい。普段こういうのは島キングのハラさんが解決してるんだけど、用事があるとか何とかで代わりに私が推薦されてしまったのだ。普通に警察に頼めよという正論は飲み込み、ハラのためにも引き受けて、夜の駐車場で待機しているわけなのだが。

「すげー雨…」

レンタカーの運転席でフロントガラスを見つめる私は、先程急に降ってきた雨に苦い顔をする。
絶対こんな天気じゃ来ないだろ、車上荒らし。いや逆に人気がなくなって犯行に及ぶ可能性が高まるのか?わからない。何にせよ待機ほど退屈な事はなく、歌でも唄って気を紛らわせたいところなのだが、そうできない理由が助手席にあった。

「通り雨だろ」

のん気に応えた相手に、私は苦笑を漏らした。ただでさえ狭い軽自動車が、異様な威圧感に包まれて、とても居心地がいいとは言えない。図体のでかいグズマが横にいてくつろげるほど、私の神経は太くはなかった。

何故、グズマさんが助手席で車上荒らし捕獲に付き合ってくれているのかというと、彼の実家がすぐそこにあったせいである。

モーテルの管理人に借りたレンタカーの中で、私は犯人がやってくるのを待っていた。しかし赴いてきたのはポケモンではなく、筋モンと言っても過言ではないグズマであった。
私を見つけた彼は、何をやってるのか尋ねてきたので事情を話し、そしてグズマさんこそ何故こんなところにいるか尋ね返したら、家が近所なのだと教えられた。そんなどうでもいいやり取りをしている間に雨が降ってきて、雨宿りがてら乗り込んだグズマが、張り込みに付き合ってくれる事になったわけである。正直一人の方が気楽だった気がしなくもないのは内緒だ。破壊されそう。

グズマは通り雨だと言ったが、かなりの土砂降りになってきたので、止むかどうかは怪しいところだ。視界も悪くなり、これじゃ犯人を目視できないかもしれず、状況は芳しくなかった。

しかしポケモンの車上荒らしなんて珍しいな…相当な知能を持っている奴の犯行だろう。私は管理人から聞いた情報を思い出し、不思議な事件に首を傾げた。

愛車を荒らされた客の証言によると、犯人は二足歩行で、黄色い体のポケモンだったという。車に積んでいたゼクシィや、リビエラ東京のパンフレットが盗まれ、アローラ旅行どころじゃないくらい意気消沈しているとか何とか。
その程度の被害なら別にいいだろ。なんで結婚情報誌ばっかなんだよ。

「黄色で二足歩行のポケモンか…」

盗難品の謎はさておき、目撃情報から何かを導き出せそうな私は、ハンドルに腕を乗せて思考を巡らせた。

いかに数百種のポケモンがいるとはいえ、二足歩行で黄色い奴くらいなら、それなりに絞り出せそうな気がする。ピカチュウとかフーディンとかさ。
ていうか何か引っかかるんだよな…最近そんなポケモンを見たような気がするっていうか…覚えがあるっていうか…漠然と不愉快な思いが込み上げるっていうか…もやもやした感情を刺激されるみたいな…そういう感じだ。

黄色…二足歩行…と関連ワードを繋げようとするのだが、どうしてか核心に迫るにつれ意識がぼんやりし、私は目を閉じて眉間を寄せる。
なんか変だ…でもこの感覚を幾度となく味わったような気もする…。何なんだ?一体この違和感はどこから…!?

「心当たりあんのかよ?」

神妙な顔で俯いていると、グズマに声をかけられ、私はこの奇妙な体験をどう説明するか悩んだ。あまり非現実的なことを言うと引かれそうなので、慎重にならざるを得ない。

「ある気がするんですけど…思い出そうとすると妙な感じが…」

すると喋っている途中で、急な頭痛に襲われた。額に鋭い痛みが走り、まるで思考停止を望んでいるかのようなタイミングは、さらに疑惑を深めていく。

いってぇ…なんだこれ…絶対おかしいぞ…!

掴みかけては忘れ、掴みかけては忘れ、という状態を繰り返し、そのたびに発生する頭痛に、私は頭を押さえた。
間違いなく心当たりがあるのに…!と歯痒い思いで唸っていれば、そんな私の挙動を不審に感じたのか、グズマが焦りを滲ませた様子で、私の肩を揺さぶった。

「おい!」

いきなりの大声にハッとして顔を上げると、私の姿が余程苦しそうに見えたのかもしれない、グズマは深刻そうにこちらを見つめていた。意外な優しさに苦笑して、しかしその間も頭痛は続く。

「大丈夫か」
「すいません…ちょっと頭痛が…」

適当に笑い、一層強くなる雨の勢いに掻き消されないよう、私は答えた。額から手を離し、まだ何だかぼんやりする状態だったけど、痛みはわずかに和らいだため、再び心当たりを探ろうとする。

けれども、思い出そうとするたびに、それを遮る何かが起こるようできているらしい。頭痛が治まって安堵したのも束の間、今度は窓の外が突然発光して、驚きのあまり私はグズマの服を掴んだ。

「うわっ」

落雷だ。
一瞬景色が真っ白になったかと思うと、爆音が轟き、車も少し揺れた。振動に危機を覚えたのか、グズマは庇うように私の肩を抱き寄せる。サイドブレーキに肘をぶつけたけれど、そんな事はどうだってよかった。

び、びっくりした…すごい雷だったぞ。
再び雨音に支配された空間は、うるさいのに静かな感じがした。とりあえず車もモーテルも無事なので、見える範囲に落ちたわけではないらしい。溜息をつきながら、私は慣れない服の感触で、自分がグズマの腕の中にいる事にようやく気付き、思わず息を止めた。

え?なんだこの状況。しかもさっきまで何してたか完全に忘れたんだが。

「ち、近くに…落ちましたかね」
「かもな」

世間話がてら離れようとしたが、グズマは依然として肩から手を離さず、私は雨音よりも自らの心音を、大ボリュームで響かせてしまう。

もしかして野太い悲鳴を上げたから雷が苦手だと思われたんだろうか?
冴え渡る推理を展開し、ついでにこの気まずい状況を打破する方法を考えなくてはと頭を捻った。

大体雷なんて苦手なわけないだろうよ…こっちは旅慣れたトレーナーだぞ。雷雨の時は屋内にすぐ避難したし、建物がない時は間違っても木の下には行かず、窪みで丸まって難を逃れてきたんだから…。サバイバーニートは過酷な旅に涙しながら、妙に昂る気持ちを落ち着けようと、無駄に優しいグズマに真実を打ち明けた。

「あの…もう大丈夫です、雷苦手なわけでもないんで…」
「はあ?」

雷パンチを乱用していた世代の私はそう告げると、早々にグズマから解放された。やはりびびっていると思われていたらしく、チンピラみたいな顔で聞き返されてしまい、謝る他ない。
すまん。頭痛からの雷でテンパってしまっただけだ。何か大切な事を忘れている焦りが私のクールで正常な判断力を奪ったんだよ。恨むなら車上荒らしを恨んでくれ。

そうだ、私…車上荒らしのこと考えてたんだった。
心当たりのある黄色い二足歩行のポケモンが何なのか、記憶を掘り起こしている最中だった事を思い出し、尚の事グズマと遊んでいる場合ではないと痛感する。

考えなくちゃ、と頭をひねった時、三度目の妨害が訪れた。すぐ近くに思わぬ伏兵がいた事に、私は全く気付かなかったわけだ。

手を離したはずのグズマは、再び私の肩を抱くと、今度は顔を近づけてくる。この数秒間で一体どういう心境の変化なのか、もう雷も止んだというのに奇行に走られ、困惑にまた思考がストップした。

な…なに…?暗い車中で二人きり、街灯の明かりに照らされ、雨で外に出られないという状況、確かに何も起きないはずがないシチュエーションだが、さすがにグズマさんは例外でしょ。夢小説でもあるまいし。いや夢小説だった。
真理の扉を開いたところで、グズマは突然の行動の理由を私に知らしめた。

「じゃあわざとかよ」
「え」

どうやらさっき飛びついた事を、そういう方向に解釈されたらしい。雷にびびるより有り得ないだろ、と勘違いされた事に羞恥したが、そんなわけあるかDQN野郎と言うのも空気が読めない気がしたので、つい黙ってしまった。無駄に気を回すレイコであった。

びっくりしただけなんで…と言い出すタイミングを窺う私だったが、グズマと目を合わせた途端、言葉にできない感情が込み上げ、息を飲む。心臓が跳ね上がるという謎現象に戸惑い、何だか大いなる力が働いている気がして冷や汗を流した。

ど、どうした私…この動悸は一体…!?吊り橋効果か?

「えっと…」

言い澱みながら、テンパりを抑えられない。
ていうか仮にわざとだったら何なんだ?わざとだったら…やぶさかでもないって事なのか…!?
やぶさかでもないと言われたらこっちもやぶさかではない感じになり、段々と意識が変な方へ向かっていく。もはや車上荒らしの事なんて完全に忘れた私は、近付いてくるグズマを拒否する事なく、肩越しに見えるガラスに視線を向けた。

なんかいろいろおかしい気がするけど…でもまぁ…いっか。たまには絆されてみるのも悪くない気がするし。らしくないとは感じつつ、心地よい状態に支配され、そのまま浸っていたくなる。

無数の雨粒が窓を叩く中、再びアローラ全土に雷鳴が轟いた。暗い夜空が稲妻で光ったその時、窓の外に映った姿に、私は先程の比にもならない雄叫びを上げ、やっと万全の体調を取り戻すに至るのだった。

「ギャア!」

いい雰囲気から一転して、ここはホラーハウスと化した。
なんと窓の向こうから、すごい形相のスリーパーがこちらを覗いていたのだ。
想像してみてほしい、土砂降りの雨の中、黄色い顔のスリーパーが稲妻を背負い、シャイニングのジャック・ニコルソンなみに血走った目で自分を見つめていたら、恐怖どころの話ではないだろう。さすがの私も泣きかけた。泣きかけたけど、スリーパーを見た途端に全てに合点がいき、いつの間か晴れていた空を一人仰いだ。

これあれじゃん!コンビニ行く途中に催眠術かけられたやつじゃん!

またかよ!とガラスを叩き、痛みを感じない事から夢だと気付いて、最初からヒントどころか答えが出ていた事をようやく思い知る。

車上荒らしの黄色の二足歩行のポケモン!完全にお前じゃん!なんでわかんなかったかなぁ!ふざけやがって!人を弄ぶのも大概にしろよ!
窓を開けて殴りつけようとしたら、先に振り子を揺らされてしまい、この夜空のように暗い意識の底へ落とされていく。雷なんて何とも思ってなかったけど、今日を境にトラウマになるかもしれない…そう思いながら、私は現実へと引き戻されていくのだった。