カレーが目にしみる

この国は狂っている。
カレーにだ。

「…ダンデさんもありました?チャンピオンカレーの開発」

私の名はレイコ。ガラル地方新チャンピオンである。
ジムチャレンジに参加し、あれよあれよと言う間にチャンピオンに登り詰めてしまった私は、他地方とはまるで違う業務内容に衝撃を受けた。挑戦者を待つばかりのセキエイリーグなどと違い、芸能活動や慈善事業が多すぎるのだ。
まぁ任意だからやらないならやらないでいいんだけど、ダンデさんはやってましたよ、なんて言われた日には、やりたくないとは言えず、何だかんだとこなしている。

マジでやばくないか?私…この地で一生を終えたりしない?
そりゃ最初から何かやばそうだなとは思ってたよ。年一のトーナメントでチャンピオンを決めるって事は、一年間は任期があるって事なのかな?って疑惑を抱いてはいた。でもこれまでみたいに適当にかわせると思ってたんだよ!てか規約には任期を強いる事はないって書いてたし別に帰ってもいいよね!?いいと思うけど、でも!なんか!良心が痛む!根がいいニートだから…!

という感じでだらだらとチャンピオン業をやっているが、今日はグッズの開発について会議があった。その名もチャンピオンカレー…つまり私にちなんだカレーを作って売ろうという話である。

この国はおかしい。まるでカレーしか食べるものがないような空気がある。
トレーナーは毎日キャンプでカレーを食い、ポケモンと鍋を囲む事で絆を深めるのが伝統となっているみたいだが、ここがインドだってんなら私も納得できたと思うわ。でも全然違うからな。私がなったのはチャンピオンであってバーフバリではなかったはずなのに…何故…。

そんなカレー狂いのガラルで、チャンピオンカレーの具材について考えるよう宿題を出された私は、鍋を前に悩んでいた。正直カビゴンを抱えている身としては質より量なので、味にこだわる心など捨て去るしかなかった私である。その辺の草でも食わせておけと言いたい気持ちを堪え、苦悩していた時に通りかかったのが、奇しくも唯一私の気持ちを理解してくれそうな男であった。
そう、私以外には無敗の元チャンピオン、ダンデである。

チャンピオンカレーの企画書を見せながら尋ねると、彼はすぐに頷き、指を四本立てて見せた。

「ああ!第四段まであったな」

多すぎる。私第二段の企画書が上がってきたら絶対実家に帰るからな。

「好評だったらしい」
「そりゃ第四段まで出るくらいですからね…」

肩をすくめて苦笑し、私は鍋のそばを陣取っているカビゴンに団扇を渡した。火の番をしてもらっている間にダンデからアドバイスを頂戴し、出身地の特産品を入れるのはどうか?など様々な意見を聞いて、さすが長期間チャンピオンだっただけの事はあると感心する。

なるほどな。純粋に心底尊敬するよ、ダンデさん。正直ヤマブキの特産なんて東京ばな奈しか思いつかないが、そんなポンコツの私と違って発想力も閃きもある。さっさとオーナーにも着任したし、金も行動力もカリスマ性もあって、つまり私とは天と地の差があるってわけ。こんな人の後釜におさまるってどういう気持ちかわかるか?絶望。ここはインドでもガラルでもない、楽しい地獄だね。

ガラルにおけるチャンピオンってポケモン勝負が強いだけで成り立つものじゃないんじゃねーか?と思い悩んで溜息をつくと、ダンデはそんな私を見て微笑み、優しく問いかけてくる。

「大変か?」

わりと率直な聞き方に、お前が人格者だったせいでな、と言いかけて何とか思いとどまる。

「いや…私はそこまでじゃないんですけど…周りが忙しそうで」

チャンピオンに就任してからというもの、マクロコスモスの人たちが代わる代わる私に連絡してきて、とにかく毎日慌ただしいのだ。あれの手配だこれの手配だと走り回っている間、私は呼ばれれば行く程度の事で、わりと自由にうろついている。そりゃ拘束ももちろんあるけど、ダンデだったらもっと上手くやってるんだろうという気がしなくもない。
チャンピオンが替われば全てが変わる。ポスターも差し替え、看板も差し替え、グッズも差し替え。口で言うのは簡単だが並みのことではない。私はなんて適当な気持ちで今までチャンピオンに挑んでいたのだろうと思わざるを得ない。
いや別に適当じゃねーけど!誠意を持った適当だった!

「ダンデさんがチャンピオンのままだったら、もっと違ったんだろうな」

適当に生きすぎて失言をしてしまい、私はすぐに謝罪した。勝った奴が言う事じゃねぇと思ったからだ。

「すみません、その…私…ずっとガラルにいられるわけじゃないから…色々考えてしまって…」

失礼すぎる事を口走った言い訳をし、頭を下げながらカビゴンにお玉を渡した。もうカレーはお前が作れ。新商品は任せたぞ。

最悪東京ばな奈カレーになることを案じながら、私はかつてないほどプレッシャーを感じている事を自覚した。

そりゃさぁ…あんなスタジアムで何年も無敗だったチャンピオンに勝ち、大歓声を浴び、新たなスターの誕生だとガラル中が湧いてるんだぜ?いつもみたいに直帰なんかできるわけないだろ!
これまでとは何もかもが違いすぎる。あのシーンとしたリーグで常に一対一、観客などいるはずもなく、チャンピオンになったところで、私の名前は第何回チャンピオンと登録されるだけで、せいぜい小さくニュースに載るのみ…アローラの時は若干有名になったけど、ガラルほどポケモン勝負が娯楽として浸透してるわけじゃない。つまり何もかもが初めてなわけだ。心構えなく芸能界デビューし、正直どうしたらいいかわからん。とりあえずダンデのようになるのは無理だ。何故なら私はニートだから。

「レイコくん」

即オーナーになってニートを免れたダンデは、そんな悩める私を優しく諭した。

「君が俺に勝ったのは、君と俺が違うからだ」

いや私の最強設定のせいだと思うぞ。

「同じになる必要はないし、今できる事を考え、精一杯やっていけばいい。これからの事なら俺も相談に乗れるしな」

素敵な笑顔を向けられ、あまりの人格者ぶりに、私はカレー鍋に頭を突っ込みたくなった。何故この前まで庶民だった私が、ダンデと同じ土俵に立てると思ったのか、おこがましいにも程があると羞恥に苛まれる。

もう…なんていい人なんでしょう…!いや本当にな。最初から何でもかんでもできるわけないもんな…ダンデだってチャンピオンになった時は子供だったんだし、きっと悩みながらも少しずつ前進して今のスタイルを確立したに違いない。
だというのに私と来たら…ちゃんとしなきゃと思い詰めて東京ばな奈カレーに手を染めようとしている…なんてザマだろう。ゆっくり頑張っていけばいいんだよ!マクロコスモスの人も支えてくれてるんだし、焦らずにみんなの期待を裏切らないチャンピオンになっていったらいいんだ!

前任からの励ましに、私は大いに感動した。ありがとうございます…と目頭を押さえ、このガラルで立派なチャンピオンになれるよう頑張ろう…と決心する。そのためにあのスタジアムに立ったんだからな…。

ってそんなわけねぇだろ!こんな茶番やってる場合か!
私はオレンの実を鍋にぶち込みながら、正気を失った自分を叱責する。

なんで私がガラルで大スターにならなきゃいけないんだ!?こっちはニート目指して生きてきたのに、真逆の人生になってんじゃねーか!マジで何してんの?脳味噌にまでカレー詰めてんじゃねーぞ!

危うく己のアイデンティティを見失いそうになっていた私は、ギリギリで理性を取り戻し、絆されかけた空気を振り払う。

何やってんだレイコ…!お前がやるべき事、それは立派なチャンピオンになる事ではなく、いかに任期を短縮して実家に帰るかだよ!何がチャンピオンカレーだ。ニートカレーしか作れないっつーの!

危なかった…と冷や汗を拭い、どうにかさっさと帰らなきゃな、と自我を完全に取り戻していると、ダンデはさらに優しく語りかけてくれて、性根の腐った私は居た堪れない気持ちになった。

「それに、次に俺が勝てば君の悩みも消えるぞ!」

堂々たる宣戦布告は、私を励ますためもあっただろうが、本当に勝つ気で言っているとわかり、負けても失われない王者のプライドを尊敬した。チャンピオンに返り咲くダンデの姿を脳裏に浮かべ、熱い展開にきっと観客も湧く事だろう…と微笑みを返す。

でもそれは絶対ないな。例に漏れず今回も全然負ける気がしねぇ。困り果てるほどに。
スタジアムの空気に飲まれる事なく圧勝し続けた私は、確かにトーナメントで敗退すればチャンピオンを降りて楽になれるのだ。カレーの具で悩む事もないし、チャンピオンポーズ考えてもらっていいですか?と無茶振りをされて思い悩む事もない。誰が考えるか。ファイティングポーズで全員ぶちのめしてやろうか?

「確かに悩んでますけど…」

血の気の多さをごまかしながら、私は呟く。
一刻も早くこの状況から解放されて自堕落ニートになりたいと思う。本当に思う。思うけれど、悲しいことに、この私にさえプライドというものが存在してしまうのだから、ポケモントレーナーは厄介な生き物だ。

「でも負けるのはもっと嫌なんですよね」

最強設定を背負う者の矜恃を語ると、ダンデは満足そうに笑った。

「君のそういうところ好きだぜ!」

おい喪女に軽率な発言はやめた方がいいぞ。好きになったらどうしてくれるんだ。

「俺も同じだ」

勝手に舞い上がったが、互いに負けず嫌いの脳筋である事をアピールしただけに終わり、私の落ち込みタイムは終了した。
なんだかカオスな事になったが、ダンデさんの言葉、しっかり胸に刻んだよ…。焦らず今できることをやり、そして早めにカントーに帰る。それでいいんだよね。よくはないけどな。

すっきりした気持ちでいると、カビゴンがカレーをよそってくれて、私とダンデに思いがけず飯が供給された。カレー開発のはずが普通のカレーができちまった。もうこれでよくない?まだ何にも染まってないという事で、あえて具のないチャンピオンカレーも有りなんじゃないか?ねぇよ。今できることちゃんとやれ。

やっぱ東京ばな奈しかないな…と自棄を起こしてカレーを口に運んだら、甘口のカレーがさらに甘くなるくらい、とどめの言葉が突き刺さる。

「俺は君と戦えてよかったと心から思ってるよ。あの試合中も、今も、これからも」

スプーンを口から離せないまま、私は固まった。

「それだけは忘れないでくれ」

長年のチャンピオンタイムが終了した事に、一つも後悔はないと言わんばかりの声で、ダンデはそう告げた。私はたまらず上を向き、涙を溢さないよう努力する。

は〜?泣きそう。ダンデを打ち破った事を気にする私への気遣いが手厚すぎる。これがチャンピオン足る者の人格?私絶対に無理なんだけど。負かされたら地獄の底まで追いかけて勝つまで殴るのをやめない未来しか見えない。そもそも負ける未来が見えないけどな。

ダンデの代わりが務まるとは思わないが、彼が私で良いと言ってくれているのだから、もうちょっとは頑張ろうと心を入れ替えた。せめて迷惑をかけないように辞めなきゃな。ダンデの後任として恥じぬ行いをしよう…それが勝った者の責任だと感じるしね。
目頭を押さえ、私は感動をごまかすようカレーを口にした。

「スパイスが目にしみますね…」

この経験から私は、元チャンピオンの優しさが沁みるカレーを提案した。意味わからんと秒で却下された。だろうな。