Non-REM stage W

「最初はあれに誘おうと思ったんだ」

彼が目を向けた先に、観覧車があった。世界で一番嫌な乗り物だな〜と苦笑する私は、ふと自分の置かれている状況に疑問を抱き、首を傾げる。

え?
あれ、ていうか…ここ…どこ?
今イケメンとキスしかけたような気がしたんだけど…気のせいか?そんな気のせいあんのか?
私は周囲を見回し、見慣れたような初見のような不思議な感覚で、その場にぼーっと佇む。
いやマジにどこだよここ。さっきまでなんか…ウォールマリア越えてきそうな長身のイケメンが間近に迫ってなかったっけ?こういうレストランで…謎のムードに包まれていたと思うんだが…夢か?幻?
どうもはっきりしない記憶の中で、しかし冷静に考えて私のような喪女がイケメンといい感じになるわけがないと気付き、落ち着きを取り戻した。
そんな状況普通に有り得なかったわ。イケメンとキスするなんて異次元のシチュエーションだろ、生まれてこの方一度たりとも…え…?事故…チュー…?ウッ頭が…!

不穏なワードが浮かんだ時、やっと私は目の前の人物を認識した。観覧車、イケメンと事故チュー、という地獄の二大イベントをこなした相手など、この世に一人しかいない。

「でも気付いたんだ」

え、N…!
何というミスマッチな場所にいるんだ我々は…!

突如として現れたNに、私は呆然として言葉を失った。別にいきなり出てきたわけじゃないかもしれないが、何故こうなったか記憶がないため、今の私には全てが唐突に感じてしまう。
ラフな格好で高級レストランにいるという不届きな状況も相まり、テンパり始める私だったけれど、そもそもNといえば電波青年…城を地面から出したり、トリプル忍者を従えたり、挙句ポケモンの声が聞こえたりと、とにかく非現実的な存在だ。そんな人間が今さら何をしようとも驚く必要はないんじゃないか?そういう事にしよう。Nの日頃の奇行により、催眠術を使われずとも順応してしまうレイコであった。

さっきから観覧車から目をそらさないNにつられて、私も視線を向ける。この景色には見覚えがあった。曰く付きのライモンのボロい遊具とは違い、新しげな雰囲気で街を見下ろすそれは、シュートシティのものではなかっただろうか。
なんでこいつとシュートシティの高級レストランに居座ってんだ?場違いにも程があるだろ。ちゃんと金持ってんでしょうね?一円たりとも奢らないからな。むしろ慰謝料もらってもいいくらいでしょ。
金銭に一切の妥協をしない私とは裏腹に、Nは相変わらずマイペースだ。こちらの都合など何も考えぬままトークを続け、私を誘うつもりだったという観覧車をじっと見つめている。

「あの観覧車は、十五分で一周するようだよ」
「へぇ」

この世で一番いらないトリビアだわ。2へぇくらい。

「だから、十五分しか君といられない」

いや十五分もお前と密室は長ぇよ。地獄かよ。

どうやら滞在時間の問題で観覧車を諦め、こちらのレストランを選択したらしい。そもそも何故私と長時間一緒にいる必要があるか全くわからないし、いや全くは言い過ぎたけど、とにかくかなりの謎シチュエーションだ。別に観覧車のあとにレストランに行ったっていいのでは…?とついついマジレスしそうになったけれど、自らの首を絞めるだけなので黙っておいた。超絶嫌だわそんな電波フルコース。

「レストランだって長々といられるところじゃないと思うけどね…」

夜景を見ながらまともな返事をして、私は溜息をつく。大体ここがめちゃくちゃ回転率のいい店だったら長居できないし、私がとんでもなく早食いだったら即帰るし、結局長く一緒にいるかどうかは双方の心持ち次第なのだ。そして私は早く帰りたいから今すぐここを出たい。それがこちらの心持ちですよ。
積もる話があるような雰囲気でもないしな…とNをチラ見すると、すぐに目が合ってびくついた。わざとらしく視線をそらせば、またどうでもいいトリビアが飛んでくる。

「このレストランの平均滞在時間は二時間らしい」

知らんがな。食べログでも見たのかお前は。

「レイコ」

そんな長時間こいつと一緒にいられるか!俺は先に部屋に戻らせてもらう!とサスペンスで一番最初に殺される奴みたいな心境になっていた時、やけに真剣な面持ちで名前を呼ばれ、席を立つのを断念した。不思議な迫力に誘われるまま見つめ合い、そしてNが差し出した何かに気付くまで時間を有した。

「もっと長く…一緒にいられるところへ行こう」

ユニバーサルスタジオジャパン…とか?
コロナ自粛中だからちょっとパスかな…とご時世を理由に断ろうとした私だったが、もっと密になる空間を指していたとすぐに知らされる。
突然私の前に何かを置いたNは、一切表情を変えずこちらを見つめて、判断を私に委ねた。聞き慣れない金属音のした方へ目を向けると、ホテルのルームキー以外の何物でもない物体がそこにはあり、衝撃の展開に二度見を決める。世界一そんなことしなさそうな奴からのとんでも行動に、ぎょっとしないはずもなかった。

「駄目だろうか」
「だ、駄目っていうか…」

ええ?何?どういうこと?
駄目かどうか聞かれてもまだ状況を飲み込めない私は、呆然としながら言葉を濁した。マジで意味がわからなかったからだ。

お前…え?ホテルの鍵でしょ?知ってるぞ私、めぞん一刻でこういうシーン見たもん。つまり…そういう事じゃんなぁ?
私は、私と同等に無知で無垢な純情人間だと思っていた相手からホテルに誘われたという衝撃で、しばらく動けなかった。弟のようだと思っていた幼馴染から突然愛を告げられた的な心境だ。もちろんそんな経験はないぜ。
それを…いきなりこんな事されて驚かないわけないだろ。だってNだぞ。Nだから…やっぱ他意はないのか!?そうかもしれない!だって誰よりもピュアでイノセントって言ってたし!
私は女神を信じる!と決意し、この鍵に深い意味はない事に、花京院の魂を賭けた。きっと言葉のままだ、もっと長く一緒にいる、それだけのために用意された密室だろう。
駄弁るためだけに部屋なんか取って私を翻弄させるんじゃねーよと怒り、そして呆れた。思わずマジレスしてしまうくらいには。

「普通こういうのはさぁ…長く一緒にいるためだけに使うもんじゃないと思うよ…」

真面目すぎる助言に、意外にもNはすぐ同意した。

「そのようだね」

他人事かな?お前に言ってんだよ。
馬鹿にしてんのかテメェ、と立ち上がりかけた時、またしても気になる発言が飛び出して、私はどうしてもNに振り回される人生を歩んでしまうらしかった。夢でくらい自由をくれ…と嘆き、一瞬これが夢と気付いたにも関わらず、Nのあまりの電波力に普通にスルーしてしまう私であった。落ち着け。

「君のポケモンもそう言ってる」

下世話な手持ちの代弁をしたNに、私はまた呆然と半口を開けた。知らないところで何勝手に人のポケモンと会話してんだ?と憤りが湧き立つ。
どういう事なんだよ!てかそれだと私の言葉だけでは信じられないと言ってるようなもんじゃん!ニート以外は一般的な感性を持ってるんですけど!?余計に悪いわ。
デリカシーもプライバシーもないNにガチギレ不可避となる私へ、彼は畳み掛けるよう不本意な言葉を続けた。もはや何を言われても癇に障るニートであった。

「それから、レイコは鍵を受け取るとも言っているよ」
「はぁ?」

受け取るわけねぇだろ、と鍵をNの方へスライドさせようとした時、何故か手が動かなくなり、私は鍵を握ったまま硬直した。突然の謎症状に二度見し、まさかお前の電波が私の体の自由を奪った…?と非科学的な事象を想像する。
マジでお前といるといつも全てが私の思い通りにならないんだよな。何もかもがままならねぇ。旅は邪魔されるし観覧車は愉快なアトラクションから程遠くなったし、家の電化製品は時々謎の不調を起こすしで、電波の影響を着実に受け続けている。
それでも、出会わなければよかったとは別に思わないの、死ぬほど不服だわ。

「レイコも、僕と一緒にいたいと思ってるはずだからって」

ねぇよ、と即座に否定する事ができなかったのは、電波障害のせいだと思いたい。

「…とんだ見当違いだな」

鼻で笑って足を組んだ私は、誰がそんなふざけた事をぬかしていたかわからなかったので、とりあえずモンスターボールを一個ずつ叩いた。二度と余計な事は言うなと念押しし、どうせ聞かない手持ちの不敬さにも溜息をついて、気持ちを落ち着けるべくきれいな夜景に視線を移す。

絶景。何故こんな眺めのいい場所に共にいるのがこいつなんだろうな…このレストランを設計した人も、不審者と無職に景色を見せるために作ったわけじゃないだろうに…。謎の同情心が止まらなくなり、とりあえずもう出ようと椅子を引く。その時、手の中の鍵が音を立て、私に最後の決断を迫っていた。
部屋番号を見つめていると、不思議と悪くない心地になってくる。ポケモンは嘘をつかないらしいし、私がいくら取り繕っても、結局勝手に代弁されてしまうのだと思ったら、諦めがついた。

「さっきはああ言ったけど…」

鍵を握りながら立ち上がり、伝票はさりげなくNの方へ流して口を開いた。

「長く一緒にいるためだけに…使ってもいいと思うよ」

感性は人それぞれだから…と多様性に順応した台詞を吐き、会計絶対しないマンと化すべく、私はさっさと店を出た。しかしNがちゃんと金を持っているか心配になり、外からこっそり様子をうかがうと、普通に人間らしくお金を払っていたので驚いてしまう。バリバリ財布でもなく、年相応の財布だ…何この微妙にショックな気持ち…マジックテープのやつを使っていてほしかったという感情、絶対お前以外には芽生えないだろうな。
真っ当に人間生活を送っているらしいNを見て、私は途端に焦り出す。なんかどうせだらだらするだけだと思って鍵受け取っちゃったけど…もしかしてもうピュアでイノセントなNではない可能性が微レ存…!?

社会に順応した彼ならば、部屋に誘う事がどういう意味かわかっているのかもしれない。逆に私の方がわかっていなかったのでは…と疑念を抱え、こちらに歩いてくるNを、心音を高めながら出迎えるしかないのであった。