「上に部屋を取ってある」
机の上に鍵が置かれる音を聞くのは、確か三回目だ。既視感しかないやり取りに、はいはいわかったわかった、くらいの気持ちで顔を上げたけれど、向かいに座る相手を見た瞬間、そんな舐め腐った態度を取るわけにはいかなくなった。
間違いなく部屋がどうとか鍵がどうとかって話を誰かとしていたのに、時間が経つごとにその記憶がどんどん薄れていく。
三度目のドリームシャーナタイムの始まりである。
脳内に靄がかかったような状態で、私は呆然と正面を見つめた。大御所の貫禄で構える黒服の男は、不敵な笑みを浮かべ、私の名を呼ぶ。
「レイコ」
そしてつられるように、私も相手の名を呟いた。
「サカキ…」
何故、貴様がここに…。
ていうか…私がまずどこに…?
顔を上げたらいきなりわけのわからない状況になっていて、私は驚くどころの話じゃなかった。だってガチに何もわからないからだ。
…え?本当にどうした?何故目の前にサカキ?
たとえどんな状況でも、こいつと向き合うシチュエーションだけは有り得なく無いか?
何が起きているのかさっぱり理解できず、私は身の回りと景色を見渡して、必死に情報をかき集めた。
いやどこだよここ。レストランか?めっちゃ高層ビルなんだが。
街が一望できるほどの高みで、私とサカキは机を囲んでいるらしかった。客は我々以外にいないようだけれど、室内の雰囲気からしてレストランである。もちろん仲良く食事なわけがないから、殺伐とした空気が漂っていた。
全く記憶にない状態で、謎の場所に置かれた不安を拭えず、私は身を固くした。
いやマジで何〜?どこなんだよここは。渋谷スクランブルスクエアですか?
もしそうならホームだし安心なんだけど…ときょろきょろするも、ここがカントーかどうか判断がつかない。見た事はある気がするのに、どうしても思い出すことができず、混乱の中で私は狼狽えた。
何故こんなことに…。拉致でもされたか?でも何も覚えてないぞ。
今日私…何してたっけ?今日に限らず…最近どうしてたんだろう。何か重大な役目を負っていた気がするんだが…。
強力な催眠術に意識を奪われて苦悩する私へ、この状況を作り出した首謀者であるサカキが動きを見せた。
何にしたってこうなっているのには理由があるはず…と思い、相手の出方を窺って身構える。
すると、予想だにしない方向の話をされ、私はますます混乱を極めてしまうのだった。
「君が取り引きに応じれば…父親は解放しよう」
「は?」
…え?何?
解…放?
サスペンスドラマでは聞き慣れているが、現実世界では全く馴染みのない台詞に、たまらず首を捻った。そんな馬鹿なと一瞬笑いそうになるも、すぐ冷静になって真顔を作る。
え?もしかしてだけど…。
親父、人質に取られてんの?
サカキからのとんでも発言に、私はフリーズした。まさかそういう展開だとは微塵も予想しておらず、笑っていいのか心配したらいいのか考えあぐねて、結局無言になった。何故なら、やっぱり意味がわからないからである。
はぁ?マジで何なんだよ?父親?解放?これって…誘拐事件の取引現場だったんですか?
にわかには信じられない事態に、私は苦笑を禁じ得ない。
何、じゃあ親父を人質に取られたから言う通りにするしかなく、夜景の綺麗なレストランで渋々サカキと向かい合わされてるって話なの?そんな状況ある?絶対どうかしてるじゃん。全く記憶にないし。
そもそも親父の事なんて見捨てるはずだが…と首を傾げたその瞬間、ムシャーナの強力催眠術によって、私の記憶は改竄された。
突如現れた黒塗りの高級車…黒服に囲まれる私…中から出てきたサカキ…父は預かったという宣告…証拠の映像…仕方なしに車に乗せられ、連れて来られたのはホテルのレストラン…父親を庇い全ての責任を負ったレイコに対し、車の主、暴力団員サカキが言い渡した示談の条件とは…。
みたいな事があった気がしてきて、途端に焦りが募り始めた。誘拐がガチならば、本当に父がどうなってもおかしくはないからだ。
サカキはロケット団、いや元ロケット団のボスである。CEROがAのゲームにも関わらずガラガラを密猟したり、非道な行ないを繰り返してきた激ヤバ組織の親玉だ。そんな人間は何をするかわかったもんじゃなく、さすがの私も親父を心配せざるを得ない。
マジかよ…言われてみればそうだったかもしれないわ。父を救うため私はここまで来た…非人道的な事に協力させられるかもしれない、全ての地位を失うかもしれない、それでも守りたい命がある…そう覚悟を決め、このような場まで足を運んだのではなかっただろうか。
まぁ見捨ててもよかったけど…なんて親不孝を発揮していると、サカキはおもむろに携帯を取り出し、画面を私に見せてきた。机に置かれた液晶を覗き込めば、なんと誘拐現場の父と中継が繋がっていて、椅子に体を拘束されている姿を見せられる事となる。
「と、父さん…!」
ざまあ!じゃなかった、なんて事を!ひどすぎる!
ミステリードラマではお馴染みすぎる光景が、娘の心を大層傷付けた。手足を縛られてぐったりする父が、何か危害を加えられたのではないかと気が気でなくなり、私はサカキを睨み上げる。
まさかクソ親父を狙ってくるなんて…人の親として胸は痛まないのかよ?だから息子もグレるんじゃねーか?そういうとこだと思うぞ。
同じやばい親を持つ子として忠告し、しかしそんな場合じゃないので、私は苦悩した。
父さん…なんてことなの…こんな事件に巻き込んでしまうなんて…。
正直半分は見捨ててもいいかなって気持ちあるけど、元はと言えば私のせいでこんな目に遭ってるわけだからな…助けてやらなきゃ目覚めが悪いのも事実だ。
いやそもそもこいつが旅に出したせいで私がロケット団と関わる羽目になったんだから自業自得なんじゃね?逆に娘が怪しげな取り引きに応じなくて済むように耐えていただくのが親なんじゃないかな?
挙げ句の果てには画面から聞こえてくるいびきに、こいつ人質に取られてる状況で寝てやがるじゃねーかと気付き、私は救出する心を失った。
どんな神経なんだよマジで。完徹だったから休めて有り難いわ〜とか思ってんじゃないの?
もうこのまま放置して帰るか…と席を立とうとした私だったが、絶対恋愛させるマンのムシャーナにより、心変わりを余儀なくされた。何故か突然、父を救わなくてはという強い使命感に襲われたのだ。
な、なんだろう…こんなクソ親父放っとけよとガイアが囁くというのに、助けなさいとアースが強く訴えかけてくるような…謎の気分…!
地球からの大いなる圧力に、私は混乱した。そして根負けした。
たとえ娘を冒険という死地に送り込む非道の父親だとしても、共に過ごした分だけ情はある…。それに何より親父がここで死んだら、私のすねかじりニートはどうなっちゃうの!?チャンスはまだ残ってる、ここで救出できれば、マリクにも勝てるし永遠のニートでいられるんだから!
次回親父死すを回避するべく、私はまばたき一つせず、サカキを見据えた。
「応じたら…いつ解放してくれる?」
信用しかねる男に尋ねるのも馬鹿げているのだが、負けたら解散するなどの潔さも持ち合わせているサカキである。信じるべきか否かを考えるためにも、私は相手の反応を待った。
「すぐにでも」
すると、サカキは案外あっさり頷いたので、私はこのニートキャリアを犠牲にするだけの価値があるのかを次々と模索する。
「取り引きって何を…」
「ここじゃ話せない」
しかし、それ以上の情報収集は拒否された。別に誰もいないからいいじゃねーかよ、と舌打ちし、じゃあどこならいいんだ?と思っていたら、さっき置かれた鍵をさらに前へ投げられる。
作りから見て、このホテルのルームキーだろう。つまり取引現場の鍵である。
私は机を凝視しながら、先の見えない状況に息を飲み、サカキからの視線を浴びた。この部屋の奥で何が待ち受けているのか想像もつかず、いつになく恐怖心を煽られる。
わざわざ密室を選んでの取り引きって…一体何を企んでるんだ?まさか某日産の社長でも匿ってるんじゃないだろうな?
どう考えても父の命と釣り合わない気がするんだが…やはりここは父さんに犠牲になってもらうべきでは…?
親の命を軽く感じ過ぎの私は、もう少し決心するだけの材料がほしいと思い、尚もサカキに食い下がる。
「せめて話のジャンルだけでも…」
「レイコ」
犯罪じゃない取り引きならやぶさかではないので、部屋に行く前に系統だけでも知りたかったのだが、しつこかったらしく牽制された。いやでもしょうがないでしょ、この世はケースバイケースだっつーの!
何もわからないのに怪しい部屋になんか行けるか!と強気に出ている私だったが、身を乗り出したサカキがいきなり反社会的なノリを繰り出したため、威勢の良さは消失してしまうのであった。
「話だけで済むかどうかは、君次第だぞ」
キョダイマックスヤクザと化したサカキに、さすがの私もたじろいだ。とても私に負け越しているとは思えない大人の迫力を、素直に脅威と受け取ったのだ。
何回もボロ負けしてんのによくそんな偉ぶれるな…なんてことはさておいて、状況が変われば上下関係も簡単に逆転するものである。最強ニートレーナーも所詮は人の子…家族がいる事が、私を最弱に突き落としたのだった。
どんな非道な手を使ってくるかわからないサカキに、いやもう非道な手を使われているが、従わなくてはならないと今はっきり感じた。
途端に父との思い出が走馬灯のように蘇り、縛りつけられながらも爆睡するクソ親父を、私は哀愁に満ちた目で見つめた。
家を空けがちの母の代わりに、世話を焼いてくれるなんてことは特になかった父さん…基本放置だったよね。たまに海に連れて行ってくれたかと思えばフィールドワークの手伝いだし、幼い頃から無理難題を要求してきやがった。ニートの約束は何度も反故、コネを作れとしつこく電話をかけてきて、意味不明な理由をつけては旅立たせる…本当に非道なお父さん。
やっぱ生かす価値なくないか?この辺で始末してもらった方が世界のためじゃない?
一瞬正気に戻りかけたが、それでも、と健気な思いを奮い立たせ、私は意を決し鍵を掴んだ。冷たい感触に身震いし、強い意志を孕んだ瞳でサカキを見据える。覚悟が決まった瞬間だった。
「こんなのでも父親なんでね…」
呟きながら、お前の息子もきっと同じ選択をすると思うぞ、と私は視線で訴えた。
「…言う通りにするよ」
何が待ち受けているのか定かではないが、私は父のため、そして脛をかじるため、怪しげな取引現場に向かう事を決めた。たとえ全てを失っても、最後にニートが残っていればそれでいい…いやよくないけど、人の命には代えられないよ。
散々見捨てかけた事を棚に上げていると、サカキは震える私の手に自分の手を乗せた。でかい掌に覆われたら、どうにも不安が押し寄せる。
そんな怯えを悟られたのか、奴は不敵に笑うと、やっぱり信用できかねる雰囲気を醸し出すのだった。
「これでも私は…約束を守る男だ」
そう言って、サカキは私の指をなぞった。謎の意味深さに、今日だけ敏感夢主の私はハッとする。
今さら気付いたけど…もしかしてこれ、ホテルの部屋でサカキと二人きりなのかな?リアルファイト案件?
できれば気付きたくなかった私は、思いがけない方向の犯罪に戸惑った。てっきり三億円を強奪しろだの、政府要人を誘拐しろだの、論文の下調べ、ゴルフの送り迎え、院長回診、愛人の隠蔽工作などを強要されるかと思っていたのに…。ドクターXじゃねーか。
いたしません、って感じの私だったが、残念ながら大門未知子になる事は叶わなかった。
サカキの手を払えないまま俯き、今は約束を守ると言った相手を信じる他ない状況を、ただただ憂いた。緊張で体温が上がり、サカキに動揺を悟られている事がどうにも悔しかった。
「安心するといい」
できるか!自分の面見てから物言え!
カタギフェイスから程遠いサカキを睨み、どうか朝までUNOコースとかにしてくれますように…と祈りながら、そんな事で済むわけがない事を理解しているレイコなのであった。
何故なら私、敏感夢主なので。