「大丈夫か?顔色が悪いぞ」
その言葉に、いや親父が人質に取られてたら誰だって顔色も悪くなるでしょ、とマジレスをしかけた。
一体何が悲しくてこんな殺伐とした毎日を送らなくてはいけないのか、私は苦悩しすぎて疲労困憊であった。そもそも何でこんな状況になっているかもよくわからないし、ろくな返事もできず、ただただ俯くばかりである。
すると、思いがけず優しい言葉を投げられ、ここで何かがおかしいと気付いた。
「部屋を取ってある、無理せず休め」
やけに心配げな声色は、不思議と私の疲労を忘れさせた。急に何事?と不審に思って顔を上げたら、そこにいた人物は、私が想像していたヤクザとはまるで違う人格者で、驚きのあまり二度見を決め込んでしまう。
…え?あれ?
なんでこの人がここにいるんだ?
「ダンデさん…?」
何故YOUがこんなところに?
さっきまで話していた反社会的組織のボスは…?
するとその瞬間、またしてもムシャーナの催眠術が都合よく発動した。
入り乱れる記憶が整頓され、親父…?人質…?と脳裏に浮かんでいたビジョンが消え去っていく。代わりに、ダンデに食事に誘われた私は、ホテルロンド・ロゼのレストランで優雅にディナーをしていた記憶を植え付けられて、混沌とした気分も徐々に落ち着きを取り戻していく。
辺りに、綺麗な夜景が広がっているのが見えた。富裕層っぽい人達が食事を楽しんでいる中で、何となく場違い感を覚えつつも、まぁこんなもんかと現実を受け入れた。
あ、そういえば…飯食うところだったかもな、私達。新チャンピオンとして頑張っている私のために、美味いものをご馳走してやるとダンデから突然の誘いを受けた気がしなくもない。
今ダンデさん忙しいし、遠慮しようかとも思ったけど、三ツ星ホテルのロンド・ロゼと聞いたら行くしかねぇよなって事で了承した記憶が、たった今鮮明に蘇ってきたわ。
現金な自分に信憑性が出てきて、私は苦笑しながら、それでも何となく拭えない違和感に悩まされる。
なんだろう…確かに身に覚えがあるはずなのに…どうも何かが違う気がする…。かすかに残る記憶の断片が、私を奇妙な気分にさせるというか…。本当はここにいるはずがないというか…そんな事を訴えている気がしてやまなかった。
そういう疑惑の念が、顔色に出ていたのだろう。ニートの身を案じたダンデは、この高級ホテルのルームキーを机に置くと、迷わず私に差し出した。道には迷っても人の道は正道を行き続ける彼に、感動の嵐が止まらず、お気持ちだけで…と首を振った。
「大丈夫です…ちょっと気になる事があっただけなので…」
優しいよな…ダンデさん…。気遣いが心に沁み、何だか久しぶりに穏やかな心地になれた気分だ。不可解な話だが、何度かこのシチュエーションで苦しんだような気がし、一息ついている自分が嘘のようである。
せっかく奢ってくれるってのに…私は一体何を悩んでるんだろう。ダンデに心配をかけている上に、部屋まで貸すと言わせてしまった。親父が人質になっているなどという謎の妄想に取り憑かれてる場合かよ?つーかどうやったらそんな状況になるんだ、なったとしても見捨てるわ。
楽しいディナー中に申し訳ねぇ…と感じながら、私はダンデが置いた鍵を見つめ、ていうかこれを受け取ったらこの人が困るんじゃないのか?と気付き、ますます恐縮した。
「…ダンデさんが泊まるつもりで取ってた部屋なんですよね?」
つまり私が使ったらダンデは宿無しになるという事である。そんなの申し訳なさすぎるし、そもそも具合は全く悪くない。ただ不思議な違和感がずっと渦巻いているだけだ。
何なんだろう、この現実味のない感覚。ダンデとこんな雰囲気のあるレストランで向かい合ってるのがすでに変な感じだし…ここは本当に私がいるべき場所なんだろうか…と思わずイントゥ・ジ・アンノウンみたいな心境になってしまう。
何にせよ、こちとら平々凡々なクソニート、三ツ星ホテルより三流キャンプがお似合いなので、せっかく取った部屋だしダンデが使ってくれと頭を下げた。心配しなくても野宿慣れしてるからさ。少しも寒くないわよ。
お気遣い圧倒的感謝…と拝むニートの前で、元チャンピオン現オーナーは、何故か私の問いを肯定せず沈黙していた。まるで答えにくい事でもあるみたいに、私を見つめてはすぐに目を逸らす。
なに、どうした。
まさか借りてる部屋じゃなく…買い取った部屋…とか!?
どんだけリッチなんだよと舌打ちしかけたところで、金持ちを妬むクズの私は、ある事に気付いた。それは、鍵についている部屋番号である。
私とて現チャンピオン…ロンド・ロゼには何度も泊まった事があり、このホテルは階層ごとに部屋の作りが決まっている事も知っていた。
ダンデが取ってるこの部屋…たぶんシングルじゃないな。ツインかダブルのみの階層だろう。お一人様の私はもちろん常にシングルだから、いつも泊まる階が決まっているので、見慣れない番号に首を傾げる。
なんでダブルなんだろう。広い方がいいからか?それとも大好きなリザードンと添い寝するためかな。
謎に包まれたダンデの私生活を予想していると、何かを決心したみたいに、彼は私を真っ直ぐ見つめた。照れたような笑顔が物珍しく、注文も忘れて見入ってしまう。
「今日は迷わずここまで来れたんだぜ」
急。いきなり何の話。
祝!迷子卒業!を宣告され、それはおめでとうございます…以外に何も言えず、私は微笑み返した。よかったな、という気持ちしかないが、それがダブルの部屋を取った事と何の関係があるのかさっぱりわからない。
稀な事だから言いたくなっちまったか?まぁいつもやばいくらい迷ってるもんね、真っ直ぐ来れた時は自慢したくもなるだろう。こんな目立つホテルを見失う方がどうかしてると思うけどな。どこからでも見えるじゃねーか。
やはり優れたトレーナーは代償に何かを失うようにできてるのかもしれない…。職を失っている私が遠い目をしていると、ダンデは脈絡のないと思っていた話を繋げてきて、私をしばし呆然とさせる。
「迷わず来れたら…君に伝えようと思っていた事があるんだ」
そう言うと、一度は断った鍵を再び私の前へ出してきた。真剣な顔に、意味深な言葉を添えながら。
「…部屋に来てほしい」
いつもの鈍感夢主の私なら、いやお断りしたはずですけど…とすぐに突き返した事だろう。キャンプするから大丈夫っすよ!なんていい笑顔で応えたに違いない。
しかし、今日の私は違っていた。何故だかダンデの言わんとしている事を察し、この鍵が意味する事も、何故ダブルもしくはツインの部屋を取っていたのかも、一瞬で理解できてしまう。
「…え?」
…ええ?これは…あれか?
あれ…なのか?あれ?か?
決意に満ちた表情のダンデを見ていると、とても冗談とは思えず、私は動揺した。
え、ど、どういう事なんだ…!?マジ?まさかと思うけど、誘われてんのか!?ダンデに!?このニートが!?
衝撃すぎて、私は開いた口が塞がらなかった。
ということは、食事に誘った時からそういうつもりがあったわけで、何ならホテルをダブルで予約した時から考えてたって事かよ?そりゃ迷ってる場合じゃねーわな!三日前から来ててもいいくらいだよ!
意外と計画的犯行だった事にも驚いたが、何よりびっくりだったのは、やけに全てをすんなり受け入れている自分自身である。鈍感夢主を名乗れなくなる可能性に怯えて、冴え渡る推理を脅威に感じた。
どうしたんだ私…今日なんかおかしいぞ…!?
ていうか、私がこんなにすぐ思い至るということは…逆に勘違いなんじゃない!?だって絶対変だもん!ダンデが私を誘うのも有り得ない、私がこんなに敏感夢主なのも有り得ない、あらゆる状況が有り得ないことを示唆していると思う!つまり誤解だな!
そうですよね!?とダンデが正常な判断力を失っていない事を、私は祈った。
ダンデさんほどの人格者が…私とアバンチュールなんて嘘だよな?芯が強く、ポケモンの事ばかり考えているような、無邪気で優しい人である。
そんなまともなダンデが、ここでニートチャンピオンとホテルに泊まろうだなんて…あなたの価値が下がるでしょ!私は信じてる!そんな愚かな事をする人じゃないってね!やかましいわ。
華麗なる自虐を繰り広げながら、私はダンデをしっかりと見つめた。お願いします、と祈り、固唾を飲んで相手の言葉を待つ。
頼む、ダンデ…!朝までUNOをしよう!とかわけわかんないこと言ってくれ…!微妙に言いそうなところがまた私の期待値を高めてやまないよ…!
私は信じた。そして願った。ダンデがポケットからUNOを取り出してくれるのを待ち、しかし、これは夢見る新施設ドリームシャーナ…その名の通り夢小説展開も、お手の物だったのである。
「でも来る前に…答えは出しておいてくれないか」
全然愚かだったわ。
いやそこは勘違いであれよ。普通に当ててんじゃねーぞ!
ダンデの真摯な態度に、敏感夢主の全私が冷や汗を流した。どうしたらいいかわからず呆然とし、しかもなんだか火遊びでもなさそうな様子に、ますますおかしくなりそうである。
いや…本当に?大丈夫かダンデさん。血迷うにしても限度があると思うけど、チャンピオン辞めてから脳が縮んじゃったりしたか?
私は戸惑い、悩み、そして無言になった。言葉がなかったからだ。そんな事よりUNOしようよ、以外の台詞がなく、人生の路頭にも迷い始めた彼を、私はまず心配した。
だ、ダンデさん…本当に…大丈夫…?部屋に呼ぶって事は…端的に言うと私に好意は持っていただいてるって話だよな?にわかには信じ難く、何かの間違いでは…と疑い続ける。
まぁ私ほど強くて美しかったら見惚れても仕方ないかもしんないけど…でもこちとらニートなんでね。真実の姿を知らずに好感を抱かれても困るんですわ。だってあなた…ニートを愛するなんて人生の汚点…作りたくないでしょ?私も作らせたくない、何故ならダンデにはまともな人であってほしいから。ガラル中がそう望んでる!
私こんな風にしてもらえるだけの人間じゃないんですよ!と思わず暴露しかけた。
生まれてこの方永遠無職、無限ニートの渦の中で生き、そして死ぬのが私の運命なんだよ。あなたとは決して交わらない時空を歩んでる、だから考え直して…自分のためにも…!
などという説得を試みようとしたのだが、その前にダンデは席を立ち、なんと鍵を置いてレストランから立ち去ってしまったではないか。
私は呆然と後ろ姿を見つめながら、部屋で待ってる的なこと!?と解釈し、しかし机に置かれたルームキーのせいで、それは叶わないとすぐに気付く。
…え!?どういうこと!?
鍵置いて行ったら部屋で待てなくない!?
そもそも飯まだ食ってないんだが?なんて空気の読めない事は言わず、私は慌ててレストランを飛び出した。もちろん鍵を握りしめて、だ。返さないといけないのもそうだが、まずお前一人じゃ部屋まで辿り着けないだろ。マジで大丈夫なのかこいつ。
やはり正常な判断能力を失っているんじゃ…と心配しながら廊下に出ると、ダンデはエレベーターが来るのを待っていた。追いついた事にホッとし、まだ私も混乱しているけれど、とりあえず鍵を渡さなくちゃと声をかける。
「…迷子になりますよ、ダンデさん」
追ってきた私を見たダンデは、こっちが困ってしまうくらい照れた様子で微笑んでいた。そんな顔されると私も正常な判断能力を失ってしまうだろ…と何から何までおかしな事態に混乱し、息を止める。
「俺もそう思う」
だろうな。むしろよくエレベーターの前まで来れたもんだわ。
まぁレストラン出てすぐそこだから迷いようがないけど…。それでも迷うやばいチャンピオンに鍵を突き出し、受け取りの際に手が触れ合ったところで、ダンデはさらなる追い討ちをかけた。
「だから、君が追いかけてくるのを期待した」
思わずフリーズし、今日は彼の意外性ばかり目にしていて、否応なしに夢女タイムに突入させられそうだ。
「…案内してくれるか?部屋まで」
怒涛の展開が押し寄せている。
鍵を取ったダンデはいい男感を醸し出し、実際そうだから私の混乱は極まるばかりだった。確信的な手口に耐性がない私である、いきなりの猛アプローチに動揺しないはずもなく、そして緻密な作戦に元チャンピオンとしての風格を感じざるを得ない。
私が迷子のダンデさんを放置できない親切な人間である事を見越しての計画だったとでもいうのか?わざと鍵を置き、私が来るのを待ち、そして部屋まで案内させたのちに雪崩れ込むという、姑息かつ洞察力に満ちたプラン…。私が実は押しに弱く結構人の良いニートだと理解していなければ成り立たない計画だ。さすがの観察眼に、嫌味の一つも言わなきゃ気が済まないだろう。
「…断らないのわかってますよね」
「勝負には駆け引きも必要!」
生まれてこの方レベルゴリ押しの勝負しかして来なかった私に、ダンデは笑ってそう言ったが、すぐに目をそらした。
「なんてな」
そして照れ隠しに帽子で顔を覆うと、どこまでも私を惑わせる台詞を吐く。
「…慣れてないんだ、こういう事に」
私は何のリアクションも取れずに俯き、ド天然なのかド計算なのかわからない男に頭を抱えた。
まんまと親切心につけ込まれ、なんだこいつと思ったところもあったが…そうまでして私とのチャンスを作りたかったのだと思うとなんか…様々な感情が込み上げてくるよ。お前それでいいのか?とかな。ニートなんすけど自分。
知恵と純情を駆使して口説いてくる彼に、今日だけ敏感夢主の私は、親切心を捨てるべきか否か悩み果てた。まんまとエレベーター前まで来てしまっているのだ、この調子だと流されるまま部屋にお邪魔してしまう可能性が高い。
ダンデの名誉、そして私のニートに関わる重大な局面だ…大人として軽率な行ないは避けるべきだが、迷子のダンデを放置するのも心が痛む…。
送り届けてただ帰る事が叶うのか?いや、そもそも何を悩んでるんだよ?普通に私が強い意志を持っていればいいだけのことだろ。
謎の葛藤から目覚めた私は、ダンデが部屋に入るのを見届けたら帰る!と決意し、流されやすいなんて言ってる場合じゃないと首を振った。
ニートとはいえ今はチャンピオン…いつ文春砲で撃たれるかわからないのだ、誤解を生まないためにも、どんな激流でも逆らい続けろよ。それが責任、矜恃、無職ってもんだろうが。
どうにも大いなる力が働いてる気がしてやまないけど、ここで抗わなければアイデンティティを失いかねない。気をしっかり持ち、すぐ帰る、すぐ帰るぞ…と頭の中で復唱していた時だった。ダンデがエレベーターの昇降ボタンを押したのは。
何の迷いもなく上を押した彼に、私の決意は秒で砕かれる。何故ならダンデの部屋は下の階だからだ。
いやバーしかねぇよ上には!なんでここから間違える!?方向音痴とかいうレベルじゃなくね!?
「下ですよ…!」
私は隣のエレベーターのボタンをすぐさま押し、やっぱり私がついててやらなきゃ駄目だ…!と項垂れた。呆れるあまりボタンを連打しながら、溜息さえこぼしてしまう。
ガチで間違えたらしく、恥じらいの表情で謝ってきたダンデに、もはや同情ムードだった。さっきまでなんかいい感じの空気出してたのに、道にも恋愛にも血迷っていて、哀れなり…という心境である。
やっぱ…長年やってきたチャンピオンを辞めるって相当な事なのかもしれないな…だって日常が大きく変化するんだもんな。いつもの自分でいられなくなってもおかしくはない。環境の変化によりストレスを感じ、正常な判断力を欠くような精神状態に陥っている…ってところか。
ダンデの天性の方向音痴のおかげで鈍感夢主力を取り戻しつつある私だったが、まだ彼の攻撃は終わっていなかったらしく、再び敏感夢主の私が舞い戻る事となった。
ボタンを無意味に押していた私の手を、突然ダンデが上からそっと覆ったのだ。自分より遥かに熱い体温に驚き、高橋名人も唸る連打はそこで中断する。
部屋まで送るだけだ、という決意が、崩落しそうな気配を覚え、私は顔を上げられなかった。
部屋の中でも迷うんだよ、とか言われたら…どうしよう。
掌の温度を感じながら、徐々にどちらの熱さかわからなくなっていく状態に、私はわりと危機を感じる。まんざらでもない気分が一番謎で、どうしちまったんだよニート?と思うのに、走り出した感情も、動き出したエレベーターも止まらない。
なんか…駆け引きとわかっていても、案内してしまう気がする…迷うはずもない部屋の中を。
ゴリ押しの勝負しかしてこなかった事を、そのとき私は後悔するんだろうな…と冷静に思うレイコであった。