「前にもこんな事があった気がするよ」
そう言ったマツバを見た瞬間、私は様々な事が一気にどうでもよくなった。
もちろん、何でこんなところにいるんだろう…とか、私さっきまで何してたんだっけ?とか、何なら全ての状況がわからないんだけど、目の前にいるのがマツバだったせいで、どうせオカルト案件でしょ、という偏見と諦めを抱いたわけである。
出たよ、ジョウトのホラーマン。もはや何が起きても驚かないね。
私は冷静に考えながら、それでも怪奇現象に立ち会っている事は確かなので、わずかな怯えを感じつつ辺りを見渡した。マツバがいるから大丈夫かな…と思う心とは裏腹に、いやこいつがそもそも大丈夫じゃないだろ、という疑惑を晴らせない。
何だろうなこの状況…一体どうなっているのやら…。
気付いたら見知らぬ場所にいた私は、正面にマツバがいること以外に何もわからず戸惑っている。どうやらかなり高いビルのレストランみたいだけど、この場所のことも、そして何故ここにいるのかも、それまでどうしていたのかもわからず、ただただ夜景を見下ろす他ない。
いや普通に怖いんですけど。何?とりあえずマツバの仕業なのかそうじゃないかだけでも教えてくんないか?
前にもこんな事があった、と言ったマツバだったが、私には全く身に覚えがないので、いまいち信用できないながらも問いかける。
「…夜景を見ながら食事?しましたっけ?」
「そうじゃなくて」
このようにロマンチックな状況はこのレイコの時代にはなかった…と思いつつ尋ねると、それではなかったらしく、マツバはなかなか衝撃的な発言をした。根本を覆すような、それでいて説得力のある言葉に、私は狼狽える。
「前にも夢の中で、君に会った事がある」
夢。
あまりにオカルトすぎるキーワードは、私を白けさせ、そして半分納得させた。夢じゃないと説明がつかない状況なのもそうだが、確かに夢を見る羽目になる何かがあったような気もしてきたのだ。
うわ…そういえばなんかフジドリームエアラインズ…じゃなくて、ドリームなんとかみたいな横文字に心当たりがある気がしてきたぞ…。
漠然と現実を思い出し始めた私は、それでも不完全な記憶に頭を抱え、意識が虚構とリアルの狭間を行ったり来たりする感覚に混乱する。
えー…なんだろこれ。モヤモヤするなぁ。思い出せそうで思い出せない…!自分が一体何のためにここに来たのか、絶対理由があったはずなのに…!
大した理由でない事など爆睡中のレイコは知る由もなかったが、困惑する私とは裏腹に、マツバは冷静沈着であった。
落ち着き払っている相手を見つめ、優しげな微笑みを携える彼に、私は今さらながら確認の言葉を投げた。マツバの口振りだと、この状況は異常中の異常である事を示しているにも関わらず、特に抗いもしていないので、それを不思議に感じずにはいられなかったからだ。
「…ってことは、これ夢なんですか?」
「うん」
あっさり肯定されてしまい、あっ左様でございますか…以外の言葉がなかった。同時に、夢ってわかってるのに微塵も狼狽えないマツバも普通に怖かった。何者なんだよお前は。常識の範囲内で生きててくれよ。
オカルトの全てを背負っている彼にこっちがテンパりつつ、改めて辺りを見渡してみる。
とても夢とは思えないほど、あらゆるものの輪郭がはっきりしているし、私の意識も鮮明だ。何故か記憶は喪失しているが、それ以外はリアリティに満ちているため、ホラーマンの言う事を手放しには信じがたい。
マジかよ。本当に夢なのこれ?明晰夢ってやつ?
でもここまでリアルな夢とかあるのかな…質感や温度もやばいくらい正確にわかるのに。
とはいえマツバが言うならそうなのかもな、と私は霊感男を信頼する方向で固め始めた。自分の記憶に信用がない事もそうだが、何だかんだで心強いジムリーダーのマツバである、私にどうする事もできないなら、彼に任せるべきと判断したのだ。
なんか前にも夢で会ったとか言ってたし。私は記憶にないですけどね。ディズニープリンスにしか許されない台詞だろそれ。
まぁ同人界ではヤンデレ王子の名を欲しいままにしてるが…なんて不穏な事を考えていたら、マツバは意味深に微笑むと、何かを私の方へ寄せてきた。硬いものが擦れる音には聞き覚えなどなく、状況が把握できないまま相手を見つめる。
「どうせ忘れてしまうなら…こういうのもいいと思うかい?」
そう言うとマツバは、手を開いて私に鍵を見せてきた。形状からして、どう見てもホテルのルームキーである。
なんだこれ。どこのホテルの何の目的の鍵だよ?
私はマツバの意図を汲み取れずに首を傾げ、しかし次の瞬間、ある事に気付いてハッとする。
マツバといえばゴースト…ゴーストといえばホラー…そしてホテル…これらから導き出される事と言ったら…まさか…!
しゃ、シャイニング…!?
スティーヴン・キング原作、ジャック・ニコルソン主演のあの映画を示唆している…!?と真剣に想像した私は、ホテルの管理人になんかなりたくない!と全力で受け取りを阻止した。固く拳を握り、スリザリンは嫌だなみの拒絶を全身でアピールする。
なに?ドクタースリープの宣伝のためにわざわざ夢に出たわけじゃないよな?
私はいよいよマツバのキャラクター性がわからなくなり、信じようと思った心が一気に警戒の色に変わった。やはりこの夢はこいつの仕業なのでは…と身構えた時、本当に信用ならないのは自分自身であることを思い知らされる。
「上に部屋を取ってある」
「え?」
鍵に視線を落としながら言ったマツバは、私のキョトン顔を見て笑った。
「って、君が言ったんだよ」
「え!?」
は〜!?記憶にござらねぇ〜!
何を言い出すかと思えばそんな話をされ、私は鍵を二度見した。完全に飛んでる記憶がとうとう恐ろしくなり、知らぬ間に失言をしていないか焦りを募らせる。
いやマジに知らないんですけど。部屋を取ってる!?私が!?もしかして自腹で!?いくらのホテルなの!?高級ホテルだったら絶対キャンセルするからな!
一泊一万円以下教に入信している私は、まず値段の心配をした。最強トレーナーとして小銭を巻き上げてはいるが、年金を貰えない世代代表にとって贅沢は敵である。見た感じここはいいレストランだし、夜景も美しいし、この上の部屋なんていくらするかわかったもんじゃない。
散財だけはやめてくださいと意識のない自分に心から懇願するも、全ては後の祭りである。
帝国ホテルなみだったらどうしよう…と絶望する私であったが、そんな中でも希望はあった。そう、これはどうやら夢だというマツバの証言である。
夢なら別に…いくら使おうがどうでもよくね?むしろ贅沢体験できて良いくらいなのでは?
秒で掌を返し、マツバの言うようにどうせ忘れるんだったら、何だって楽しめるような気がしてきた。
部屋が取ってあるのなら…行けばいいんじゃねーか?別に。私も帝国ホテル見てみたいし、幻だろうと高級ビュッフェを堪能したいだろ。
まぁ見たあとが気まずいかもだけど…と考えた時、私はやっと敏感夢主として覚醒した。今までで一番遅いスタートであった。
…え?待って?
ホテルってもしかして…そういうホテルか?
急に思い至ってしまい、どうしてマツバが苦笑しているのかを察して、私は穴があったら入りたい心境に駆られた。あのマツバをホテルに誘うなどと、身の程をわきまえない自分を叱責し、土下座する勢いで失言を詫びた。
「そ、それは失礼しました…!」
「構わないけど、真に受けるべきかなと思って」
いや受けるなよ。どう考えてもおかしいだろ。
私の精神状態くらいお得意の千里眼でわかるでしょ!と怒鳴りかけ、この鈍感夢主の私がそんな発言をするはずがない事をご理解させたくてたまらなかった。夢とはいえそこは変わらないと私は信じていたが、残念ながらいつもの五割増しで敏感になっている事に気付いていない。
いくら血迷って高級ホテルを予約しようとも、マツバさんを火遊びに誘うほど勘違いニートじゃねーから!恐れ多すぎでしょ!そうでなくても怖いのにさぁ!ベッドに入った瞬間呪怨のような展開にしかならねぇよ。階段這ってやろうか?
動揺しすぎて伽揶子顔になりつつある私だったが、マツバはニートにホテルへ誘われたにも関わらず無限に冷静であった。動じない姿勢には寒気すら感じ、もしかしたら彼にとっては虚構も現実もそう変わりはないのかもと考えてしまう。
そんな矢先に意味深な発言をされ、私は緊張に身を固めた。
「どうせ起きたら全部忘れる」
悟り切った表情には、何だか覚悟めいたものが垣間見えた。たかだか夢、されども夢だと痛感しているような眼差しを真っ直ぐ捉え、私は困惑する。段々と、夢と現実の境目がわからなくなっていった。
まぁ夢だもんな…このやり取りもなかった事になるし、帝国ホテルで散財した事実も消え、起きた瞬間何もかもを忘れていつもの生活に戻るわけだ。たとえここで死んだとしても、現実に影響が出る事は一切ない。
私はマツバをじっと見つめ、まるで試されているような眼差しに息を飲む。その真剣な姿を見ていたら、でも、と自然に言葉が出ていた。
確かに夢は夢だが、この五感を幻と割り切れるほど、私は達観したニートではないのだった。
「でも…今は夢だってわかってますよね」
何故なら明晰夢だからな。はっきり夢だと自覚している中で下した決断は、もはや夢ではないと思う。
「なら半分は現実ですよ」
鍵を払いのけ、私は夢でも誠実な人間である事を証明した。帝国ホテルは見てみたいが、もしかしたら新今宮の激ヤバホテルかもしれないからね、この上治安まで悪くなったらいよいよ悪夢でしょうよ。
夢でも相変わらず関西をdisっている私は、反応の悪いマツバにさらにご意見を述べ、目を伏せた。
「もしマツバさんがその鍵を取ったら…それは現実のマツバさんの意志になるし…ただの夢じゃなくなるかも…」
私にしてはまともな事を言い、相手の返事を待った。
だってそうだろ、ここで決断するのは現実の私達なんだ、忘れたとしても鍵を受け取った事実は残る。つまりニートの誘いに乗ったという汚点がマツバさんの人生史に刻まれるわけ。そんなの普通に屈辱でしょ。
己とマツバを守るため、私はぼーっとしながら夢から覚めるのを待つ事にした。帝国ホテルへの未練は捨て、慎ましく質素な生活を送ろうと誓いを立てる。
マツバも何も言わずにいたので、微妙な空気の中、このまま自然と夢が終わると思われた。
しかし、そう甘くない現実が、私の前に立ちはだかる。
「…それでもいいって言ったら、どうする?」
「ええ…!?」
思いもよらない言葉に、油断していた私は間抜けな声でマツバを二度見した。衝撃すぎて完全に裏返ったが、こっちは喪女である、動揺しても仕方がないだろう。
いつの間にか鍵を握りしめていたマツバを、私は呆然と見つめながら、また何か試されているのでは…と息を飲んだ。全く読めない瞳は私をとらえたまま色を変えず、ただ返事を待っている。
え〜?は〜?マジか?もしかしてこれも夢なんじゃね?明晰夢を見ている夢という夢。という夢の夢かもしれないし、そもそもなんで私とマツバだけが現実だと思っていたんだ?何もかもが夢でもおかしくないのに。
急に鈍感夢主に戻った私は、このマツバも夢だ!と一瞬で結論付けた。だって現実のマツバさんがそんなこと言うわけないもん。ホラー以外はまともなんだしね。
失礼なレッテルを貼り、いくら喪女でもこんな夢を見るなんてオワオワリだよ…と自分に絶望していたら、そんな私を見てマツバは少し笑った。一体何がおかしいのか、彼は鍵を私の方へ差し出すと、その手をそっと離す。
「でも君の答えは違うみたいだから、これは返すよ」
再び戻ってきた鍵を見下ろし、やけにリアルなマツバの物言いに、またしても夢と現実が曖昧になった。夢だよな?と誰かに確認したい気持ちに駆られるも、ここに存在するのはマツバのみである。
沈黙の中で、現実味がありすぎる景色を、私は本当に起きたら忘れられるのか不安に思った。
全部…夢なんだよね?このマツバも、私の脳が勝手に作り出した幻なんだよね?そりゃ喪女にしてもやばすぎる夢だと思うけど、もし現実だった方がやべぇからな。だって絶対ありえないし。マツバが私と新今宮のホテルに行ってもいいだなんて、どう考えてもないだろ。お前がよくても私が嫌だよそんな治安悪いとこ。
文京区だったらワンチャン行ったかもしれないが…と治安で全てを決めそうになる私だったけれど、ここで急展開が訪れた。始まるのも突然だったが、終わるのも突然という結末が待っていたのだ。
「夢から覚めた時に…もう一度この場所で会いたいものだね」
マツバが意味深に呟いた時、私の視界がいきなりぼやけた。何もかもが鮮明だった世界が、次第に色を失っていき、マツバの声にもノイズが入る。急な変調にテンパって、私は意味もなく鍵を握りしめた。
え、なに!?なんか突然視界がセピア色なんですけど!?思い出の中のあなたみたいになってるんだが!?
まさか夢から覚めるのか?と身構えたら、握った鍵の感触も段々とわからなくなってきた。瞳の裏が明るくなったり暗くなったりで、もうほとんど何も見えない。イケメンの顔さえ認識できないと、さすがに焦りが募った。
何だか…頭がぼんやりしてきたぞ…マツバさんは大丈夫なんだろうか…。
結局何が夢で何が現実なのか定かではないまま覚醒へと向かう私は、わずかに残る触覚で、掴んだ鍵を落とした事に気が付いた。曰く付きのアイテムが床に落下した音を聞き、そのまま聴覚も怪しくなってくる。
このまま意識が落ちそうだな…いやこの場合覚醒なのか?どっちでもいいけど、解放されるならもう何でも構わねぇや…。
変な夢見ちゃってごめんなマツバ…と合掌し、微妙な罪悪感に苛まれる私は、もしかしたら彼だけが現実だったかもしれないと感じる一言を最後に聞いたのだけれど、やはり起きた瞬間に、全てを忘れてしまうのであった。
「その時は、鍵を受け取ってしまうかもしれないよ…レイコちゃん」