ヒウンを出た我々は、ひたすらに高架下を走り続けている。上を通る電車の音は案外静かで、私のボロの原付の方がやばい音を立てている説を提唱しながら、アララギ博士を探していた。ていうかこれ定員オーバーで悲鳴あげてるんじゃないの。二人乗り用じゃないしな。今すぐ停めろや。

道中無言というのも気まずい気がしたが、チェレンに声をかけるべきか悩むくらい微妙な距離感と雑音だったので、結局私は黙って運転に集中していた。こういう時、己のコミュ力のなさが心底情けなくなる。その結果チェレンに気を遣わせる事となり、話を弾ませられないニートに代わって彼は口を開いた。少年の優しさが荒んだ心に沁みるよ。

「レイコさん、どのくらいポケモン捕まえました?」
「え?いや私の研究は…捕獲は必要ないから全然…ていうかほとんどやった事ないんだよね」
「そうなんですか…何だか意外です」

苦笑気味に答えてもチェレンは真面目に返してくれるので、完全にコミュ力で負けている事実に、さすがの私も落ち込むしかなかった。人格の出来に年齢は関係ない、それを教えてくれる旅だったな。泣きそう。
彼の言葉に、普通のトレーナーはポケモンを捕まえる事を思い出して、私は遠い目をしながらこれまでの旅を脳内再生する。

なんか…あんまりボール投げて捕まえた事ないかもな、私。カビゴンも半分は譲渡だから微妙なところだし、強いて言えば赤いギャラドスくらいかもしれねぇ。でもあれも金に物を言わせてひたすらにハイパーボールを投げるだけだったから、実質野球だったと言っても過言ではないわ。あの時の魔球はきっと大谷翔平しか打てないってくらい神がかっていたと思う。そして自分が何をやっているかわからなくなったのもあの時だった。私がすべきことって何なの?ドラフト一位指名?
手持ちも人に押し付けられ…いや貰って増えていったし、捕獲の概念が無いに等しい私は、言い訳じゃないけど自分の仕事をチェレンに説明し、理解を求める。

「生息状況の記録と…あとはひたすらに出会ったポケモンを記録していくだけなんだ。なんか野生だけじゃなくてトレーナーの元で暮らしてるポケモンのデータも欲しいんだって。だから撮影以外の事はよくわかんなくて…ごめんよ、参考にならなくて」

もしかしたらチェレンは、何でも完璧にこなすパーフェクトテニス白石蔵ノ助みたいな私を想像していたのかもしれない。ポケモン勝負も強い、カメラの腕もいい、捕獲もプロ級、そんな姿を思い浮かべていたのかい?期待を裏切ったと思うと胸が痛んだけれども、これがありのままの私なのでニート以外は正直に話した。一番重要なところを隠すな。
するとチェレンは、ポンコツトレーナーの実態を知っても尚軽蔑せず、いいえ、と静かに答えてくれたので、私は名探偵コナン第一話ジェットコースター殺人事件の犯人のように、涙を横に流しながら原付を走らせてしまいそうになる。

い…いい子!普通にいい子!私がチェレンだったら捕獲もできねぇのかよカスって暴言を吐いていただろうに、謝らないでくださいと優しく諭してくれるこの差。マジで見習っとけよお前。ニートな上に人間性もクソとかやってられねぇよ。
感動のあまりそれ以上喋れずにいると、涙で濡れた私の頬に何かが貼りついた気がし、手でそれを払いながら少し減速する。感触的に砂のようなものが当たったと思われるが、何故いきなり砂が…?と疑問を抱いていると、次の瞬間、辺りの光景が一変した。

砂嵐だ。近くでトルネード発生してるぞ。
鳥取砂丘が近いのか、風に乗って砂が舞い上がり、段々と視界が不自由になっていく。
おい、こんな砂地の近くに道路なんか作るなよ。危ないだろうが。道の整備がいまいちなイッシュに文句をつけ、ヘルメットのシールドを下げながら私は慎重に進んでいく。その間にも砂の量は増し、髪に絡んで服の中にまで入り込む始末だ。誰が喜ぶんだよ砂のシャワーとか。ハムスターじゃねぇんだよ。
これはもうさっさと抜けた方がいいな。アララギ博士が待ってるって事はこの先にまともな待ち合わせスポットがあるって事でしょ。まさか砂嵐のド真ん中で待ってるわけないだろうし。そんなクレイジーな博士は嫌だ。
掴まってろよ、とチェレンに声をかけ、私は原付の速度を上げた。言う通りにしたチェレンは私の腰に腕を回し、その慣れない接触と、少年と密着という犯罪めいた状態に焦って、さらにワイルドスピードと化してしまう。絶妙なくすぐったさに腕が震えた。
自分で掴まれって言ったけど、すまんがやっぱ離してくれんか?事故るかもしれねぇ。思いの外脇腹に忍耐力がなかった事を嘆き、しかし預かった命を危険に晒すわけにはいかない一心から、私は腹筋に力を入れた。シックスパックどころか割れ目すらない腹を守り、夢中で砂の中を抜けていく。ようやく視界が晴れた頃、同時に白衣の天使の姿も目に入って、私は一瞬本当に事故を起こして死んじまったのかと本気で焦った。腹くすぐったいから多分生きてるわ。こんな事で生存を確認したくはなかったけども。

遠くでこちらに手を振る女性に向かい、私は原チャの速度を落としていく。私が天使と見間違えたのは、年齢不詳エンジェルのアララギ博士だった。
まさに地獄に仏。長くは続かなかったサンドロードから脱出できた安堵で、私は深く溜息をつく。
本当何なんだイッシュ…都会が刹那的すぎるだろ。なんでヒウン抜けたらすぐ砂丘?埋め立てろ。せっかく小奇麗にしたのにまたボロ雑巾じゃねーか…。シールドを上げながら、隙間に入った砂を息で吹き飛ばす私に、博士は明るく声をかけた。テンションの温度差が激しい。

「ハーイ!チェレン!レイコさん!こっちこっち!」

導かれるまま原付を近くに停めると、博士はすぐに駆け寄り、可愛らしく微笑みかけてくる。砂浴び後の美女の癒しスマイルは、大迫以上に半端なく感じた。
いやー…女の博士で本当によかった。これでおっさんだったらブチギレてたかもしれねぇ。こんなとこ待ち合わせ場所にするんじゃねぇよ!ってコメットパンチが炸裂し、暴行罪で捕まっていた可能性がある。命拾いしたな。私が。
これから砂嵐の先には常に博士にいてほしいなどと考える私をよそに、久しぶり、と声をかけてきたアララギ博士は、何故かチェレンの方を見てまた笑った。

「ずいぶん仲良くなったのね、あなた達」

二人乗り状態の私達を見て口角を上げたアララギに、まぁね、と私は子守りアピールをした。
ちゃんと面倒見てるから。不審者からも守ったし、この通りアッシーもやってるし、もう至れり尽くせりですよ。電話に気付かず迎えに来てもらった事は棚に上げ、私はチェレンを振り返る。
レイコさんは裏表のない素敵な人ですって言えよな、と視線で訴えたのだが、何故か彼は照れたように頬を少し染めており、その少年らしい純情加減に私が失った若さを見た気がした。仲の良さを揶揄されて照れる、という感性が無。逆に子供と仲良くしてる大人アピをしないと博士から不審がられるかもしれないという不安すらある私は、汚い人間と化した自分を心から恥じた。世間体を捨てられない、それが悲しき日本人なのであった…。

「…からかわないでください」
「あら、別にからかってなんかいないわよ。それよりどうして工事用ヘルメット?」

博士にまで指摘され、私は咳払いしつつチェレンの頭からそれを奪い、即原付の座席下へと収納した。自分だけいいヘルメットを装備している事に気付かれる前に話をそらして、博士と今後の研究の進行について話し合う。
アララギ博士はポケモン図鑑の生息地機能を充実させたいようだから、どこに何が生息しているのか漏れなくお願いしますとビジネスマンらしく頼まれ、今まで放任主義を貫かれていた私は、やっとまともに構ってもらえた事に安堵する。
こんなにしっかり記録プランを提示されたのは初めてだぜ…これまでのおっさん共はほぼ放置だったからな。それだけ私を信頼してくれている、もしくは自由にのびのびと旅をしてほしいという気持ちがあったのかもしれないが、こうして気にかけていただけるってのはなかなか有り難いものである。
大変だよな、ポケモン博士って…送り出した子供の面倒も見なきゃいけないし、自分の論文もあるし、余程の物好きじゃなきゃやってられないですよ。チェレンに旅の進捗を聞いている博士をチラ見し、私は何気なく会話を耳に入れる。

「チェレンはどう?レイコさんからいろいろ教わった?」

すると、何を話すのかと思えば突然博士がそんな事を尋ねたので、私は二度見しながら動揺した。今しがた教えられる事など何もないという事をチェレンに知らしめたばかりだったから、やめてくれ!と叫びたくなる。
やめろやめろ!なに聞いてくれてんだよ!捕獲もできねぇ、不審者の通報もできねぇ、挙句電話にも出ねぇ、トレーナーとしても人間としても学ぶところがない私の評価を聞かないで!お願い!
何もないっすね、とドライに返すチェレンを想像し、勝手に絶望する私だったが、チェレンは言葉を詰まらせる事もなくすぐに口を開いた。

「ポケモン勝負を…一度近くで見せてもらいました。あとは一緒に戦った事も」

心臓をばくばくさせていると、意外な答えが出て私は思わず目を見開いた。私の唯一の長所を挙げてくれた事に、感謝の念が止まらない。
そうだ、教える事はできずとも背中を見せる事はできる、それがポケモン勝負!私にもやれる事があったじゃないか!
カラクサでNをぶちのめした時と、プラズマを共にぶちのめした事を思い出して、ぶちのめしといてよかった〜と安堵の溜息をついた。
そうだよ。電話は出ないし通報はしないし捕獲はしないし飯は作らないし午前中には起床しないニートだけど!そんな私にもチェレンに学ばせる事ができる、ポケモン勝負という土俵では!真似できないから全く参考にはならないとしても、見て学ぶというのは勉学の基本だ。むしろ私のようなトレーナーは他にいないと思うので、チェレンは数々の奇跡を目の当たりにしているという事になる…運がいいな君は…せいぜい感謝してくれよ。人格反面教師として活躍している事にもレイコは気付かない。
ホッとしていると、微笑んだアララギ博士に視線を向けられた。

「強いのよね、レイコさん」
「いや…それほどでも…」

ありますが。

「でもちょっと…変わった戦い方よね」

しかし安心したのも束の間、何だか含みのある言い方をされてしまい、私は完全に固まった。つい浮かべてしまった苦笑に、他意がないとは言い切れない。
何か説教でもされるんだろうか…とぼのぼののような汗を飛ばしたものだが、チェレンの手前、博士はすぐにフォローを寄越す。

「だけど、信頼関係はあるみたい」
「…信頼?」

青春用語に、私は思わず聞き返した。何だか長らく考えていなかった言葉をぶつけられ、上手く消化できない。
ちょっと前までは私にも、トレーナーとしてのきらめき…のようなものがあった気がするが、長く旅をしている間に、いつの間にか落としてしまったというか、自信がなくなったというか、そういう感覚に陥ってるのは確かである。どう足掻いてもニート、まともなトレーナーだと胸を張って言えるはずもなく、いろいろ誤魔化して現在に至っていた。そのような葛藤を、あのわずかばかりの記録映像からアララギ博士が読み取ったというなら、なかなか侮れない女博士だ。年齢不詳だけど。

「レイコさんから見てチェレンはどう?見込みあるかしら?」
「え?ああ…そうですね…勉強熱心だし、行動力もあるから…見習いたいくらいですよ」

メガネキャラは勤勉って決まってるしな。これは言わなかったが。
テンパるあまりマジレスしてしまった私は、普通に褒めちぎってしまい、自分で言いながら何だか照れた。ニートが何を上から目線で喋ってんだ?って白けた目で見られてるかもしれん。恐る恐るチェレンに視線を移すと、彼も彼で照れたように俯いていたので、デレとデレの激しいぶつかり合いに私はまた照れた。何の時間なんだよこれは。

互いに認め合っている感を出した我々のやり取りに満足したのか、微笑んだ博士はチェレンの図鑑チェックをし、そうこうしている間に彼は次の街に行くと言うので、私は博士と共にチェレンを見送る。いつの間にやらジム戦は先越されてるし、やたら走ってるし、生き急いでいる彼を心配しながら手を振った。

「気を付けてね、チェレン」
「はい。レイコさんも…あんまり無茶はしないでください」
「極力…はい、気を付けます」
「博士もありがとうございました。じゃあ僕はこれで」

マジトーンでの忠告を受け、私は素直に頭を下げた。気を付けます本当に。不審者、不審組織などとは関わらず、健やかな毎日を花王のように過ごすと誓うわ。そしてお前も誓え。お前が大体呼び込んでんだからなクソガキ。
子供はことごとくトラブルを運ぶ生き物であると思い知らされ、それでも無事に旅を終えてほしいと願ってやまない私は、チェレンの姿が見えなくなったところで、アララギ博士に声をかけられた。

「レイコさん」
「あ、はい」
「あなたのおかげで研究がはかどってるわ。本当に感謝しています、ありがとう」

すごい改まって礼を言われた。もっと褒めてくれ。褒めても伸びないけど褒めてくれ。ただ私の承認欲求を満たすためだけに。

「戦闘記録も細かいし…カメラワークなんてもう完璧。プロ級じゃない」
「いえ…まぁ何年もそればっかりやってますからさすがに上達しないと…」
「…でもあなた、勝負の最中も撮影ばっかりしてるわよね」

博士にバブみを感じてオギャり始めている私だったが、次の瞬間、ライオンのように崖から赤子の私を突き落され、童心が逝去した。冷たい風に乗り、飛んできた砂が足元を流れていく。
やっぱり説教されるんだ!と私は怯え、心の中で静かに合掌する。とはいえそれが仕事だから、そうおっしゃられましても…という気持ちもある。

アララギ博士は、きっと私の無気力試合について思うところがあるのだろう。じっと見つめられると居たたまれず、すぐに視線をそらした。
いやでもそんなこと言ったってさぁ、撮影しながらポケモンに指示とかできるか?人間の判断力越えてるだろもはや。ジョジョじゃないんだからよ。元々そんなに熱心に指示出しする方じゃなかったというか、ドロンジョ様のようにや〜っておしまい!くらいしか言ってなかったんだけど、最近はそれすらもないので、真っ当なトレーナーからすれば確かに異質だろう。ポケモン達が独自の判断で勝てる点も、それを助長している。
しかし私だってトレーナーの端くれ…思うところがないわけじゃないが…ないけど…人間そう簡単には変われないのだ。

「ポケモンに任せっきりっていうか…あなたの方が、信じ切れてないところがあるみたい」

謎かけのような博士の言葉は、自分で答えは探せよと言っているみたいで、結構プレッシャーである。どうやらただ記録をしてくれたらいいと思っているわけじゃないらしいから、私は厄介な博士に当たっちまったのかもしれねぇな。

「なんとなくわかったわ、レイコさんの事」

さっきから心臓に悪い台詞のオンパレードではあったが、一番ハラハラしたのはこれである。わかった、と言われ、隠している事がある身としては息が止まった。
わ、わかったって…何?まさか…ニートじゃないだろうな!?
かつてないほど焦り、聡明で美しいこの博士に無職とバレたくないあまり挙動が不審になっていく。
いやそんなはずない、親父が言わない限りバレるわけがないんだ!そりゃ確かに私の記録動画を見たら、こいつ全然朝起きてないな…とか一瞬でわかると思いますよ。でもそれだけの情報で普通バレるか!?金田一じゃあるまいし!
どうかじっちゃんの名に懸けないでくれ…!と祈り、私は博士の反応を待つ。後ろめたさから、ついニート的な方向に思考が行きがちだったけれど、実際アララギ博士が考えていた事は全く別物で、彼女はまだ私のバトルスタイルが気になっていたらしく、再三意味深な言葉を投げかけた。

「あなたは確かに強いけど…でも欠けてるものがある。それはみんな持っているのに、あなただけ持っていない、って感じかな」
「…私だけ?」
「なんて、研究手伝ってもらってるのに偉そうなこと言えないわよね」

いやしっかり言ったじゃねーか。今さらテヘペロしたって遅いわ。
もう何なんだよ…脅かさないで…こっちは無職の爆弾抱えてるんだからいろいろと敏感なんですよ、世間体とかにさ。働けば済むという事に気付かない振りをし、溜息をつく。
意味深なフラグを軽率に立てないでくれるか?ただでさえ回収する事いっぱいあるんだから。主人公の仕事量なめんなよ。核心的な博士の言葉が引っかかりながらも、何となく自分で思い当たるものはあったので、あえて反抗はしなかった。黙ってぎこちない笑みを浮かべながら、そっすか、と適当に相槌を打つ。

そりゃあいろいろあるよ、長年トレーナーやってたらな。博士は少年少女に初めてのポケモンを授ける仕事をしてるから、未来を夢見る子供達の眩しさをいつも見続けて、その純情がいかに大切かって実感し続けている事でしょう。若いエネルギーを浴びられるいい職業だと思う。さしずめ天然のバイアグラってところかな。表現が不適切すぎました。お詫びいたします。

でも同じ思いをずっと抱き続けるって難しいんだよ。それがどんなに大事なことでもよ。
頑張ってね、と手を振る博士に苦笑し、荒んだニートは原付を走らせた。皮肉なほど、星の綺麗な夜であった。

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