07.ホドモエシティ

とりあえずアデクにもらった卵を何とかリュックに詰め込んで、私は次の町、ホドモエシティへと向かっていた。

あまりにも入らなくてさすがにリュック整理したわい。何人分かわからないくらい金の玉あって全部換金してやったんだけど、今までこんなものを何の疑いもなく持ち歩いていた自分にさすがにゾッとしたよね。これからはマメに整頓していくわ。きっかけ作ってくれてありがとな、卵。クソ邪魔だけどありがとよ。

そうやってパンパンのリュックを背負ってライモンを出ると、なんと道中でチェレンがまだ留まっていたので、私は声をかけないわけにもいかず、気まずいながらも軽く手をあげて駆け寄った。
お前まだこんなところにいたのか、KYなのも大概にしておけ、私の気まずさ結構限界に来てるぞ。マジかよと苦笑しつつ、なんと言ったらいいかわからないコミュ障ぶりを発揮していたが、案外チェレンは普段通りの冷静な様子を見せ、まるでアデクなど最初からいなかったかのような態度だった事から、もしかしてこの卵も幻…?と思いリュックに触れたけど、まぁ普通にあったわな。現実は非情。

走っていったのにどうしてまだこんなところにいるのか尋ねてみれば、どうやら私に用があってわざわざ待っていてくれたらしい。あんな気まずい状況のあとでも待っててくれるとか君は本当に律儀マンだな。私だったら置き看板とか残してさっさと進むわ。
優しいね、と色んな意味を含めて言ったら、チェレンは照れたように顔をそらし、ついでに話もそらして、待っていた理由を教えてくれた。

「さっきジムリーダーのカミツレさんが来て、橋をおろしてもらえるよう頼んでくれたそうです」
「橋?」
「この先にホドモエの跳ね橋があるんですよ」

なんぞやそれ。ニューキーワードに首を傾げて詳しく聞けば、何でもこの先に跳ね橋なるものがあり、向こう岸の橋とこっち側の橋がおりると見事ドッキング、晴れて渡れるようになるという城門とかでよく見られるあれがあるそうな。ドラクエの城の前にある橋の事だな。大切な事はみんなゲームが教えてくれた。
特に興味はなかったが、ちょっと大袈裟にリアクションし無理矢理テンションを上げておく。今日は疲労パラメータが蓄積するばっかりだったから、気分だけでも盛り上げないとやってらんねぇんだわ。大学生のコンパのように、そうなんだぁ〜と高い声を出して私は頷く。チェレンが対応に困って苦笑したのは見なかった事にした。やめてくれあからさまに引くのは。

つーかその橋って何のために上げてあんの?通行止め用?城なら敵が侵入しないようにする目的もあるんだろうが、普通の河川の上に跳ね橋を置いてるとなると…船が通る時は通行の妨げにならないように橋を上げるとかそういう感じなのかなぁ?まぁ本当に興味ないからどうだっていいんだけど、でもそう頻繁に上がったり下がったりしてたら近所の人は不便だよね。加えてこの橋は野生のポケモンが出るため、二輪四輪は通行禁止らしい。交通の便殺しすぎだろ。

原付に乗れないので、流れ的に一緒に次のホドモエシティを目指す事になった私とチェレンは、程々に会話を交わしつつ道中を歩き、頭上を飛び交う鳥ポケモン達を時々見上げる。そして隣のチェレンにちらりと視線を移して、私は眉を下げながら思考を巡らせた。

チェレンくん…君わざわざ、跳ね橋がおりるまで通行止めに加え二輪車乗り入れ禁止、という事実だけを伝えるために私を待っててくれたわけ?そんな…雰囲気で把握できそうな事を言うために?ライブキャスターで済むレベルの話を対面して言わなければならない理由が見つからないので、私は困惑して首を傾げた。不思議で律儀な眼鏡少年に、謎は深まるばかりである。
もしかして、さっきアデクさんに言われた事を案外気にしているのかもしれないと思ったら、少しホッとした。さすがに無感動ってわけにはいかんだろうしな、ちょっとは思うところがあったという事だろうか。一人でモヤモヤ考えるよりは隣に美女にいてほしい、そういうわけなんだろう。君が偶像崇拝しているこのニートは電柱より役に立たない喪女だっていう事を、いつかどこかで暴露しないと心苦しさで私が死ぬぜ。
じっとアホ毛を見ながら歩いていると、毛の持ち主は顔を上げて私を見た。

「チャンピオンと何か話したんですか?」
「え?ああ…ちょっとした世間話を」

びっくりした、アホ毛ガン見してるのがバレたかと思ったわ。危ねぇ。別に生え際の心配とかは特にしてないから安心しとくれ、お父さんに似ないといいな。咄嗟に適当に返せば、チェレンは俯きがちに歩き出す。
世間話どころか卵まで押しつけられてこのザマなんだけど、この年でトレーナー業について説教されたというのがチェレンにバレるのは何かちょっと恥ずかしかったから、諸々は内密にしておく事にした。何をそんなに怖がってるのよ、とかお前はアナと雪の女王か?みたいな事を言われたけど少しも寒くないわ。
私の話はどうだっていい、今回のイベントはあなた用だったから君の話をしてくださいよ。成す術もなく卵を受け取ってしまったNOとは言えない日本人の自分の事とか今はただ忘れたいんだよ。絶対にいらないのに意思脆弱すぎてリュックがかさばっている現状をな。スカイアローブリッジダッシュして来いよ。
何か面白い話して、と無茶振りをする女のような気持ちでチェレンが口を開くのを待っていれば、やはり彼は思い悩む少年だったらしく、それなりにアデクに言われた事を気にしていたみたいだった。だからって私に問いかけなくてもよくない?というような事を聞いてきて、電柱より役立たない喪女は受け答えにしばし悩まされるはめになるのだった。

「レイコさんは…チャンピオンになってどうするかなんて考えた事ありますか?なったんですよね?」
「えっ」

突然チェレンに核心的な話を振られて普通にびびった。アデクに問われた事をそのまま私に投げつけてきて、完全に回答を求められている感に怖気づかないわけがない。
強くなって満足するのか、チャンピオンになってどうするのか。もうそのまんま。さっき言われた事そのまま聞いてきてやがるじゃねーか。お前ちょっとは自分で考えろよ、私の意見なんか参考になるわけないだろ。クソニートにも縋る思いなのか、チェレンの眼差しは案外真剣で、良心を揺さぶられた私はごまかしに走るつもりだった気持ちを見事に軌道修正されてしまい、言葉に詰まる。
何だ、マジのやつなのか?真剣な人生相談?おふざけの許されない魚雷ガールのような世界に圧倒されないはずもなく、私は眉を下げた。

そもそもチャンピオンになったって言っても一瞬の事だから、その問いには答えられないですね…チャンピオンに勝った結果一瞬だけチャンピオンになったけど、チャンピオンに就任する事なくそのまま帰ったんで、職には就いてない。だからチャンピオンになってからどうするかなんて考えた事あるわけないよ。どうやって辞退しようかな…という事くらいか。何も参考にならんしチャンピオンはゲシュタルト崩壊するし、ろくな事ねぇな。
まぁ強いて言うならニートだな。ニートになろうと思ってた。進行形で思っている。もちろんそんな真実を伝えるわけにはいかないので、泥水で五十倍に濁した表現を投げるしかなかった。

「私…別にチャンピオンになりたかったわけじゃないから…」
「それならどうしてリーグに挑戦を?それも四回も」

何で回数まで把握してんだよこいつ。私のファンか。ありがとな。
デリケートゾーンに足を踏み入れられ、正直私はたじたじだった。まさかこんなに深く追及されるとは予想外だったため、チェレンの地雷ワードであるニートの三文字を口にしないよう細心の注意を払い、原付を押す手に力を入れる。
そんなにか?そんなに食いつく?どう考えても私と君の理想の形って違いすぎると思うんだけど。君の求めている先に私の姿はないよ。私はコース外れてそのまま帰るんだから。鈴鹿サーキットにおさまる器じゃない。
YOUはどうしてリーグに?なんて聞かれたって、そんなの崇高な夢、つまりニートになるために決まってる。ポケモンリーグで記録作業を行なうためだ、それ以外の理由はない。こんな不純な動機をこのポケモンバトル神聖主義者に言えるわけないだろ。刺されるわ。
別にリーグを踏み台にするのは構わないと個人的には思うけど…何もチャンピオンが至高なわけじゃないしな、その辺は君よりアデク寄りの思考である。でも私はニートだから。その先にあるのは堕落と惰性と怠惰にまみれた無職。自宅警備員とは名ばかりの、害虫一匹退治しない能無しの穀潰し…そんな落ちぶれた生活のためです、なんて馬鹿正直に言えるはずもないので、何とか無職の部分をごまかし、私にとってのチャンピオン観を簡素に相手へ伝える。観、なんて付けるほどでもないけどな。一言で言うならね、経由駅。怒られる。

「私の目的はチャンピオンじゃなくて、なんというかその…ポケモンリーグは通過点だっったわけよ。その先に進みたいから挑んだという感じ」
「じゃあ…レイコさんはチャンピオンになりたいと思った事は?一番強くなりたいって思わない?」

応答するたびに熱く問われるので、いよいよ私のフラストレーションも限界まで溜まったと思う。
いやだから言ったでしょ今。チャンピオンになりたかったわけじゃないって。ないよ。そりゃすごい名誉な事だと思うけど、何を大切と思うかは人それぞれじゃないですか。私がなりたいのはニート。一日家から出ない日もあるニート。明け方まで起きていて昼過ぎまで寝ているニート。ニコニコ動画の窓を開きっ放しにしているニートだよ。それが一番大事なんだって!
チェレンから視線をそらし、大空を舞うポケモンの影を見つめながら、私は息をついた。

まぁ…ニートを隠している私の気持ちを悟れなんて無理な事だとわかってるけど。でもトレーナー誰もが同じところを目指しているわけじゃないんだよ。ニートになりたい、その一心で半狂乱になって旅をしながら図鑑を集めていたわけ。いろんなポケモンと戦って、それこそ四天王だかチャンピオンだかのポケモンを記録するためにポケモンリーグなんて辺鄙なところまで行って、その副産物としてついてきたのが最強のレッテルだから。気付いたらなってた。一番強いトレーナーになっていたんだな。

私はニート以外のものに価値を見出せない、ニート以上のものはいらないクソニートなのだ。もはや一番強くなりたいとかそういう次元じゃない。君とは求めているものが違う。君は持っていないからそう思うのであって、私がすでに手にしているものを、私は羨ましいとは思わない。

「…だって私一番強いし」

たまらず呟いたら、チェレンはとうとう黙り込んだ。言ったあとで、今のは天狗にも程がある発言だったと、デリカシーゼロで有名な私もさすがに後悔する。あからさますぎる気まずい沈黙に、いつまで耐えられるかわからなくて、私は何度も息を吸った。空気がまずい。体感的な意味で。
しかし本音だ。紛れもなく。強くなるまでもなく私は強かった。大体元から強かった。旅に出る前から強かったし、そもそも捕獲した時からすでにカビゴンが強かった。結局僕が一番強くてすごいんだよね…このセリフ私にくれ。

「じゃあ僕は…いつかレイコさんを倒さなきゃいけない」

重い空気の末、最終的にチェレンの出した結論は、宣戦布告であった。斜め上の返事に、私はガラスの仮面顔で静かに白目を剥くしかなかった。
マジ。そうなの。私を倒したいと、その心が震えているのねエネゴリ君!茶化す事もできずに押し黙り、ひたすらに足を進める。

そうだな、一番強くなるという事は、現時点で一番強い私を倒さなくてはならないという事だもんな。何だかさらに心苦しくて息が詰まる。いつか、とチェレンは指したけど、多分そのいつかは来ないし、もし仮に来たとしてもそれで君が満足できるとは思えない。私を倒したところでその先には何もないよ。その先にあるのはね、最強という名を失った憐れなクソニートの姿です。やめてくれ。
最強をキープし続けるっていうのもなかなかつらいもんだぞ…と天狗目線で思いつつ、強くなったその先に何かが見えるといいよね、という気持ちも湧いてきたので、イッシュを旅する間くらいはチェレンの動向を見守ってやろうと、親心的な心境でそう思った。私以上に強くならなければいいんで。私には及ばない程度なら全然強くなってくれていいから。頑張ってください。強くなる事で見えてくるものもあるでしょう。私にはまだ見えないな、ニートというゴールテープ。何ならBW2とかXYとかいう新たなスタートダッシュさえ見える感じするから、幻と化してくれる事を祈ってるわ。

橋がおりた事で、駅伝なみに走ってホドモエへ向かう人々の足音が響く中、チェレンの呟きは掻き消される事なく私の耳に入っていった。

「…僕はトレーナーだ。強くなって勝利する事で、僕の正しさを証明する」

彼の言葉はしっかり聞いたが、私はそれに応えず、マラソンする人達にガッツポーズを送る。あと数メートル頑張ってください。

チェレンの台詞には、今まで避けて通ってきた、トレーナーとは何なのか、というものを考えさせられる気がして、とても及第点とは言えない自分に情けなくなり、ポケモンが強いだけで最強トレーナーを名乗れるなら安いもんだよな、と苦笑した。私のポケモンは世界で一番強いけど、でもきっと私自身は、一番強いトレーナーではないのだろう。

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