チェレンが風呂から上がるのも待たず、私は早々にベッドに潜り込んだ。大人だから床で寝る、なんて配慮ができる余裕は、とっくに失っていた。
なめないでいただけるか、加齢という必然を。そりゃ私もチェレンくらいの頃は野山を駆け巡り、徹夜くらいなんてことはなかったですよ。夜通しニコ生を聞きながらゲームに明け暮れる、そんな毎日だった。でもさすがに卵背負って長い橋を渡るのはもう無理だから…度重なる戦闘、二回もの観覧車、心身ともに疲れ切ったあとでトドメの橋ね。体いてぇ。添い寝でも構わないから寝かせてほしい、この柔らかなベッドで!

疲れているから寝落ちまで秒読みだろうと思ったが、これが何故かなかなか寝付けなくて、私は必要以上に布団の上で寝返りを打つ。疲れすぎると寝る体力すら失うというが、すでにその境地まで来てしまったというのだろうか。ぶっちゃけ原付移動だから体は微塵も疲れてないという事に気付いてはならない。
仕方ないので目を閉じて羊を数えていると、不意に扉が開く音がした。どうやらチェレンが風呂から上がったらしい。思ったより早いな、と目を開けかけたが、もはやベッドを譲りたくないという気持ちが強すぎたため、私はチェレンの出方をうかがう事にした。
どうする?寝ている美女を前にして…正気でいられるかな?CERO:Aで青少年の心を試すのはやめろ喪女。

「レイコさん、寝たんですか?」

寝たふりを決め込み、様子を見ていると、チェレンがこちらに近づいてくる気配がした。私は固く目を閉じ、もしや本当に野獣になっちまうのか…?とCEROレイティングの曖昧さに震え上がる。こんなん絶対Aじゃないでしょってやつ結構あるもんな、おじさんの金の玉とか。清らかな青少年たちになに渡してくれてんの?ぼくポケモン!の次にトラウマなんですけど。
狸寝入りをしてでもベッドを勝ち取りたい、そんなおとなげない気持ちから私はチェレンの問いかけを無視し、規則正しい呼吸を心がけた。しかし寝たふりを意識すると逆に不自然になってしまい、寝息が三々七拍子になるなどしたが、チェレンは特に気にせず語りかけてくる。独り言なのかもしれないけど。

「…レイコさん、僕はやっぱりわからない。トレーナーにとって強い以上に大切な事があるのかなんて」

あれだけ寝たふりに全力投球していたのに、真面目な声色を聞いたら思わず瞼を開いてしまった。私がこうやっておとなげなくベッドを占拠している間、彼は真面目にトレーナーの在り方について考えていたのかと思うと、己の情けなさに目頭が熱くなる。
マジかよチェレン…アデクに言われた事をそこまで真摯に受け止めていたとは…すまん。ベッドで寝ていいよ。真剣に生きているチェレン、人生が底辺の私、どっちが人間の寝具を使うに相応しいか…そんなこと聞かずともわかるからな…。私は床。いやもう土だ。土で寝ろニートは。偉そうにベッド使ってんじゃねぇよ。
思わず涙が零れそうで目を覆ったが、チェレンは気付いていないらしく、言葉を続ける。

「でも、レイコさんにはあるんですね」

その一言がとどめであった。私はとてつもなく気まずくなって、思わず体を起こしてしまった。チェレンは驚いたように一歩引いたが、私は特に突っ込まない。もはや何から謝罪したらいいかって感じである。

「お、起きてたんですか…人が悪い…」

的確ともいえる暴言を吐かれ、私はちょっと眉をひそめる。どうせ人が悪いですよ。君が思っているような善良ボランティアトレーナーじゃないから私は。子供パトロールとかもしないから。町内の清掃活動にも参加しない。自分勝手なクソニートなんだよ。クソニートなんだけど、寝たふりで人が悪いなんて言われてるようじゃ、ニートとバレたらどんな罵声を浴びせられるかわかりゃしない…私にはそれが…怖い…!じゃ働けや。
頭を掻き、少し考えたあとチェレンに手招きをして、こちらへ来るよう促した。一瞬戸惑いに目を泳がせたチェレンだったが、空気にほだされたのかゆっくりとベッドに上がってくる。こいつ意外と安いな。さっきまでの頑固さはどこ行っちゃったの?旅の疲れと共にシャワーで流れ落ちたの?

「…確かに私には…この世の何よりも大事なことがある。そのために今頑張ってるよ」

偉そうに言うのも気が引けたが、それはもう心底引けまくったが、悩んでいる少年のために私は意を決して口を開いた。もちろん大事なこと=ニートなのは伏せて。それバレたら君の番号ライブキャスターから消すから。メンタル弱。

「でも…その大事なものを得たからって何がしたいってわけでもないから…」

ニートにとってニートであること以外に何かあるのかなんて、そんなこと聞かれたってわかりはしないし、実際何もねぇよ。ニートになりたい。なってどうするわけでもない。ただニートになればきっと私は心の底から満たされる。もうどこへも行かなくていい、断崖絶壁も永久氷壁も海の底も山の奥にも行かなくていい!家でだらだら昼に起きて明け方に寝る生活!なんて素晴らしいのか!それが永久的に得られた瞬間、私は人生のピークを迎えるであろう。それこそ、生きてる実感も得られたりして。

「君と同じなんだよ」

遠い目をしながら、私はチェレンにさらなる目標がなくとも劣等感を覚える必要はない、これから探していけばいい…的なアドバイスを偉そうに告げた。私も同じだからさ…みたいなノリで言ったけど、実際全然違うからな。ニートとトレーナー、天と地の差。どの口がほざける?って感じ。すまん。でも慰めたかった…ベッドを勝ち取るためにも…。
人間性の低さをとことん披露する私の姿を、チェレンは純粋な眼差しで見つめていた。その瞳は、レイコさんのようにすごい人でもわからない事があるんだ…それが人生なのかな…とでも言いたげで、あまりの無垢さに耐え難かった私は、汚れた自分をチェレンの目に映したくなく、眼鏡をそっと外す。見ないでくれ!と両手で握り、薄目で相手を見れば、私はかなり印象が変わったチェレンの顔に思わず二度見をする事となる。

あれ、これはちょっと…なかなか…なかなかじゃないですか?
失礼を承知でまじまじと見つめ、私は感心の声を上げた。
ダイヤの原石かな?お前眼鏡ない方が可愛いぞ。よくアメリカ映画で、地味な眼鏡っ子がプロムで眼鏡を外したら美女に大変身的なやつあるけど、まさにそれだわ。
なんで近眼なんですか?と理不尽な問いかけをしそうになるほど、眼鏡オンオフでのギャップが大きかった。いやこれ絶対外した方がいいよ。まぁ眼鏡もいかにも優等生感あって悪くなかったが、君はちょっと垢抜けたくらいがいいと思うな私は。頭も固いし真面目ちゃんだし、多少砕けた部分があった方が世界も広がるっていうか?砕けすぎな私に言われても不本意だろうけどよ。慎め。
じろじろと顔を見つめていれば、チェレンは眼鏡を取り戻そうと私の手に触れた。

「…レイコさん」

少し距離が近くなり、私は厚いレンズに視線を落とす。
もしかしてこれないとほとんど見えないんだろうか。ド近眼?ムースなみの?

「ごめん、返すよ」

ムースレベルの近眼なら返さないと事故になるからな。らんま世代の私は即座に返却しようと差し出したけれど、何故かそっと手を押し戻される。何でやねん。いらんのかい。私もいらんけど。
大事な萌えアイテムをどうして…と疑問視していると、どうしてかチェレンの頬は少し赤く染まっているように見えた。そういえば風呂上がりだったっけ。のぼせたのか?心配して私は顔を覗き込む。

「チェレン?」
「…僕以外にはこういう事しないでほしいです」
「え?」
「僕の…話を聞いてくれたり…同じ部屋に泊まったり…一緒にベッドに入ったり…眼鏡を取ったり…」

しねぇよ。そりゃあお前以外にはしないだろ。そうそう眼鏡っ子とポケモンセンターに泊まる事ないだろうしな。これはかなり局地的な状況だと思いますけど、イッシュではわりと有り得るんですかね?どう考えてもない。私はそんな変な土地に来た覚えはない。
突然何を言ってんだと思いながら頷いて、私は今度こそ眼鏡を返した。まずポケモンセンターが満室って事がありえないよな。やっぱ変な土地だったわイッシュ…ジムの仕組みも危険性が高いし、ポケモンセンターももっと部屋を増設した方がいい、都会なんだから。田舎とは違うってこと見せつけてよ!私まだイッシュのいいところライモンのゲーセンとスタジアムと遊園地とヒウンのアイスと新海誠の背景みたいなビル街しか見つけられてないよ。結構あるじゃねぇか。
苦笑気味に答えれば、チェレンは微妙に満足したような声を出す。

「…しないと思うな、おそらく」
「それなら…いいんですけど」

どうもチェレンに好かれているのか嫌われているのかよくわからなくなってきた。私は首を傾げながらも、もはやそんな事を考えていられる余裕もなく、布団の中へ舞い戻る。
もう無理。寝たい。何というか横になりたい。重力に逆らうのつらいよ…こんなBBA尊敬する方がおかしいだろ。歩く恥だよ。
あれだけ渋っていたチェレンも、BBAの挙動を見ていたらどうでもよくなったのか、反対側を向いてベッドを半分占拠していく。さっきあんなに騒いどいて何の断りもなく寝るんだな、なんておとなげない事は言わない。仲良くしようぜ。いつか私がニートとバレた時も笑顔で許してくれるくらい仲良く…な。動機が不純。
彼なりのデレだとしたらまんざらでもなかったので、私は部屋の明かりを消した。真っ暗になったところに、月の光が差し込んでくる。満月って結構明るいんだな…まるでイッシュの町みたい。今の超ロマンチックじゃなかった?全国の詩人が嫉妬したわ。

「…チェレン、コンタクトにした方がいいよ」

捨て台詞のように呟き、私は布団を被った。普段は冗談ばかり言っている私だが、今のは真面目に本音であった。
メガネない方がイケメンだね。コンタクトにして評判がよかった暁には、私こう言うよ。最初にメガネ取った方が良いと気付いたのは私だと。このアイドル売れると思ってたわ〜って古参ぶるオタクのように。うぜぇ。

「…考えておきます」

素直に聞き入れたチェレンに満足し、私は目を閉じた。何だか今度はすぐに眠れそうだ。

「おやすみ」

翌朝、ジョーイさんが間違って入ってきたりなんかしてくれぐれも110番通報とかされませんように。そんな事を切実に祈って、私は意識を手放した。

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