Nとカイリューが井戸端会議をしている間、私は寝袋を敷き、就寝の準備を始めていた。しばらくは待っていたのだが、どうも話が終わらないので、今日はもうここで寝る事にしたのだ。
幸いにも広く平たく、星もよく見える。一体どこに連れて行かれるのかと冷や冷やしてたけど、結構いい仕事したんじゃないかNの奴は…。ベストプレイスを知っている点だけは評価し、リュックから卵を出して枕元に置いた。

すっかり空気と化してたけど…アデクにもらった卵、これ、大丈夫なのか?
普通に冷凍コンテナの中にも持ち込んでしまった事を思い出し、寒暖差の激しい環境に置かれた憐れな卵を、眉を下げて見つめる。
まぁポケモンの卵って死ぬほど丈夫だから問題ないとは思うが…胎教的な意味では最悪の展開を迎えていると思うので、いろいろ心配である。物言わぬ卵に耳を当てれば、時々音が聞こえてきた。どうやら生きてはいるらしい。ホッとしながら寝袋に入り、ホッとできない一人と一匹を見つめ、私は溜息を零す。

まだ話してんのかあいつら。主婦かよ。
私もう眠いんだけど、と苛立ち、しかしカイリューの楽しげな顔を見ていたら、段々と不安になってくる。まるで綾小路きみまろの漫談を聞くご婦人みたいな喜び方には、複雑な気持ちを抱かずにいられない。
死ぬほど楽しそうだな…あいつ…。Nの野郎もポケモン相手にはコミュ力が高いみたいで、二人とも生き生きと輝いていた。解放だなんだって馬鹿らしいと思ってたけど、あんな姿を見たら、Nの言う事もまんざら間違いではないように思えて、胸が痛む。
いろんなポケモンと話して、その結果として出した結論が解放なのだ。一体何があったのか考えると、冷や汗しか出てこない。それでもやはり、人とポケモンの繋がりを信じてみたい私は、少し体を起こして声を上げた。

「カイリュー!」

呼びかけると、すぐに振り返る。寝るよ、と告げたら素直に帰ってきたので、私は安堵に満ち溢れた。よかった戻ってきて…とか考えている時点で、私は優良トレーナーではないと痛感してしまう。だってポケモンはトレーナーの言う事を聞いて当たり前だからだ。バッジも四十個くらい持ってる事だしな。邪魔。

「お前も早く帰れよ」

話し相手を失ったNにそう投げかけ、今日は通報しないでやるよと追い払う仕草をする。カイリューも楽しそうだったからな…それに免じて許してやらんこともない。
私は森へ、あなたはタタラ場へお帰り…という雰囲気を出したのだけれど、空気が読めない事で有名なNは私に近付き、普通に傍に腰かけてきたので、シンプルに不快感を覚えてしまう。何故そうなるのか単純に疑問だった。

お前…見てわからんか?私、寝るんですよ。ここで。今。明日電気石の何とかってところに行くために英気を養わなきゃならないわけ。そういえばデンチュラの巣があって通れない的な事を言っていたが…そんなの焼き払えば済むから問題ないね。どっちが悪人かわからない事を考えていたら、寝る気しかない私にNは容赦なく話しかけてきたため、奇跡のKYにいっそ感激してしまった。お前はすごい奴だよ、N。認めてやるから帰ってくれ。

「レイコ、キミ…」
「なに」
「チェレンと寝たのかい」

瞬間、私は何も口にしていないのに吹き出した。慌てて起き上がり、言い方!とNのデリカシーのなさを指摘する。

「寝てねーよ!いや寝たけど雑魚寝的な意味!」

やめてふしだらな言い方をするのは!ただでさえジョーイさんに不審な目で見られて傷付いてるんだからね!
一体何の話をしてるんだと頭を抱え、素知らぬ顔でボールに戻ったカイリューを睨みつけた。
こんな形で…Nのポケモンと喋れる設定がガチだという事を知りたくはなかった…!非情な現実を嘆き、本当に違うから、と無意味に言い訳を重ねてしまう。
なんで私はNに弁解をしてるんだ…そして何故そんな事を聞くんだ!どこまで話してんだよ!
有り得ない。思わぬ伏兵の存在に怯え、もはや誰が敵か味方かもわからず、疑心暗鬼に陥っていく。
マジで勘弁してくれよ〜こんなのチートじゃん…。べらべらと個人情報を喋りやがったカイリューへの怒りをどこにぶつけたらいいかわからず、やはり飯抜きだなと結論付ける。こうなった以上、他の連中にも釘を刺しておかなくてはならない。例えNが巧みな話術で情報を抜き取ろうとしても、決して喋ってはならないと…。私は何と戦っているんだ?
精神的疲労で参りまくった私のことなどお構いなしに、Nは矢継ぎ早に話しかけてくる。お前カイリューと散々喋ったのにまだ喋るか?と問いたい私だったが、あまりのショックに感情を失ったので、もはや自暴自棄であった。好きにしてくれ。殺すなら殺せよ。

「カイリューによると…チェレンはキミの事が好きらしい」

左様か。それは結構な事じゃないか。
へー…と半笑いで相槌を打ち、私は女子会をしてたのか?と一瞬錯覚する。一体何の話なんだよと溜息をつき、しかしカイリューがそう言った、と告げられると無下にもできず、手持ちからのささやかな情報に思いを馳せた。提供ありがとな。

まぁ嫌われてはないと思ってたんで、好感度が高いのはいい事ですよ。私もチェレンは普通に好きだし、歴代クソガキの中では断トツにマシだと思ってるんで。断トツに恐ろしくもあるけど。ニートとバレた時の反動を考えたら恐怖で震えたが、バレなければいいだけの話である。私は強気に構える事に決めた。チェレン自身も何かを模索しているようだし、案外旅が終わる頃には、ニートでも尊敬してますよ、なんて言ってくれるかもしれない。夢見がちな私の思考を遮るよう、Nは視線を合わせる。
暗くて帽子の奥はよく見えないが、今までにない表情をしている気がした。彼もまた私をストーカーする事で何かを得ているのだろうか。それはそれで複雑だけども。私に絡まず徘徊しろよ。

「みんなキミの事を好きなのか…」

それは、驚きと納得の入り混じった声色だった。自分に言い聞かせているかのような呟きに、不思議と私も腹は立たず、そうか…とコミュ障全開の相槌を打つ。産道通るあたりから人生やり直した方がいいんじゃないか。
みんなには好かれてないと思うけど、と苦笑まじりにマジレスして、私は空を見上げた。
なんつーか…自分で言うのも何だが…結構…性格いいもんな。ポケモン勝負も強い、カメラも得意、研究に貢献もしてる、NHKが四年かけて慎重に追い続けたスイクンを、私はものの数ヶ月で長時間撮影に成功するという偉業も成し遂げた、そりゃプラネットアースで放送もされますよ。
でも本当の私を知ったら、みんな失望するんだろうな、と思っているのも事実だった。ニートだけじゃなくて、トレーナーとしてのあれこれとか、人格とか、どう考えても立派ではないので、イッシュに来てから劣等感が増している。

「…単に強いからでしょ」

ポケモンがね、と自嘲して言うと、Nは遠くを見ながら、何故か否定的な物言いをした。私の事をよく知りもしないくせに、何でそういう風に思うんだろうと不思議でたまらなかった。いやカイリューに聞いたから知ってんのか。死にて〜。

「本当にそれだけだろうか」

空を見て考えるNは、しばらくして私に視線を移すと、じっと凝視してくる。見定めているかのような眼差しは痛く、しかし目をそらせない。

「少なくともキミのポケモン達は…」

そこまで言ったところで、枕元の卵が揺れた。転げそうになったそれを押さえようとしたら、その前にNが拾い上げたので、おい、と軽く牽制しておく。
人のもん勝手に触るんじゃないよ。そういうとこだぞお前。なんかちょっと雰囲気に流されてしまったが、よく考えるまでもなくこいつは敵なので、返せやと卵を奪い返そうとする。
しかし、Nが目を閉じてそっと卵に耳を寄せたので、振り上げた拳を私は下ろした。まるでジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィの聖母子像を彷彿とさせる姿に、全ての敵意が鎮火したのだ。神々しさすら覚えるNと卵の母性に満ちた佇まい…気付けば私はシャッターを切り、このとき初めて真の芸術というものを理解するのであった…。茶番乙。
しょうもない写真を撮っている憐れな私へ、Nは思わぬ言葉を投げかける。

「…少しだけど声が聞こえる。もうすぐ生まれるだろう」
「え、そうなの?」

まさかの展開に私は狼狽えた。慌てて卵に耳を寄せ、しかしポケモンと喋れない私は、ただの雑音しか聞こえるはずもなく、すぐさま真顔を作る。
何もわからん。謎の音しかしねぇわ。ていうか卵って喋るのか?この段階から自我があるとしたらニートの手持ちになりたくないあまり生まれてこなくなるかもしれないだろ。やめろやめろ。
歩数はとっくに超過しているはずなのにどうして…?という展開になる事を恐れながら、私はNに卵を返却してもらう。コンテナで冷却されたにも関わらず元気な卵に微笑みかけたあと、Nを見れば、彼は私を不思議そうに見つめていて、他意はないが顔を歪めてしまった。別にガンつけたわけじゃなくて…自然と顔面が不快感を表現してしまった、それだけの事だ。お前も大概失礼な女だぞクソニート。

「…もしかしたら」

まだ喋るんかいと溜息をつくと、Nは私を秒でびびらせる事となる。

「僕がキミに興味を持っているのは、キミに惹かれているからだろうか…」

疑問形で呟かれ、私は思わず寝袋ごと距離を取った。すっ…とNから離れ、無言でドン引きを露わにする。今世紀最大の知らんがな案件には、本当に知らんがな以外の言葉がなかった。
いや知らんがな。勝手に惹かれないでくれるか?こっちはお前に引いてんだよ。何なら初対面からめちゃくちゃ引いてんだわ、FGOのガチャくらいな。出ねぇよ以蔵。
真逆の感情を抱く我々がわかり合えるはずもなく、あっそう…と私は軽くあしらう事しかできない。
自分で言うのも何だが…私のどこに惹かれる要素あった?こんなクソニート喪女に魅力を感じる奴いんの?自堕落に生きる事しか考えてないゴミカスだぜ?言いながら自分で悲しくなり、そっと目を覆う。私にも問題はあるが、Nも大きな問題を多々抱えているに違いないので、同情の視線を一心に送っておいた。

きっとNも…孤独な生涯を送ってきたのでしょう。幼い頃より精神病棟に入れられ、まともに人間と触れ合う事なく生きてきた…やがて大人になり、病院を抜け出して街で初めて美しい女性を見かける…それが私だった…最初に見たものを親と思う雛鳥のように、初めて見た美女を慕うようになった彼はストーカーと成り果て、現在に至る…と。普通にホラー。シンプルに怖いです。目に焼き付けるものくらい選べよとガチのアドバイスを投げれば、Nもその場に寝転び、満天の星空を眺めはじめる。

「キミと観覧車に乗った時…一人で乗った時よりずっと…満たされるものがあった」

語り始めたところ悪いが、私はしんみり聞いてもいられないので、唸りながら疑問をぶつけざるを得ない。カスミのコダックのように両手で頭を押さえ、このストレスをどう解消したらいいのかわからずに、ただ俯いた。

お前は…!何故、隣で、寝る…!
さも当然のように横たわったNに、私は白目を剥いて衝撃を露わにした。どう足掻いても眠らせてはくれない相手に、もう帰れよ!と怒鳴りつけたくなる。

ええ…?何なの?本当に何?私がおかしいのか?勝手にシリアス感を醸し出すNとの温度差で、間に挟まれた卵が困惑していそうだ。微塵も理解できない状況に、心は悲鳴を上げている。誰か助けて。そう叫んでいる。
頼むよ。もう私も何を頼んでいるかわからないが頼む…頼むから帰ってくれないか。土下座して願う事さえいとわないところまで来てるよ。加えてトラウマ観覧車の回想までされてしまっては、精神が崩壊してもおかしくはなかった。私をカミーユ・ビダンにさせないでくれ。

「ただ隣に座って、手を握っただけなのに」

そうか…とひたすらに相槌を打ちながら、私は寝袋の中で眉をひそめる。わかった。もうわかったよ。お前の孤独はよくわかった。いろいろ大変だと思う。そしてその言い方だと初々しいカップルの観覧車デートみたいだから本当にやめてほしい。あれは事案なので。ラジオ塔脱衣事件と並び立つ凶悪案件を美化して語られてしまい、私は認知の歪みというものを痛感した。
ポケモンの事はよくわかってる風なのに、人間の事はさっぱりなんだな…マジで何者なんだろうこいつ…どうかしてる事は間違いないが、どうかするには理由があるので、もしお触り禁止案件だったら二度と関わり合いたくないと心から願う。
そんでいつまでいるんだよ!と痺れを切らしてNと見れば、彼は反対方向を向き、健やかな寝息を立てていた。は?と思い切り首を傾げ、複雑に絡み合った感情を表現できず、私はフリーズした。

「寝てやがる!」

嘘だろ承太郎!どういう神経!?常人の発想を常に越えていくNに衝撃が止まらなくて、思わず私は顔を覗き込んだ。
マジで寝てんのか!?ここで!?今!?言いたい事だけ言って!?信じられない。私の相槌が下手くそすぎて退屈なあまり寝落ちたのだとしたら責任を感じなくもないが、いや感じねぇよ!どう考えてもお前がおかしいだろ!

私は限界まで息を吸ったあと、深く長い溜息をつき、地面を叩く。
ありえねぇ…何なんだこいつは…帽子被ったまま寝てるし…イケメンに寝癖がつくだろうが…キービジュの容姿くらいちゃんとキープしとけよ…。
何となく気になったので帽子を取り、ついでに予備の毛布をかけてやった私は、眩しい夜空を見上げていると、もはや全てがどうでもよくなってきた。今日は記録も頑張ったし、肉体疲労に加えて畳みかけるような精神疲労、もう全部が限界だったに違いない。抱き枕代わりに卵を抱え、私も寝袋の中で丸くなった。隣の電波を無視して眠ろうと思うくらいには、正常な判断能力を失っていたのだ。自分を憐れに思い、静かに目を閉じる。

もう…いいや、どうでも。人畜無害な寝顔を見てしまっては追い返す事もできず、我ながら人の良さ、そして愚かさに辟易した。こいつも何をやってるかわからないが、私も自分が何をやってるかわからねぇよ。でももうどうでもいいんだよ。寝て忘れよう。護身用にモンスターボールをしのばせながらな。一応の自衛を行なう私だったが、カイリューの楽しげな様子を思い出して、これはきっと必要ないんだろうと再三血迷った事を思う。

何者なんだろう、N。ポケモンと話せる電波青年。知りたいと少なからず思っている自分を消すように、私は羊を数えて眠りに落ちた。背中に感じる他人の気配を、わずかに心地良いと感じながら。

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