09.フキヨセシティ

セルフのガソリンスタンドで給油している女がいるとする。話しかける勇気はあるだろうか。

「おお!お前さん、レイコだろ!」

あるんだなイッシュ人には。こんなに忙しそうだってのによ。

電気石の洞穴を脱出した私は、出口の外がすぐフキヨセシティだった事もあり、早々にガソリンスタンドに立ち寄っていた。ボロの原チャが道路で立ち往生という悲惨な状態になるわけにはいかないから、静電気除去シートに触れ、ついでに洞穴で浴びまくった電気も除去していただいているところで、知らないおっさんに話しかけられたのである。

「そうですけど…」

引き気味に答えながら、いきなり絡んできた親父を見つめた。
誰だこのジジイ。全然知らんけど。
記憶力の乏しい私は、一瞬知り合いかと思い焦ったのだけれど、口振りからして向こうも私をよく知らない様子だ。顎に髭をたくわえ、年齢は五十代から六十代…声は堀内賢雄に似ている気もするが、そんな素敵ボイスの男性はやはり存じ上げないので、初対面だと思う。では何故人の名前を知っているのか。まさかファン?とおめでたい事を考えるこちらをよそに、見知らぬ親父は私の持ち物に図鑑があることを発見すると、躊躇いなく手を伸ばす。

ええ?図々しさカンストしてない?

「ちょいとお前さんのポケモン図鑑を見せてもらうよ」

いや見せてもらうよじゃねーよ!なに勝手に触ってんだ!
やめろこのジジイ!といつもなら掴みかかっているところだが、いかんせん私は給油中である。どちらを優先すべきか咄嗟の判断ができず、右往左往してしまった。
マジで誰だよこいつ!私のハイテク図鑑はその辺のガキに持たせるやつとは性能も値段も全然違うんだからね!
新手の盗人か!?と警戒するも、おっさんはそこから動くことなく、真剣に図鑑を見つめていた。徐々にテンションが上がっていき、給油が終わる頃には嬉しそうに声を荒げたため、私のドン引き数値も満タンが近い。

「おお!ギアルを見つけておるのか!なかなかのトレーナーだねぇ!」

なかなかじゃねぇよ。凄まじいトレーナーだっつの!
無礼講にも程があるおっさんを訝しげに見つめ、私は給油キャップを締めながら困惑に眉をひそめる。ギアルというと最近どこかで聞いた気もするが、ギアルよりもシビシラスの方が探すの苦労したからなマジで。そっちもちゃんと評価しろよとキレている私にやっと気付いたのか、不審なおっさんは図鑑を返すと、笑いながら頭をかいた。

「おぉすまない、ちと興奮してな。私の名前もアララギ」
「えっ」

文脈がおかしい自己紹介をしたおっさんを、私は三度見した。そんな珍しい苗字の奴は化物語の主人公かさっきまで一緒だった人しか知らないので、まさか、と大きく口を開ける。

「そう!お前さんにポケモン図鑑を託したのは私の娘なんだ!」

お前かー!アララギパパ!
どう見ても普通のおっさんでしかない奴の素性を知り、私は驚きに一歩身を引く。
いやだって髭面のシャツインしたおっさんとかどう見ても普通のおっさんだろ!その辺にいくらでもいるわ!圧倒的に信用ならない風貌に、私は彼の自己申告をすぐには受け入れられない。
確か…父親も研究職だと言っていたが…本当にアララギ博士の親父なのか?
唯一博士と認識できる白衣さえ羽織っていないおっさんに、不信感は増していく。まぁ雰囲気は似てるっちゃ似てるけど…でもこの糸目のおっさんからあんな美人が生まれてくるものかね?お母様が一人で産んだのかな?
疑わしい目つきをしていれば、そんな私を特に気にする事なく疑惑のアララギパパは口を開いた。

「お前さんの事はあいつからいろいろ教えてもらっていてね。ボロの原付に乗ってるっていうからすぐにわかったよ」

失礼すぎだろこのクソ親子!はぁ!?誰が排気ガス放出マシンに乗ってるボロ女だ!そこまでは言ってねぇよ。
この絶妙なデリカシーのなさは間違いなく親子だな。こんな事で確信したくなかった私は心で泣き、そっすか、と無愛想に応え、給油口を閉じた。全くどいつもこいつも好き放題言いやがって…。この性格は土地柄なの?オブラートに包みがちなカントー人見習ってくれ。
疑惑のパパを本人認定した私は溜息をつき、それで一体何用なのかと領収証を受け取りながら首を傾げた。たまたま見かけて声をかけただけならそれまでだが…用があるなら早く済ませてほしいものである。何故なら疲れているので。理由は前前前前前前前前話くらいから見ていただいたら一目瞭然でしょう。悲しい…事件だったね。

「ここで会えたのは何とも嬉しい限りだよ!では出会いを記念してお前さんのポケモン図鑑をパワーアップ!だね」
「え…パワー…アップですって?」

どうせ大した用もないんでしょ、とせせら笑っていた私は、その言葉を聞いて考えを改めた。ポンコツジジイが有能ジェントルに変わる瞬間であった。
え?パワーアップって何。動体検知センサーとかつけてくれんのか?
言われるがまま図鑑を差し出すと、アララギパパは小さな機械を取り付けていたので、どうやらマジに改良してくれるらしい。
図鑑とはいえ、私のはほぼカメラに図鑑機能が搭載されていると言っても過言ではないくらい、撮影が重視された特注品である。カメラはカメラで別に持っているが、最悪これだけでも何とかなるくらいには、様々な技術が施されていた。こんなもん作ってないでアップル社で働けや。

「…アララギ博士、そちらのトレーナーさんは?」

スーパースロー機能などがささっと取り付けられてしまった恐ろしいテクノロジーに震えていると、我々の間に割って入ってくる者が現れた。
なんだ連れがいたのか、と顔を上げ、私はやってきた人物に視線を向ける。
するとそこにいたのは、堂々のへそ出しルックをした赤髪の若いチャンネーで、しかも美人で巨乳という、このおっさんとはとても結びつかない人だった事から、私は悲鳴を上げかけた。

おい!パパってやっぱそっちのパパじゃね!?活の方のパパだろ!不潔だわ!
やはり油断ならないと奪うように図鑑を受け取り、汚れたイッシュの地を勝手に軽蔑する。不審者は多いし援助交際は蔓延ってるし全く恐ろしい土地だぜ…カントーの方がよっぽど平和だよ。
ジャパニーズマフィアとやり合った事など記憶の彼方である私は、二人のやり取りを引き気味に観察した。

「おお!すまんすまん。フウロくん、こちらはレイコくんと言って、私の娘の知り合いだよ!ポケモン図鑑完成を目指しイッシュを旅しているのだ」

フウロ、と呼ばれたパパ活女は、その純情そうな見た目とは裏腹に、汚れた生活を送っているのかもしれない。そして私のプロフィールを勝手に漏らすアララギパパには個人情報保護法について学んでほしい限りだな。なに援助してる姉ちゃんに私の名前どころか旅の目的までべらべら喋ってくれてんだ?訴訟起こしたら勝てるぞ絶対。
大体パンピーの姉ちゃんにポケモン図鑑だなんだって言ったって興味あるわけないでしょ。まぁパンピーにしては服のデザインがモブらしくないというか、飛行服っぽいというか…街の西側に見えてるジェット機と通ずるものがあるというか…。なんだかフラグめいたものを感じてしまった私は、その予感が当たってしまった事を、すぐに知るはめになる。
フウロは私の素性を聞くと、何故か嬉しそうに駆け寄り、親父を食い物にしているわりには輝いた目で言葉を発した。

「そうなんだ!だったらジムに挑戦するでしょ?」
「え?まぁ…」
「わあ!とっても楽しみ!」

どうしてかジムの事を聞かれたので正直に答えると、フウロは飛び跳ねて喜んだ。小卒とはいえ、文脈から察せない私ではないので、まさか…?とパパ活女、いや地位と名誉のある素敵な女性を上から下までまじまじと見る。
この目立ちすぎる赤い髪、軍用飛行服みたいなデザインの服、そして穴久保版で名前を誤植されていた事から察するに…!

「そうだなレイコくん、是非挑戦するといいぞ!何しろここのジムはぶっ飛んでおるからな!」

ジムリーダーか!
私はやっと謎が解け、パパ活などと失礼極まりない事を考えた自分を恥じた。お前の脳内が一番ふしだらじゃねーか。
どうりでキャラデザが濃いはずだよ!と納得し、心の中で陳謝する。なんだよジムリーダーなら早く言ってくれよもう!大変申し訳ございませんでした。お二人の関係を誤解したばかりか、冴えないおっさんと頭ぶっ飛んでそうな露出女などと容姿ディスをしてしまった事、心からお詫びいたす。そこまで言ってねぇわ。

なるほどな、それなら二人が知り合いでも納得いくぜ。私は一人頷き、談笑する二人を遠巻きに眺める。
どの地方でもポケモン博士とジムリーダーってのは協力関係にあったし、有名人同士は繋がり合うものである。全年齢のゲームで任天堂の闇を見せられたかと思ったが…そこまで狂ってはいなかったみたいだ。よかった。
安心するレイコであったが、フキヨセジムが南斗人間砲弾的な意味でトチ狂っている事を、今はまだ知らない。

「ではなフウロくん、また何かあったら頼むぞ」

私がいろいろひどい妄想をしている間に、二人はいつの間にかお開きムードになっていた。どうやらアララギパパは図鑑をパワーアップしに来てくれただけのようで、普通にただのいい人だった事実を、私は胸に書き留める。
すまん、援交などと疑って本当にすまなかった…こんなにボランティア精神に満ちた人をいかがわしい目で見るなんて…反省。まぁいい人だろうと援交する奴はするんだけどな。人間誰しも二面性を持ち合わせているものよ。お前全然反省してないだろ。
すると、パパラギの別れの台詞に思うところがあったらしいフウロは、口を尖らせると、呆れたように言葉を放った。

「…博士、あたしの飛行機は貨物機です!」

どうやらガチでパイロットらしいな。何故イッシュのジムリーダーはみんな二足のわらじを履いているのだろうか。華やかな土地に見える一方で、過酷に働かなくてはならないほど困窮した人々もいるという事を示唆している可能性が微レ存…?趣味だろ単純に。二つも仕事する気が知れねぇよ。

「運ぶのは荷物で、人は乗せないんですよ。しかも行き先はカントーとかシンオウとか軽く言っちゃって!」
「おいおい、可愛い顔してそんな固い事を言うな。人間は助け合い、ポケモンとも助け合いだ!」

自由な社長と苦労する秘書、みたいなやり取りを見た私は、やはりポケモン博士は癖のある奴しかいない論をまたしてもしっかり更新し、心の中でフウロに合掌する。
なにジムリーダーをアッシーに使ってんだ。普通に飛行機乗れよ、クラスJで。そしてカントーに行く時は私も一緒に連れてってくれ。帰りたさがピークに達している私は、そそくさと去っていったアララギパパを見送り、初対面で一言しか交わしていないフウロとこの場に残され、普通に気まずい心境になる。
いや何してくれとんねんあのジジイ。残すなこのへそ出し女を。コミュ力が死んでいる私はガソリンスタンドの中心で無言を貫いてしまったが、しかしそんな事など微塵も気にせず話し出すのがNPCである。有能。

「…もッ!あんないい加減な感じなのに、世界的なポケモン博士っていまだに信じられない」

博士はみんなそうだぞ、という言葉を飲み込み、そうですね…と力のない森田一義アワーをしながら頷いた。
無知な私はオーキド博士くらいしか知らなかったのだが、話を聞くにアララギパパもなかなか有名な研究者らしい。いろいろ飛び回ってるなんて随分アクティブなんだな。アララギ博士も自ら洞窟に赴いてたし、親子揃って健康的で何よりだよ。それに引き換え私と父の引きこもりっぷりと言ったら…いや、我々のように日陰で生きている人間の力も世の中には必要なんだ、それでいいじゃないか。実際私の日陰ニート願望が強すぎるおかげでこうして研究が捗ってるわけだし。パパラギの言う通り、世の中助け合いですよ。
働かないために働くという意味のわからない行動をしている自分を疑問に思う間もなく、フウロは私を振り返った。

「さてと、レイコさん!」
「あ、はい」
「ジムに挑戦してくれたらジムリーダーとしてもすごく嬉しいんだけど、あたしその前にやるべき事があるの」

お忙しいフウロさんはそう言い、私も別に急がないので、どうぞどうぞとダチョウスタイルで手を差し出した。というか今すぐ来て!って言われる方が困るから願ってもねぇな。とにかく疲れてるからもう寝たいんですよ。新キャラが三人、いやダークなんとかを全部入れたら五人も出てきたんでね、疲労がハンパないって。ノンストップでそんなん普通できひんやん。出てくるんやったら言っといてや。疲労のあまり滝川第二の主将と化してしまう私に、フウロは話を続ける。

「さっき貨物船を操縦していたとき、タワーオブヘブンの天辺に何か見えたのね」
「タワーオブヘブン…?」

なんだそのやばそうな名前のタワーは。フウロの口から出た不穏な名前に、私は思わずタウンマップを広げる。
ヘブンって付いてる時点で絶対やべぇだろ。シオンタウンがチラついた私は、マップの説明文を読み、チラつきどころではなくなった事に失笑した。ポケモンの魂が眠る場所、という記載は、オブラートに包んであるけども、端的言うと、墓地である。
出た出た、墓地で遊ばせがちなゲーフリね。またかよ、と先祖も眠らない墓に足を運ばなくてはならない状況に、私は唸った。いやシオンやおくりび山みたいにポケモンが出ないなら行かなくていいだろうけども。

フウロの言った天辺というのは、鐘が設置してある頂上の事だろう。ポケモンの魂を鎮める目的で鐘を鳴らし、そして鳴らす人の心根が音色に反映すると言われている…という非科学的な一文がマップに添えてあった。除夜の鐘的なもんか…と想像力がなさすぎる頭で考えたが、そんな場所に何か見えたと言われ、のん気に構えていられる私じゃなかった。
おいおい、まさかシルフスコープを使わないと正体が見破れないとかいうあれじゃないだろうな。ロケット団に殺されたガラガラの怨念セカンドシーズン。嫌な予感に眉を下げていると、フウロは断言する。予想だにしない言葉を。

「きっと弱ったポケモンだと思うの!」

ポケモンかよ!脅かすな!紛らわしい言い方やめてくんない!?
完全に霊的なものかと思った私は、深く安堵の溜息をつき、もうタマムシのゲームコーナーの地下に行くのはごめんだと過去の記憶を呼び覚ます。
びっくりしたー。もうやめようよ墓地で遊ぶのはさぁ…。そりゃあ今こうして戦わせているポケモンも限りある尊い命である事をキッズに伝えるのは大切なことだと思うけども、じゃあそんな場所で野生ポケモンとエンカウントさせるのやめな?墓石ぶっ壊れるだろうが。
道徳的なのか不謹慎なのかわからないゲームフリークに戸惑う私は、貨物船からタワーの天辺のポケモンが見えるというマサイ族なみの視力を持ったフウロに若干怯え、引き続き耳を傾ける。

「だとしたら放っておけないでしょ?だから先に調べさせてね」
「大丈夫です。私の方はいつでもいいんで」
「ありがとう!よければあなたも来てね。タワーオブヘブンは七番道路にあるから」

地味にフラグを立てたフウロは、それだけ言うと街の外へと走り出した。歩きにくそうなごついブーツを履いていたが、ジュラシックワールドのブライス・ダラス・ハワードくらい軽快な走りである。彼女もまた東京五輪を目指しているのかもしれない。そんな種目はないよ。
すでに姿が見えなくなったフウロに、よければ来てくれと言われてしまった私は、その言葉をどこまで受け止めるべきか真剣に考え、頭を捻った。
来てと言われたら行った方がいいんだろうけど…でも…怠いんだよな。マジに。かと言って行かなかった時の言い訳を考えるのも怠いし…どっちにしても怠いという最悪の板挟み状態で、溜息の連鎖が止まらない。

ジムリーダーの仕事よりポケモンの救出を優先させるなんて…優しい人なんだろうな、フウロさん。腹を冷やさないか心配だが、私も見習うべき点だろう。いやへそ出しをじゃなくて、人格をな。
本当に弱ったポケモンだったら、私の使用期限ギリギリの傷薬が役に立つかもしれない。行くのも行かないのも面倒なら、行ってみるか。どうせ記録に行かなきゃならない事だしね。
ガソリンも満タンになったので、排気ガスを撒き散らしながら、私はフキヨセシティを駆け抜ける。どうせ行かないとストーリーが進行しないんでしょ、などと水を差すのはやめ、疲れた体に鞭を打ちながら、珍しくボランティア精神を奮い立たせるのであった。

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