10.セッカシティ

歩いているのも山場だが、こっちの人生も山場かもしれんなってくらい怒涛の展開が続いている私、ポケモンニートのレイコは、フキヨセシティの先にあるネジ山というダンジョンで、惜しみなく気を滅入らせていた。都会の街並みを楽しんでいたのが遠い昔に感じられ、あの日に帰りたいと松任谷由実が歌い出す。

マジで楽しかったのヒウンまでだぜ…この地獄地方で再び幸福を得られるのか、今となっては望み薄ですよ。
しかし、私は遊びでこの旅をやっているわけではない。メラルバという扶養家族も増え、自腹で養い続けるのは経済的に困難であるから、一刻も早くすねかじりニートになる必要があった。いつまで親父のクレジットを不正使用していられるかもわからないからな。
家族への軽犯罪を重ねながら、ちょっと平坦になった道で調子良く原付を走らせていると、前方に見慣れたアホ毛を見つけ、私は動揺のあまり思い切りブレーキを踏んでしまう。危うく追突して後輩を庇いすべての責任を負った私に示談の条件が付きつけられるところだったが、何とか事故は免れた。しかし気まずい空気からは、逃れられそうもない。

「…レイコさん」

振り返ったチェレンに呼ばれた私は、引きつった笑顔で応えた。あの衝撃の告白から、まだ一日と経っていなかった。

吾輩はニートである。幼き頃から心身ともに堕落し、概ね引きこもって来たので、旅に出るまでは他人と関わり合う事などほとんどなかった。人生で一度モテ期が到来した事もあったが、あれはクソガキの一過性の熱だと思っているので、深く考えてないし考えるのもちょっと…照れるからな、忘れる事にしたんだけど。
そんな私に、人間性が最下層の私に、チェレンのような未来ある若者が好意を告げてきて、心苦しくならないわけがなかった。
もう本当に苦しいの。こんなに苦しいのはヒ素を盛られた時くらいだよ…そんな物騒な経験はねぇよ。
当然私はニートなので、彼の気持ちに応えてやる事もできないし、ニートを暴露して目を覚まさせてやる事もできない。板挟みになって、とりあえず何事もなかったかのように振る舞おうとしたところ、まさかの方向から私は天の助けを得るのであった。

「ネジ山を視察していてお前たちに出会うとはな…」

聞き覚えのある声が、突然後ろから響いてきた。チェレンと共に振り返ると、そこにいたのはなんと、イッシュ一の萌えキャラと名高い、あのツンデレキャラで有名なヤーコンさんであった。
濡れ衣を着せられた件は根に持っているが、彼の会社の作業員に話を聞いたところ、せっかく我々が捕縛したプラズマ団を逃がしてしまった事をわりと気にしていたらしい。萌えるからやめろやそんなエピソードは。捨てられた子犬に傘を差し出してやる不良か。
こんなところで再会するとは思わなかったため、私は驚きながらも、しかしタイミングの良さに感謝が止まらない。

よく来てくれたよおっさん!気まずくてどうしようかと思ってたんだから!ゲーフリの采配に感動する私は、思わず安堵の息をつく。
何でこんな辺鄙なところに現れたのかは知らないが、チェレンの相手はおっさんに任せて撒こう。そうやってごまかしごまかし生きていくしかない。誠意の欠片もない私は、何故チェレンがこんなクソ女に騙されてしまったのか本当に憐れでならず、立ち去るタイミングを窺いながら、そっと合掌する。いっそ仏門に入りたいレベルの私とチェレンを見て、ヤーコンは満足げに鼻を鳴らした。

「ちっとは…たくましくなったみたいだな」
「…そうですか」

ついでにそいつは女の趣味も悪くなったぞ。ストライクゾーンまでたくましくなってんじゃないよ。

「ところでお前たち…最近プラズマ団を見たか?」
「え」

油断していたらそんな話を振られ、天の助けと思ったヤーコンが黄泉からの使者だった可能性に気付き、私は大量の冷や汗を流す事となった。まさに天国から地獄、唐突なフラグに、ゲームフリークへの恨みが止まらない。

お前…いまプラズマ団の話は駄目だろ!やめろやめろ!お前には見えないのか?プラズマ、の文字を聞いてから、チェレンが冷めた目で私に視線を送っている姿が!
見ましたよねぇ?的な目つきで睨んでくるチェレンに怯えながら、私は首を傾げて盛大にすっとぼける。ちょっと心当たりはございませんけど…と下手すぎる嘘をついてみたけど、ヤーコンは特に気にせず話を続けた。

「あれからジムリーダーたちで集まって話し合ったが、まるで地に潜っているのかあいつらのアジトがわからなくてな」
「アジトか…私も特に情報は耳にしてないですね…」

真面目なヤーコンに真面目に返し、そういえば悪の組織にアジトは付き物だった事を思い出して、私は唸った。
確かに突然現れて突然消えていくからな、下っ端もNも。散々絡んだが場所が特定できるような話はしてないように思う。さすがにそこまで馬鹿じゃないか、と見くびりすぎな自分を省みるも、天下のジムリーダーが集まって見つけられないってのも妙な話なので、私はヤーコンを訝しげな目つきで見つめた。

本当にちゃんと探してんの?ポスターの裏とか調べた?エネルギー研究機構の振りしてる可能性もあるし、基本的にはわかりやすいはずなんだけどな、今までの傾向からすると。特に今回はあの目立つ衣装!王の方が質素というレアケースだから絶対見失わないでしょ。
地に潜ってるなんてあるわけないんだから…と溜息をつき、ここからすでにフラグであった事に、今のレイコは気付くはずもないのだった。

「こちらとしても出方を待つしかないのだ」
「お忙しそうですね」
「まぁ…お前たちには関係のない話だな。子供はポケモンと楽しく旅をしておればいいんだ」

また何か厄介事でも押し付ける気かと思いきや、前回の負い目もあるのかヤーコンはそう言い、我々を唖然とさせる。本当にツンデレじゃんと萌えかけ、ジムリーダーらしい優しさに私はついつい微笑んでしまった。
何だよおっさん、いいこと言うじゃねーか。そうだよ。子供は悪い連中と関わらず、ポケモンと楽しくのびのびと健康的な旅をしてるのが一番なんだ。一歩間違えば取り返しのつかない事になるかもしれないし、私のような可憐な乙女が事件に巻き込まれるような事もあってはならないからな。すでに路チューで傷付いてはいるが、あれを起訴してこの先は幸せな人生を送るよ。ありがとう。
お言葉に甘えさせてもらうぜ…といい感じの空気になっていたところに、やはり黄泉からの使者であったヤーコンは私を地獄へ引きずり込んだ。

「お前さんは駄目だぞ。協力しろよ、大人なんだから」
「おい!」

何でだよ!子供扱いしてよ!
お前たちって言ったよね!?と複数形でまとめたにも関わらず私だけ差別してきたヤーコンに、さすがに怒鳴らずにはいられなかった。
いいじゃんか!私だって善良な一般市民ですよ!守られるべき尊い命!なんで大人だからって協力させられなきゃならないんだ?理解できない。心はいつまでも少女なのに!差別反対!ヤーコンさんからしたら私だって子供でしょ!
冗談じゃないよ!とクレームを投げれば、ごまかすようにヤーコンは私を無視し、遠くを見つめた。

「ネジ山はいいぞ!特にワシのお気に入りはこの通路を抜けた時の…いや、言葉より実際に見ればわかるか」
「おい。ちょっと」
「じゃあなヒヨッコども!よければワシの山でトレーナー修行でもしていけ」
「ちょっと!」

制止を振り払い、ヤーコンは強引に別れを告げて足早に去っていった。腑に落ちない私は拳を握りしめ、たとえ協力要請があっても絶対に行かねぇと決意を固める。
ふざけやがって…誰がヒヨッコだよ。有村架純のように可憐ってこと?ありがとな!じゃねぇよ!
ていうかここお前の山なんかい!どうりで偉そうだと思ったわ!遅すぎる情報共有にもキレ、やはり萌えキャラなどではなかったと考えを改めた。目先の萌えにとらわれすぎたわ。
そういえばタウンマップに、ネジ山は上質な鉱石が発掘できるって書いてあったかもしれない。鉱山王っぷりを見せつけられた私は、成金への憎しみまで加算して、もはやこの世のすべてが憎かった。
鬼門だわーイッシュ。帰りてぇ。

「また何かメンドーなことを押しつけられるかと…思わず身構えましたよ」
「本当にな…いや私は押しつけられたも同然だけど…」

大人の責任を負わされた悲しみを吐露したところで、チェレンと至って普通に会話ができている事に気付いた私は、ハッとして彼を見る。
ヤーコンにはブチギレさせられたが…やはり彼は神の使いだったのかもしれない。気まずさが少し緩和され、私はチェレンと視線を合わせながら軽く微笑んだ。相手も若干思うところはあるっぽかったが、告白を蒸し返す事なく背を向ける。

「…じゃあ、レイコさん。僕は先に行きますから」
「うん…気を付けて」

弱々しく手を振り、どうせすぐに追いつく事は理解しつつも、私は素直に見送った。このままちょっとずつ関係の軌道修正をはかれたら有り難いんだけど…と淡い期待を抱くも、ヤーコンに大人なんだから、と言われたのが結構堪えて、静かに唸る。

「大人かー…」

なりたくてなったわけじゃないが…なったからにはちゃんとしなきゃならないのもわかるので、私は葛藤した。
チェレンの前では格好いい大人でいたいと思いつつ、いくら誤魔化してたっていつかはバレるんだ、私が誠実さの欠片もないゴミ人間だという事はさ。気付いて失望される前に、自らこの恋にとどめを刺してやる事が、私にできるせめてもの人間らしい行ないなのかもしれない。
良心の呵責に苛まれながら進むと、ヤーコンがお気に入りだと言った場所に出た。そこは採掘場だった。
壁に足場が組まれ、落ちたら死ぬのは間違いない高さを誇り、全身から血の気を引かせていく。狭いというのにトレーナーや作業員が結構いて、絶対何人か死んでるでしょと私は虚ろな目に景色を映した。しかも、複雑すぎてどの道がどこに繋がっているのかわからない。

やばいぜこのダンジョン。氷の抜け道のトラウマ越えたわ。
何がお気に入りだよ!と最後までヤーコンに怒り、狭い通路に怯えながら、原付で恐怖のデスレースを展開するのであった。降りろよ普通に。

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