へそ出し女の次は肩出し男とはな。
氷の斜面をサーフィンのごとく必死にバランスを取って滑りながら、私はセッカジムから退散している。氷タイプのジムだったので、寒さのあまり一度服を着込んで出直し、体調管理も万全に挑んだのだが、ジムリーダー本人が一番寒そうな格好をしているというやばい状況に直面して動揺しながらも、いつも通り大勝利をおさめたのが本日のハイライトである。

マジでびびった。一瞬変態かと思ったわ、あのハチクさんって人。肩出しっていうか右半身出しで、素足に靴という石田純一スタイルではあったが、とても不倫は文化などとは言わなさそうな堅物でもあり、とにかくいろいろ混乱した。アーティぶりのイケメンだわ〜って思ったのに…やはりジムリーダーにまともな人はいない、そう確信して終わったね。そしてナチュラルにヤーコンをイケメンから除外してすみませんでした。トリミングしたらいけると思っています。

まぁ人格は良さそうな人だったな…と思い返しながら、貰ったバッジをケースに入れていると、ジムを出た瞬間チェレンと出くわして、私は驚きのあまり飛びのいてしまう。

「おわっ!?」

亡霊のように佇む少年に、とても夢主とは思えない声を上げた。
チェレン!なに!びっくりさせないでよ!うすいさちよかと思ったじゃん!
昨日はアララギパパにおどかされ、今日はチェレンにおどかされ、ろくに台詞も発さず悲鳴ばかりを上げている現実に、私は悲しみを覚える他ない。
もうやめて本当…そりゃネジ山なんかに籠ってたら気が狂うとは思うけどさぁ…最近テンション低めのチェレンを心配しつつ、ジム戦ならどうぞ、と私は溜息まじりに道を譲ろうとする。ジムリーダーは一見変態仮面だけど、普通にいい人だから安心して挑んでくれよな。あと単氷だから弱点多すぎ案件で3タテも余裕だ。どうか思いやりを持った戦いをしてやってほしい。
失礼極まりない事を考える私に、チェレンはとうとう口を開いて、その重苦しい口調にも頭を抱えてしまう。

「…レイコさん」
「な、なんでしょう…」
「初めて会った時から…僕は何か変わりましたか?」

女の趣味だよ!
叫びかけた口を必死に閉じて、私は神妙な顔を作った。明らかに聞くべき相手を間違っている質問は、答えづらいなんてレベルではなかった。
いや女の趣味だろどう考えても。凄まじい悪化を遂げた。余裕のステージ4だわ。
もう何なんだよいきなり…そんな重大そうな問いかけを私にしないでよ…。人生の岐路に立つ少年に的確な言葉を投げられない私は、ただ黙って、やはり女の趣味ですね…と心の中で繰り返すばかりである。
いやまぁ…そりゃいろいろ変わったとは思うよ。女の趣味だけじゃなく、よりしっかりと将来のビジョンを見つめ始めたところとか、ただ強い以外にも価値があると思い始めただとか、着実に人間としてもトレーナーとしても成長してると思う。女の趣味以外はな。
だからといってそんな偉そうな事を私のようなニート女が言えると思うか?無理だね。見てよこの1ミリも成長してない私をさ。ただただ道を進み、ジムリーダーのファッションチェックをしてるだけの人間だぜ?自分だって部屋着はジャージだってのによ。チェレンに何か言ってやれるほどまともな人生は送っていないんだ。もう許してくれ。
相談は然るべき場所でしてほしいと願う私の心など知らないチェレンは、さらに言葉を続け、意図せず私に精神攻撃を仕掛けるのであった。

「何をしたいのか、何をすべきか考えようとした。でもそうやって自分と向き合ったら、何もないように思えて…」

刺さる刺さる!砕けたよ今!私の柔らかな心の鎧が、完全に粉微塵。私を守るものは何もない、まさに丸腰よ。チェレンの自己分析は私にも大きく響き、思わず胸を押さえて俯く。
やめて。お願いだから。懇願してしまうほど、現実の直視は傷をえぐった。
何もないとか…言うなよ。私の方がゼロだから。福山雅治が歌ってたのってこういう事なの…?真実はいつも一つだけど、無職の可能性は無限、そう信じていいんですか?
考えれば考えるほどドツボにはまっていく気持ちは、私にも痛いほどわかる。何故なら私ほど、自分自身でなく、ポケモンの力に頼り切って生きている者はいないからだ。
ポケモンがいなければ、いよいよ私はただのニート。生きていく上で有害でしかない、地球の汚染物質だ。それに比べたらチェレンなんて…真剣に考えてる分まともだよ。これからもっと良くなる、そんな気がする。山籠もりして考えたいなんて絶対に思えない私は、悲しみのあまり自虐で彼に応えるしかないのであった。

「…私もだよ」
「え?」
「私も何もない…ポケモンだっていつまでついて来てくれるかわかんないし…」

すっかり肩を落として意気消沈する私を、今度はチェレンが心配そうに見ていた。情緒不安な妙齢の女にどう対処したらいいかわからないといった表情は、見てるこっちが気の毒になってくる。子供困らせてんじゃねぇぞBBA。何とか再び心に鎧を纏って、大人の責任を果たそうとした。
すまんチェレン、お前の女の趣味を悪化させただけでなく愚痴まで零すなどと…人間として恥ずかしいよ。いや、人間なんて言うのもおこがましい、私はゴミだ。ニートにもなれず、トレーナーにもなれぬ、半端な山犬の姫だ。私はお前と違って生きてる実感なんて得たくはないし、得たいのはニート一択。そしてニートになってからも、特に何かしたいわけでもない。将来のビジョンもない無計画な無職である。毎日だらだら過ごし、意味もない生活を送りたいだけの私だが、それでもやはり、その傍らにはポケモンにいてほしいという高望みをしてしまうんだけど、でも何もないニートの私に、果たしてそれが叶うのかは、わからないのであった。

「…レイコさん」

お通夜みたいな空気になっていた時、突然私は誰かに背中を押された。またしても夢主とは思えない悲鳴を上げてしまい、次から次へと起こる事故に、いい加減堪忍袋の緒が切れそうである。当然ジム前で立ち往生している事は棚に上げた。邪魔なんだよニート女。
今度は誰!と勢いよく振り返れば、そこにはさっき倒したハチクさんが立っていた。相変わらずの半裸スタイルに、チェレンが怯えているのではと焦ったけれど、彼は普通に突っ立っている。どうやらイッシュではこのレベルの不審者は普通らしい。なんて恐ろしい国なんだよ。早く帰らせてくれ。
いきなり現れたハチクさんは何やらただならぬ雰囲気を纏っており、まさか私が3タテしたポケモンに何かあったのでは…と危惧してしまう。

え…もしかして何かあった?打ち所が悪くて死…とかそんな全年齢にあるまじき事…ないよね?ロケット団のガラガラ事件など、黒い任天堂の前科を思い出し不安に駆られる私だったが、ハチクは鋭い目をして正面を見つめるばかりである。

「誰だ?」
「え?誰って…さっき3タテさせていただいた者なんですけど…」

若アルツか?と深刻な顔をするも、彼が問いかけたのは私ではなかったようだ。

「いるのはわかっている。姿を見せろ」

この一瞬で凄まじくボケてしまわれたかと思ったのだが、どうやらその心配は杞憂に終わった。見えない何かに話しかけたハチクさんは、別の意味で怖かったけども、至って真剣な表情をしていたので、思わずチェレンの方へ少し寄る。

なに。いるって…何が?霊か?
タワーオブヘブンで何か連れてきちゃったのかな…と冷や汗をかき、私は辺りを見回した。悲しい事にオカルト事案はわりと体験しているので、取り憑かれていたとしても不思議じゃなく、無意味に肩を払ってみたりする。
ちょっと…勘弁してよ…もし何か憑いてたらどうしてくれるんだ?こちとらNの生き霊も飼ってるんだぞ。これ以上養えねぇよ。
イッシュにもマツバのようなポジションがいるんだろうか…と怯える間もなく、それは私を取り囲んだ。前と後ろに突如としてノースリーブの男が出現し、今度は悲鳴を上げる間もなく息が止まる。見覚えのある白髪が揺れた時、恐怖の顔芸を披露しながら、私は口を開いた。
この瞬間移動、生気のない目、そして同じ顔の三人組といえば…!

「だ、ダーク…トリくぁwせdfrtgyふじこlp!」

名前は忘れたのでごまかした。日本語すら怪しい小卒の私に外国語など覚えられるはずもないのであった。
ハチク以外に気付かれる事なく我々の前に姿を現したのは、電気石の洞穴で初登場を果たした三つ子の忍者もどき、ダークなんとかかんとかであった。よく見ると二人しかおらず、まさか…と振り返れば、最後の一人は私の原付に乗車して勝手にエンジンをかけている。なに乗ってんだてめェは。そいつはピーキーすぎてお前にゃ無理だよ!

「…さすがはジムリーダー。影の存在である我らに気付くとはな」

完全に発言がポケットモンスターじゃない。私は戦国BASARAとクロスオーバーしちまったのか?
この寒いのに肩を出した男たちが多すぎるという状況は、寒がりのチェレンからしたら考えられない惨事だろう。驚きとドン引きの間にいる彼を庇うようにして立っていると、原付奴がこちらを見つめ、エンジン音に掻き消されそうな声を発するものだから、私は必死に耳をすませなくてはならなかった。切れよ。そんでガソリン代払え。

「…レイコにだけ伝えるつもりだったが、まぁいい」

良くねぇわ。さんを付けろよゾンビ野郎。

「ゲーチス様からの伝言だ。リュウラセンの塔に来い。そこでN様がお前を待っている」
「えっ!嫌ですが」
「しかと伝えたぞ」

聞いてねーし。

「リュウラセンの塔!?おい!どういう…」

華麗に無視された私の代わりに、ハチクさんが説明を求めようとしたが、用が済んだら直帰できるホワイト企業トリニティはすでに去ったあとだった。相変わらずの素早さにリアクションさえできず、私は呆然と立ち尽くす。このスピードでフラグを全回収してくるダークトリニティの腕前は、ただただ脅威だった。脅威すぎて名前を覚えてしまったほどだ。

お、恐ろしい…!鳥肌が全身に出現したわ。ジム戦終わったしイベント始まる前にこのまま急いで次の街へ行こう、という私の気持ちを弄ぶかのような強制連行感。きっと逃げてもあいつらに瞬間移動で連れて行かれてしまうのでしょう。どこに行っても地獄が待っている状況は、ストレス数値を一気に頂点まで上げていった。

冗談じゃねぇ。
私はつけっぱなしにされた原付のエンジンを止め、負の感情に震えた。
もう全てが無理なんだが?リュウラセンの塔に登るのも無理だし、そこにNが待ってるのも無理。だってあんな高い塔なんだよ?エレベーターがついてるならまだしも、徒歩とかやってられないから。どうせ一階で待ってるわけじゃないんだろ!?絶対最上階!強制イベントならもういっそ連れてってくれよ!あの電波と対峙するのにどれだけの体力が必要だと思ってやがる!私に人を撃たせないで!

高い塔を歩かされた挙句にドヤ顔でNが待ってた日には奴を突き落としかねない…こんな事で前科を作りたくない私をよそに、ハチクはただならぬ様子でリュウラセンの塔を見つめていた。
そういえば誰も入ったことないって言ってたな…そこで待ってるとは…一体どういう了見なの?そして侵入が可能になった事で私の記録エリアが増えるなんて事になったらいよいよ潰すからな、プラズマ団。レイコはニートロードを邪魔される事を最も嫌う人間であった。

「そちらの少年、ジム挑戦だとしたら少し待ってくれ。私は今からリュウラセンの塔に向かう!」

言い切るか言い切らないかのところで、ハチクさんはすでに走り出していた。左右で風の抵抗が違いすぎるだろ…と思う私は、さっきからハチクのファッションチェックしかしていない事に気付き、絶望を覚える。もうポケモン界のピーコになるしかないのだろうか。

ハチクさんは先に行ってしまったけども、どうせ私も後に続かなくてはならないので、原稿から逃れたくてツイッターばかり見てしまう同人女のようにだらだらと原付に跨った。
行きたくねぇ。シンプルに行きたくねぇよ。ていうかNに会うのあの事案ぶりだし、あいつどういう感じで来るんだ?謝罪がなかったらブチギレるし、あれは冗談なんだからね!ってツンデレみたいな感じで来られたらブチギレるし、とにかくブチギレるな。もう何をやってもブチギレるわ。
可憐な私が他人を罵倒する姿をチェレンには見せたくない、そう思い、危ないから君はここで待っていなさいと優しく告げようとしたのだが、私は忘れていた。彼がイッシュのジョイナーである事を。

「僕も行く!」
「え」

叫んですぐ、チェレンは風と共に去った。足も速ければ行動スピードも速い、まさに私と真逆であるチェレンを呆然と見送り、私が一番当事者であるにも関わらず取り残され、やり場のない感情に支配された。

いやみんな早すぎでしょ。何が待ち受けてるかもわからないのにそんな装備で大丈夫か?
てっきりいつもの、メンドーだな…が出るかと思いきや、やけに乗り気だったチェレンに、私は素直に驚かされる。旅をして何か変わったか、と問いかけてきた眼差しが、今になって鮮烈に蘇ってきた。
女の趣味も変わったし成長もしてると思うけど、何よりも変わりたいとか、変わらなきゃとか、そういう気持ちが根底にあるんだろうな。強さを模索する少年にいろんな意味で置いて行かれた私は、渋々ヘルメットを被ってエンジンをかける。

私も…多少はそういう気持ちあるからさ。そして皮肉にも、私に答えを提示する可能性があるのは、きっとあの強制猥褻罪で起訴する予定の男であると、気付き始めているレイコなのであった。

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