何だ今のネタみたいな鳴き声は。

上階から響いた雄叫びに、私は一瞬引き返そうとしてしまう。聞き慣れないにも程があるその声は、未知なる恐怖をいろんな意味で煽った。

マジで何?何の声?まさか…Nかな?
ついにここまでおかしくなってしまったか…と目頭を押さえ、治療が間に合わなかった事を心底残念に思った。
あの時…私がちゃんと病院に搬送していればこんな事にはならなかったのに…。奇行に次ぐ奇声、妄言、そして幻聴…早すぎる進行には、脳内でジョーイさんも神妙な面持ちで首を振った。残念ですが…と言いづらそうに伝える彼女の前で泣き崩れながらガッツポーズをする私、そういうビジョンが見えたよ。
つらいわ。多少なりとも互いに無いものを得た同士、変わり果てた君を見るのはあまりにもつらすぎる。せめて私の手で引導を渡そう。いま楽にしてやるからな…とスタンガン片手に階段を登っていれば、急に階層が明るくなった。というか、空が見えたのだ。真っ白な雲に覆われ、まさに暗雲立ち込める状態に、私は思わず息を飲んだ。

酸素が薄いのもあるけど…それ以上に何か…息苦しい雰囲気だ。
一歩ずつ階段を踏みしめ、見え始めた頂上に緊張しながら登って行く。たかだかNと会うだけだってのに、この異様に張りつめた感覚は何なんだろう。電波以外にも何かがいると直感し、カメラを構えた私は、意を決し走った。
何がいたって知るかよ。今の私がする事はただ一つ!それは記録とスタンガンだ!二つじゃねーか。

やっとの思いで上まで辿り着いた瞬間、いきなり突風が私を襲い、三日天下ならぬ三秒天下で塔から転げ落ちそうになってしまった。出鼻の挫かれ方が過去最高を記録し、生死の境を彷徨いながら、壁に寄りかかって事なきを得る。
危ねぇ。蒲田行進曲レベル100を披露するところだったじゃねーか、ふざけんなよ。階段落ちのために来たわけじゃない私は再び頂上に足を踏み入れ、そして衝撃の光景を目の当たりにする事となる。

ダークトリニティの伝言通り、Nは頂上に立っていた。雲に囲まれた塔の真ん中で、歴史ある建造物とはミスマッチな服装をしてるってのに、何故だか絵になる佇まいである。さすがはプラズマ団の頂点に君臨する王…風格は備わっているという事か。いつものようにしょうもないファッションチェックに勤しむ私だったが、そんなNの前には穏やかでない何かが存在し、雲が晴れた瞬間、その全貌が明らかになった。

「ゼ…」

ゼクシィ…!総合結婚情報誌…!
名前を忘れた私は心の中でそう呼び、図鑑を向けた。読み込みに時間がかかっているので、思わぬ展開にポケモン図鑑も焦ってるのかもしれない。伝説のポケモン記録されるとか聞いてないんですけど?と言いたげなローディングの後、ようやく表示された。Nの前で、まるで仕えるべき主を見つけたみたいに地に足を付けている、そいつの名前が。

ゼクロム。黒陰ポケモン。ドラゴン、電気タイプ。全身を雷雲に隠し、イッシュ地方の空を飛ぶ。

呆然としながら説明文を読み、私の心には、二つの相反する気持ちが存在していた。
ありがとうN。よくも余計なことをしてくれたな。

まさか本当に伝説のポケモンを復活させるとは…。そんな気はしつつも半信半疑だった私は、衝撃のあまり言葉が出ない。高さはカイリューより若干でかいくらいだったが、Nを見下ろすゼクロムは圧倒的な迫力があり、私のような底辺ニートにも、その凄まじさが伝わってくる。
これが…ゼクロム…。英雄と共にイッシュを作っただとか、理想を追求する人間を待ってるだとか、なんかいろいろ逸話のあるポケモン…!
大きな翼を動かし、その風圧から、先程私を吹き飛ばした突風はこいつの仕業だと知って、早々に憤りの感情が燃え上がった。
殺す気かお前!危うく銀四郎みたいに転げ落ちるところだったじゃねーか!鳴き声もネタすぎるし、本当にそんなすごいポケモンなんですかねぇ!?メンチ切る私の到着にやっと気付いたのか、Nはゆっくり振り返ると、ドヤ顔で静かに問いかける。

「どう、レイコ」

どう?じゃねーよ。まとめてブチのめしてやりたいという感情しかねぇよ。

「世界を導く英雄の元、その姿を現し、共に戦うポケモンの美しい姿は」

自信と自慢を披露し、感想を求めてきたNに、私は心の中でそっと中指を立てた。知らんがな、と言わなかっただけ大人だったと思う。感謝してくれよ。
まぁそんな美しいとは思わないんでその辺は美的センスに違いがありますかね…と思いつつゼクロムを見上げれば、やはりそこは伝説のポケモン、鳴き声がやばかろうと凄味がある事は確かで、黒の中で青く光る体には、不気味な雰囲気が漂っている。美しいっつーか怖いんだけど…Nを英雄に選ぶ感性も怖ぇよ。

「…もうお友達になったわけ?」

双方に皮肉を込めてそう言い、私は苦笑を浮かべてみせる。
全く…伝説のポケモンが聞いて呆れるぜ。そりゃあNは純粋で清らかな童貞かもしれないけど、でも街中で堂々とセクハラを展開するクソ野郎でもあるからな。何も許してないし正義のためにも許すわけにはいかないんで、そいつに肩入れするってんならゼクロムさんも同罪ですよ。しっかり司法に裁いていただくから。次は法廷でお会いしましょう。
自首を勧める私に、反省していないどころか事件を忘れている可能性もあるNは、一人で盛り上がりながら次なる目標を私に告げた。

「これから僕はゼクロムと共にポケモンリーグへ向かい、チャンピオンを越える!」

お前が行くのは警察だよ警察!出頭しろ!ジジイと遊んでる場合じゃねぇから!
こいつマジ何?罪の重さわかってなくない?あんな大事件を起こしておいて何食わぬ顔してドヤってきた時点でこっちはキレてるけど、反省の色も見られないとか死んだ私の純情も浮かばれませんよ。やり場のない怒りに拳を震わせる私だったが、構えたスタンガンを打ち込めず、真剣な様子のNについつい耳を傾けてしまう。いい子かな?

「ポケモンを傷付けてしまうポケモン勝負はそれで最後。ポケモンだけの世界…ようやく実現する」

悲願成就、的な目でこちらを見たNは、いつになく高揚した眼差しで、私というよりはその奥にある何かを捉えていた。見えないものを見ようとして望遠鏡を覗き込むように、静寂を切り裂いて私に告げる。

「僕達を止めるなら、キミも英雄になるんだ!」

指を差され、まさかの超展開に私は一瞬固まってしまう。すぐに首を傾げて、もはや何を言っているのかわからず、キャパオーバーを迎える脳を憐れに思った。小卒の頭で電波トークは無理だよ。リントの言葉で話してくれ。

ていうか英雄って…二人もなれるの?どういう制度なんだ?
初耳すぎて理解が追いつかないが、なれと言われるとなりたくなくなるのが人間の心理である。そもそも私はニート、無職を貫く気高い女だ。何かに属するわけにはいかないので、詳細を聞かずともお断りは確定である。

普通に嫌だわ。お前たちを止めるなら今ここで物理の力を使えば済む話なんだよ。伝説のポケモンだろうと圧倒的パワーの前には無力…負けた者はこのレイコに跪くしかない、それがポケモン勝負の世界だ。
強気にそう思いながらも、以前Nが、力で世界を変えようとすれば逆らう人も出てくる、と言ったのを思い出し、今がその状況なのだと思ったら、脳筋も封印せざるを得なくなる。


そうか。こいつ…私が英雄にならない限り、止まる気はないのか。
何度ブチのめされようと、ゼクロムと共に手を取り合い戦い続ける…ポケモンのためにボロ雑巾のようになっていく二人の姿を見て、人々は感動し、こう叫ぶのだろう。
N様バンザイ、ポケモンの解放を!と。

駄目だ、脳筋は死んだ。暴力で解決できない世界で生き残れない私は、さながら世紀末のヒャッハー…汚物を消毒するばかりの日々を抜け出せず、サウザーの顔色を窺いながら生きる…愚かで下等な生物なのだ。
そんな私に英雄になれとは一体どういう了見なんだ?やはり美的センスが狂っているNは、英雄への資格、雇用条件を丁寧に説明してくれ、私は何も書くことがない履歴書を胸に、ただただ立ち尽くす。

「そう!ゼクロムと対をなすポケモン、レシラムに認められてこそようやく対等になれる。僕たちを阻止できる!」

この時、私は重要な事を思い出した。レシラムと聞き、それがポケモンの名前だと気付いて、さすがに崩れ落ちずにはいられなかった。

そうだった。
伝説のポケモン、二体いるんだった。

強制英雄労働じゃん…と私は項垂れ、握りしめていたスタンガンを床に落とす。こんなもので彼の肉体を痛めつけても何の解決にもならない、それに気付いた瞬間だった。

マジかよ…そのレシラムって奴を記録しなきゃ、私の旅終わらないじゃねーかよ。
地獄だ。サウザーのピラミッドを積むに匹敵する地獄。なんでそういう事するかなぁ…とやり場のない怒りを、とりあえずゲーフリにぶつけた。増田ァ!
Nの望みが、結果的には私の旅の目標でもあり、不幸にも交じり合ってしまった道に嘆き悲しむ。

Nは…私が英雄になる事を望んでいる…でも何でだ?自分が唯一無二の英雄である方が、民衆を操作するのに便利なはずなのに。
私のような可憐な美少女が英雄になってしまったら、当然みんな私を支持するだろう。おまけにポケモンも強い。当確。負ける要素が一つもないね。何故かゼクロムが睨んでいるけど気にしない事にする。
そのリスクを負ってでも私を英雄にさせたいなんて…裏があるのか、それとも英雄対決をして勝利する事で、一層民衆の心を掴むつもりなのか。いろいろ考えられるが、どちらにしても記録のために誰かがレシラムに認められなくてはならない。この際私でもいいが、でも自信がなかった。正直に素直に本当に、自信がない。
一体どこの奇特なポケモンが、ニートなんかを英雄と認めてくれるんだ?血迷いすぎだろ。

私は膝をつきながらNを見上げ、彼の真剣な眼差しから逃れるよう、再び地面に視線を落とす。まるで私が英雄になれると信じているかのような瞳に、気まずさを覚えないはずがなかった。同時に、他の奴じゃ駄目なんだ、と思い知らされる。

私じゃないと駄目なのか。
Nは私という英雄と、人とポケモンの未来を賭けて戦うつもりなんだ。
責任重大すぎる。いきなり重い荷物を背負わされ、もはや立ち上がれない気がしてきた。
大体なんで私なんだよ。他にもっと適任な奴いるだろ。こちとら脳筋、物理で殴る事しかできないゴリ押しゴリラトレーナー。花も咲かない世紀末で生きてきた私に、一体何を求めてるんだ?私はお前に出頭を求めているが?
戸惑う私を揺さぶるように、Nは一歩近付くと、威圧的なポケモンの影を背負って言い放つ。

「さて、どうする?僕の予測…僕に見える未来なら、キミはレシラムと出会うだろう。共に歩むポケモンに信じられているキミは…!」

謎の激励を受け、さすがに立ち上がった。数歩後ずさり、私には見えないよ、とマジレスする。
どこから来るんだ、その自信は。ポケモンが私の何を信じてるんだ?私だって自分のこと信じられないのに、そんなの無責任だよ。やってらんないよ。そして自首してくれよ。
Nの後ろで目を光らせるゼクロムは、まだ出会ったばかりなのに互いを信頼しているように見え、ますますわけがわからない。理想の追求、求めるものが一致してれば、すぐにそんな関係になれるもんなのかよ?そうだったかもしれないし、そうじゃなかったような気もして、私の頭はごちゃごちゃだ。こんなに圧倒的なものを見せつけられ、じゃあいっちょ英雄やってみっか!と思えるようなおめでたい脳はしていなかった。

レシラムと出会う…レシラムに認められるには…レシラムが求める何かを私が持っていなくてはならない。
ニートしかないよぉ〜と泣き言を言って、いよいよマジで涙の一つも出そうである。

「世界を変えるための数式…キミはその不確定要素となれるか?」

なれねぇよ。ニート化がいつも不確定なだけだわ。

「ポケモンと人の絆を守りたいならレシラムを探すんだ!きっとレシラムは、ライトストーンの状態でキミを待っている」

わざわざご丁寧に教えてくださったN様は、本当に私を第一印象から決めていたらしい。それならもっと励ましてくれんか?具体的にどういうところが英雄向きだと思ったの?というか私お前に聞きたい事があったと思うんだけど、思い出そうとするとフキヨセのトラウマがフラッシュバックして無理なんだわ。悪いと思ってるならお前がライトストーン探してくれ。これが本当の詫び石だよ。

ガチャを回す事しか頭にない私は、接近してきたNに身構え、落としたスタンガンを再び装備する。それ以上近付かないで。私のバリバリダーが火を吹くぞ!
悲観する要素しかなく、何も上手くいくとは思えない私に、Nはまた口を開いた。このとき何故だか、彼はただ純粋に私とレシラムの到来を待ち望んでいるように思え、ますます眉が下がる。
きっとNの中にも、納得したい思いがあるのだろう。本気で信念をぶつけ合い、その上での勝利じゃなければ、解放を宣言できないと感じているんだ。それは恐らく、ポケモンとトレーナーのいろんな形を見てきたからなんだろうな。悪い形だけじゃなく、いい形をたくさん。

その中で、どうして私だったんだ?ジュノンスーパーボーイコンテストの応募者よりポケモントレーナーは多くいるだろうに、私を選ぶ意味がわからない。この間だって、私とポケモンはちゃんと向き合ってるって褒めてくれたけども、実際は避けてばかりだよ。Nならわかってるだろうに。ポケモンと話せるお前なら。

「レイコ、キミは変わった」

まるで昔馴染みのように言われて若干イラっとし、そりゃ度重なるストーカー被害を受ければ修羅にもなるわとスタンガンをバチバチ言わせる。
でもそのストーカーのせいで、私は何かを取り戻しつつあるように感じていた。Nの言う通り、私は変わったのかもしれない。逃げちゃ駄目だ、と頭の中で碇シンジが囁くようになったような気もするし、ニート以外はどうでもいいと思い込むようにしていたのをやめた気もするし、背負い続けた卵の重みが、トレーナーとしての幸せを蘇らせた。そんな気がする。

スタンガンで遊んでいる間に、Nは華麗にゼクロムに飛び乗ると、雲の中を突っ切って大空へ消えていった。よくこんな酸素濃度の薄いところを飛んでいけるな…高山病に気を付けろよ。
何だかすごいものを見てしまったが…ここでぼーっとしてても仕方がない。私も死ぬ前に下りよう、と振り返り、ふと立ち止まる。

確かに私はゴミカスクソニートで、人間性も地に堕ち、まともなところは顔しかないセコンドトレーナーだけど…。
でも、変わり始めた私なら、レシラムも応えてくれるんだろうか。

Nの未来予想図通りにしてやるのも癪だったが、私はポケモンニートレーナー…永久無職のためなら修羅になる、そう決めた人間だ。
記録に必要だってんなら…やってやるよ、レシラム復活。今に見てろ変質者。レシラムを従えた私に完全敗北UCした時こそ、お前の最後の時だ。そう、シャバの空気を吸う、最後の一日になるんだよ!
永久ニート化はもちろん、心の奥ではNを止めたいと思っている私は、長い長い階段を見下ろしながら足を震わせ、止める前にこっちの息の根が止まるかもな…と階段落ちしそうな状況に、テンションを降下させるのだった。
これを機にエレベーターつけようぜ。

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