嵐がおさまっている事だけは幸いだった。
帰り道はひたすらに登りなので、この世の物とは思えぬ唸りを上げながら、私は何とか人の形を保ったまま地上に辿り着いた。あと一歩遅ければタタリガミと化していたかもしれず、度重なる移動は人の尊厳を奪う、そう痛感させられる旅路であった。二度と行きたくねぇよ。

息を切らしながら必死で脱出した私とは裏腹に、さっさと地上へ這い出ていたアデクとチェレンは、通夜みたいな空気を纏って佇んでいる。親でも殺されたかのような顔で地面を睨むと、ゲーチスとのやり取りを振り返って、チェレンは拳を握りしめた。

「うまく言えない…だけど絶対に許せない!」

本当だよ。何回も何回も移動させやがって…もう絶対に許さないからなプラズマ団。お前ら全員日の当たる人生を歩めると思うなよ。
怒りのベクトルが違う事はさておき、このままゲーチスやプラズマ団を放置するわけにいかない事は確かである。
アデクにはもちろん頑張ってほしいけど…でも、もしもの場合に石は探しておいた方がいいんだろうな…いやもしもなんてないけどさ!ないけど、保険があった方がアデクも戦いやすいっていうか?後ろに私が控えてたら心強いでしょ?レイコさん手ぶらで帰すわけにはいかないっすよ精神でメダル持って帰ってきてくれ。銀じゃ困るけどよ。
イッシュ代表選手のアデクを激励しながら、しかし石の手がかりがなくなってしまった事に関しては、わりと危機感を覚えている私である。誰か詳しい人はいないものか…と唸っていると、アデクは別のことを考えて唸っていた。

「Nという男…何を望んでいるのだろう?二匹のドラゴンの戦いで勝ち残る事で、己の正しさを証明したいのか?」

それな、と頷き、私も引っかかっていた疑問を投げられ、またしても頭を悩ませた。
まぁ英雄対決に勝てば、いよいよ対抗勢力もいなくなって無双状態になるのは間違いないだろうけど…でもどうしてもそれだけとは思えず、私はずっと引っかかりを覚えている。
ポケモンの解放を望みながらも、Nはそれ以外の道に気付き始めている気がしてならないのだ。じゃなきゃ人とポケモンが向き合ってるなんて言えるはずがない。正しさを証明したいというよりは、確かめたいんじゃないかと思う。
私も確かめたい。Nの全てと、それから私自身の気持ちとかを。

まぁアデクが倒してくれたらどうでもいいけどな、と結局ジジイに丸投げする私の耳に、突然聞き覚えのある電子音が鳴り響いてきた。静かになった砂漠では聞き違えるはずもなく、しかも音の方向からいって、確実に私の持ち物から鳴っている。
この音は…とリュックを下ろし、もはや使ってなさすぎてどこにあるかもわからないそれを引っ張り出すと、やはり機械音の正体は大事な通報手段、ライブキャスターであった。発信者はアララギ博士である。
なんか久しぶりだな、こっちのアララギ。元気してる?どうしてかあんたの父親とはよく会うから、パーティの平均年齢がどんどん上がっていくっていう悲惨な状態になってるんだけど、その責任はどう取っていただけるんですかね?若い男用意してくれよ。電波と眼鏡以外で合コン頼むわ。
いちゃもんをつけながらボタンを押すと、そのツケが回ってきたのか、とんでもない大音量に鼓膜を攻撃され、八十歳まで許容します!とレイコは心を入れ替えるはめになるのであった。

「レイコさん!レイコさんレイコさんレイコさんレイコさんレイコさん!もしもし!もしもし!?あ、繋がってる」
「あ…アララギ博士…」

砂漠中に響いたその声に、私は一瞬眩暈がした。何が起きたのかというくらい両耳に爆音が響き、隣にいたチェレンも嫌そうに耳を塞いでいる。思わずふらついて、何とか体勢を立て直したが、画面越しの博士は依然として慌てた様子だ。

もう!いきなり何!繋がってるよ最初から!しばらく会わない間に耳が遠くなったか!?これ以上平均年齢上げるのはやめてよ!私も筋肉痛BBA、若々しいのはチェレンだけっていう異色の作風になっちゃうでしょ!
頭を押さえ、何故か自虐を交えてしまった自分を嘆きつつ、それで一体何なのかと首を傾げた。
こっちは取り込んでると言えば取り込んでるし、暇と言えば暇…とりあえず途方に暮れてるって感じなんだが、博士の方は電話が繋がった事にも気付かないくらい慌てるような事件でもあったのだろうか。まさかNの奴…博士を襲撃して…!?
電気石の洞穴で一触即発だった事を思い出し、私は思わず口元を押さえた。
卑劣な!戦えない博士に勝負を仕掛けるなんて!トレーナー法違反ですよ!ただでさえストーカー規制法を犯してるってのに、これ以上罪を重ねたって刑期が重くなるだけじゃない!
勝手に余罪を妄想する私だったが、どう見ても博士はピンピンしている。それどころか今度は身内から裏切り者が出て、その衝撃の要求に、身も心も悲鳴を上げる事となった。

「あのねレイコさん!今すぐシッポウシティの博物館にいらっしゃい!今すぐよ!いい?本当に今すぐよ!」
「…え!?今すぐって…」

ピッ、という絶望的に短い音のあと、ライブキャスターは真っ暗になった。強制終了された液晶には、憎しみに顔を歪めた私が映っており、その形相から、もう自分が人間ではなくなった事を感じてしまう。私は修羅。移動先を指定されると現れる憤怒の化身よ。
博士まで何を言い出すんだ?と一瞬笑い、しかし全く笑えない状況に、今度は泣きたくなってくる。

何なんだ…もうみんなして何なんだよ…!
リュウラセンの塔からのノンストップ労働に耐えられず、私はライブキャスターをきつく握りしめた。一方的に用だけ告げて切るなんていう仕打ちにショックを受けないはずがなく、実際私の体は限界である。階段とかもう一段も登れないから。山王戦の三井の腕くらい足上がんねーよ。三井はシュート打てたけど私のは本当に無理だからね。ガチなの。死ぬの。やってらんないの!
もう嫌だよ〜と心の奥で泣き言を言い、いつ死んでもおかしくない膝を擦って、私は深い溜息をつく。

シッポウ博物館って…なんだってそんなところに行かなきゃなんないんだよ…ドラゴンの骨しかないじゃん…。シッポウシティと言えばジムを探して歩き回った事と、Nと衝突したのに謝罪がなかったというろくな思い出がない街なんだが、一体そこに何があるってんだ?しかもあんなに血相変えて呼びつけるなんて…。
どちらにせよ行かねばならない。ただならぬ事件が起きているのは間違いなさそうだ。また移動か…と絶望していたら、通話を終えた私にアデクが声をかける。

「…アララギの娘め…ここまで声が聞こえたぞ。何やら大変な様子だな」
「そのようで…」

これで大した用じゃなかったら例え博士といえども容赦しないからな。婚期を逃す呪いをかけてやるわ、猫などを飼わせてね。陰湿。

「シッポウの博物館で何が待っているやら…では先に参るぞ!レイコも急げ」
「あ、はい…頑張ります…」
「疲れておるかもしれんが、ここは頼む」
「お気遣いなく…私、若いんで」

気遣うアデクに見栄を張り、そして嫌味を交えれば、確かに元気そうだなと嫌味を返された。私より遥かに元気なアデクは颯爽と飛び去り、リゾートデザートから消えていく。リュウラセンの塔を登ってない分体力が有り余ってるのか、それともまだ最後の変身を残しているのか定かではないけど、老いて尚現役の姿は見習うべきかもしれないとしみじみ思う。
なんか…あれくらい元気だと普通に働きな?って感じだな…。まぁ複雑な心境かもしれないけど、これを機にアデクさんがチャンピオンに復帰できたらいいなって思うよ。その方が死んだパートナーも喜ぶと思うし。旅するのもいいけど、ポケモンリーグでこそ教えられる事ってある気がするからさ。
特にNには社交性を教えてやってくれ…と遠い目をする私は、残されたチェレンと共にアデクを見送り、今後の動向を確認した。

「…チェレンはどうする?」

とりあえず私は博物館に行かざるを得ないが、チェレンも一日働き詰めでお疲れだろう。無理に付き合わせる事はないと思い、声をかける。
いくら子供は疲れ知らずと言えど、私がチェレンくらいの時はすでに筋肉痛が明後日に来ていたからな。気丈に振る舞っていても肉体は限界に違いない。何かあったら連絡するから先に休んでてよ、くらいの気持ちでいたのだが、チェレンの口から出たのはとんでもない台詞で、私は数秒反応できずに固まった。

「僕は…もう一度この中を探します。あんなゲーチスの言う事なんか…信じたくないんだ…」

狂気。どうかしてるとしか思えない彼の行動は、いっそ恐怖すら覚えた。イッシュ人の底知れぬ体力に、やはり水が違うからか…と水質に囚われた私が顔を出す。
マジに言ってんのか?そりゃゲーチスが嘘ついてる可能性はあるけども、だからってお前…今日の作業量を思い返してみて?それでも尚、もう一度古代の城に入るっていうの…?
塔を登り、砂に潜ったあと、さらにまた砂の城に挑む…これが真の若さか、といっそ絶望して、危ないからもう止しなよ、と一瞬止めようかとも思った。しかしあまりに真剣な彼の様子に、私は声をかける事ができない。

それほどまでに…真剣に石探しを手伝ってくれようとしているのか…この私がNと太刀打ちできるように…。いやまぁ物理では即退治可能だけども、にも関わらず尽力してくれる姿勢、感動しかない。その真面目さ半分ほど分けてほしいわ。私はご覧の通りボボボーボ・ボーボボくらいふざけ倒してるからよ。誰が鼻毛神拳伝承者だよ。
ハジケ祭りを開催する私は、この場をチェレンに任せる決意をし、貫禄ある顔つきをしながら軽く肩を叩く。

「…気を付けてね」

慈愛に満ちた眼差しを向けると、チェレンはそれ以上に熱い視線を寄越してきた。そして半分忘れてた話題を、ここで捻じ込んでくるのである。

「…レイコさん」
「何?」
「前に好きだって言ったの…覚えてますか」

今それ蒸し返すの?
砂漠のド真ん中に立ちつくし、私は一瞬にして硬直する。まさかここに来てその話が舞い戻るとは思っていなかったため、滝のような汗をかきながら、むしろお前に忘れててほしかったよと願う他ない。

なんで今?この先しばらく会わないというゲーフリのシナリオを見越しての判断ですか?普通に気まずいからやめてくれよ。この戦いが終わってからにしてくれてもよかったんじゃない?
KYのチェレンにどう反応したらいいかわからず、心苦しさに苛まれた私は、とりあえず希望を込めて茶化してみる。

「あれは間違いだったって?」
「…違います。ただ…」

秒で否定されたわ。イエスしか聞きたくなかったのに。

「僕はレイコさんのこと…どんな人か知ってるつもりです。付き合いは長くないけど」

いきなり怖いことを言われた私は、彼の言葉に息を切らせた。隠れニートにとって、知ってる、というワードは地雷なのであった。
止まりそうになった心臓を押さえ、震える手を何とか鎮める。

し…知ってる…?知ってるって何を!?ねぇ!何を知ってるんだよ!やめてよそういう思わせぶりなの!世間体を気にしてる無職にそれはまずいですよ!レシラムとの大事な面接の前に揺さぶらないで!
どういう意味か量りかねている間にも、チェレンは話を続け、私の鼓動はひたすらに爆音を奏でた。

「さっき言ってましたよね。自分のポケモンが、いつまでついて来てくれるかわからないって」

八話も前の事をさっきと言われて戸惑ったが、確かにそれっぽい愚痴をこぼした覚えはあるので、私は素直に頷いた。自分には何もないように思えると言ったチェレンに、いや私の方が何もねぇから!と返した回だ。
ニートでしかない自分に比べたら、チェレンはこうして石探しに尽力してくれるし、ポケモンのために何かしたいという強さをしっかり持っている。でも私は無職だ。職もなければ甲斐性もなく、流されてここまで来ただけのベルトコンベアー人間…そんな志も何もない私に、一体誰がついて来てくれるんだ?チェレンだって私がニートだって知ったら、石探すのやめよっかな…って思うかもしんないじゃん。
無責任な少年を鼻で笑い、やさぐれた気分で首を横に振る。

「…それもわからないし、チェレンだって私のことわからないと思うよ」
「わかるよ。だって、トレーナーだから」

タメ口で断言され、まさかニートと知っていながら私を…?と自惚れかけたが、トレーナーと言われた時点でそれはないと気付いた。安堵するやら戸惑うやらで、心がいつになく忙しない。

「戦ったらわかります」

真っ直ぐ見つめられた私は、あの時、フキヨセの修羅場のあとチェレンが、ポケモン勝負は楽しいと言った事を思い出していた。勝つこと以外にも価値を見出した彼が、本当に私よりも私を知っている気がしてしまい、言葉が真っ直ぐ届いてくる。

「僕も、ポケモンたちも…レイコさんの事が好きですから」

だから大丈夫、と手を握られた。一体何がチェレンにそう思わせるのかは、やっぱりよくわからなかったけど、でも握った手の温度には真実味があり、信じてみたいと思ってしまった。
何なんだよ急に…そういうこと言われると普通に泣くぞ。目からハイドロポンプってタグつけられちゃうだろうが。たださえ涙腺緩くなってるんだから…犬が野原を駆け回る映像だけで泣ける人間、それが私だよ。
残念ながらチェレンは私がニートである事は存じ上げていないようだが、でもポケモン勝負をしたらわかると言われたら、それも本当なのかもしれないと思う。何故なら私も、ポケモン勝負を通じて理解した事がたくさんあるからだ。彼の言う通り、それがトレーナーだというのもわかっていた。

Nだってきっと、それをわかり始めているんだと思う。ポケモン勝負を通じて何かを見るために、私とレシラムを待っている。そして私も、チェレンの言葉が本当かどうかをNに確かめたいのだ。どんな結果でもしょうがないと思ってたけど、でもチェレンがそう言ってくれるなら、少しは信じてみたい。私のようなニートでも、ついてきてくれる存在がいる事を信じたい。それはそれとしてアデクの勝利も信じたい。止まるんじゃねぇぞジジイ、私の下位互換としてしっかり役目を果たしてくれよな。
上位互換の私はチェレンの手を握り返し、礼と共に微笑みを向ける。

「…ありがとう。ちょっと自信ついたよ」

照れ笑いをしたらチェレンも笑った。そして蒸し返した告白が恥ずかしくなったのか、挨拶もそこそこに古代の城へ戻って行ったため、何とか返事をせずに済んだな…とホッとし、クズニートはカイリューに乗ってシッポウシティを目指す。このまま誤魔化しながら行こう。チェレンもこんなニート女に振られたという傷を残したくないだろうしな。これは優しさなんだ。ご理解いただきたいと思う。
誠実さ/Zeroの私は風を浴びながら、いよいよ覚悟を決めて拳を握った。

もし、もしもアデクさんがヤムチャになってしまった時は…私がやらなくちゃ。レシラムに認められるだけのトレーナーになって、Nを倒し、ポケモンと人が助け合う世界を存続させる。私なりの思いをNにぶつけて、たとえわかってはもらえなくても、一つの考え方として受け入れてもらえたらいいと思う。私もNの訴えを、ちゃんと受け止めようと思う。
これであとは親父が私のニート化を受け入れてくれたら万々歳なんだけどな…と結局は思考を非労働に回しながら、因縁しかないシッポウシティへ足を踏み入れるのであった。

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