「え?」

薄明かりに灯された部屋を見た私は、理解が追いつかず、思わず素で驚いた声を出してしまう。間違えたかな?と一回閉じ、再び入ったけれど景色は変わる事なく、次第に狂気が見えてくる。死体でも発見したかのように顔を手で覆って、途方もない絶望を覚えた。

Nの部屋、と言われて想像したのは、白い壁に数式が書いてあるだとか、本の山に全てが埋もれているだとか、まぁそういうドラマでよく見るインテリのテンプレみたいな部屋だった。ダクトリが何も感じないと言ったのも、小難しすぎてよくわからん的な意味か何かだと思っていたのに、目の前に広がる光景は私の予想の斜め上どころか、遥か上空を越えていった。挙句にどこからともなく不穏なBGMの幻聴が聞こえてきたりして、こっちの気が触れそうである。

「なんだここ…」

これ、子供部屋だ。

それは、保育園かと思うくらい遊具や玩具で溢れた場所だった。成人男性の部屋だと言ってまず信じる奴はいないだろう。当然私も信じられず、Nが昔使ってた部屋っしょ?とせせら笑い、現実逃避を試みた。

だって、どっからどう見たっておかしいでしょ。要略すると引きニート電波の部屋なんだよな?絶対私の自室みたいになるはずじゃん。点けっぱなしのパソコン、やたら録画の溜まっていくレコーダー、散乱するコンビニの袋、万年床、ベッド周りに集められた日用品、隠された薄い本など…それが真っ当な引きこもりってやつですよ。ゲーチスにここでほぼ軟禁されていたというのなら、そういうキモヲタにならないとおかしい。
私は意を決して部屋を進み、ループしている電車の玩具をじっと見つめた。デハニ101系…渋いな…なんて適当な評価をしている時、ふと気が付く。瞬間、恐怖のあまり鳥肌が立って、一気にドアまで引き返した。

なんで?
なんで動いてんだこれ?

延々とレールを走り続ける電車は、不気味とかいうレベルではなかった。
Nが昔使っていた部屋なら、動いているはずがないからだ。埃被ってもいないし、何より生活感がある。まるで誰かがいつもここに住んでいるような、そういう空気が漂っている。

Nに与えられた世界…Nの部屋って…ここが本当に、Nの部屋なのか?

彼の趣味でこの仕様になっているとは考えにくく、さっきの女神の話といい、私は感情が高ぶりすぎてどうにかなりそうだった。この部屋に住めと言われたら、まともな大人は二秒でドロップアウトする、それがこの空間なのだ。
呆然と立ち、私は低い天井を見上げる。

Nは、どこからどう見たって大人だろう。年上か年下かは知らないが、どっちにしたって彼の年齢にこの部屋は相応しくない。ここに住めるという状況は、異常でしかなかった。

私もかつては、この天井で回転している飛行機の玩具みたいなのを持っていた事がある。なんかファミレスでお子様ランチ頼んだら付いてきた。でもそんなものはもう持ってないし、遊びもしないし、欲しいとも思わない。何か欲しいものある?と聞かれたら、現金かな…と答える、そういう大人になったわけだ。

しかしNはそうならないままここで育ち、本来の遊び方も知らないままバスケットゴールに電車を突き刺し、的を狙わないダーツで遊び、プラレールには行ったり来たりを繰り返させて客を乗せないという、そういう少年時代を過ごした。窓もない、テレビもない、天井に空の模様がプリントされたこの部屋で、ただただ傷付いたポケモン達と暮らす、常人が見たら卒倒する日々…。
床についた生々しいひっかき傷が、Nの理想の正体を物語っている。

「こんなのってないよ…」

思わず鹿目まどかと化してしまうくらい、私は強いショックを受けた。いろいろ見聞きして覚悟していたとはいえ、想像を絶する環境をいざ見せつけられると、普通に泣けた。零れ落ちた涙がバスケットボールに落ち、ハルモニアと書かれたその言葉の意味も、今はよくわからない。

一体どういう経緯でNがここに連れて来られ、ゲーチス奴から英雄教育を受ける事になったのかは知らないが、こんなのは非人道的すぎる。人を人と思っていない所業、自分の目的のために他人の人生を好きにしていいなんて事は、あるはずがないのだ。ニートという自由を求める私は縛りつけられたNの人生に怒り狂い、思わずボールを蹴ると、壁に跳ね返って顔面に当たった。

「いって!」

狭いんだよ!遊具ばっか置いてんじゃねぇ!絶対匠呼んでやるからな!
なんという事でしょう、バスケットボールが当たった顔面は、美女からブスへと大変身…と脳内で加藤みどりがほざき、しばらく痛みで泣いた。次第に違う涙に変わっていったけど、それは気付かなかった事にする。

もう嫌だ…帰りたい…。泣き言を言いながら、何度も何度も涙を拭った。
ゲーチス本当に人間か?何故こんな事ができる…?強制された純粋さなんて悲しいだけじゃないか。普通に生活していれば、大きくなるにつれて感覚も変わるだろう。こんな部屋に住んでたら頭がおかしくなる事に気付くはずなのに、でもNは違うんだ。大人になる事さえできなかった。本人も気付かないうちに、体ばかりが成長して、やっと外に出て、そして私と出会った。
あんなド田舎で、私のような美女に初めて出会い、さぞ驚いた事でしょう…。そりゃ恋に落ちて路チューをしてもおかしくはないかもな。他に愛情表現を知らなかったんだろうね。そういう事情があるなら私も鬼じゃない、今回の件は許…すわけねぇだろカス!

「…ゲーチス!殺そう!」

決意を新たに、私は立ち上がった。流した涙の分だけ強くなり、やはりあの絶望怪人は殺すべきだと結論付ける。
Nの罪は貴様の罪!全て償えよ!もうオリエント急行殺人事件のように、騙された団員たちと一緒に一回ずつ刺して殺すしかねぇよ…。アガサ・クリスティの力を借りる思いで、私はこの狂った部屋を見渡し、目に焼き付ける。
この間まではここがお前の世界すべてだったのかもしれねぇ。でも今は違うから!イッシュを旅して広い世の中を見た今なら、ここが世界の全てじゃなく、ただの悪趣味な部屋に過ぎないという事をきっと理解したはずだ。それを認めるのがつらいなら、私が無理矢理思い知らせてやるし、そして受け入れるまで付き合ってやるし、待ってやる。刑期が終わったら迎えにも行ってやる、だからどうか、ゲーチスの思い通りになんかならないでくれ。お前の純粋な気持ちが嘘でない事を、私は全部知ってるから。

タタリガミになっちゃ駄目!と乙事主様に叫ぶサンのような気持ちを抱き、私は部屋を出た。主人公に探索を渋らせるという前代未聞な空間の余韻はしばらく続きそうだけれど、胸を痛めている暇も筋肉を痛めている暇もない。早く止めなければ、離れ離れになってしまう人とポケモンや、Nのように悲しい時間を過ごす者や、ニートになり損なう私などが生まれてしまうかもしれないのだ。イッシュ中の想いを背負った私はライトストーンを握りしめ、急ぐ気持ちとは裏腹に、重い足取りで階段をのぼった。また頂上パターンかなこれ。中腹で戦うという選択肢はないのか。

この階段もNの部屋くらい恐ろしいよ…と溜息をつき、それでも見え始めたゴールには安堵を覚える。
次の階段で終わりみたいだな。長かった…永遠に地獄が続くかと思ったよ…途中で重いイベントに遭遇したせいで疲労も増量…てかダークトリニティもわざわざ私の元に来るんだったらあとどれくらいで頂点か教えてくれたらいいのに…親切なのか不親切なのかわからない連中だぜ。
Nの部屋を見ても何も感じないと言った彼らにも、私は少しゾッとした。Nがああいう感じだからあの部屋で育った事も頷けるので別に驚かない、的な意味かもしれないけど…それにしたってやばいだろ。大体ゲーチスがNに軟禁まがいの事をしてると知っていても尚仕えてるって正気の沙汰じゃねーな。
奴らもまた時代と環境が生んだ悲しきモンスターなのかもしれない…と思い、しかし彼らを見て私の中のダンブルドアが、あれはわしらには救えぬ者じゃ、と残酷な事実を告げてくる。
ダクトリが手遅れかどうかはさておき、Nはまだ可能性がある。女神が言ったみたいに、大事なことに気付ける心がある。その真実が、私の気持ちを揺さぶってやまないのだった。

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