Nに促され、青春の影のような長い一本道を歩く。いつ財津和夫が唄い出してもおかしくない雰囲気の中、青い絨毯のど真ん中に立ち、先を行く相手の背中を見つめた。

気のせいだろうか…どこからともなく感動的な音楽が流れてきているような気がするのは…。幻聴に悩ませられながらも、さっきまでの激闘が嘘だったみたいに穏やかに流れ出す時間は、何となく落ち着かなかった。現実味のない城の天辺で、私はNが話を切り出すのを待っている。

多分だけど…夢断たれ、敗北し、プラズマ団も機能停止した以上、Nとはここでお別れになるのだろう。普通に路チューの罪で自首してほしいしな。悪いが面会には行かねぇ。私はもう国に帰るから。できれば警察に突き出す真似はしたくない、自らの意思で罪を認めてくれれば…私はお前の成長を心から喜ぶ事ができるでしょう。
親心のような気持ちさえ抱き、これから前科者になるであろう男を複雑な目で見つめていると、自首の決意が固まったのか、Nは私を振り返った。つられて足を止め、静聴の姿勢を取る。

「キミと初めて出会ったカラクサタウンでの事だ。キミのポケモンから聞こえてきた声が、僕には衝撃だった…」

いきなり思い出話を振られて困惑するも、もはや急展開を珍しいとも感じなくなってしまった私は、黙って相槌を打った。不審者の対応に慣れていく自分に、正直恐怖しかない。無駄な耐性付けさせるんじゃねぇよ。頼むからもっとイージーな人生送らせてくれ。
とはいえ、彼の台詞には気になるところもあったので、真面目な私は茶々など入れず大人しくしておいた。

カラクサタウン…懐かしいな…私はやべぇ奴に会ったから忘れもしないけど、そっちも一応覚えてたわけね。馴れ初め感を出されて若干引いている私は、これからNが何を喋るのか見当もつかず、首を傾げた。
なんだろう。衝撃を受けるほどの発言が私のポケモンから出たって事か?それは…私がニートであるとかそういう話じゃないだろうな…。そりゃ無職の私を嘆き悲しむポケモンの声が聞こえてきたら驚くだろうよ。手持ち達にそんなに気を揉まれてたとしたら普通に申し訳ねぇわ。申し訳ねぇけど、でも働く気はない。働いたら負けだと思ってるし最悪殺す事もある。

もしニート的なことを指摘されたらどうしよう…と冷や汗を流すも、今さらNに取り繕う必要もないので、私はありのままの態勢で相手に臨んだ。私だって覚悟持って来てるんだ、私のポケモンが私の事をどう思っていようと、それを全部受け止めるつもりでここにいる。たとえどれだけ辛辣な言葉が待ち受けていてもね。
でもどうかお手柔らかに…とゆとり丸出しの祈りを捧げていれば、そんな私の心配を杞憂に終わらせる台詞が、Nの口から放たれる。不思議そうに、けれども納得したような顔を真正面から向けられ、私の心に積もる不安が、一瞬にして消し飛んでしまった。

「何故ならあのポケモンは…キミの事をスキと言っていた…」

静かなNの呟きを、きっと一生忘れないと思う。

「一緒にいたいと言っていたから」

何だかいろんな事が走馬灯のように流れ込んでしまって、私はその場で立ち尽くした。返事もできず、告げられた台詞を反響させ、ただただ呆然と相手を見つめる。本当に?と聞き返したくてたまらないが、ポケモンもNも嘘をつかないと知っているので、感情が溢れて止まらない。ホイットニーさん出番ですよ!と舞台裏に叫びたいくらい、エンダアアアはそこまで迫っていた。

スキ。一緒にいたい。ありふれた言葉が、新鮮味を帯びて私の中へと入ってくる。初めてウォーターを知ったヘレン・ケラーのように、それは衝撃的だった。
まだ私が勉学に励んでいたロリだった頃、通学路を塞ぐはた迷惑なカビゴンと出会った。あれから何年も経って、いろんな事があったけど、でも私の気持ちは全然変わってないし、ポケモン達もそうだと言われたら、もう居ても立ってもいられない。
私も好きだ。何があっても未来永劫、ニートと同じくらい、いやもしかしたらそれよりも、ポケモンが好きだ。愛してるって言ってくれなきゃ不安なんだよ系の面倒な女子と化してしまったけど、これでやっと憂いも晴れる。
私も好きだ、本当に好きだ。お前らが思ってる以上に好きだと思うぞ。

「…僕には理解できなかった。世界に人の事を好きなポケモンがいるだなんて。それまでそんなポケモンを僕は知らなかったからね…」

ホイットニーがしっとりとAメロを歌い上げている間に、Nは悲しい人生の一部を私に告げる。知ってしまった彼の過去を思うと、晴れ晴れとした自身とは裏腹に、何とも胸が痛んだ。トラウマ部屋を思い出せば、一層深淵を覗いた気分になる。
どっちの女神だったか忘れたが…言ってたもんな、傷付いたポケモンばかりNに近付けてたって。あの床や壁の引っかき傷の生々しさを、きっと忘れる事はないだろう。
そんなNの価値観を最初に引っくり返したのがうちのポケモン達だってんなら、こんなに心震える事はないよ。だって私も、巡り巡って今その言葉に救われたんだからな。

「それからも旅を続けるほどに、気持ちは揺らいでいった…心を通い合わせ、助け合うポケモンと人ばかりだったから」

伏し目がちに語りながら、そう悪くない思い出のように紡いでいくNが、部屋の奥まで歩いていく。ゼクロムが突き破って死んだ玉座だ。あれは建築費など気にも留めない、成金による恐ろしい破壊劇の一幕であった…。
金持ちの考える事はわかんねぇな…と引きつつ、壊れた壁から見える青空を、私は黙って見つめる。この下に、Nの人生を変える出会いがいくつもあったのだと思うと、感慨深い気持ちになった。
どのトレーナーにも私に絡むように接してたらマジでドン引きどころの話じゃないが…それでもNにとってはどれもこれも得難い経験だったんだろうな。私でさえイッシュに来ていろいろあったんだ、赤子同然のNにとっては、もっと圧倒的な景色だったに違いない。
想像する私の横で、Nは正直に心情を吐露した。

「だからこそ、自分が信じていたものが何か確かめるためキミと闘いたい…同じ英雄として向き合いたい、そう願ったが…」

感傷的な声の中にも、悟りの色が窺えた。小さく首を横に振ると、私を見つめて微笑む。

「ポケモンの事しか…いや、そのポケモンの事すら理解していなかった僕が…多くのポケモンと出会い、仲間に囲まれていたキミに敵うはずがなかった…」

眉を下げて笑うNに、お前が…桜に攫われそうな気がして…的な儚さを感じてしまった私は、思わず相手の腕を掴んだ。そうでなくともぶっ壊れた壁から下に落ちてしまいそうである。落下事故防止策を取りながら、Nに物申さずにはいられない。
何だかいい感じのコメント残されたけど…ポケモンのこと理解してなかったのは私の方だよ。あんまり認めたくないが、お前に会わなければ何の理解も得ないまま家でニートしてたかもしれないし…。語彙がないとか言ってる場合じゃないと奮起し、私は勝負にこそ勝ったものの、大事なことをNから得た感謝などを、遠回しに伝えようとする。

「…そんな大層なもんじゃないよ、私なんか全然…立派な人間ってわけでもないし…」

思わず卑屈から入ってしまった。根暗すぎて。
気を取り直し、小学生が先生に一生懸命説明するような感じで、Nに思いの丈を素直にぶつけた。上手く言えないから、もう感じた事そのまま言ってしまおう。Nだってずっとそうだった。取り繕い方も知らず、真っ直ぐ向かってきたからこそ、私も心動かされたのだった。

「ずっと不安だったんだよね。ポケモンと通じ合えてるのか…私の一方的な想いだったらどうしようって…」

エリートトレーナーにあるまじき悩みを打ち明けている間も、相手は静かに耳を傾けている。

「でもそれを今…本当にさっき、Nが解消してくれたんだよ。すごい話ですよこれは」

突然テンションが上がるオタクのように顔を上げれば、Nはわずかに目を見開き、私の手を握り返した。しっかりと視線を合わせ、私の中でどれだけホイットニーが熱唱しているかをどうしても伝えたくなる。
ポケモンが私を好きなのか、このところずっと自信が持てなかった。長年築いてきたものが、いつの間にか崩れていたかもしれないという妄信に取り憑かれ、自暴自棄になって目を背けていた私が、いま確かに救われたこの事実を、何としても知ってほしかったわけだ。それをNが求めているかはわからないけど、心の片隅にでも留めておいてくれたら、嬉しいと思う。

「だって…Nがポケモンの言葉を伝えてくれたら…私達はもっとわかり合えるっていうか…」

とうとう語彙が尽きたところで、私は雑な総括を投げる。

「とにかく救われたって話…私のような奴でも…」

感謝いたす…と軽く頭を下げた時、突然Nは私の腕を引いた。直後に手を離したかと思うと、熱い抱擁を交わされ、脳内審判が判定に迷い、セウト!と一言叫びを上げる。いきなりの事に、さすがの不審者百戦錬磨の私も思考停止した。
震える腕と体温で、何が起きているのかやっと理解する。

お前…また余罪を増やしたいのか?
何故か急に感極まってセクハラを働いてきたNに、貴様何も成長してないな?とキレ散らかしそうだったが、今回ばかりは私も感極まっていたため、黙って背中に腕を回した。理解し合えなくても、熱い抱擁を交わすに値する関係性があると思ったからだ。
バケモノなんかじゃねぇよ、N。人の心がないなんて、私は絶対思わない。お前のその特殊能力で、きっと多くの人やポケモンが救われるに違いないんだ。それってNにしかできない事だし、Nが描いた理想の世界も、案外そうやって作っていけるんじゃないだろうか。
クラウドファンディングとかしてみたら?と具体的な計画を思案する私に、それまで黙っていたNは、感嘆の息を漏らした。何が彼の琴線に触れたのかはわからないが、Nはもう一度、スピッツなみの魔法の言葉をかける。

「…みんなキミの事が好きだよ」

おいやめろ、泣くじゃねーか。

「キミだからこそ、みんな強くなれたんだ」

織田信成のように号泣不可避と思われた瞬間、次に放たれたNの台詞で、私は氷上から降りるはめになるのだった。

「僕もキミが好きだ」

何で今それ言う?
いい雰囲気のところ申し訳ないと思いながらも、私はそっと身を引き、アサシンのエミヤくらい虚ろな表情でNから離れた。そうですか…と何とも言い難い返事をし、しばらく二人で黙り込む。

いやどうしてくれんだこの空気。突然主観を混ぜるな、困惑するだろうが。大体さっき少し気に入ってたって言ったよね?どっちなの?いきなり昇格したの?
相変わらずマイペースなNに溜息をつきながらも、この電波とももうすぐお別れかと思ったら、わずかな物寂しささえ覚える始末だった。そこそこ長い旅路のほとんどで出くわしてたからな…そりゃ私だって情も移るよ。移るけど、自首してほしいという気持ちは変わらないから安心してくれ。
更生を願い始める私の内心を知ってか知らずか、Nは景色を見下ろし、別れの空気を醸し出す。

「…さて、チャンピオンはこんな僕を許してくれたが…僕がどうすべきかは、僕自身が決める事さ…」

そう呟くと、空に向かってモンスターボールを投げる。出てきたゼクロムは、硬そうな翼を羽ばたかせ、Nとの旅立ちを決意したように待機していた。それに合わせるよう、レシラムのボールから鼓動が伝わってくる。まるで長い別れを惜しむように。

行ってしまうんだな…警察へ。自首を疑わない私は、のび太とピー助の別れのように感動的な雰囲気を醸し出し、相手を見つめた。
これからの人生…きっといろんな事があると思う。前科者だと疎まれ、窓際部署に左遷、朝も昼も夜もスーパーの惣菜で済ませ、毎日定時で上がって家に帰っても寝るだけの生活…何のために生きてるかわからなくなる事もあるかもしれない。でももし路頭に迷った時は、私を思い出して訪ねてきてほしいと思うよ。コネだけは無駄にあるこのニートが、力になれる事もあるはずだから…。
勝手に将来を悲観する私に、Nは振り返ると、案外明るい表情を向けた。

「レイコ!」
「あ、はい」

危うく職業安定所の職員のような気分になりかけたところで、Nの一声により我に返った。そして心臓が凍りつく台詞を、このシリアスの中でぶち込まれるのである。

「キミは…夢があると言った…」

どうしてこのタイミングでその話だよ?
最後の最後に爆弾を投げ込まれた私は、引きつった笑顔で頷くしかなかった。純粋なNの瞳を見ていると、情けなさに涙が出そうで、思わず視線をそらす。
お前…ここでその伏線回収しないでもらえるか?心が死んだわ。確かに私には夢がある。小さい頃からずっと追い求めている、かけがえのないビッグドリームだよ。
でもお前の夢と比べたらカスだからな!?本当やめて!こんな別れ際に持ち出されるようなレベルの話じゃねーから!傷をえぐらないでよ!
つらい気持ちになっている私とは裏腹に、夢とは清らかなものであると信じているNは、ハイライトのない澄み切った眼差しで、私をさらに追い詰める。

「その夢…叶えろ!素晴らしい夢や理想は、世界を変える力をくれる!」

力強く言われ、死亡と同時に蘇生した。一度はその眩しさに耐え切れなかったものの、最後の一言は胸に響いた。
私の夢や理想は微塵も素晴らしくはないが…でも確かに、ニートという夢が原動力になったおかげで、Nや伝説のポケモンに立ち向かえたし、様々な奇跡も起こしてきたように思う…そう考えたら、夢があるだけで素晴らしいって事になるのかもしれないな。いい感じに自分を納得させ、私はやっとNを堂々と見つめる事ができた。
そうだよな、ポケモンと一緒にニートしたいから頑張れたんだもんな。夢を叶えたあともこの気持ちを忘れずにいると誓うよ。当分叶わない事をこの時のレイコはまだ知らない。

「レイコ。キミならきっとできる」
「うん…そう信じたい…」

全ては親父次第だという悲しい現実から目をそらし、ゼクロムの背に乗ったNへ、私は声をかけた。

「私の夢がどんなでも…また会ってくれるかな」

いいとも!以外の答えを聞きたくない私だったが、心配せずともNはしっかり頷いたので、もしかしたらニートなのはバレてるかもしれないな…と遠い目をして失笑する。誰かバラしたんじゃねーか?正直うっかり口を滑らせてもおかしくない手持ちしかいないし、察しのいいレシラム奴がゼクロムに通信で教えてる可能性も充分あるぞ。ふざけないでいただきたい。
冤罪だと言わんばかりにボール内で暴れるレシラムを押さえ込む私に、Nは本人史上最高の笑顔を見せ、思わず私を見惚れさせるのだった。

「きっと会いに行くよ」

アシタカみたいなこと言いやがって。サンキューな。
どうやら無職ごときでは揺らがない信頼関係を築けたようで、さすがの私も少し照れた。これで再会した時にお前がベンチャー企業の社長とかになってたら普通に縁切るからな。人より出世するのやめろ。
心の狭さを遺憾なく発揮し、信頼関係のしの字のない私にも、Nは別れを惜しんでくれているようだった。しばらくゼクロムの上からこちらを見つめたあと、どこか寂しさのうかがえる表情で口を開く。つられて感傷的になってしまいそうな私は、手を振る事もできなかった。

本当に…ここで別れちゃうのか。正直めちゃくちゃ疎ましかったけど、でも今は寂しさを感じちゃうの、何でなんだろうな。一緒にいたって特に面白い事もないのに。
だけどNにやばい絡まれ方をした事も、度々キレ散らかしたことも、何回も戦った事も、うっかりお前のために泣いた事も、怒った事も、悲しんだ事も、私は一つも後悔してないよ。それって私の人生にも必要な事だったと思うから。多分ね。

「それじゃ…」

寂しげな、それでいて迷いのない声を、私はしっかり受け止めた。

「サヨナラ」

手を振る間もなく、言葉と共にNは去った。一度舞い上がり、風を切って降下していく。そしてあの神エンディングのBGMを聞きながら、私は一人、空に向かって呟くのであった。

「さよなら…」

またいつか…たぶん二年後くらいに…。
メタい事を考えつつ、これからのNには幸せが待っている事を、願わずにはいられない。

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