05.ヒウンシティ

俺TUEEEE!をしながら易々と二つ目のバッジを入手した私、ポケモンニートのレイコは、次なる町を目指して原付を走らせていた。
ジム戦よりもむしろジム探す方が大変だったみたいな茶番はありつつも、風を浴びる私は気分良く旅を続けている。シッポウジムのリーダーアロエは、草食系な名前とは裏腹に姉御肌な人で、ジャネットジャクソンを彷彿とさせるパワフルな姉ちゃんだったが、人妻だという情報を聞いてからは正直記憶が飛んでいた。旦那とイチャつく姿を見せつけられた喪女の私は、試合に勝って勝負に負けるという事を身を以て体感し、頬を伝う液体の正体もわからないまま走り続けている。

「橋なげー」

電波とぶつかっても恋じゃなくバトルが始まってしまう私は橋の上で叫び、爽快な道路に髪をなびかせた。
ここにきてようやく私はイッシュの名物を見つけていた。そう、橋だ。スカイツリーならぬスカイアローブリッジ。景色を見下ろしながら瀬戸大橋のように続く一本道を、原付でただただひた走った。
すごいなこれ。先見えねぇや。徒歩だったら確実に死んでただろ。遠くの景色にも橋のようなものが見えたので、どうやらイッシュはド田舎から橋を渡って都心にアクセスできるよう工夫が凝らしてあるらしい。舞台やコミケの遠征に行けない日本の田舎オタクからすれば実に羨ましいシステムだろう。まぁ私はヤマブキ在住の勝ち組だから関係ないけどな…敵はチケットを用意してくれないイープラスのみよ。非情。

卵孵化ロードを無心で走るシティガールの私だったが、このあとヤマブキとは比べ物にもならない光景が現れ、田舎をディスりまくった薄汚い心を秒殺される事となった。

「こ、コンクリート…ジャングル…」

滞りなく次なる街、ヒウンシティに私は辿り着いた。一本道だったし難はなかった。なかったけど、衝撃的なビル乱立に、一瞬意識が遠のきかける。
見渡す限りビル、ビル、ビル。ビルしかねぇ。これぞまさにこの辺にあるビル的なものは全部ビルだ!シュテルンビルトは本当にあったんだ!
ビル街の鑑であるヒウンシティに、ブロードウェイを夢見るレイコは感動の溜息を漏らす他ない。
ヒウンすげぇ。マジでここに住みたいんだが。華やかな町並みが私を圧倒し、さすが開発に二年かかっただけの事はある…とゲーフリスタッフを心から称賛する。たとえビルのドットをコピペしまくりだとしても、竹のように生えまくる建物は圧巻であった。
なんかアイスが名物なんだよなここ…どこで買えるんだろう。あまりの絶景に浮かれ観光客と化した私は、一瞬図鑑とかどうでもよくなってしまい、直後に我に返った。ハッとしながら首を振る。

いや遊んでる場合か。なに楽しんじゃってんだよ。これは苦行の旅…ここで一時の娯楽に負けてしまったらニートへの道が遠いてしまう…苦行を乗り越えた先に至福があるんだ。本物しかいらない、それが私のプライド…そうだろ?ヒウンアイスの列に並びながら、私は己を取り戻した。半分は引きずられたけども。
まぁとりあえずはジム行くか。アイス片手にポケモンジムを探してうろつき、シャレオツなバーやブティックに魂を引き寄せられたりもしたが、やっとアトリエ風のポケモンジムを発見して、頭上に掲げられた看板を見つめた。
レストラン、博物館と来て次はアトリエか…という事は画家か何かかな…兼業が多いイッシュのジムリーダーたちに、何故そうまでして働くのか、と私は問いかけたくなる。
ジムの収入だけで充分やっていけるだろ…わざわざ飯作ったり絵を描いたり…まさか好きでやってるのか?正気?信じられない。どういう地域柄だよ。やっぱ住みたくねぇなこんな土地…と労働の喜びに震える街を軽蔑し、私が無職の素晴らしさを教えてやるよとジムに乗り込んだところで、ちょうど同じタイミングで出てきた誰かとぶつかりそうになった。咄嗟に私は身を翻し、華麗なターンで相手を避ける。そして思った。
この感じ…デジャブ!

まさかまた小田和正が歌い出すのか!?と慌てて振り返れば、そこにあったのは電波ではなく、電波を発するアホ毛であった。

「あ、レイコさん」
「なんだ…チェレンか…」

なんだよビビらせやがって。またNかと思ったじゃねーか。
予想外の相手ではあったが電波神回避は素直に有り難かったので、ほっと胸を撫で下ろす。
全く…勢いよく飛び出してくるんじゃないよ…野生のポケモンじゃあるまいし…。溜息をついたあとで、今さらチェレンが出てきた場所を思い出し、私は顔を上げた。

「もしかして今ジムから出てきた?」

現れたチェレンにそう尋ねると、彼は頷いてバッジを見せてくれた。ビートルバッジというらしいそれは、綺麗な黄緑でシンプルなデザインである。これまで私の後ろをついて回っていたチェレンがちゃっかり先を行っていた事に少し衝撃を受け、私はしばし沈黙した。
お前…あの橋を徒歩で…私より早く超えたのか?やばくないか?マラソンで狙えるぞ、オリンピック。ポケモントレーナーよりそっちの方が向いてるんじゃないのと助言したい気持ちを抑え、肩をすくめる。

「早いじゃないですか…私もあそこで足止めさえ食っていなければ…」
「何かあったんですか?」
「ほら、あれだよ。Nとかいう奴。あいつと鉢合わせて長話に付き合わされてもう散々…」

子供相手に愚痴を漏らし、私は大きな溜息をついた。こういう目に遭うから関わらない方がいいぞという忠告も込め、やたらと疲れたアピールも欠かさない。
都会にはいろんな奴がいるからな…世間知らずの田舎者のきみは特に気を付けた方がいいよ。旅ってのは恐ろしいんだ…気付いたら世界を救わされたりするから責任も重いよ。私だけだそんなもん。
こちらとしては軽い世間話のつもりであったが、チェレンはNの名を聞くと、少し驚いたように私に詰め寄ってくる。鬼気迫る様子には思わずたじろいだ。
何、どうした。もしや不審者を通報もせず立ち話に暮れていた事を責めるつもりだろうか。その点は本当に申し訳ないと思っている。大人としての責任を果たせなかった事は悔やんでも悔やみきれないけど…でも私も自分の身を守るのに精一杯で…。涙を拭う振りをしながら、整理整頓ができないせいでライブキャスターの取り出しに時間がかかった事を暗に隠した。人間性が死んでる。
しかし、予想に反してチェレンは真剣にこちらを見つめると、心から心配しているような声で私を案じてくれるのだった。

「大丈夫だったんですか?何かされたりとか…」
「え?いや…まぁ黒い眼差しは食らってたかもしれないけど…」
「レイコさんの事だから大丈夫だとは思いますが…でも気を付けて。何かあったら必ず僕に連絡してください」

しっかりと手を握られ、私は苦笑気味に頷いた。優しい少年の心遣いに胸が熱くなったが、レイコさんの事だから大丈夫という言葉には全力で引っかかったので、すぐさま手を払う。
どういう事やねん。大丈夫じゃねーよ。ポケモンは強いけど私は生身だからね!電波で脳でもジャミングされた日にはひとたまりもないですよ。
私がいかにか弱い乙女であるかを叩き込んでやりたかったけど、今回はチェレンの優しさに免じて許してやる事にし、私は笑顔を貼り付けて礼を言う。しかしこんなに前のめりに心配してくれるなんて…チェレン氏、クールな見た目に反してわりと熱血漢みたいだ。まぁ人は誰でも心に修造を飼っているってことわざもあるしな。ねぇよ。

「ありがとう…そうさせてもらおうかな…ところでここのジムって何タイプが主流なの?」

私はさりげなく話題を切り替え、ジムの方を見た。正直もうNの事は思い出したくないしさっさと忘れたいんだよ。トレーナーらしくジム対策の話でもして熱い戦いを繰り広げようじゃないか。まぁ対策するまでもなく勝つんですけど。じゃあ聞くなよ。
話のすり替えを特に気にする事なく、チェレンは乾貞治のようにメガネを上げると、得意げにジムリーダーについて語り出した。データは嘘をつかないよと言わんばかりに。

「アーティさんは虫タイプの使い手です。ちょっと手こずりましたがまぁ問題なしですね」

左様か。安倍泰明の決め台詞のような感想までつけて教えてくれたが、そういえばチェレンの実力をちゃんと知らないなと思い、私は首を捻る。
タッグバトルはしたけど…あの時はお互いすぐに勝ったし…しっかり見る暇もなかった。珍しいポケモン持ってたら記録させてほしいなぁなんて密かな希望を抱いていると、チェレンは遠くを見て呟く。

「…このまま全てのジムリーダーに勝利して、僕はいずれチャンピオンを越える」

急に語り出したぞ。こういうとこあるからNPCって怖いわ。

「そうすれば誰もが僕を強いトレーナーとして認めてくれる。その時こそ僕は生きていると実感できるはず…」

何だかまた哲学的な話になってきて、私は熱くなる目頭を押さえた。
い、生きている実感…!私みたいなニートは一生使う事がない言葉を聞き、キャパオーバーで頭痛がしそうだ。
Nの電波トークに付き合ったばっかりだってのに、味方だと思ってたチェレンまで意味深な事を言い出して、私は反応に困りながら棒立ちしてしまう。
お前…そんな事を考えながらトレーナーやってたのか。生きてる実感を得るために強いトレーナーとして認められたいと。そしてそのためにチャンピオンを越えると。このとき私は、何故チェレンが私みたいなクソニートと絡んでくれるのかをようやく理解し、思わず納得の息を漏らした。

そうか…彼は…強さに執着しているのか。ビビディに魂を売ってまで悟空と戦いたかったベジータのような強い思いがあるわけなんだな。どうりで私の出禁伝説まで知ってるはずだよ…恥ずかしい…余計なことまで調べないでください。
チャンピオン越えが目標なチェレンにとって、私という史上最強の存在がどれほど大きなものであるかを思い知らされ、率直に恐怖を抱いてしまう。最終目標が私のようになる事だとしたら、お前は全力で手本を間違えている、そう言いたくてたまらなかった。
落ち着けよチェレン。誰もが私みたいに強くなれるわけじゃないし、そもそも私はニートである。人間性は死に、堕落を愛する落ちぶれた女だ。どうしてそんなに強くなりたいのかは知らないけど、強いってのは結構怖いことでもあるんだぞ。まず代償に人間性が死ぬし。それはお前だけだよレイコ。

これまでの言動からして、チェレンが強い私を認めているという事はわかった。普通に有り難い。光栄。だけど。
その強さが実はまやかしで、本質はただのニートだと知られた瞬間彼がどう思うか、考えただけでもぞっとする。私は身震いし、今は尊敬の眼差しを向けてくれている彼の瞳が、失望の色に変わる時を想像して白目を剥いた。
一瞬で手の平返されそう。最悪刺されるかもしれん。所詮あなたも汚い大人だったんですね、そう言いながら私に刃を向ける未来が…見える!城之内死すの未来が!デュエルスタンバイ!
もう絶対ニート願望は黙っとこう。私は固く誓い、死んだ目をして合掌した。チェレンのようないい子にはこれからも優しくしてもらいたいから、人当たりも良くポケモンを大切にするエリートトレーナーを演じて生きていこう、このイッシュで。カントーに帰ったら魔法は解けて小汚いニートに戻るけどな。こんなシンデレラは嫌だ。

「それじゃ…僕はこれで」

一人冷や汗をかきながら、特に気の利いた返事もできず、私は別れを告げるチェレンに手を振って見送った。去りゆく背中が今は直視できないほどに眩しい。純粋な彼を曇らせないためにも、チェレンの前ではまともなトレーナーでいなくてはならない…それが大人の務めなのだから…。単に世間体が気になるだけだという事に気付いてはならないし、世間体を守るのも大人の立派な務めなので恥じる事は何もない。ただ私の人生が生き恥、それだけだ。つらくなってきた。

勝手にテンションを降下させてしまったが、これから私もジム戦である。気を取り直して背筋を伸ばし、アトリエ風ジムに一歩足を踏み出した。
このとき私は気付かなかった。ハイテク機械のライブキャスターが、リュックの中でひそかに鳴り響いていた事に…。いい加減腕に付けろよ。

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