02.トキワの森


私の名はレイコ。昨日までニートだった女だ。

そう、昨日までニートだった私は、初めての旅に絶望を感じていた。あまりにも田舎だからである。
マサラタウンを発ち、草むらを駆け抜ける私は、テンションを下げながら次の町を目指し、何故か横道に逸れている事に気付いたので、タウンマップを広げていた。慣れない田舎で方向感覚が狂っていたのかもしれなかった。

どこにあるんだよトキワシティって…。そもそもここがどこ?マサラから真っ直ぐなんじゃなかったのか?
草むらにうんざりしている私は、この先にあるというトキワシティって街でさっさと休もうと思ってたんだけど、普通に迷子になっていたようで、つまりこの世は無情だった。もはや何も考えたくない。疲れた足を止め、原付の上で溜息をつく。

どうも左の獣道に進んじゃったみたいだな。なんか建物があるから街かと思っちまったぜ…。
紛らわしさに舌打ちし、無気力となった私は、その場でだらだらとポケモン図鑑に目を通す。

あれから1番道路のポケモンを記録していったのだが、小さなド田舎のわりに生態を調べるとなるとなかなか広く、コラッタとポッポしかいないというのに苦戦を強いられた。というか地味だ…地味で過酷。かつて父の論文のためにフィールドワークを手伝わされたけど、崖に登ったり海に潜ったり、撮影アングルに気を遣ったりと大変だったので、今回はもっと地獄だろう。
どう考えても不利な賭けだったな…と気落ちするも、こんな事でニートを諦めるわけにはいかず、気を引き締める。

そうだ、決めたんだ私は。絶対150種記録してニートになるって。こんな序盤の田舎町で挫けてたまるかよ。大体ここで諦めたら本当に地獄だぞ、観光もできない田舎だし。帰るだけでも一苦労だっつーの。
気合いを入れ直し、まぁあと一時間ソシャゲ休憩してから行くか…と絶妙にやる気を失ったニートに、急展開が訪れる。こんな辺鄙なところで、私を呼ぶ者が現れたのだ。
いきなり後ろから声を掛けられ、思わず図鑑を落としかける。この知り合いなんているはずもない土地で、一体誰が私を呼ぶかなど、考えなくてもすぐにわかった。

「レイコ!」
「グリーン…」

お前…数時間振りだな…。再登場早すぎないか?

聞き覚えしかないどころか、直近で聞いた声に振り返ると、いたのはやはりグリーンだった。スピード再会にもちろん喜ぶはずもなく、極端に少ない登場人物に苦笑するしかない。

お前もまだこの辺にいたのか。てっきりさっさとトキワ入りしてんのかと思ったよ。
先に進んだはずのグリーンに首を傾げつつも、彼も博士から図鑑を託された者である、ポケモンを探して散策をしていたのかもしれない。チャラそうな見た目に反して真面目な奴だ…と感心する私とは裏腹に、グリーンはこちらの挙動が気になったようで、不思議がる態度を見せた。

「どこ行くんだよ?」
「え!いや…ちょっと探索を…」

迷子だとは口が裂けても言えなかった。ニートにもプライドがあった。

「そっちチャンピオンロードだぜ?バッジがないと通しちゃくれねーよ」

するとグリーンは親切に現在地を教えてくれて、余程土地勘のない馬鹿だと思われている事が発覚し、心外すぎて青筋が浮かびそうである。私を迷子だと思ってやがるのか?その通りだよ。ついでに人生も迷子だよ。放っといてくれ。

こんな田舎のガキに地理を教わるなんて…と情けなさに涙したが、私のようなニートにも分け隔てなく接してくれる彼には感謝すべきなのかもしれない。迷える子羊を脱却できた事は素直に喜ぶ事にし、そして聞き慣れないワードに首を傾げた。

「チャンピオンロードって…ポケモンリーグに繋がってるところ?」

私はかろうじて知っている知識を絞り出して、グリーンへ尋ねた。
あ、さっきから見えてるあの建物…チャンピオンロードのゲートなのか。あれのせいで迷子になったも同然だからすでにいいイメージねぇよ。

チャンピオンロードというのは確か…ジムバッジを8個集めた者だけが足を踏み入れる事ができる、長く険しい洞窟だと記憶している。主にポケモンリーグを目指す者が通る場所だから、うろついてるトレーナーも強いし、野生ポケモンも凶暴だしで、このカントーで最も過酷な地と言えよう。

そんな場所がトキワのド田舎にあるなんて…全然知らなかったよ。ポケモンリーグっつったらトレーナーの最高峰、この場でチャンピオンになった奴こそが、カントーで今最も強いトレーナーになるってわけだからな。よってここを目指す人は多いだろうに、来てみたら過疎った田舎ってどういう事よ?本当にここで合ってるかな?って不安になるわ。

チャンピオン目指してる奴は大変だな…と同情したところで、私は他人事ではないと気付き、ハッと顔を上げて冷や汗を流す。チャンピオンロードに野生ポケモンがいるという事は…?と想像を働かせ、ただでさえ落ちているテンションが地まで一直線であった。

待って。カントー全土の記録ってもしかして…チャンピオンロードも含まれてるのか?
じゃあチャンピオンロードに行くために…ポケモンジムを巡ってバッジを集めなきゃならないの?私が?このニートが?正気?

引きニートの一人旅でもすでにハードルが高いってのに、ジムリーダーと戦うなんてそんな…めちゃくちゃコミュ力が必要になってくるじゃねーか。なんて事をさせるんだよこの無職に。語彙のなさ舐めないでいただきたいわね。

意外とやる事が多くて絶望する私は、参考までにグリーンの今後の動向を聞いてみる。

「…グリーンもバッジ集めてチャンピオンロード行く気なの?」
「当然!レイコも来たいなら来てもいいけど…チャンピオンになるのは俺だからな、やるだけ無駄だと思うぜ」

なんだろうな…チャンピオンとか全然なる気なかったけど、こいつの鼻を明かすためにチャンピオンになりたくなってきたわ。

相変わらず生意気さがカンストしているグリーンにブチギレ寸前の私は、絶対こいつより先にバッジ集めてやろうと誓い、思わぬモチベの獲得に複雑な気持ちを抱きつつも、宣戦布告をした。煽り耐性ゼロゆえの暴走でもあった。

「私もやるよ。結構いい線行くと思うし」

いい線どころか余裕さえあると思ってる事は秘め、仕方なしにジムとリーグに挑む事を私は決めた。どうせやらなきゃならない事だ、正直対人戦なんて野生ポケモンの記録より全然楽でしょ。だって絶対勝てるから。舐めプやめろ。
慢心する私をよそに、グリーンは適当に頷くと、わりと親切にポケモンジムの情報を寄越してくれる。

「だったらニビのジムに行けば?」
「ニビ?」
「トキワの森の先にある街」

田舎町の事など知る由もない私は、へぇ〜と適当な相槌を打ったあとで、聞き逃せない発言があった事に気付いた。できれば知りたくなかった情報に、心がどんどん挫けていく。

トキワの…森?
森ってもしかして…木々が密集したあの場所の事かな?
マサラのド田舎を脱出したと思ったら、さらに自然溢れる土地が待ってるの?地獄じゃん控えめに申し上げて。カントーって都会なんじゃなかったっけ?
自らの価値観が覆されるのを感じ、過酷の一途を辿る旅を嘆いた。

マジかよ森って。いきなりそんなハードなマップ用意しないでくれ。こちとら根っからのシティガール、田舎の事情などわからず、一駅くらいの距離なら歩けば?って言えちゃう人間なわけ。そんなニートが森なんて攻略できるわけないだろうが。手加減しろゲームフリーク!遭難しちゃうよ!

富士の樹海のような森を想像する私の顔は、余程絶望に滲んでいたのかもしれない。クソガキとしか思えなかったグリーンが突如救いの手を差し伸べ、私の中で彼は天使な小生意気くらいに昇格するのだった。

「…道わかんねーなら…途中まで一緒に行ってやってもいいけど」
「えっ」

もはや人生の路頭に迷っている事を隠す余裕さえなく、私は誘惑に飛び付いた。一瞬、断ってトキワで休んでから一人で森に入るか、疲れを我慢して道案内をしてもらい安全に森を抜けるかを天秤にかけたが、慣れない土地、それも森に一人はさすがに不安だったので、旅は道連れという言葉にあやかろうと決心する。

「い、行く…!行きます…!」

前のめりになってお願いすると、グリーンはまんざらでもないような態度で歩き出したため、案外いい奴かもね…とクソガキの評価を改めるのであった。
まぁバッジは私の方が先に集めてやるけどな。根に持ちすぎだろ。

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