妙な物音で、私の意識は覚醒した。

繊細シティガールの私が森で野宿なんて無理だよぉ〜と泣き言を言っていたわりにはさっさと眠りに落ち、いい感じにノンレム状態となっていたところで、安眠を妨害する物音が辺りに響き渡る。無視できない音量に爆睡もしていられず、とうとう私は体を起こした。

おい…一体なんだってんだ?人が気分よく寝てる時にふざけやがって…。こっちは一日歩きっぱなしで疲労がピークなんだよ、睡眠を妨げられたりなんかした日にはどうなるかわかんねーぞ。主に明日の私の体調がな。つまり睡眠は大事って話だ。

特に無職にはだらだらする事が一番の栄養素。意外とどこでも寝れるもんだな…と思った途端に出鼻を挫かれ、怒りに任せて寝袋ごと飛び起きる。
せっかく回復した気分をどん底に突き落とす不届き者は一体どこのどいつだよ!?とライト片手に辺りを照らした私は、わりと近くで何かが動いている事に気が付いた。複数の気配に振り返り、そこに広がっていた驚くべき光景を見て、思わず絶叫を轟かせる。

「うおっ!?」

とても夢主人公とは思えない野太い声で叫び、そばで寝ていたグリーンの寝袋にタックルした。這い出ながら助けを求めるように年下の子供に縋り、相手の睡眠を妨害せずにはいられないほど、衝撃的な景色を見てしまったのだ。
震えながらライトを向け、広がり続ける地獄絵図に息を飲む。声を絞り出して、なりふり構わずSOSした。

「お…おい!起きろクソガキ!」

暴言を吐きながらグリーンを引っ張る私の目に飛び込んできたのは、さっき平らげた缶詰に群がる、有象無象のキャタピーの群れであった。それはそれはこの世のものとは思えないおぞましさだった。
その数およそ16万…関ヶ原の戦いを彷彿とさせる大群が、私の残飯を漁っている。いや15万9990匹くらい盛ったけども、とにかくあのでかい目玉の虫が大挙して迫ってきていたら、さすがの東軍も怯んでしまう事だろう。

な…なんでこんなに虫が集まるんだ…!?気色悪っ!食糧不足か!?キャタピーって夜行性なわけ!?確かにヘルシー野菜の缶詰を食ったけども、だからってそんなのにつられてこんなに湧くかね!?本当に怖い!そして初日にも関わらずもうカメラを構える癖がついている自分のプロフェッショナル性が怖いわ!

ニートへの凄まじい執念も痛感したところで、やっとグリーンが目を覚ました。子供の成長を促進する最も大事な時間帯に起こしてしまった事は申し訳なく思うが、緊急事態なので成長ホルモン殿もどうにか大目に見ていただきたい限りだった。
私はヤマブキシティのレイコ。キャタピーの一匹二匹ならなんて事はないが、大群を目にする事には慣れていないシティガールである。こんな虫だらけの場所で寝られるはずもない、それはそれは可憐な乙女なわけだ。
つまり寝れねぇ!何とかしてくれ悟空!

「なんだよ…もう朝?」
「じゃねーよ!見てこれ!何!?」

混乱しすぎて語彙も少なくなってきたが、元々多くもない事など言うまでもない。私は覚醒したグリーンを盾にしつつ、缶詰を漁って満足したキャタピーが辺りをうろつき始めた様子を見てさらに恐怖した。近寄ってくる奴を露骨に避け、録画に奇声が入る事も構わずに騒ぎ続ける。

「なんだ…キャタピーか…」

なんだ、ただの神か…みたいな言い方をするな。そんなので片づけていいレベルじゃないだろ!
なんだとは何だ!とキレそうになっている私は、グリーンの素っ気ない反応にハッとして目を見開く。そもそもの育ちの違いを今はっきり認識して、このガキからは決して共感を得る事はできないと痛感した。

そ、そうか…私はシティガール、虫の大群など稀にも見ないが、このグリーンはマサラのド田舎育ち、つまり虫ポケモンなんて慣れまくってるんだ。家を出たら玄関にカブトムシが落ちているような、そんな環境で育った人間が、今さらキャタピーなんかで驚くはずがない!

「お前キャタピー知らないの?」
「いやそんなわけねぇだろ…」

そして田舎者に無知と思われると本当に癪に障るぜ!知ってるから気色悪いんだっつーの!
失礼な奴だな!とキレまくり、気にせず寝ようとするグリーンを引っ張って、とにかく現状を打破する方法を考える。とりあえず起きててくれ怖いから。不安だから。年頃の乙女なんだから。知らない土地のド田舎の森で早々に野宿なんてエベレスト級のハードルを越えてここまで来てんだぞ、可哀想だと思わないのか?私は思うね!本気で無職を目指している頭の方も可哀想だし!余計なお世話だよ。

「ちょ、ちょっと待って…まだ寝るな…!」

あくびをするグリーンを制止しながら、どうにも他に頼る者のない私は、カビゴンを繰り出してやり過ごす他なかった。何でもいいからどうにかして!と投げやりに出したわりには、これがわりと功を奏した。
二メートルを越す巨神のカビゴンは、私の前で壁を作り、見事にキャタピーガードとなって巨大要塞と化したのだ。でかいぬいぐるみが現れた事でキャタピーの興味はそちらに向き、皆思い思いの場所によじ登っていく。おいで…怖くない…とナウシカのように虫を肩に乗せる相棒を横目に、ホッとするやら不気味やらで複雑な気持ちも芽生えていく。
なんか…ポケモンが有能すぎてトレーナーの存在意義が薄れるな…カビゴンを見ていると…。こんな虫にビビっててこの先やっていけんのか?さすがのカビゴンも呆れちゃうんじゃないの?

しっかりしなきゃな…と思う私だったが、初日は無理をしないの誓いもまだ破れてはいないので、今日はもう考えるのをやめた。疲労もストレスも限界だった。
ナウシカビゴンの後ろで地獄絵図を見守り、半泣きで寝袋を深く被る。巨神の盾だけでは不安だったので、クソガキの盾も得るべく、情けなくもグリーンに懇願した。疲れからかプライドは黒塗りの高級車に追突して粉々になってしまい、今日会ったばかりの奴へ縋りつく事にも、何の葛藤もなかった。

「もう少し…近くで寝てもいいかな…」

少しというか寝袋越しにすでに密着しているが、1996年にソーシャルディスタンスの概念は存在しないので何も問題はない!

「べ…別にいいけど」

頼りにされてまんざらでもないのか、グリーンは照れた様子で承諾してくれた。チョロいなこいつ…と田舎ボーイの純朴さに苦笑しつつも、私は良い子なので素直な気持ちで礼を述べる。

「ありがとう…」

感謝しながら横になり、私は思い知った。ポケモントレーナーに上も下もない、都会と田舎にも優劣などないという事を。助け合いながらそれぞれ生きているんだ我々は。薄暗い森に放り出されても決して一人じゃないんだ。何より最強のカビゴンがいるし、ニートのためなら二人で何でも乗り越えていけるよね。実際数ヶ月後にはキャタピーを素手で薙ぎ払えるようになっている事など今は知る由もないが、今日ばかりはグリーンが虫など物ともしない田舎の人間でよかったと心の底から感謝する。

素晴らしいなマサラタウン…さすがあのオーキド博士が拠点に選ぶ町だわ…たくましい子供を育てるには最高の環境が整っている。評価を改めた私は爽やかな気持ちで眠りにつき、でも絶対住みたくはないな…と秒で掌を返すのであった。お前は性格を改めろよ。

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