25.時渡り

私は覚えていた。かつてヒビキくんが、ウバメの森の祠に祀られている神様は、実はポケモンなのだと言った事を。

オッス!オラ、レイコ!下山して落ち着く暇もなく呼び出しを食らってジョウトにとんぼ返りさせられちまったけど、意外な人物からの救援だったせいでキレるにキレられず困ってる女だ!
シロガネ山で、お前が…雪に攫われてしまいそうで…的な雰囲気を纏ったレッドという少年としばしの共同生活を終えた私は、あの幻にも似た時間を思い返す間もなく、ヒビキくんからの着信を受けていた。
要略すると、彼の用事はこうである。

「最近ウバメの森の様子がおかしいから、一緒に調べてほしいんだ」

例えばこれが、グリーンやマサキなどの人格破綻者からのお願いだったら、即断っていただろう。しかしのどかなワカバタウンで育ち、純粋さを忘れる事なく成長した理想のショタ、ヒビキくんからの願いならば、無下にする事はできないよね。
現金な私は、もちろんだよ、と爽やかに依頼を了承し、現在森の祠へと向かっている。正直な気持ちを吐露すると、もちろん行きたくない。行きたいわけねぇだろ。ウバメの森は二輪車乗り入れ禁止だし、せっかく手に入れた空を飛ぶを使用する事もできない、つまり徒歩でこの鬱蒼とした森を歩かなきゃならないんだぞ。もう二度と足を踏み入れたくないとさえ思っていたが、それでも頭の片隅に残る記憶が、私に運命を囁いてくる。

あれは初めてこの森へ来た日…ヒビキくんと祠の神様の話をして、実はその神様はポケモンらしいよ、的なトークをした記憶が、しっかり残っていたわけだ。
ポケモンがいるなら、記録をしなくてはならない。そして最近起きているという森の異変に、この神様が絡んでいるのでは?とヒビキくんは睨んでいるらしい。
珍しく利害が一致した上、ジョウト唯一の癒しであるヒビキくんと道中ご一緒できるんだから、鬱などとは言っていられないよな。何より私を頼ってくれた事が嬉しい…人望がある事を証明してくれてありがとう。その事実を胸に強く生きるよ、無職として。

せっかく得た人望を秒で失いそうな私は、祠の前に佇む少年と視線を合わせ、手を振りながら駆け寄った。

「ごめん…待った?」
「ううん、僕もいま来たところ」

奇跡か?今デートみたいなやり取りになったんだけど。
喪女の私は偶然生まれたリア充会話に照れ、そして純朴な少年相手にけしからん事を考えてしまう自分を心底恥じた。雪山でストイックな生活を送り続けた反動からか、人間と会話するだけでアドレナリンが大放出する始末であった。
いや別にレッドは人間じゃないとかいうわけじゃなくてさぁ…とよくわからない言い訳をし、気を取り直して咳払いをする。

「それで…一体何が起きてるんですか?」

やましさから敬語になってしまう私を気にする事なく、ヒビキくんは語り出した。

彼の祖父母は、森の近くで育て屋をやっている。絶妙な飴と鞭の指導でポケモン達を育成する爺さん婆さんは、最近預かっているポケモン達が森を見てそわそわしている事に気付いたらしい。
ちょうど同じ頃、ウバメの森の祠が光っているのを見た人が現れ、それをきっかけに複数の人が、風もないのに木が揺れるのを目撃したり、まるで森が何かを訴えているかのように見えた…などと証言し始めたというのだ。中でも光る祠現象は目撃者が多く、これは神様の仕業に違いないと踏んで、私に調査の依頼が来たってわけだ。
もし森の神様がいて、それがポケモンなら、生半可なトレーナーでは太刀打ちできない可能性がある。だから私。カントージョウトを支配し、ポケモンリーグだけでは飽き足らず、シロガネ山の頂上にまで登り詰めたこの私にな、様子を見てきてほしいと。そうおっしゃる。

そこまで期待されちゃしょうがないけど…でも一人くらいポケモン研究の専門家とか付けてくれてもよくない?ワカバのガキとヤマブキのニートだけじゃどう考えても役不足でしょ。
そりゃな、ポケモンが襲って来たりしたら私の出番だなって思うよ。でもインテリが必要な場面になったらどうする?脳筋と田舎者じゃ不安なんですけど。調べろと言っても何を調べたらいいかわからないし。祠拝んで終わるはめになるんじゃないか?
私は小さな祠を横目に見て、別に光ってもないし何の変哲もない木造建築としか思えないけど…と顔をしかめる。
で?脳筋の私に何をさせる気なんだよ?こんな時間に。

そう、言い忘れていたが、今は夜。何故か深夜0時前である。

「実は噂があるんです。神様に会える方法…」

呟いたヒビキくんが、神妙な顔で私を見つめた。そのただならぬ雰囲気に、思わず息を飲む。
なに、その意味深なご様子は。まさか神様って言うくらいだから…祠に生け贄を差し出すと現れる的な…!?森がおかしいのは生け贄を差し出さなくなった人間への警告…!?
やってくれるじゃねーかゲームフリーク…さすがマザーを作ったスタッフ共だよ…。勝手に感心する私は、次の瞬間これがCERO:Aのゲームであった事を思い知らされる。いやマザーも全年齢だったけどな。

「午前0時ちょうどに祠を開くと、幻のポケモンが現れるっていう…」

それガセじゃん。当時流行ったガセネタ!
全国の小学生を困らせたガセネタをぶち込まれ、ヒビキに全力で疑いの眼差しを向けながら、私は閉口する。

いや普通に嘘でしょ。ありえないって。ネットも普及してなかったのに何故か全国的に流行った謎のガセネタをこんなところでぶち込んでくるんじゃないよ。
呆れる私とは裏腹に、ヒビキは信じている様子なので、終始真面目な表情である。そのあまりに真剣な眼差しから、無下にする事など到底できない私は、それはガセネタの嘘松!と叫ぶ事ができず、ただ眉をひそめた。

まぁ…やるってんなら別にいいけどさぁ、でもそんなのすでに誰かが検証してそうなもんじゃね?羽根をルギアとホウオウに持たせて育て屋さんに預けるとか、金の葉っぱと銀の葉っぱを使うだとか、そういう根も葉もない噂に踊らされた世代だからいろいろ疑心暗鬼だな…。信仰心のない私のやる気はすでに底辺だったが、それでも他に手がかりはなさそうなので、渋々頷き了解する。

こっちもそのガセで幻のポケモンが記録できるってんなら願ってもない事だし、VC版のクリスタルでは普通に入手イベントが最初から入ってるらしいからな。万が一って事もある。せっかくこんな時間にここまで来たんだ、何もせずに帰るのもどうかと思うしね。
夜型ニートの私はともかく、健康優良児のヒビキくんに夜更かしはつらかろう。やるだけやってみるか、と態度を改め、図鑑を構えて待機した。ラジオの時計を真剣に見つめるヒビキくんをよそに、私は何だか急に肌寒さを感じて、辺りを見回す。

なんだろう…今ちょっと冷気が走ったような…。夜中だからか?シロガネ山帰りのこの私が寒気を感じるなんて…霊峰と俗世のギャップに体がついていけてないのかもしれない。
陰鬱とした森の空気がそう思わせるのか、どうにも場違いな感じさえしてきて、普通に早く帰りたくなってくる。
何か嫌な雰囲気だぞ…だから森は嫌いなんだよ…森嫌いな奴がこんなところにいたら神様もお怒りなんじゃない?しょうがないじゃんヤマブキ育ちなんだから。嫌々ここに来ただけでも評価に値すると思うね。わけもわからない理屈を通し、私は身を縮めた。
ヒビキくんは平気なのかな…と視線を向けると、彼はカウントに夢中らしく、真剣に時計を見つめるばかりである。真面目。彼がいい子なのは有り難いけど、いい子であればあるほど人格の差を思い知らされて悲しいな。とてもつらい。

「もうすぐ0時ですね…」
「0時ちょうどに開けるってのもなかなか大変だよな」
「レイコさんならきっと大丈夫だよ」

え?
私が開けるの?

ナチュラルに生け贄にされ、私は動揺でヒビキを二度見した。君はいい子だけど無邪気は罪だと思うよ、とマジレスし、時間もないので、結局私が祠の前に立った。

なんでだよ。それならそうと先に言ってくんない?無職とて報告連絡相談は大事だからな。そりゃヒビキくんを危険な目に遭わせるわけにはいかないから、私がやるのが妥当なんだろうけど…でも微妙に納得いかねぇ。どうするよ祠からいきなり破壊光線飛んできたら。死だよ。シンプルな死。
CERO:Aを信じるからな?とゲーフリを威嚇し、どうにも嫌な予感を覚えつつ、祠の扉に手をかける。冷えた感触は、恐ろしいというよりも神聖な何かを感じ、確かに神様がいてもおかしくないかもな、ってくらい人ならざる何かの気配を覚えた。

天国に一番近い山に登った私にはわかる…ここは確実にやばい、と。
猛吹雪で耳も目も当てにならない中、己の感覚だけを頼りに過ごした山での日々が、私の直感を冴え渡らせている…あのままあそこにいたならば、ネテロ会長の如く音を置き去りにしていたかもしれない。そうやって培った第六感が、何かが起きると訴えかけているのに、私はここから動く事ができなかった。
何故ならニートになりたいから。ここにポケモンがいる限り、私は記録をやめられないんだよ!

悲しき宿命を背負う私に、ヒビキがついに死刑宣告、いやカウントダウンを開始した。

「5秒前です!4、3…」

いやもっと早めにカウントしてくれないかなぁ?せめて十秒はくれよ。
などと思っている間にも時は過ぎていく。2、1…と続け、重い口調で0を発したと同時に、私は観音開きの扉を開いた。映画卒業で花嫁を奪いに行くダスティン・ホフマンのように意を決した瞬間、祠から勢いよく何かが飛び出す。

破壊光線!?と一瞬焦ったが、顔の横をすり抜けた何かは、おぞましい攻撃などではなかった。淡い緑が目に入った時には、反射的に図鑑を構えており、直後、視界がぐらついた。

「ぽ、ポケモン…?」

ヒビキくんの声に顔を上げると、光る何かが飛んでいるのが見えた。正直光りすぎてて何も認識できないが、かろうじて球根みたいな形をとらえる事はできる。確かにポケモンのようではあった。

なんだあれ。あれが神様なのか?随分小さいけど。いや神に大小なんて関係ないとは思うが、それよりもさっきから地面がわずかに揺れてる感覚がある方が気になって、私は焦りを覚える。
自分が真っ直ぐ立てている気がしない。でも足元はふらついてないし、何だか夢見心地というか、宙に浮いてるみたいな、現実味のない感覚が私とヒビキを襲っていた。まさか邪神の封印を解いて天変地異が起きるとかじゃないでしょうね…?と心配になり、先程かざした図鑑を見つめる。

一応ロード中みたいだな…やはりポケモンなのか。オンラインモードになってるから、ポケモン研究者協会のデータベースにアクセスして解析してる最中なのかもしれない。せめて正体がわかれば対処を考えられるけど…なんて悠長に思っている間にも、揺れはひどくなっていく。

マジで何これ?ていうか、何か私達だけ揺れてないか?
微動だにしていない森の木々を見て、普通に怖くなった私は、日本の宝であるヒビキくんを守らなくてはと咄嗟に手を掴んだ。私には主人公属性という神秘の守りがついているから大丈夫だと思うけど、ヒビキくんは雑巾臭いマリルを連れたただの田舎の子供…私の加護がないとどうなるかわからないからな。離れないように、と必死で引き寄せる傍ら、当のヒビキはかなり神経が太いようで、怯えるよりも私の図鑑に興味津々のようだった。田舎のガキって危機感なさすぎじゃない?

「セレ…ビィ…?」

おディスり申し上げたヒビキくんの口から、不意に聞き慣れない単語が飛び出し、私も図鑑に目を向けた。するとそこには、読み込みが完了した画面が映し出されており、球根頭のポケモンの写真が目に飛び込んでくる。

名前はセレビィ。ときわたりポケモン。

あの光るシルエットと一致してるから間違いないだろう。初めて見た…やっぱ神様って呼ばれるくらいだから、珍しいポケモンなのかも。でも…。

ときわたりって…なんだ?

謎のワードに首を傾げている間に揺れのピークが来て、我々の視界は、完全に暗転した。

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