数秒ほど、無、の時間があった。
他に形容できない。完全に無。ウバメの森で地面がぐらついたと思ったら、急に真っ暗になり、何の感覚もない、無の時間が訪れた。その空白の数秒を過ぎると、薄れていた意識がぼんやり戻ってきて、私はゆっくりと目を開ける。

なんだっけ。何してたんだっけ?
徐々に鮮明になっていく視界と共に、誰かの手を握っている感覚を覚え、私は隣を振り返る。するとそこには、同じようにぼんやり宙を見つめるヒビキくんがいて、その瞬間すべてを思い出した。

そうだ。なんかウバメの森で神様がどうとかで祠のガセネタ!
雑な感じに記憶が舞い戻り、辺りを見回しながら、私は警戒態勢を取る。

確か祠を開けたらポケモンが出てきて…名前はセスナ…じゃなくてセレビィ…ときわたりポケモンだったか、そいつの図鑑を読み込んだ途端、わけもわからず意識が一瞬飛んだんだよな。あれは一体何だったんだ?
今はしっかり地に足のつく感覚があるし、意識が覚醒すると先程までの違和感も消えた。ひとまず私もヒビキも無事らしい。五体満足である事にホッとして、深く溜息をつく。

まぁよかったよ何事もなくて…マジでびびったじゃねーか。さっきのセレビィってやつの仕業なのかなぁ?三半規管を狂わすポケモンだったんだろうか。あれが森の神様なの?全然強そうには見えなかったし無害感全開だったが、でも雰囲気はミュウに似てたかもしれない…。球根頭を思い出し、図鑑に載っている事を確かめて、私はカメラをしまう。

何にしても記録はできた。私もう用済んだから…帰っていいか?
いいわけがないので、隣で呆けているヒビキへ、大丈夫?と声をかけようとする。しかし彼の様子がおかしい事に気付き、思わず口を閉じた。そして妙な言葉を耳にするのである。

「ここ…どこ?」
「え?」

どこってウバメの森でしょ、と即答しかけた瞬間、私もハッとした。
たとえばこの景色が、全く見覚えのないものだったならば、私もすぐに異変に気付いただろう。しかし、わりとよく見た風景だったため、馴染みがあるあまり、おかしな状況を咄嗟に理解できなかった。

確かに私とヒビキは、さっきまで鬱蒼とした森にいた。夜中0時の真っ暗な森林地帯…街頭もなく、ランプを置いて喋っていたはずの場所は、何故か道路に様変わりしていたのだ。
呆然と立ち尽くし、何度まばたきをしても変わらぬ視界に、私は首を傾げる。

…え?移動した?
なんで?

「ウバメの森が…消えた…?」

久保帯人風に驚くヒビキをよそに、私はここを知っている気がして、忙しなく辺りを見回す。

待てよ、この何とも言い難い田舎感のある道…絶対何回か通った事ある…。記憶を辿り、そして遠くに見えている森を確認した時、完全に覚醒した。
ここあれだわ、序盤の街だというのに最終的にはリーグへ行くための通過儀礼と化した、ライバル出現ポイントとして名高いあの。

「トキワじゃね?」

私達はウバメの森から遥か遠い、カントーはトキワシティの外れに立っていた。空間移動に立ち会った瞬間である。

嘘でしょ?と目をこすり、しかしどう見てもトキワの森と思わしき場所が前方に見えているので、間違いなくここはあのド田舎、この間グリーンをぶちのめしたばかりのトキワシティだろう。
なんでこんなところに…もうちょっと都会でもよかったのでは…と混乱する頭で考え、私は顎に手を当てる。

…どういうこと?移動…したのか?あのポケモンの仕業?もしくはウバメにいた事がすでに幻だったのか…。ホワイトスネイクのスタンド攻撃を受けた可能性に怯えながら、それでも一応見知った土地なので、不安は若干軽減される。

「じゃあ…僕たちが他の場所に移動した感じ…?」
「そうかもね。さっきのポケモン…セレビィとかいう奴がやったのかな…」
「セレビィ…どこかで聞いた気がするんだけど…」

ヒビキくんと状況を整理しながら、何にせよいつまでもこんなド田舎にいるわけにはいかない。ひとまずポケセンに移動しようと提案した。時間も時間だしな。夜中に少年を連れ回してるなんて知れたら職質どころじゃ済まないよ。
司法の裁きに震え、何気なく時計を見たら、一体どういうわけか、針が盛大に狂っている事に気付いた。シロガネ山の大寒波の中でさえまともに動いていた時計の不調に、私は肩をすくめる。

電池切れたのかな?でも…さっき見た時は確かに0時だったのに、7時くらいになってるの変じゃね?
故障ならば、0時で止まっているはずである。巻き戻ったのか進んだのか知らないが、これも瞬間移動の影響なんだろうか…。セレビィが修理費を払ってくれるはずもないので、自腹コースに私の鬱は加速する一方だ。

何なんだマジで…何がしたかったんだろ。いたずらか?これだから気まぐれな神ってやつは困るぜ…と偏見を抱いていると、またしてもヒビキくんが妙な事を口走る。

「おかしいよレイコさん!」
「えっ」

一瞬、私がおかしなニートである事がバレたかと思ったが、どうやら違ったらしい。よかった。

「ラジオが三年前の日付を言ってる!」

私が時計に不信感を抱いている間に、どうやら事態は急展開を迎えそうだった。というか時計が狂ってるのも、正確には狂っていないのであった。

ヒビキに言われ、私も自身のポケギアを付けてみると、DJコージがちょうど7時をお知らせしていた。彼の言う通り日付は三年前になっており、この時期は私もいろいろあった頃なので、嫌な予感が渦巻いていく。

三年前…?この間からやたらと三年前の落とし前をつけさせられてる感じがするが…それはまぁ置いておこう。問題は何故、ラジオが三年前の午後7時を差しているのか、そしてどうしてトキワに飛ばされたのか、という点である。今は間違いなく0時で、ウバメの森にいたはずなのに。

やはりスタンド使いの仕業か…と黄金の風を浴びる私は、不意に人の気配を感じた気がして、一歩踏み出した。
こんな田舎の一本道に誰かいるのか?人がいるなら何でもいいので、とにかくこの状況の手がかりがほしい。
これはついに、すみません!いま西暦何年ですか!?と聞くあの茶番が正当にできるんじゃないかと微妙に胸弾ませる私であったが、残念ながら第一村人に尋ねる前に、全ての答えは出た。

「思い出した!」

突然大声を出したヒビキくんにびびり、大袈裟に肩を揺らしながら振り返る。トキワのド田舎で大きな声なんか出すんじゃないよ…!と指を立てる私など気にする事もなく、高揚した様子のヒビキは、私の図鑑を指して続けた。

「さっきのポケモンが本当にセレビィなら…原因はそのせいだよ!」
「は?どういうこと?」
「おじいちゃんが言ってた。セレビィは、時渡りという不思議な力で自由に時間を飛び越えるって…!」

天道総司みたいな語り口でヒビキがそう告げた途端、はっきりと足音が聞こえた。間違いなく誰かいる、と確信し、衝撃の事実を聞かされたばかりの私は、とにかく狼狽えた。右往左往しながらヒビキに向き直って、とても信じがたい現状に肩をすくめる。

「…つまりセレビィに三年前に連れて来られたってこと?」

言いながら苦笑を禁じ得ず、私はヒビキと足音のした方を交互に見た。
そんな事ある?いや…あるかもな…シロガネ山にイエティが存在した時点で、もう何が起こってもおかしくはないと感じるよ。という事は…もし本当に過去に来ているとして、それならタイムパラドックス的な意味で、現地人と出くわしちゃいけないんじゃないの?
近付いてくる足音におろおろし、とりあえず近くにあったでかい看板のそばまで移動した。

何が何だかわからないが…でも…そうか、ときわたりポケモンって…時を渡るポケモンって事だったのか。意味不明な図鑑の説明にようやく合点がいき、それでもどうして私達が時渡りに巻き込まれたのかはわからないままである。

ポケモンって不思議な生き物だからな、確かにタイムスリップくらいできるかもしれんよ。神だし。過去に来たってんなら時計やラジオの件も納得できるし、いきなりトキワに移動したのも頷ける。
しかし、何故三年前なんだ。ただの気まぐれか?それにしては何か…私にとって馴染みのある時期すぎる事が気になる…。神様と言うくらいだ、伝えたい事があってここに連れてきたのかもしれないけど、それなら説明もなく突然いなくならないでくんない?どこ行ったんだよセレビィ。影も形もなくなったぞ。

もう一度ウバメに行って祠を開けるべきだろうか…と長距離移動させられそうな事態を嘆く私の耳に、どんどん大きくなる足音が響いてきて、咄嗟にヒビキと共に物陰に隠れた。この判断が懸命すぎた事を、次の瞬間思い知らされるのである。

一定のスピードで歩いてくる足音と、それを追いかけてくる忙しない足音が、すぐ近くまで迫った。この先にはチャンピオンロードとシロガネ山しかないので、こんな夜にここを通るとか何事なの?と微妙に興味をひかれてしまいながらも、息をひそめる。タイムパラドックス…タイムパラドックス…と戒めみたいに言い聞かせ、そんな私を試すかのように、二つの足音は止まった。よりによって、看板一枚隔てた先に。

そこで止まらなくてもよくない?まるで神が私に何かを聞かせようとしている感、やめてもらっていいか?

誰なんだよタイムパラドックスを引き起こすかもしれないはた迷惑な野郎は…と苛立ちながら、私はつい身を乗り出してしまった。田舎の歩道だというのに明るめの街頭が設置されたその場所には、コートの男の後ろ姿があり、それがゆっくりと振り返った時、私は思わず口を押さえる。衝撃の瞬間だった。

「サ…っ」

零れそうになった言葉を必死でこらえ、慌てて看板の裏に引っ込んだ。多少暗い程度では絶対に見間違う事のないその男の様子に、やはりセレビィは何か理由があって私をここに招いたと察する。
そして最も驚いたのが、男の視線に先にいた、赤い髪の少年の姿であった。人相の悪い二人の共演で、私はこれまで謎に包まれていた事の数々が、徐々に紐解かれていく気配を感じた。

三年前。三年前のトキワシティといったら…私がサカキを打ち倒し、ロケット団を解散させた曰くつきの地である。トレンディな帽子を被っていようともわかる、そこにいる男はサカキだった。ロケット団のボス、いや元ボスで、ピカブイではしっかり初代を踏襲し小物台詞を吐いていた、悪の組織のカリスマヤクザことサカキ!
そして彼の前にいるのは、ジョウトで散々私の邪魔をしたけど、何故か微妙に打ち解けてきた感のある少年の幼い頃の姿…しかしこの盗み見で関係がまたブチ壊れる可能性がある赤毛の泥棒…!

ツンデレ…!
なんで、サカキなんかと一緒にいるんだ?

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