雪山の朝は早い。
「まぁ、これもニートになるための布石ですから」最近は毒親からの撮影要求もハードになってきたと愚痴をこぼした。
まず、設置したカメラが暴風で飛ばされていないかチェックするところから始まる。
「やっぱり一番嬉しいのは働かずに寝られる時間ね、これまで頑張ってきてよかったなと」
「毎日毎分天気が違う。天候に合わせた記録作業は機械ではできない」
山籠もりで疲れ始めた女の、茶番を演じずにはいられない一コマだ。

マジで、プロジェクトXでもこんな事やらねぇよ。

「あー…やっと終わる…」

シロガネ山の端から端まで、伊能忠敬のように記録作業を終えた私は、山頂を目指して足を進めている。
この道のりも何度歩いた事か…。ポケセンと洞窟と山頂の往復を繰り返し、すっかり雪にも慣れ、レッドともぼちぼち打ち解けてきた頃、山の全てを知った私は、とうとうここから立ち去ろうと準備を進めていた。

何気に長かったな…おつきみ山とかも結構籠ったけど、やっぱ天気が絡むといろいろ大変だね。思うようにいかない日々もあったが、そんな時はこの山の主、イエティのレッドが協力してくれ、何とか作業完了までこぎつけた。彼の力がなくては成し遂げられなかったであろう戦いの数々…胸に刻みつけて帰ろうと思うよ。

ファーストインパクトが激ヤバだった以外、レッドは普通にいい奴だった。シロガネ山を知り尽くした親切な山男って感じ。
ただ何故か…脈絡もなく一言も喋らなくなったり、打って変わって明るくなったり、いきなり目が赤くなったり、髪が茶色になったり黒になったり、さっきまで山頂にいたのが忽然と姿を消したり、作画も初期の杉森建の日や最近の杉森建の日まであったような気がして、とにかくブレを感じたな。たくさん人格があるのかな?って戸惑いを隠せなかったけど、でもそれには触れず、私は臨機応変に対応した。きっと込み入った事情があるんだろうと思ったのだ。だからやめようこの話は。レッドはいい奴、それだけでいいよね。

とにかくそのいい奴のレッドに、私は別れを告げるべく山頂を目指しているというわけ。
世話になった礼も言いたいし、いろいろご迷惑もかけたしな…最後に謝罪もするよ。だからどうか裁判だけは…って感じだ。示談金はロケット団から取ってください。証言なら任せてくれていいからさ。
反省してるのかしてないのかわからない私は、小慣れた道を登り、相変わらず半袖で佇むレッドの後ろ姿を発見する。
飯の時と寝る時と修行の時以外は大体いつもここにいるんだよな…山頂で待機していなくてはならない理由があるのかは知らないが、見つけやすいので個人的にはありがたい。レッド、と声をかけ、空気の澄んだ頂上で背筋を伸ばした。

「私、そろそろ帰るよ」

まるで友達の家から帰るみたいなノリで告げてしまったが、今回は正真正銘の下山である。
これまでは、どっちがポケセンに食糧調達に行くかじゃんけんで決めたりして、勝った方が下りてたもんだけど、私はもう余程の事情がない限りここに戻る事はないだろう。いつしかハードな別荘地と化していたシロガネ山で、もうレッドを見送ったり出迎えたりする事がないのだと思ったら、若干の寂しさが込み上げた。

一刻も早く都会の喧騒に紛れたい気持ちは変わらないが…ここもそんなに悪くはなかったよ、レッドのおかげでな。彼と過ごした日々がよみがえり、私は目を閉じて思いを馳せる。

最初はぎくしゃくしてたけど…一緒にニューラの群れを追い払ったあたりから溝が減っていった気がするぜ。
襲い来る無数の鋭い爪!ダブルカビゴンの厚い脂肪のクッション!ひるむニューラ達!撮影する私!真面目に戦うレッド!共に危機を乗り越えた先の友情は、グレンの火山より熱く燃えたぎったものですよ…。私が全く仕事をしてない事は何とかごまかし、同じ釜の飯を食って、一緒のテントで寝泊まりしたり、レッドのかまくらに招待していただいたりと、とにかく心温まる日々を過ごした。
一人旅でいつも孤独な私である。協調性とかないから普段は平気だけど、こんな何もないやべぇ山で一人きりはさすがに心細いから、誰かが傍にいてくれるだけでも有り難かった。その誰かがサバイバル経験豊富なきれいな藤岡弘なのも幸運だった。まぁ毎日レッドの人格は変わってたんですけどね。私の気が狂うわ。

こちらの下山宣言に、レッドは一瞬俯いたけれど、すぐにゆっくりと頷いた。どうやら今日は無言の日らしいな。扱いづらいからマジでやめてほしい。
どうしたもんかと曖昧に笑い、お礼の食糧を洞窟に保管しておいた事などを伝えながら、間を持たせられないコミュ障の私は、空気に耐えかねてそそくさと立ち去ろうとする。まぁまたグリーン経由で会おうや…と淡泊な別れで妥協すると、さすがに寝食を共にした最強トレーナーをタダで帰すわけにはいかないと判断したのか、レッドが不動の頂上から下り、ゆっくりとこちらへやってきた。

終始慣れる事はなかった寒さの中でレッドを待っていると、彼は私の前に立って早々、そっと右手を差し出してきた。握手か、と理解し、微笑みながら素直に応じる。

最終日ですが…一言もお話にならない感じですか?贈る言葉は?なし?ないならそれはそれで構わないんだけど、帰るタイミングが計れないのだけ何とかしてもらってもいいか?
無言の握手がしんどすぎて、とりあえず別れに相応しい言葉を投げようと、語彙を絞って考える。しかし情弱の小卒には、低学年までで習う漢字しか使えないのであった。

「今日までありがとう…いろいろ…ごめんね…」

いろいろ、に文字通りいろいろ詰め過ぎながら、私は手を離そうとした。
本当になんか…申し訳なかった。シルフの件もそうだが、慣れない雪山で寒さに凍えてキレ散らかす私に、温かいスープを出して慰めてくれた事など、とても有り難かったと思う…正気を保っていられたのは君のおかげだ。まぁ君のキャラ崩壊で正気を失いそうな時もあったけど、それも今となってはいい思い出だよ。
また会おうな、といい感じに別れようとしたところで、レッドが不意に私の手を両手で包んだ。いま完全にさよならコースでしたよね?と波長の合わない相手の顔を覗いた時、かすかな呟きが聞こえてくる。

「冷たい…」

無言じゃなかった。ピクレの日かな?
冷え切った私の手を取り、レッドはそれを温めるよう、強く握りしめた。読めない表情をしていたが、もしかしたら彼なりに別れを惜しんでくれているのかもしれなかった。
そう思うと私も猛烈な寂しさに襲われ、もうちょっといてもいいかな?と血迷いかけるも、私の居場所はあの大都会の喧騒の中だけ…。ここで季節も時間も分からない日々を過ごすわけにはいかない。少年を一人きりでこんな険しい山に置いておくのは忍びないけれど、でもお前三年もここにいたから大丈夫だろ。むしろ何で大丈夫なんだよ。こっちはもう限界だっつーの。

「…レッドの手が冷たくなっちゃうよ」

ビールよりキンキンに冷えてやがる私の手は、レッドから熱を奪い、少しずつ温まっていく。私はもう下山するが、レッドはまだこの雪山に残るのだ、体温を低下させるのが申し訳なくてそう呟くも、相手は微動だにせず手を握り続けた。どっちかというと山頂に突っ立ってる方が寒いからな。私を思うなら早く離してくれ。

「もう少しだけ…」

しかしそう言われると、どうにも別れがたくなってしまい、しばらく山頂で手を取り合うという奇妙な状態を保つ事となった。何だか不思議な体験だったな…と思い返して、ここに来なければレッドに出会う事もなかったかもしれないと思い、手を握り返す。

私の代わりにヒーローに仕立て上げられたレッド…同じ道のりを辿ったはずなのに、三年間決して出会う事なく、まるでコインの裏表のように擦れ違い続けた…。シロガネ山を下りたら、ここで起きた事が幻のように感じ、本当にレッドなど存在したのか?と自問する事があるかも…と考えてしまうくらい、この霊峰からは神秘的な気配がする。今は温かい掌もすぐに冷たくなってしまうだろうし、私の中でレッドが、またグリーンのイマジナリーフレンドに戻ってしまう気がして、わけもなく恐れおののいた。

なんだろう…完全に赤の他人だというのに、どこか近しいものを彼に感じる…まさか…お前も主人公だから…?
真理に気付きそうになったところで手を離し、たまには実家に帰ってやれよな、と老婆心からアドバイスを投げ、私は山を駆け下りた。最後までレッドは無口でキャラも定まっていなかったけど、彼がイマジナリーフレンドでない事を証明する存在が一つだけある事を思い出して、勢いよくボールを空へと投げる。

「カイリュー!飛ぶぞ!」

そうだ、レッドのおかげで進化したんだ、破壊光線村育ちのカイリュー!
このご恩一生忘れねぇ、と背中に飛び乗り、JALより快適な空の旅に感動して、思わず涙を流す私なのであった。
ありがとうレッド氏。きっとお歳暮送るから期待しててな。

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