あのでかい井戸は、ヤドンの井戸というらしい。

昨日泊まったポケセンで、ジョーイさんに教えてもらった。何でもこのヒワダタウンは、ヤドン信仰のある町のようで、四百年ほど前、干ばつの際にヤドンがあくびした事によって雨が降り、恵みを得た事から、ヤドンを有り難い存在とし大切に扱っているそうだ。
町の人は、一家に一ヤドンくらいの感覚で生活を共にし、本来なら町の至る所にもヤドンが溢れているらしいんだけども。

「急に町からヤドンが消えてしまったの…」

悲しげに語るジョーイさんの言葉で、私は何か閃きそうになりつつも、いまいち頭が回らず、同情の視線を向けるのみである。

ヤドンか…確かに一回も見てないな。とてもヤドンの町とは思えないレベルに存在感ないね。
どことなく町が暗いのはヤドンが消えたせいなのか、田舎なんて所詮こんなもんなのか。あまりの陰鬱さに一瞬ドラクエ7の世界にでも来てしまったかと思ったけど、事情を把握し納得した。

ヤドンってあの…のろまなポケモンでしょ?それが一斉に消えるって普通に怖いじゃん。何か自然災害的な危機でも察して逃げたのでは?もしくはロケット団に何かされたかだな。タイミング的に因果関係がないとは言い切れなさそうなので、私の警戒心は増していく。

そういえば最近どこかでヤドンというキーワードを聞いた気がする…と若アルツを発症させながら井戸へ向かうと、昨日井戸を見張っていたはずの団員の姿が、今日はどこにもなかった。あんなに固執していたというのにもぬけの殻で、二転三転する状況に謎は深まるばかりである。

何なんだ?気持ち悪いな色々と。消えたヤドンとロケット団…この町やばいんじゃないの?
どうやら最悪のタイミングでヒワダに来ちまったらしい。まぁでもロケット団いないなら…関わり合いにならなくて済むし…別にいいか。能天気に考え、私はヤドンの井戸を覗き込んだ。

暗い。何も見えん。
ジョーイさんに聞いたのだが、このヤドンの井戸、地下は昨日抜けてきた洞窟に繋がっているらしい。つまり下におりられるし、ヤドンの井戸と言うくらいだからヤドンも生息してるわけで、結論から言うと記録対象エリアになるって話だ。とてもつらい。

洞窟の次は井戸かよ…と意気消沈し、私はカメラ片手に梯子をおりる。
てっきりロケット団がいると思ってたから、念のためマスクとクワトロ・バジーナみたいなサングラスを装備して顔を見られないようにしてきたんだけど、そこまでした甲斐は特になかったみたいだな。徒労に終わった事は腹立たしいが、私の正体が三年前組織を壊滅させたガキだと知られる方が厄介なので、ひとまず怒りは沈めた。ただ、もしかしたらこの井戸に何か仕掛けをして去った可能性もあるし、充分注意は必要である。

マジで何してたんだろうこんなところで…まさかアジト作ってたとかじゃないよな…。言葉通りの地下活動を疑いながら下っていくと、早々に何かトラブルが起きそうな気配がし、私は足を止める。

「いたたた…」

人の声だ。誰かいるぞ。

私は中途半端な体勢のまま目を凝らして、サングラス越しに声の主を探した。
すると地面に懐中電灯が転がっているのが見え、普通ではなさそうな様子に、ただただ顔をしかめる。

何か事件っぽいな…鬱すぎるよ…。どの町でも何かしら起きるの本当勘弁してほしいぜ…。
まさか見張りの団員がうっかり落ちたんだろうか。さすがに間抜けすぎるだろ、と思いながらも、実際間抜けな団体なので無きにしも非ずだった。
一応ボールをすぐ出せるようにし、意を決して井戸の底へと降り立つ。落ちた懐中電灯を拾い上げ、声のした方を照らすと、そこにいたのはロケット団ではなく、いかにも頑固そうな爺さんであった。

うわ、この令和の時代に、平成どころか昭和っぽい雰囲気のジジイ!

誰だよお前。突然の新キャラびびるからやめろや。
予想もしていなかった展開に、もちろん私は驚いたけれど、どうやら相手は手負いのようだ。どこかが痛むように顔を歪めていて、ひとまず敵意はなさそうだった。

誰だマジで?ロケット団ではないっぽいが…。団員じゃないのはよかったけど、これはこれで面倒そうな予感に、私のテンションは井戸よりも深く下がっていく。
懐中電灯の光を浴びせながら様子を見ていると、眩しそうに目を細めた老人は、私と視線を合わせ、厳つい声を出してきた。

「何じゃお前は?」
「え?えっと…レイコと申しますが…トレーナーです…」

謎の迫力に負けてつい正直に答えてしまったが、この判断は藤井聡太もドン引く悪手であった。

「トレーナーか!ちょうどよかった!」

よくなさそう。類稀なるバッドタイミングって感じ。
余計なこと言っちゃった!と気付いた時には遅く、爺さんは勝手に身の上話を始め、何から何までしくじり先生状態の自分に嫌気すら差した。

見栄張ってトレーナーとか言うから…!ニートを隠したりするから…!
素性を偽った上に災難に巻き込まれるという救えなさは、私にいろんなものを諦めさせた。

何なの?おつかいに行かされ、卵を持たされ、記録を強いられ、みんな私のこと便利屋か何かだと勘違いしてない?もういいよ。で?私がトレーナーだったら何がちょうどいいんだ?言ってみろや。しょうもない用件だったらこの井戸叩き壊して生活用水を奪うからな。
チンピラのような態度で構える私は、懐中電灯の電源を入れたり切ったりしながらジジイの話を聞いた。おとなしくしろ。

「わしはガンテツ。実は町のヤドンをさらったロケット団という連中がこの奥におるんや。孫のヤドンも盗まれよってな…」
「ええ…?」

情報量多いな。いくら私が生き急いでるとはいえもっと順を追って話してくれ。
このところいろいろ起きている事件は、どうやら根っこで繋がっているみたいだ。私は情報を整理し、いつからこのゲームはレイトン教授になったんだろう…と苦言を呈す。

とりあえず…爺さんの名前はわかった、頑固一徹、略してガンテツね。名の通りの風貌や性格に頷き、いま重要なのはそこではないので、私はすぐに軌道修正する。

まず町のヤドンだが…やはりロケット団が絡んでたと見て間違いないだろう。このジジイもそう言ってるし。タイミング的にも有り得そうな感じだったもんな。
あの内部事情をべらべら喋ってた団員がここを見張ってたのも、地下にロケット団が潜伏してたせいだったんだ。そんでこの爺さんがそれを突き止め、何故かいま井戸の底にいると。

で?
それで一体何なんだ?ロケット団がいるのは把握しましたけど?
事情はわかったが、あくまでも事情がわかっただけである。まさかとは思うけど…トレーナーと見込んでロケット団を追い払えとか言わないでしょうね?
冗談は止せよ、と私は鼻で笑い、いくらこの世界の住人でも、初対面の少女にそんな非道を強いる真似はしないだろうと言い聞かせた。

爺さん、孫もいるんだろ?だったら尚更それがどんなに危険な行為か理解できますよね?いくら今の私がクワトロみたいな怪しい格好だからって、声を聞けば可憐な少女とわかるはず!か弱い女子を敵地に送り込むなんて、絶対できないって、そう言ってくれるよね!?
気を確かに!とガンテツに祈って、私は合掌した。どうか嫌な予感が当たりませんように、と切に願ったが、この星の住人はトミー・リー・ジョーンズが思っているより非道だった。

「上で見張ってた奴は大声で叱り飛ばしたら逃げよったがな…わし井戸から落ちてしもて、腰を打って動けんのじゃ」
「それは…大変でしたね」
「元気ならわしのポケモンがちょちょいと懲らしめたのに…まぁええ。レイコ!わしの代わりにトレーナー魂を見せるのじゃ!」

はい大当たりです!流れるような任命、まるでNPCなみの強引さ!時々私だけが意思を持っているように錯覚してしまうほど、この国の人間は邪悪なのであった。

普通にそういう展開に持ってきたジジイに、ちょっと待ってくださいよ、と丁寧なキムタクになってお願いした。

お前本当…いい加減にしろよ。初対面だぞ!そんな危険かつ重要なこと頼むか!?大体持ってないからトレーナー魂とか!ニートだから!いやトレーナーって名乗った私にも非はあると思うよ、でももっとするべき事が他にあるじゃん!?警察を呼ぶとか、その前に救急車呼べよ。腰大丈夫なのか。
結構な高さから落ちた老人を普通に心配し、やたら腰を押さえていた理由を知ると、善人な私は強く出られなくなる。負傷した爺さんをこんな井戸の底にいつまでも置いておく事への躊躇いが、私の心を揺さぶった。

くっ…!ここで私が渋って時間ばかりが経過していったら、ジジイの腰は悪化してしまうかもしれない…。他人の怪我を人質に取られるという斬新な手法に、私の良心は揺れた。
卑劣だ。苦しむおじいさんとヤドンを放置するの?というゲーフリからの問いかけ、やり口があまりにも汚すぎるよ…。ここの記録を行なう以上、どうせロケット団とは交戦しなきゃならないだろうが、だからってさぁ…私のタイミングとかもあるじゃん。

不気味に水音が響く洞窟で、私は唇を噛みしめながら懐中電灯を握った。ガンテツがわざとらしく腰をさする仕草に、年貢の納め時を感じたのだった。

わかったよ!行けばいいんだろ!?その代わり爺さんはちゃんと病院行けよな!孫を悲しませないためにも!お前ん家のヤドンは私が連れて帰ってやるから救急車呼んで待っとけ!
こうなったら一秒でも早く片付けてやる、音速ニート魂を目に焼き付けておくんだな!

半ばやけくそになりながらボールと懐中電灯を手に、私は井戸の底を歩き始めた。こっちのポケモン泥棒をぶちのめせば、あっちの泥棒を見逃した罪悪感も少しは晴れる事に、ちょっとだけ期待しながら。

  / back / top