01.ワカバタウン

私の名はレイコ。ニートのまま令和を迎える事ができない悲しき旅人だ。

大体のいきさつは序章なり何なりを見てもらえればわかると思うが、まぁ要略するとニートになりたすぎて旅に出るはめになったって事が私の全てである。完全に矛盾しているけど、人間とは常に矛盾を抱えた生き物である。井上喜久子十七歳みたいなものだ。気にしてはならない。

改めまして、私はポケモンニートレーナーのレイコ。真のニートを目指している。
三年前もニートを目指してカントーを旅して回ったが、今度こそ、本当に本当に今度こそニートになるべく、遥々ジョウトの地までやってきていた。
ジョウトのポケモン100種の記録と生息地調査をこなし、重ねて言うが次こそ!私は本物のニートになれる予定である。というわけで早速旅立った私は、まずは図鑑をもらうべく、由緒正しい田舎の研究所を目指して歩みを進めていた。

私の父は、あんまりよくわかんないんだけどそこそこ名の知れた研究者のようで、オーキド博士みたいな著名な人達とも、時々共同で研究を行なっているらしい。その手伝いに駆り出される私としては非常に迷惑な話であるが、今回もこのジョウトにお住まいのウツギ博士とやらと一緒に研究をする事になったらしく、わざわざド田舎まで足を運ばされているというわけだ。

オーキドといいウツギといい…なんで能ある博士は田舎に住みたがるんだ?理解できない私はつい真顔になる。
おかげでプテラに乗っていかなきゃなんないしさぁ…。私は父に借りた暴れ鳥に乗りながら、いつ落とされるかわからない状況にハラハラし、艦これなみに終始お祈りゲー状態である。どんどん田舎道に入っていくので、このまま山に捨てられる可能性もあり、ポケモンに嫌われることは死に直結すると痛感した。

元々は私がカントーでもらった化石を復元したのが、このプテラである。空飛べるし最高じゃんって思ったんだけど、どうしてか微塵も懐かない上に嫌われてるし、そのわりに父のことは気に入っているようだから、結局親父に預ける事となった。移動手段として使う事は滅多にないのだけれど、ウツギ研究所があるワカバタウンへは、とにかく交通の便が悪すぎるってことで、渋々プテラに乗せてもらう事になったのである。ここに来るまでも様々な押し問答があった…でも正直思い出したくないから割愛するわ。一体私がお前に何をしたっていうんだよ。化石の時うっかり落としたりお茶こぼしたりした事しかないじゃん。そのせいだろ。

甘んじて恨みを受け止める私を知ってか知らずか、ここでプテラはスピードを上げた。私を送り届けたら直帰できるホワイト企業マンなので、早く帰りたくなったのかもしれない。
Gのかかった顔面はとても夢主とは思えない地獄絵図と化し、目も開けられない状況で、とにかく必死にしがみついた。やっぱこいつを復元したのは間違いだった、と掌を返し、せめて電話の通じる場所で下ろしてくれ…!と祈る他ない。この際ソフトバンクでもいいから!頼む!

髪を振り乱しながら耐えていると、不意にプテラは翼を止めて降下を始めた。ようやく瞼を開く事ができ、安堵の息をつく。
着いたのか…?わりと本気で死ぬかと思った…こんなにヤベーのかよプテラ。マジでお前メガシンカできるようになったからって調子に乗るのもいい加減にしとけよ。使ってる奴なんか見たことねーよ。
全国のプテラーを敵に回しながら下を見ると、海と山しかなかった景色から一変…したというほど変わってもいないが、マサラより若干家の多い町が見えてきて、私はやっと暴走タクシーから解放される事にホッとする。

ここがあの女のハウスことワカバタウンね。長いような短いような道のりは正直地獄すぎたので、帰りは絶対プテラ以外の乗り物で帰ろうと誓った。もうこの際プテラじゃなかったら何でもいいわ、トライアスロンで帰る事も辞さない構えよ。
やれやれ…と溜息と共に降りようとすれば、それより先に振り落とされてしまい、私は盛大にワカバの大地を転げ回る事となる。ついでに運んでもらった原付もぞんざいに投げ捨てられ、明らかに聞こえてはならないタイプの音があちこちから鳴った。グキッとかパキッとかメルトとか。それは恋に落ちる音。
せっかく今日の私は可愛いのよって感じだったのに、風に煽られ地面を転がされ、これから博士に会うとは思えないほどの風貌と化した。おまけに痛い!節々が!

「お前マジでふざけんなよ!」

普通にいてぇ!もはやどこが痛いかもわからないくらい全身疾患!
静かなド田舎に着いて早々、私は怒号を飛ばさずにはいられなかった。乗せてもらえるだけ有り難いと思っておとなしくしてたが…人が下手に出てりゃつけあがりやがって!誰のおかげで飯が食えてると思ってんだ!?うちの親父だぞ!私が威張れる事ではなかった。そもそも私も父のおかげで飯が食えているのだった。

プテラと私は同類なんだ…と悲しい現実に目を覆い、痛む体をさすりながら、さっさと帰れと暴走鳥に中指を立てる。これだから古代から生きる老害は嫌なんだよ…人もポケモンも気が合わない奴はどこまでも合わないんだ、やはり貴様とはそれなりに距離を置いて付き合っていくしかないようだな。
まぁ当分会う事もないからいいけど、と踵を返した時、何やら後方から光が漏れているような気配がした。まさか私の神々しさに後光が…?とおめでたい事を考えながら振り返ると、そこには直帰したと思われたプテラが口を開けており、その口内の眩しさから、奴が何をしようとしているのか瞬時に察した。

徐々に大きくなっていくあの光…凄まじいパワーゆえ反動も尋常ではない事から、ここぞという時にしか使わない大技…狂気に満ちたプテラと目が合った瞬間、私は咄嗟に身を屈めた。
本気で人を塵にする事もいとわないあの眼差し!間違いない!撃つ気だ!
ノーマルタイプ特殊最強技、威力150の破壊光線!

「殺す気か!」

頭上を光線が通過していき、のどかなワカバが一瞬で修羅の国と化した。そのまま海を越えて空中分解したが、もし人がいたら怪我どころでは済まない事態である。太古の感覚が抜けないのか、令和の時代についていけないアホ鳥に、私は怒号を飛ばさずにいられない。

マジでこんなん一般家庭で飼っていいポケモンじゃないだろ!然るべきところで然るべき措置を取ってもらわなきゃ駄目だって!ここは二十一世紀の日本だぞ!失われたジュラ紀の気分で軽率に光線を撃つな!価値観をアップデートできない人間がSNSで老害と呼ばれている現実を知らないのか!?
揺れる海を見ながら冷や汗をかき、本当に人がいなくてよかった…と心の底からホッとした。洒落にならねぇよ。まだ何も始まってないのにこの疲労感は何なの?

反動でしばらくじっとしていたプテラだったが、一発ぶちかまして気が済んだのか、私に冷ややかな視線を向けながら飛び去っていく。もう二度と化石復元などするまい、そう決意させる事件であった。

破壊神プテラと別れたことにより、一つ肩の荷が下りた私は、さっさと研究所に向かおうと原付に跨った。いやわざわざ原付に乗っていくほどの距離じゃない気はするけど…でももう疲れたから…今日はもうさっさと図鑑もらって寝たい…。まんまとトラウマを植え付けられた私は、憎しみを抱きながらヘルメットを掴む。このとき、やけに柔らかい感触があったが、疲れからかあまり気にする余裕がなかった。黒塗りの高級車に追突するほどではなかった。
ようやく異変に気付いたのは、それを頭に乗せてみた時である。いつもなら頭部にジャストフィットするはずが、何故か被る事ができない。そういえば手触りも何だかおかしい。

プテラに落とされたせいで壊れちまったか?勘弁してくれよ。ただでさえいろいろボロいんだ、私と違って頑丈じゃねーし丁重に扱ってちょうだい。
巨鳥に蹴落とされても結局無傷な自分を複雑に思いながら、ヘルメットを目の前に持ってくる。するとそれは、お馴染みの安いヘルメットとは全然違う青い球体で、いや…球体っていうか…これは…水風船…?

「うわ!怖っ!」

全然知らない物体をいつの間にか手にしていた驚きと恐怖で、私は思わずそれを地面に投げ捨ててしまった。圧倒的ドラえもんカラーは、どう考えても自然界に発生する色ではなかった。

何!?今の何だった!?変なものを触ってしまった手を服で拭き、バウンドした球を遠目に見つめる。
なんだ?ボール?青くて丸いし、あの跳ね方とサイズから見ても、百均でよく見かけるビニールのボールに見える。何故こんなところにボールが…と怪奇現象を気味悪がっていると、球は何かにぶつかって動きを止めた。子供の足だった。

顔を上げた先には、いつの間にやら少年が立っていた。第一村人との出会いに、私は反射でお辞儀をする。

なんだ、子供が遊んでたボールか…脅かしやがって…。次から次へと舞い込むトラブルに、今日の私はかなり心臓を酷使したと実感する。絶対寿命縮まったわ。鬼門の予感しかしないジョウト地方を早々に恨みながら、駆け寄ってくる子供を出迎えた。

この町の子かな?よくこんな田舎に住めるなお前。建物四軒しかないぞ。マサラには及ばないが充分な過疎っぷりに、いきなり出身地ディスを始めてしまう。その癖やめろ。
都会育ちが抜けない私は少年を見下ろし、よく見ると真性のショタコンが好みそうな顔立ちをしている事に気が付いた。普通に可愛いな。前髪はちょっと特殊な生え方をしてるけど、短パンの似合う活発そうな少年である。何やら申し訳なさげな態度でやってきたため、私も腰を低くして対応した。レイコは人に合わせて態度を変えるタイプのクソだった。

「すみません…!うちのマリルが…」
「いや全然構わな…マリル?」

恐らくボールを投げてしまった事を謝りに来たのだろう。プテラの破壊光線に比べたら無害も同然なので、お気になされるなと寛大な心見せようとしたのだが、聞き慣れない単語が少年の口から出てきた事により、私は思わず首を傾げた。

マリル…?なんだそれ。まさか…君のボールの名前…か?

筋肉に名前をつける泉田塔一郎を彷彿とさせる少年に、私はつい一歩引いてしまった。
え?オリジナルネームをボールに…?それともそのボールの商品名がマリルっていうんだろうか。ヤマブキでは一切見かけないしどう見ても普通のビニールボールだと思うが、どちらが正解なのかわからず、一体どういうリアクションをしたらいいのか考えあぐねてしまう。

ど、どうする。とりあえず愛想笑いでも浮かべとくか?困ったら適当に笑っておく、これが人見知りが唯一できるコミュニケーションだからな。雑。
へらへらしかけたところで、驚くべき事が起きた。なんと、少年が抱えていたボールが、いきなり動き出したではないか。
さらなる怪奇現象にまた一歩下がり、私の混乱は加速する一方である。

なになになに今度は何!?それ本当なに!?
ボールが動くという前代未聞な展開は、このレイコをびびらせるには充分すぎる事件であった。これがジョウトの洗礼…!?と見知らぬ土地に恐怖を抱かざるを得ない。

マジでどうなってんだよジョウト地方…!ボールは動くしプテラは破壊光線撃つしさぁ…!後者はジョウトと無関係なのはさておき、全く動じていない少年にも恐れを覚えたところで、ようやくネタばらしがあった。
もぞもぞと動き出したボールは勝手に跳ね上がると、ついにその正体を現す。さっきまで折り畳んでいたのか、上部に丸い耳のようなものを生やして、全身をこちらに向けながら、つぶらな瞳で見つめてきた。これは、と思った時にはすでにカメラを構えていた。人は私をこう呼ぶ、神速のレイコと。

「ポケモン…?」

もしかしてジョウトのポケモンか。明らかな生体反応に私は安堵し、レンズ越しに溜息をつく。気付いたとなれば恐怖は去り、なんて紛らわしいんだと丸々としたポケモンを睨んだ。

なんだよもう…ポケモンかよ…どこまでもびびらせやがって…てっきりジョウトではやばいボール売ってるのかと思ったじゃん。ポケモンだとわかっても限りなくボールに近いマリルは、愛くるしい顔をしておとなしく少年の腕におさまっていた。
普通に可愛い。カントーはピカブイくらいしか顔面で戦えるポケモンいないからな、案外ジョウトの方がレベル高いのかもしんない。残り149匹を敵に回しながら、私はカメラを下げて尋ねる。

「このマリルって…ジョウトのポケモンなの?」
「そうだよ。お姉さん知らないんですか?」

素直に答えてくれた少年の口から、なんだか卒倒するほど甘美な響きが放たれた気がし、私は思わず菩薩の顔になる。

いま…お姉さんって言った?お前呼ばわりでも呼び捨てでもなく、美しいお姉さんと…?幻聴まざってるぞ。

やっぱ桃源郷はジョウトにあったみたいね…と秒で掌を返し、気を良くした私はニヤつきながら応えた。見てるかグリーン?これが礼儀を備えた少年のあるべき姿よ。今すぐ悔い改めてくれ。

「私カントーから来たもんで…君はこの町の子?」
「はい、ヒビキです。お姉さんもさっき珍しいポケモン連れてたね…かっこいいな」

ヒビキくんと名乗った少年は照れたように笑い、好感度ランキング一位のガッキーを優に越すその爽やかさが、私の胸を打った。

何?もういい子なのわかるって感じ。二言三言交わせばすぐに滲み出る人の良さ、地域密着型の田舎ならではの思いやりなどが感じられ、クソガキになめられまくった私の心は見事に成仏していった。いつかグリーンの態度を改めさせてやろうと思っていたもんだが…それももう…いいんだ。だってヒビキくんに出会えたのだから。子供で受けた傷を癒すのもまた子供、それを痛感するレイコであった。

まぁ君の言う珍しくてかっこいいポケモンってのがプテラの事ならば、正直見る目はゼロだけどな。あんなものはただの岩だ。君のボールの方がずっと可愛い。プテラを見かけたついでに私が破壊光線ブチかまされてるところも見たかもしんないけど、それは今すぐ忘れてくれ。私はもう忘れたい。

あの鳥マジで厄災でしかねーな…ヒビキくんの前でなんて事をしてくれたんだろう。しかしポケモンに破壊光線を撃ち込まれるやばい女にもこうして話しかけてくれるんだ、彼は真の人格者だと思うよ。私だったら絶対無視するもん。うるせぇな。
唇を噛みしめながら父とプテラへの復讐を誓い、無様な姿を見られた私は早々に取り繕う事を諦め、ついでにヒビキに目的地も聞いてしまおうと自棄になった。

「…ここってワカバタウンだよね。研究所があるって聞いたんだけど…」

次から次へと質問を繰り返す私は、今さらながら名乗っていない事に気付き、礼儀正しいヒビキにならって挨拶した。トレーナーカードを提示すると、彼はそっちを食い入るように見つめる。

「私、ヤマブキシティのレイコです。ウツギ博士に用があって来たんだ」

怪しい者ではございませんアピールをすると、このド田舎ではトレーナーが珍しいのか、ヒビキくんは瞳を輝かせながらはしゃぎ、抱えていたマリルを地面に落とした。
おい。大丈夫か。その水風船、さっき私がバウンドさせたダメージも蓄積されてると思うんだが。

「トレーナーなんだ!すごい!」
「いや…それほどでも…」

あるけどな。

「ウツギ研究所ならあっちだよ。ほら、あの建物」

天狗している私に構う事なく、ヒビキくんは指を差して教えてくれたので、お礼を言いながら同じ方向を向いた。感心するほどいい子だな…と老婆心を全開にする私であったが、ヒビキくんが指差した方向に、研究所らしき建物はなかった。

「…ん?」

…え?どこ?ないんだけど。
私は目をこすり、もう一度同じ場所を見てみる。しかし無い。民家しかない。

え?どういうこと?まさかあの民家じゃないだろうし…でもヒビキくんが嘘をつくわけないからな、絶対あっちに研究所があるとは思うんだが、けれども民家の裏は林になっており、さすがにあの奥ではないだろうと首を捻る。だって林だもん。もはやタウンでもない。

「…どれ?」
「それだよ、それ!」

興奮気味に何度も指を差すヒビキくんの姿は、どことなくアンガールズ田中を彷彿とさせたけれど、何度でも言う、そこには民家しか、ない。

いやだから無いって!それは民家じゃん!?私が探してるのは研究所であって、民家じゃないの。まさかこんな民家なわけないだろうし、まさか…こんな…。

え!まさか、この民家なの!?

とんでもない可能性に気付き、私は民家、いや疑惑の研究所を五度見した。

はぁ!?これが研究所!?嘘でしょ!?だって…もはや言うのもはばかられるけど、民家じゃん!度々吠えてしまうほどに、それは完全なる民家であった。

二階建ての建物は、他の家と何ら変わりない三角屋根のお宅で、確かに一般的な住宅よりは少し広いかもしれない。とはいえ研究施設にはとても見えず、私は大いに疑いながら、それでもヒビキくんが言うならば…と多少は信じる気持ちになった。

マジでヒビキくんいなかったら辿り着けなかったかもな、ウツギ研究所。民家しかなかったよ?つって親父にクレーム入れてたかもしれねぇ。
すでに嫌な予感しかしないが、それでも私は行かなくてはならない。全てはニートになるため。輝かしい未来のために!

「…どうもありがとう。行ってみるよ」

親切なヒビキと別れ、しかし近付けば近付くほど民家にしか見えない研究所に、やっぱヒビキくんについてきてもらえばよかったな…と心を挫かせるレイコであった。ぼっちつらい。

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