「あっ、ここや!ここで降ろして!」

ナビに従い、大通りから少し逸れた道を進んでいたところで、マサキは私の背中を叩きながら声を上げた。運転手への暴行にいよいよ堪忍袋の緒が切れ、腹いせに急ブレーキをかけたりしながら、ようやくアッシーから解放される事に安堵する。

やっと着いたか…本当やかましかったけどまだ近い方でよかった…。ソネザキと書かれた立派な表札を見上げ、いい家に住んでるやんけ、と悪態をつき、エンジンを切る。
なんか預かりシステムとかで儲けてると思ってたけど、まぁまぁ普通の民家だな。家ソムリエと化した私はじろじろと敷地を覗き、とはいえ立地はいいからそれなりのお値段だろうと予想する。

ここに母親と妹と三人暮らしなら充分じゃないか?駅も百貨店も近いし、これなら確かにハナダの岬を捨てて出戻るわなって感じ。むしろなんであそこに住めてたんだよ、そっちの方が謎だわ。
カップルだらけの魔境を思い出しながら死んだ目をしていると、マサキはヘルメットを返却し、無料乗車の礼を述べた。

「ほんま堪忍なー。助かったわ、送ってもろて」
「本当だよ。大々的に感謝してくれたまえ」
「もうちょっと可愛げがあれば文句なしやったけどな…」

いや文句言える立場かよ。お前が言えるのは礼だけだから!そしてこれはほんのお気持ちです…と小切手を差し出す事だけだからな。タクシー代の請求書はきっちり送らせてもらうから覚悟しとけ。住所覚えたぞ。

再びトラウマの街へ戻ってしまった私は、ジムの方を見ながら身震いし、用も済んだ事だしさっさとエンジュに引き返そうと方向転換する。ここにいると嫌でも思い出しちゃうよ…アカネに泣かれて成す術なくおろついてしまった情けない自分をさ…こっちが泣きたかったっつーの。

エンジュのジムはまともだといいが…とひたすらに祈り、じゃあ私はこれで、と手を挙げる。マサキも特に引き止めはせず、家まで送らせといて茶も出さない神経には驚きだったが、私も早く去りたいので願ってもなかった。
よかった。マサキの奴が、せっかくだから家に寄ってくれ、とか言う社交性のあるタイプじゃなくて。コミュ障同士これからも頑張っていこうじゃないか。遠い地で応援してるから達者でな。

「でも、今日会えてほんま良かったで」
「私は今日じゃない方がよかったけど…まぁそっちも元気そうでよかったよ。タクシー代はワンメーター料金でいいからね」
「金取る事しか考えてへんのかい。チューしたるからそれで許して」
「いらねぇよ」

逆に損害出るだろうが。この令和の時代によくそんなジョークが言えるな。東京五輪までには改心しとけよ。
マジで変わってねーなこいつ…と溜息をついたら、冗談と思っている私に反し、相手は本当に迫ってきたので、まさかの事態に思わず固まった。

え、マジ?嘘でしょ。いくら何でもフラグ立てが強引すぎやしないか?
マサキの事は乙女ゲーでは攻略対象にならないサポートキャラ的なポジションだと思っていただけに、私は困惑した。そしてコミュ障仲間だと信じていた相手が女慣れしてる感を出してきた事にも、多大なるショックを隠せない。

そんな…今までのは私とお前だからこそ成立する小粋なジョークだと思っていたのに…。気心知れたオタク同士がやたら近距離なのと同様に、陰キャとしての絆が育まれた結果の謎ジョークかと思いきや、まさかどの女にも似たような事を言ってたっていうの?マジでやめた方がいいぞ。私だからスルーで済んでるけど普通にセクハラだからな。人としてやばい。

本気か?冗談か?と見極めようとしているうちに、先に答えは出てしまった。私の安いヘルメットに額をぶつけたマサキは、それ以上の接近はかなわず、ただ顔が近付いただけに終わった。これは確実に童貞ですね…と失笑し、やはり陰キャ同士仲良くしような!と笑顔で相手をド突く。

「離れろ」
「ガード固いなレイコ…まぁええわ。ほな気ぃつけて。悪い男について行ったらあかんで」

お前が言うな。

「わかったわかった…それじゃ、またね」
「次はヘルメット取ってほしいなぁ」
「甲冑着て行くから安心してくれ」

悪い男について行くなと言ったのはお前だからな、そうさせてもらおう。
次会う時はバサスロみたいな格好で出迎えるわ…と狂化を予告し、クールに去ろうとエンジンを回す。喪女の私にしかチャラチャラした言葉を吐けない童貞の戯言を聞き流して、まぁ疲労に見舞われた一日だったけど、懐かしい顔に会えたのはそう悪くない気分だったかもな…と何とかいい思い出に消化しながら、ガヤガヤうるさいコガネを背にした。

すると、手を振って解散の雰囲気を出していたはずのマサキだったが、何故か再びこちらに近付き、ヘルメット越しの耳元で一言囁いた。普段の二割増しくらい真面目な顔だったのでちょっと面食らうも、もはや惑わされる私ではないのであった。

「…冗談とちゃうで」

存在が冗談みたいな男にそう言われ、もちろん私は頷いた。わかってるよ、と微笑み、フリ…ってやつだろ?とコガネ人に理解ある態度を示した。あれだよな、押すなよ!ってやつと一緒な。お前の芸風はわかったから…もう帰らせてくれ。

はいはい、とマサキを追い払い、喪同士仲良くしような!と再三告げ、手を振りながら私はマサキと別れた。コガネの街を疾走し、何だかんだで気が紛れてよかったな…とイイハナシダナー的な気分になっていたのだが、穴久保版では既婚だった事を思い出し、結局苛立ちが勝ってしまうレイコであった。
クソ!裏切り者が!

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