遠い。何ていうか…遠いな、スイクンとライコウとエンテイ。

図鑑とカメラを持って穴の周りをぐるぐると歩いているが、降りられそうな階段や梯子がない上に足場も悪く、なかなか思うように動けない事に、私は唸っていた。何としてもここで三体まとめて記録したい身としては、焦りが募るばかりである。

カメラのピントも全然合わないし…全く最新型が聞いて呆れるぜ。相変わらず図鑑の感度は悪く、遠すぎてデータを読み込んでくれないから、距離の問題を解決しなければどうにもならない状況だった。
こうなったら釣り糸か何かの先に図鑑をくっつけて垂らすのが一番かもな…。原始的なやり方は現代人の私には合わないが、背に腹は代えられない。詰み回避のためにもやるか、蜘蛛の糸作戦を。

何も私が近付く事はないのだ。図鑑があの三匹の近くまで行って読み込んでくれたらいいのである。地下室はそう広くないし、たとえ逃げられたとしても、図鑑を穴まで落とせれば確実に読み込めるだろう。どんなに素早かろうが、センサーに引っかからないのは物理的に無理…これは勝ち確だな。
そうと決まれば善は急げである。図鑑を放り込む前に逃げられたらまずいし。今しかねぇ。

どこかいい位置はないものか…と平坦な場所を探していた時、事件はいきなり現場で起きた。
会議室に入れない所轄の私は、薄暗い塔内で見かけた人影に、思わず我が目を疑った。何故なら、絶対ここにいるはずがない、いや居てはならない人間がいたからである。

「げっ!」

漫画みたいなリアクションをして、私は立ち止まった。そもそもパンピーが入れない場所に何人もいる時点で異質なのに、こいつみたいな不審者は絶対侵入不可なんだから、つまり有り得ない!お前がいる状況はバグ!

「…なんだ、お前か」

ツンデレ!と言いかけて、私はギリギリ言葉を飲み込んだ。お前か…はこっちの台詞だし、ていうかお前がいる事がどう考えてもバグなんだからいろいろおかしいだろ!立入禁止だぞ!

まさかの場所で出くわしたのは、ウツギ研究所で窃盗をはたらいてから何かと遭遇してしまう、赤毛でDQNのツンデレであった。盗んだワニノコをしっかり育てて進化させているという意外性を持った犯罪者だ。その調子で最終進化まで記録させてくれ。レイコは合理的なクズであった。

また余罪を重ねたな、とクソガキを睨み、再びの住居不法侵入に呆れ果てる。
なんでこんなところにいるんだお前は…絶対無断で入っただろ。警備員も見逃してんじゃねーよ。無能な仕事ぶりに無職の私は憤り、こっちがやっとの思いでトレーナーカードを提示して入ったこの塔へ、何の功績もなく入りやがったガキを許せず、珍しくまともな事を言ってしまう。

「そっちこそ…また勝手に入っただろ。ここは関係者以外立ち入り禁止だよ」

見つかる前に出て行きな、と無駄に温情を与えたが、当然素直に聞くはずもなく、私の忠告を無視して居座るツンデレに、さらなるフラストレーションが溜まっていった。態度悪すぎだろこいつ。
そんな事はどうでもいいと言わんばかりに語り始める彼にとって、もはや不法侵入など軽犯罪にすらならないのだろう。お前のアリゲイツが最終進化したら今までの罪を全部告発して絶対サツに突き出してやるからな…と誓う私もまた、犯人蔵匿に関わりつつある事を棚に上げているのだった。

「どうせお前も、ここに現れるという伝説のポケモンを捕まえて自分を強く見せようとしてるんだろう」

しねーわ。いきなり喋り出して的外れな事を言うな。

早々にツンデレの目的を理解した名探偵の私は、結局ここにいる連中は皆同じ目的を持っている事を知り、戦いはすでに始まっていたのだと痛感する。

なんでこんなやばい塔にわざわざ不法侵入してるのかと思えば…お前も伝説のポケモンが目的だったのかよ。どこから漏洩してるのかわからない情報を疑問に思いつつ、しかしこいつがいるのは少しまずいな…と冷や汗をかいた。

マツバとミナキはしばらく動かないだろうが…こいつは何をしでかすかわからないぞ。口振りからしてスイクンエンテイライコウが目的なのは間違いないから、記録を目論む私の邪魔になる可能性があり、お気楽気分から一気に窮地である。

大体私が伝説のポケモンなんか捕まえて強く見せるわけねぇだろ、元々強いんだから。
いまだに私の強さを認めていない往生際の悪さは、いっそ尊敬すらするレベルである。

よく考えてよツンデレ氏。ここまで来たならもう…わかってるよな?私がめちゃくちゃ強い事など。ワニノコがアリゲイツに進化するほどの道のりである、さぞかしたくさんのトレーナー、たくさんの野生ポケモンと戦った事でしょう。
しかし、そのどれとも比較にならない圧倒的な強さを誇っているのが私だから!さすがに気付くよね?あれ…あいつ強すぎじゃね?って思ったでしょ? 思ってくれよ頼むから…他に誇れるもの何もないんだよ…。
こんなに頼んでいるというのに、それでもツンデレは、弱い私が伝説ポケモンをアクセサリーにしたがっていると解釈しているようで、わからずや加減に堪忍袋の緒が切れそうである。

「だが…それは無理な話さ」
「…その心は?」
「伝説のポケモンは、最強のトレーナーになると誓った俺にこそ似合うんだ」

それなら私に一番似合う事になるけどいいのか?何故なら私が最強なので。完。

会話が成立していないというか成立させる気すらない事はこの際置いといて、私は最近やっと、こいつが本気で最強のポケモントレーナーを目指している事だけは、何となく理解し始めていた。

最初に会った時も言ってたしな、最強のトレーナーに俺はなる!とか何とか。理由は知らないし特に止める気もないので、それは好きなだけ目指してくれていいんだけど、でもそんな君にいつか…立ちはだかる者が現れるよね。そう、私という最強の壁。私という戦うボディがな。
タイトなジーンズに捻じ込まれた私の強さに敵う時は…恐らく来ないだろう。もしかしてその現実から目を背け続けているのか?私を弱いと思い込む事で自我を保っているのだとしたら…それは…あまりにも悲しい…早く諦めていただいた方がいいと思う。

私と出会ったのが運の尽きだったな…と彼の夢が儚く散る事を憐れみながら、では拙者はこの辺で…と壁すり抜けのできるボンバーマンくらいの気持ちで、スッとツンデレの横を通り過ぎようとした。しかし簡単にハドソンできるほど、コナミの買収力は甘くはなかった。
もたもたしてるとスイクン達に逃げられちゃうかもしれないだろ。お前だって伝説が目当てなんだよな?だったら道草食ってないでそっち優先しろよ。もちろん私の記録が済んでからだけど!

記録させてくれるなら捕獲に協力してやらん事もないぞって感じの私だったが、友好的な姿勢を汲んでくれる事もなく、ツンデレは最悪のタイミングでいつものあれを展開しようとしたため、私は露骨に顔を歪めた。彼の手に握られた赤と白の球体を見て、察せないほど愚かではなかった。

去ろうとした私の前に、ツンデレはわざわざ立ちはだかると、いつものノリでボールを目の前に突き付けてくる。そして言うわけだ、勝負開始の一言を。

「お前はせいぜい、ロケット団の下っ端にでも遊んでもらうのがお似合いさ!」

この間遊んだのは幹部だよ!とキレながら、ツンデレが出したモンスターボールに視線をやり、何も今じゃなくたって…と肩を落とした。

マジ?勝負をしかけてきたの?でも絶対今じゃなくない?だって今ポケモン勝負なんかしたら、スイクンたち逃げちゃうかもしんないじゃん。お前本当に手に入れる気あるのか?それとも…伝説のポケモンより私との勝負の方が大事ってこと…?愛かよ。重いからやめてくれ。
いつもの癖で応戦して追い払おうとする私であったが、重いというキーワードである事に気付いてしまい、投げようと手にしたボールを二度見した。すっかり失念していたが、私は重力の前には無力なトレーナーだったのだ。

そうだ。私、ここじゃポケモン勝負できないんだった。

「…待って。今は無理だった」
「は?」
「私カビゴンしか持ってなくて…こんなところで出したら…わかるだろ」

お察しの顔をしたツンデレに苦笑し、私はボールから手を離した。

そう、私はカビゴンとのみ契約した魔法ニート少女…最強トレーナーとはいえ、460キロを耐えうる場所でなければ戦えない、実に局地的な強さなのだった。

マダツボミの塔は耐えられても、こんな上手に焼けてしまった塔が、カビゴンの重さに耐えられるわけがない。確実に沈むわ。倒壊、地盤沈下、ほぼ災害よ。やる気になっていたツンデレには悪いが、さすがに二人揃って大怪我は本意ではないと思うので、今回は見送っていただく他なかった。

すまんな、軽いポケモンじゃなくて。どうしてもって言うなら野外で頼むわ。お前に力を誇示したい気持ちもあるから、記録のあとでいいなら付き合ってやらん事もないし。
めんごめんご、とふざけつつも素直に謝れば、ツンデレは呆れたように視線をそらし、持っていたボールをポケットにしまう。しかしいまいち信用されていないのか、疑わしげな声をぶつけられた。

「1体だけ?信じると思うか?」
「いやマジなんだって」

ヤンキーのようにメンチ切って近付いてくるツンデレから遠ざかろうと、反射的に身を引いたその時であった。何だか嫌な音が足元から響いてきたのは。

バキ、と重く低い音が、私の耳に入ってきた気がする。同時に踵の感触が変わり、何かを踏んで壊した事を、悲しいくらいに察してしまう。まさか…と振り返れば、床を踏み抜いた足が体を傾けていて、絶体絶命の状況に血の気が引いた。

しまった。カビゴンを出すまでもなく、これは落ちる!

どうやら穴に近付きすぎたらしい。焼けて老朽化の進んだ床板に体重を預けてしまった私は、宙を泳ぎながら体勢を立て直そうと、無我夢中でもがいた。

いやこんなやばいところに人を入れるなよ!こんな簡単に壊れちゃうの!?ふざけんなって!オーキド博士の許可くらいで立ち入りを許すんじゃねぇ!事故起きたじゃん!落ちたら普通に死にますけど!?
管理の全てが杜撰なポケモン界を恨み、そんな中でも生への執念を燃やして、私は何かに掴まろうと手を伸ばす。死ぬ時は布団の上がいい!と願いを込め、まだニートにもなってない私は、死に切れなさでは誰にも負けはしないと自負していた。

そんな情熱が伝わったのかもしれない。あるいはテンパっていたのか、なんとあの小憎たらしいツンデレが、私に向かって手を差し出してきたではないか。
私は動揺と感動に打ちひしがれながら目を見開き、ほとんど無意識に腕をそちらに伸ばす。謎の絆が生まれそうな瞬間であった。

つ、ツンデレ…!お前…!本当にツンデレじゃないか!マジかよ!
まさか助け舟を出してくれるなんて想像もしていなかった私は、たとえそれが条件反射だったとしても、彼を見直し、たまらず感動の涙を瞳に浮かべた。

信じてた、私は信じてたよ。お前がただのドロボーイじゃない、本当は優しい子だって事をね…!
もちろん嘘だが、藁にもすがりたい状況である。私はファイト一発のケインコスギのように筋肉を隆起させ、ツンデレの手を掴もうと全力で腕を伸ばした。それは少女革命ウテナのラストシーンのごとく感動的な場面であったが、そう都合よく王子様が助けに来てくれるはずもないので、悪すぎる足場では抗いようがなく、結局藁にすがれないまま私は重力に敗北した。ニートにディオスは降臨しない、はっきりとわかった瞬間であった。

困惑するツンデレの顔が遠くなっていくのを見つめながら、もちろんこのまま死ぬわけにはいかないので、すぐに気持ちを切り替える。伊達に窮地に陥ってないんだこっちは。切り抜け方ってやつを教えてやるよ!

死にたくない!と咄嗟にボールを地面に投げつけ、あとは神に祈った。高いところから落ちた時はもはやこの作戦しかない!そう、カビゴンクッション法だ!

早く出てきて!と祈る私は、視界に映った三体のポケモンを見て、同時に図鑑とカメラを構えた。ニートへの執念が心身を活性化させ、驚異的な判断力を生み出していく。

地下なら、カビゴンを出しても地盤が緩む事はないはずだ。そして下にいるのは、伝説のポケモン三匹。近付けばすぐに逃げてしまうと言っていた…だからここまできたらもう、落下と同時に撮るしかない!

迫る地面には目もくれずレンズを覗き、出てきたカビゴンの腹により一命を取り留めた私は、トランポリンのごとく体が跳ね上がったけれども、背中を強打した以外は奇跡的に無傷であった。

「いてぇ!」

堪えられずについつい叫び、そしてすぐさま肉体に異変はないか確認する。
腕、足、胴、首…どこも捻じ曲がってない!大丈夫!頑丈に産んでくれた母とカビゴンクッションに感謝だな!そして私が主人公じゃなかったら死んでただろうから、ここはもう問答無用で立入禁止にしてくれと願うレイコであった。殺す気か。

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