カビゴンをクッションにし、何とか九死に一生を得た私は、ハッとして本来の目的を思い出すと、カメラと図鑑を後方に向けた。忘れちゃならない大事な任務があった事に気付いて、真剣な顔で目を見開く。

そうだ、伝説のポケモン!それを記録するために落ちてきたんだった!いや違うけど。ただの事故です。

見事なターンを決めて振り返ると、絶妙な距離感を保った三匹のポケモン達は何だか冷ややかな目で私を見ていて、どうやら一部始終を目撃し、その間抜けさにドン引きしているらしい。床板踏み外して落ちるとかないわ…と言いたげな視線は、さすがに図太い私も羞恥を煽られた。

や、やめろ!そんな目で愚かな人間を見ないで…!今のはドジじゃなくて事故だから!こんな危ない塔に私みたいなニートを入れるエンジュの行政が悪いんだから!
言い訳がましく弁解している間に、落ちた甲斐あって、図鑑にデータが取り込まれていった。忙しなく更新される機械の音に、スイクンが少し反応した事に、私はまだ気付かない。

や、やった…記録できた!ジョウト伝説の三犬!
一時はどうなるかと思ったけど…命を懸けた甲斐があった…。私は安堵と感動で脱力し、埋まっていく図鑑のページを順々に見つめる。

青いのがスイクンで…黄色いのがライコウ、赤茶っぽいのがエンテイか。安直な名前だな…と三匹に目を向け、改めて見るとその迫力に、私は圧倒される。

近くで見たら…かなりでかいぞ。さすが伝説と呼ばれるだけあり、全員強面のアウトレイジである。
特にエンテイとかめちゃくちゃ強そう。風もないのにたなびく毛が、より存在を大きく見せている。とても第六世代まで無能だったとは思えない雄々しさだぜ…。ライコウは金銀版でのドット絵の物悲しさとは裏腹に、立派な髭や雨雲に似た体毛が実に勇ましく、唯一映画出演していなかった頃が嘘みたいな存在感である。

そうやって、褒めてるのかディスってるのかわからない私が気に入らなかったのかもしれない。ちょっと性能のいいカメラに替えようとした瞬間、いきなり突風が吹き抜けた。目も開けられぬ衝撃に思わずカビゴンを盾にして、本日は緩衝材としての力を遺憾なく発揮する相棒に感謝し、これだからカビゴンはやめられねぇんだよな…と痛感せざるを得ない。私の手持ちがヒトデマンとかだったら絶対死んでたでしょ。

食費が嵩むだけの価値はある…と高級品が高級である理由を理解しながら、風が止んだ気配に目を開けると、さっきまでいたはずのライコウとエンテイの姿が忽然と消えていた。すぐに逃げてしまうと言ったミナキの言葉を体感して、一秒にも満たない間に去って行った事に呆然としながらも、そんな中で奇跡的に記録できた幸運を噛みしめる。

速ぇ。一体どこから逃げたんだ。私が落ちた穴から?それならついでに引き上げてくれよ。
わりとマジに懇願しつつ、タイミングが少し違えば間に合わなかったかもな…と自身の判断を自画自賛して、何故か残っているスイクンに視線を向けた。

それでお前は…どうした?なんでまだいるの?ハブられたのか?
グループ内で不仲説が浮上しそうな雰囲気に、私は神妙な面持ちで佇んだ。まぁ人間関係もいろいろあるように、ポケモン関係もいろいろあるのかもしれない。伝説とつるむばかりが人生じゃないよ、とどこから目線で慰め、せっかくじっとしているのだから、私は高性能カメラを取り出し、スイクンを撮影した。

やけにおとなしいのが不気味だが…襲ってくる気配もないし、ちょっと様子見るか…。もし攻撃を仕掛けてきたらカビゴンのカウンターパンチで一発瀕死となってしまうので、伝説の威厳を保っていたいならそのまま無害を貫いていただきたい限りである。
巨大生物兵器を後ろに待機させながら、私はピントを合わせ、レンズ越しに神々しいスイクンを見つめた。

ていうか4Kか?ってくらいきれいだなこのカメラ。毛穴まで映りそうなんだけど。
透き通る体の内部まで見えそうな画質に、私は珍しく高揚してしまう。これが令和の技術か…と感心して夢中になっていれば、不意にスイクンは立ち上がった。それまで座ってこちらを凝視していた存在が急に起立し、さらにそのまま近付いてきたため、私は思わず後ずさる。

びっくりした…。なんだおい、やるか?いいぜ来るなら来いよ、その青いボディが真っ赤な血で染まってもいいならな!
全年齢ゲームに相応しくない発言をし、ドキドキしながら構えていると、スイクンはさらに歩みを進めてくる。ゆらゆらと尾をなびかせ、どこまで近付いてくるんだ…?と懸念していたら、とうとうレンズに鼻先がぶつかり、私は耐え切れず叫んだ。

「近っ!」

いや近すぎだろ!当たっとるがな!それじゃ映らないから下がって!バック!

距離感がバグっている青犬に驚き、戻れ戻れと素人を手で追い払った。これだからカメラ慣れしていない古代生物は…とレンズと実物を交互に見て、妙な動きばかり見せるスイクンに首を傾げて戸惑う。

何なんだこいつ…全然逃げないしカメラにはぶつかるし…本当に伝説のポケモンか?
正直もう記録は終えたので、さっさとどこかへ行ってもらいたいくらいだったけど、居座られると撮り続けなくてはならない気がし、実に悩ましい状況である。

どうしたらいいんだ?と悩みながら、スイクンがカメラに近付いてくるたび後ろに下がり、また近付けば後ろに下がり、というやり取りを繰り返した。もしかしてカメラに興味があるんだろうか、と思い至った時、私は立ち止まって思案する。

遠い昔に生を受けて以来、俗世と関わる事なく生きてきたスイクンにとって、自分の姿が映し出されるカメラとの出会いは、初めての体験だったのかもしれない…人間の生み出す文明にシンパシーを感じた…そういう事ですね?知らんがな。どうでもいいからもう帰ってくれ。

伝説ポケモンの価値などわからない私が早めの退散を願うと、奇しくもそれはすぐに叶う事となる。
何の前触れもなく、他の二匹同様、いきなり突風を巻き起こして、スイクンは去った。あまりの速さに青い残像しか見えず、リアルドラゴンボールの世界に、私は打ち震える。

すげぇ。これが…伝説のポケモン…レベル51でにらみつけるを覚えるファイヤーとは天と地の差だな…。とばっちりでファイヤーをディスりながら、やっと落ち着ける状況になったと安堵し、私はカメラを下ろした。

落下した時はどうなるかと思ったけど…五体満足で生き残れた上、無事にみんな撮影できて本当によかった。不幸中の幸いってやつだな。たまにはDQNに絡まれるのも悪くないですよ…いや悪いわ。次会ったら覚えとけよクソ野郎。

何はともあれ、これで私のニートロードもかなりショートカットされたに違いない。それだけでも良しとするか。状況をポジティブに捉え、こんな至近距離で伝説のポケモンを撮れただなんて親父が見たら発狂するだろうな…とほくそ笑んでいた時、もう一人発狂しそうな人が走ってきたため、私は即座に身構えた。

一体どこから下りてきたのか、スイクン顔負けの速度で向かってきたやばい奴に、たまらず悲鳴を上げてしまう。垂直になびく白マントとタキシードは、私を怯えさせるには充分すぎるほどの迫力があった。

で、出た!変態!じゃなくてミナキくん!

「見ただろう!?」

何をだよ。少女に迫る変質者なら進行形で見てるけどな。

いきなりやってきたミナキくんは、全力疾走の後に私の前で立ち止まると、力強く肩を掴み、開口一番に謎の台詞を吐き出した。スイクンといいミナキクンといいどうしてこんなに距離感の掴めない奴ばっかりなんだ?とドン引きし、身を引きながら顔を歪める。

「は?」
「目の前をものすごい勢いでスイクンが駆けていった…かれこれ十年近くスイクンを追いかけてきたが、こんなに近くでスイクンを見たのは初めてだ!感動だぜ!」

熟成されたストーカーじゃねーか。
十年!?と私は驚き、衝撃のベテランぶりに絶句した。感激しているミナキとは裏腹に、手遅れ感が否めない彼の病状を憐れんで、冷ややかな視線を送る他ない。

どう考えてもやばすぎだろ。十年近くって。生意気だった親戚の子も敬語で喋り出すくらいの年月だぞ。それだけ追い続けてて…あの距離まで迫ったの今日が初なわけ?よくモチベ保ててたな。マジで恐れ入るわ。

想像の百倍はガチ勢だった事に衝撃を受けすぎて、いろいろ記憶が飛びそうになるも、私は何とか正気を保った。そもそもか弱い乙女が穴に落ちて最初に発する言葉がそれか、ともはや呆れすら芽生えてくる。

スイクン見てたなら…私が落ちるのも見てたよな?普通は大丈夫?とか怪我はない?とか心配するもんじゃね?それを…見ただろう!?ってどういう事なんだよ、スイクンへの感動で私を気遣う心を忘れてんじゃねーぞ!
全くこれだから十年無職は…と自分の事は棚に上げ、ミナキの手を振り払う。呆れ果てる私をよそに、彼はスイクンの奇行を思い出したのか、私を見つめて意味深な言葉を吐いた。

「それにしても…スイクンは明らかに君の事を意識していたな」

急に冷静になったミナキくんのテンションの落差についていけない気持ちになりながらも、私は深く考えず流しておく。

「そうかな」
「ああ、きっとそうだ。エンジュシティにつたわる伝説のポケモンは、力を認めた人間の傍に寄ってくるらしい」

ミナキくんはそう解説してくれたが、正直私っていうよりカメラに興味津々な雰囲気だったので、ナルシーの可能性が高い気がしなくもなかった。
だってマジでカメラしか見てなかっただろあいつ。きっと美意識の高いポケモンなんでしょうよ。藤原紀香のようにね。

雑にスイクンを評する私の横で、ミナキは何か考えているポーズをすると、独り言なのか何なのか、この先の方針を語り始めた。今世紀で一番どうでもよかった。

「私も今後は君のように、もっと積極的にスイクンと向かい合ってみるか…」
「そうか。頑張ってください」
「ありがとう。ではレイコ!またどこかで会おう!」

適当な私の返事に力強く答えると、ミナキくんは私の手を取り、爽やかな笑顔を浮かべた。そのナチュラルな動作に違和感さえ覚えなかった私は、手の甲にキスを落とされるまでほぼ棒立ちで、熱烈な別れの挨拶に反応できたのは、彼が颯爽と立ち去ったあとであった。
生粋の喪女の私は自分の手を二度見しながら、イギリス人には見えなかった男に驚愕し、思わず肩をすくめる。

あいつ…いつか何かの条例に引っかかる気がするな…。キザなニューキャラに溜息をつき、今日も怒涛の一日だった事に落胆していれば、今度はマツバが私の元まで駆け寄ってくる。
もう放っておいて…って感じだったけれど、さすがジムリーダー、これまでの変人とは比にもならない人格の良さを見せつけ、私の心に潤いを与えるのであった。

「大丈夫かい?怪我は?」
「あなたは神か…」

この、差!惚れてまうやろ!

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