「なんという事だ…」

その日、私は思い出した。コガネのジムでの惨劇を。ジムリーダーを秒殺した恐怖を。

いつも通り、調子良く、手加減の手の字も知らないカビ公の猛攻に成す術なく敗れたマツバは、放心したようにそう呟いた。
なんという事でしょう。マツバを倒した途端あんなに暗かった床が、匠の手によって見違えるほど明るく、イタコ達も精気を取り戻したかのように若返ったではありませんか。生まれ変わった我が家に、ジムリーダーのマツバ氏も喜びのあまり絶句…するはずもないので、私は肝を冷やした。こっちのテンションの落差が劇的ビフォーアフターである。

何、その反応は。号泣一歩手前とか絶対なしだからな!?泣きたくても堪えて!私だって泣きたいんだから!

最強すぎるカビゴンを労いながらも、私の心は複雑である。こちらとしては何の代わり映えもなく勝ったつもりであったし、これまで戦った相手だって、その強さ恐れ入った!このバッジを託そう!的な感じに負けても引きずらず、さっさとバッジを渡してくれたわけなのだが、アカネと出会ってからその流れに暗雲が立ち込め始めた。そう、号泣バッジ渡し忘れ事件である。
それを彷彿とさせるマツバの放心具合に、私の心はざわついて止まない。

おいおい…大丈夫かよ?何か…超ショック…って顔してんだけど。まさか秒殺されるとは思ってなかった的な表情をやめて。そりゃ思わないだろうけど、みんなそれを乗り越えてきたんだから…マツバも早く正気に戻って…。でなきゃ居たたまれないよ!

驚いた様子のマツバに成す術なく、いくらポケモンが強かろうとも人間とのコミュニケーションには弱い私は、しばし棒立ちして相手の出方を待った。下手したら呪われそうな場所であるだけに、びびってカビゴンをボールにしまう決心がつかない。

もし…マツバがエクソシストのごとくブリッジして迫ってきたらその時は…カビゴン、一思いにやってくれ。なんて不穏なことを考えていると、ようやく相手は口を開く。緊張の一瞬であった。

「君は…一体どんな修行を…」
「え?」
「いや、それだけではない何かが君にはあるようだ」

思ったより穏やかな口調だった事に、ひとまずはホッとした。怒ってない事がわかっただけでも一安心だったので、何とか苦笑を浮かべ、まぁ大した修行もしてませんが…と目をそらす。強いて言うなら涅槃仏の姿勢で過ごしてはいたかな…だらけてるだけだろ。

少し意味深な発言だった事は気になりつつも、どうか千里眼でニートを見透かされていませんように…と祈る事しかできない私は、マツバが静かに近付いてきた事に、思わず身構える。
アカネのトラウマが根付く私の精神は果たして救われるのか、それとも悪化するのか、瀬戸際で緊張していると、彼は迷わず私の手を取り、突然の接触に二度見せざるを得ない。いきなりイケメンに触れられるという謎イベントに戸惑う私であったが、そんな不純な思考を嘲笑うよう、彼は手の平にバッジを落とした。

「わかった。このバッジは君のものだ」

バッジ授与イベントかよ!喪女弄ぶのやめてくんない!?無駄に緊張したじゃねーか!

そんな意味深に手を握るくらいならいっそ投げてくれ!と唇を噛み、しかし文句など言えるはずもないので、私は静かに礼を述べるのみである。

全くハラハラさせやがって…いろんな意味で心拍上がったわ。イケメンに意味深な態度を取られることが喪女にとってどれだけの効果をもたらすか、しっかり考えて生きていただきたいもんですね。
雑念にまみれながらも素直にバッジを受け取り、ついに四つ目、つまり半分集まった事を、私は単純に喜んだ。いろいろあったがペース的には悪くないんじゃないか、伝説のポケモンも記録できたし。

このまま残り四つもスピーディーに頂こう…とほくそ笑みながら、ケースに並んだ多種多様に輝くバッジを見つめていると、それを見たマツバは私に尋ねた。

「ポケモンリーグに挑戦するつもりなのかい?」
「え?ああ…一応そのつもりです…」

この時ふと、そういえばリーグって三年前に行ったけどまた記録する必要あるのか?と私は思い至った。セキエイリーグは、カントーとジョウトどちらかのバッジを集めれば挑めるので、つまり三年前に行ったところと同じ場所なのだ。

一応行くって何気なく言っちゃったけど…必要なくないか?だって記録したじゃん、チャンピオンロードの隅から隅まで。
すでに任務を果たした場所へ行く意味を感じない私は、マツバのおかげでそれに気付き、思い至れた事を感謝した。

まぁ四天王とかチャンピオンの人事異動があったりしたら行かなきゃならないんだろうけど…そうでないなら不要だし、私のニートロードも相当のショートカットができるんじゃね?
正直チャンピオンロードはかなりだるいので、行かずに済むならそうしたい限りだった。誰があんなおびただしい量の謎の像が置いてある場所に好きこのんで行きたがるんだよ。絶対邪魔だろ。尚、すでに撤去されている事をレイコは知らない。

「それなら西のアサギシティに向かうといい、ジムがあるからね」
「あ、はい。そうします」
「さらに海を越えるとタンバジムもあるんだ。そういえばミナキくんもタンバに行くと言っていたな…」

あいつか、タキシード仮面。

マツバの口から突如発せられた変質者の名前に、無表情で私は頷いた。
なんでその情報を私に寄越したのかは知らないけど…何とか鉢合わせずにいきたいもんだな。孤高のニート旅である、テンションの高い人間と出会って時間をロスしたくない私は、どうかこれがフラグになりませんように…と神、そしてゲーフリに祈った。

だってミナキくんさぁ…まず服がすごいじゃないですか。あの服の理由も結局わかんなかったんだけど。ドラゴン使いじゃないの?だとしたらマジシャンか?特異な職業とかじゃなくあの格好をしているのだとしたら…もう何も言わないわ。人の趣味にケチつけれるほど私もまともな服着てないしな。

イケメンに会うというのに全身しまむらブランド染めの私は、じゃあタンバは後回しにしますね、と一度頭を下げて背を向けたが、せっかく生い立ちを語っていただいたので、激励の言葉の一つくらいは投げておこうともう一度振り返り、去り際に一言だけ付け加えた。

「あの…会えるといいですね」
「え?」
「伝説のポケモンに…」

修行僧のマツバを、微塵も修行してないニートの私があっさり打ち負かしてしまった事への罪の意識などもあり、声をかけずにはいられなかった。
いや本当…今回は相手が悪かっただけだと思うから…引き続き頑張ってほしいよね。アカネのころがるのトラウマには負けるが、のろい戦法に苦しめられたプレイヤーも数多くいると聞くし、きっとマツバも優秀なトレーナーなんだろう。

そういう点を伝説ポケモンが気に入ってくれるといいね…と希望を込め、スピードワゴンはクールに去ろうとしたのだが、何故かマツバは近付いてきて、私に何かを握らせた。

紙の感触に、まさか…金…!?と不純な事を考えたのだが、手の平を広げると、そこにあったのは小さなメモ用紙であった。規則的な文字の羅列が見える。もしかしなくてもこの数字は…あれなんじゃないか?

「これ、僕の番号。持っていて」

テレフォンナンバー6700?ナンパかよ。
まさかの展開に、私は二度見して狼狽えた。

なにゆえ電話番号。ど、どういう意図?仲良くなったからライン交換するみたいな…そういうやつか?いや全然仲良くなってねぇけど。単になんかあったら連絡くれって事かな。
ミナキくんみたいな怪しい奴も多いし、不慣れな土地で頼る者も少ない私への親切心かもしれない。女児の一人旅を心配してくれてるんだろうか。いい奴じゃん。
マツバの行動を優しさと受け取り、私は適当に微笑んで感謝を伝えた。サンキュー。もしなんか伝説のポケモンっぽい奴見かけたら連絡するわ。だからそっちも研究協力頼むぞ。

こうやって情報共有できるのはいい事だな…と感じていると、マツバも笑みを浮かべながら、しかし真剣な声色で語り出す。

「…伝説のポケモンを呼び寄せる事は、幼い頃からずっと夢見ていた事なんだ。僕はそれを叶えたい」

切実な訴えに、私は大いに共感する事となった。何故なら私も、幼い頃からニートになるのを夢見ていた人間だからである。そして夢を応援してくれる人間の存在が、どれだけ有り難いかもわかるのだ。だって誰も応援してくれないからね。当たり前だろ。

「だから…ありがとう」

そんな大した事も言ってないのに感謝され、逆にこっちが恐縮した。もちろん本心から、伝説ポケモンに会えるといいですねとは言ったけれど、マツバが伝説を呼び寄せてくれたら私も記録ができるという打算も含まれているので、純粋な感謝には胸が痛んだ。

いやでも本当に思ってるから!頑張ってほしいって心から感じてるからね!?な!頑張れ!以上です!

板挟みで苦しみながらも何とか挨拶を済ませ、私はエンジュジムから飛び出した。最後まで微妙に申し訳ない気持ちを抱く事になり、複雑な心境で空を見上げる。

なんていうか…いい人だったけど…濃厚な時間だったな…。アカネケースも嫌だがマツバみたいに人生激重案件もしんどいため、結局は疲労困憊である。そして次のジムも一筋縄ではいかない事をレイコはまだ知らない。

それでも一個収穫があったから良かったな。私はマツバの話を思い出し、重すぎる彼の夢と私の目標が奇しくもリンクしている事を喜んだ。

伝説のポケモンを呼び寄せるというマツバのビッグドリーム…そしてジョウトの全ポケモンを記録してニートになるという私のスモールドリーム。規模や種類は違えど、伝説のポケモンに会いたいって点は同じなので、協力し合う事がきっとできるはずだ。協力し合うっていうか伝説ポケが出てきたら連絡してほしいって話だからほぼマツバ頼みなんだけどな。働けよニート。
私も目撃情報とか入手したら電話してみるか。マツバの番号をしっかり登録し、しかしそう上手くはいかない現実が待ち構えている事など知りもせず、私はのん気に次なる街、アサギシティを目指すのであった。

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