09.アサギシティ

海が好きか嫌いかと言われれば、そもそも引きニートなので外に出ること自体が億劫である。

潮風を浴びる私の名はレイコ。エンジュシティを出発し、現在は港町であるアサギシティへとやってきていた。フェリーが頻繁に出ているため、普段は賑やかな街だと聞いたのだが、今はシーズンオフなのかあまり人がいない。ただただ真っ青な海が広がり、遮るものなど何もない水平線の彼方を見つめるばかりである。

海…だな…。すごく…海です。
ジョウトに来て初めてまともな海を見た私は、その広さに絶望した。何故なら、海中のポケモンも記録しなくてはならないからである。

鬱すぎるなーマジで。海女でもないのに素潜りしなきゃならない人生なんて誰が予想したんだよ。こちとら都会育ちだぞ。東京湾すらいまいち馴染みないっつーの。
全てはニートのためとはいえ、海、洞窟などの記録は極力やりたくない案件である。後回しにしてまずはジムへ行こうと、私は原付を停めて見慣れた建物に向かった。

確かアサギと…あと海を越えた先のタンバにもジムがあるってマツバさんが言ってたな…そしてミナキくんもそこに向かったらしい。なんとか出会わずに終わりたいので、やっぱアサギジム攻略が最優先だね。
私は自らの決断に自信を持ち、しかしこれが全ての間違いを生んだことに、わりとすぐ気付かされた。

入口の方へ回ろうと角を曲がった瞬間、突如としてそいつは姿を現した。
粗暴にドアを開けたかと思うと、そこそこの勢いでジムから出てきて、見事に私と鉢合わせをする。このとき私は思い出した。自身が主人公であること、そしてどこへ行っても大体知り合いに会ってしまう属性を付加させられていたことを。
でもお前と知り合いになった覚えはない!

「…またお前かよ」

こっちの台詞だツンデレ野郎!またお前かー!

言おうとした台詞を先に言われ、もどかしく口を動かすだけとなった私の前に現れたのは、数度目の登場、泥棒ツンデレクソガキ野郎であった。もはや出会った回数は片手で数えられないくらいになっているけど、いくら何でも登場ペースが早すぎないか?どの町でも会ってる気がするんですが?

もしかして先回りストーカーという新ジャンルなの?と新たな犯罪の手口に怯え、互いに睨み合いながら、私はボールを出して身構える。

何が何だか知らないけど…とりあえずお前と会うといつもポケモン勝負を強いられるからな、どうせ今回も同じでしょ。やるならさっさとやろうぜと生き急ぎ、ツンデレの出方を待った。

てか何でジムから出てきたんだろう。まさかお前も…バッジを集めているのか…!?確かに最強のトレーナーになるとか言ってたから、バッジくらい持ってないと強さの証明にならないし、ジム巡りをしていてもおかしくはない。
ジムリーダーをド突くツンデレの姿を想像し、こいつこそ出禁にしろよと本気で思ったところで、ようやく彼は口を開いた。相変わらずの態度に、私の怒りのボルテージは最初からクライマックスと化した。

「何その気になってんだ?俺はお前みたいな弱い奴は相手にしない」

この手に銃を持っていたら、間違いなく発砲していたことだろう。煽り耐性が全く上がらない私は、早々にツンデレの台詞にキレ散らかし、怒りの炎を燃やした。

おま…お前みたいな弱い奴は…?相手にしない…?よわ…え?弱い奴ってまさか…私のことですか!?
何度似たような台詞を吐かれてもその都度マジギレしてしまう私は、やはり今回もマジギレした。弱いという言葉が私に向かって発せられている意味がわからず、燃え上がる怒りの炎を止められない。

マジか?お前本当…眼科に行った方がいいぞ、絶対目ついてないから。ちゃんと顔面に両目が装備されてたらそんな発言できるわけがないからな。何かの疾患を疑った方がいい。そうでなくてもすでに病気を患ってるんだから…厨二病って病をね。

軋むほどボールを握りしめた私は、ギリギリの理性を何とか呼び覚まして、己の闘争心を鎮め切った。こんなところで暴力沙汰を起こしたら戦う前からジムが出禁になるかもしれないし、冷静さを欠くのは得策ではない…。落ち着けレイコ…大人になれ三井…と言い聞かせ、静かに呼吸を整えた。

もしかしてニートゆえに社会的立場が弱いという意味か?と前向きに捉えたところで、ツンデレはジムを見ながら、何故か有益な情報を私に寄越した。無駄にいろいろ教えてくれるNPCのようだった。

「弱いと言えば、ここのジムリーダーもいないぜ」
「えっ?そうなの?」

あまりに重要な案件は私を驚かせ、そして絶望させた。このままジムに挑む気しかなかったのに、まさかのツンデレに出鼻をくじかれ、テンサゲどころの話ではなかった。

ええ…?マジで…?ジムリーダーが留守とかあるの?どんな時間帯に行っても大体待機しているという過酷な労働条件で働いているあのジムリーダーが…留守?本当に?
にわかには信じ難く、私は当然ツンデレを疑った。

だって犯罪者の言う事だし、手放しに信じるのも馬鹿げてるよな。なんたって私を雑魚呼ばわりするくらいだからね、節穴すぎてジムリーダーの姿が見えなかった可能性も充分有り得る。
嘘松!と相手を睨む私だったが、しっかり裏も取れているらしく、ツンデレは真実を告げている事をアピールした。じゃあなんで人のこと雑魚呼ばわりしてんだよ、常に真実を見据えろよ。

「弱ったポケモンの世話をしに灯台に行ってるんだとよ」
「東大…?」

医学部の国際研究センターとかで看病してるのか…?

「…フン、馬鹿馬鹿しい。弱ったポケモンなんか放っときゃいいのさ。戦えないポケモンに何の価値もないからな」

灯台と東大の区別がついていない私をよそに、ツンデレは多方面にディスを展開していて、相変わらずな言い様に目を細めた。
本当にどういう育て方をしたらこんなガキが完成するんだろうな…親の顔が見てみたいぜ…いや見たくないぜ、何となく。
強さに固執するだけでなく、弱き者への嫌悪感もかなりあるらしいツンデレに引いていると、一体人を何だと思っているのか、ツンデレは謎の言葉を吐き捨てて、私を大層驚かせた。

「お前、灯台で修行してみたらどうだ?」
「と…えっ?東大で…!?」

突然の東京大学に、私は思わず二度見した。もしかして彼が私を弱いと言い張るのも、実はインテリもやしに見えていたからなの…?と考え至り、溢れ出る知性を隠し切れない自分に感嘆した。

な…何を言ってるんだこいつ…どうしていきなり東大?全然わかんないよ…確かに脳筋ゴリラにしては知能高いとは思うけど…でも私義務教育しか受けてない低学歴芸人だから、急にそんなこと言われたって…なぁ?
実際誰も東大の話はしていないので、わからなくて当然であった。

「少しは一人前のトレーナーになれるかもしれないぜ」
「いや…む、無理だよそんな…だって勉強なんてろくにしてないし…!」

いくら私が知性的な人間でもそれは…と首を横に振り、林修も今じゃないでしょ、と言ってる事を告げれば、ツンデレはゴミを見るような目で私を睨んでいたので、ようやく噛み合ってないことに気付いた。
心底呆れたように溜息をついた彼は、顎で海の方を指し、私の視線を誘導した。するとそこにあったのは東大の赤門ではなく、海を照らす高い塔…。

あ、灯台ね。だろうな。

紛らわしい言い方すんなよ…と逆恨みし、勘違いをごまかすよう、私はオタクなみに饒舌になった。

「…なに、あの灯台に野生ポケモンでも出るの?それともトレーナーの訓練施設?ていうか君は行かないわけ?」
「どうして俺が…」
「高所恐怖症か?」

東大を受ける事さえ叶わない私に残された道、それは煽り返しであった。
度重なる非礼で心がボロボロになった私は、これまでの鬱憤を晴らすかのようにツンデレを挑発し、そして鼻で笑った。

そちらこそ最強のトレーナー目指してるってんなら修行した方がいいんじゃありませんこと?人に灯台を勧めておいて自分は行かないなんて…ちょっと虫が良すぎるんじゃございません?何か行きたくない理由でもあるのかな?もしかして…怖いんですか?あれだけ人を煽っておいて…灯台に行くのが怖いですって?へぇ〜そうなんだ〜的な煽りを展開し、相手の苛立ちを誘発しながら、天沢聖司のようにしょうもない嫌味を言い続けた。コンクリートロードはやめた方がいいと思うぜ。

「それとも…自信がないのかな?」

性格の悪さを遺憾なく発揮した時、とうとうツンデレは反応した。私を思い切り睨みやがると、拳を握って怒りを露わにする。もしかして殴られるんじゃないか?と今さら思い至り、身構えた。

素行悪いからな、このクソガキ…。手を出したら現行犯で絶対逮捕してやるから覚悟しろ。
煽ったくせに被害者面をする私は、今日こそ警察に突き出してやろうと非情に徹し、そして返り討ちにする気でカビゴンのボールを握りしめた。

すると、そんな私の目論みに気付いたのか、ツンデレは殴りかかる事なく踵を返した。そして真っ直ぐ灯台の方へ向かい、潮風にアホ毛を揺らしていく。私はしばらくそれを見つめていたが、我に返って後を追った。

あ、私も行かなきゃ。灯台。

あいつもやっぱ煽り耐性ゼロだな…と同じ穴のムジナでしかないツンデレに苦笑し、無駄に焚き付けたせいで一緒に行くはめになった事は普通に反省した。何やってんだお前は。

ツンデレ氏の情報が確かなら、アサギのジムリーダーは灯台にいるわけである。私はジム戦をしてもらわなきゃ困るので、いつ頃再開するのか聞かなきゃならず、つまり登るんだ灯台に。修行がどうとか言ってたから、ついでに記録できるかもしれないしね。

さすがにエレベーターあるよな…と高い塔を見上げると、私が背後から迫っている事に気付いたツンデレが勢いよく振り返った。私もすぐに足を止め、暴力に備えて身構える。ド突かれたトラウマが根強く残るニートであった。

「ついて来るなよ」
「いやついて行ってるわけじゃ…大体そっちが灯台行けって言ったじゃん」

ストーカー扱いされたので正論で返すと、ツンデレは一睨みし、そのまま灯台へ進撃した。完全論破して気分を良くする私であったが、彼と微妙な距離感で灯台を登るはめになり、煽りまくった事を心から後悔するのだった。

てかエレベーター今使えないんだって。地獄。

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