階段をのぼると、雪国だった。いやガラス張りの展望デッキだった。
生まれたての小鹿のような足で辿り着いた最上階。街と海が見渡せる高所で景観を楽しむ暇などあるはずもない私は、息も絶え絶えなデンリュウを世話するジムリーダーのミカンと対峙し、とりあえず呼吸を整えていた。明らかにヤンキー風情なクソガキと怪しい運動不足ニートの登場に怯えるか弱そうな美少女ジムリーダーというこのカオス、まず何から説明しようかって感じである。

こういうとき真っ先にするべきなのは、そう、トレーナーカードの提示である。
決して怪しい者ではない、私はオーキド博士お墨付きのポケモントレーナーなんですよと相手に知らしめる事で全てがスムーズに進むという事を最近学んだ。実際はトレーナーではなくニートレーナーなのだが、人生を円滑に運ぶためには多少の詐称は必要である。

一刻も早くニートになりたいこの私、一体いつジムを再開するのか…それを聞きにこんなところまでやってきたと告げれば、ミカンは挑戦者に迷惑をかけている事を申し訳なさそうに、しかしやむにやまれぬ事情があるのだと力強い目で、全てを解説してくれた。そこにはか弱そうな美少女などではなく、立派な志を持った正義に溢れるポケモントレーナーの姿があった。

「…この子、いつも海を照らしてくれてたの。でもいきなりぐったりして、息も絶え絶え…」
「お気の毒に…」

どうやらそこのメルヘンなベッドに横たわる弱々しいデンリュウが、この灯台で太陽拳なみに発光し、船を導いているポケモンらしい。
突然奇病に侵されたデンリュウは昼夜問わず看病が必要で、アサギを背負うジムリーダーのミカンは放っておく事ができず、ジムを閉じて寝る間も惜しみ面倒を見ているのだという。そのあまりの献身ぶりに、普通に入院したら?とは言えなかった。という事はジム戦はできないって事ですよね?弱ったポケモン放っておけないのはわかりますけどジムリーダーとしての責任感はないんですか?なんて事はもっと言えなかった。代わりに言える事といったら、何かお手伝いできる事はありませんか?である。何故なら私はオーキド博士お墨付きのポケモントレーナー、博士の名に恥じぬ振る舞いをしなければならないからであった。もうオーキドの認定印取り消してくれんか?

「海の向こうのタンバにはすごい薬屋さんがいるそうですけど…」

するとミカンは、私の申し出にそう呟きながら、ミサワのようにこちらをチラチラと見つめる。海の向こう、タンバ、薬屋、という三つのキーワードから、この先自身に起こり得る旅情を想像して、何だかこっちが寝込みそうだった。

もうわかった、完全にわかったからいいよ。行くから。タンバの薬屋に行ってどんな病もたちどころに治すという都合の良い薬を取ってこいって事だな?見えたからシナリオが。いかにもゲームフリークの考えそうな事よ。どうせいつかの未来では犬を治すためにスパイスを集めさせられたりするに違いないよ。私という心優しい美少女の良心に付け込むシナリオが2022年まで続くのかと思うと涙が出そうだぜ。

全てを諦めて真顔になりながら、これもジム戦のため、ニートになるため…と己に言い聞かせ、苦行に耐える決意を固めた。

「あたし、アカリちゃんの傍を離れるわけにはいかないし…」
「そのようですね」

アカリちゃんって言うんだそのデンリュウ。コスメのプロデュースしてそうな名前だな。

「あのう、お願いです…私の代わりに薬をもらってきていただけませんか?」

言われるまでもなく行くつもりだった、というか行く以外のシナリオが用意されていない私だったが、たとえゲーフリのシナリオでなくとも、真っ当なポケモントレーナーのミカンに頼まれたら行っていただろう…そう思わせるだけの真摯さが彼女にはあった。私にはない澄んだ心が、ニートには眩しすぎたのだ。

無理だ。海を越えて薬もらいに行くのも嫌だが、こんなまともなトレーナーのそばに居続ける方が耐えられない。あまりにもトレーナーとしての心構えが違いすぎて無理。だって寝る間も惜しんで看病できないもん私。絶対寝るもん。さっさとアカリちゃんの入院手続きして病院に丸投げするもん。こんなトレーナーとして正解の姿を見せつけられて何も感じないほど私の良心は死んでねぇんだよ。早くここから立ち去らないと己のカスさに押し潰されて息絶えてしまう…!早く帰して!家に帰して!

二つ返事で出ていこうとしたが、さすがに海を往復する労力を考えたらタダ働きはあまりにも酷だったので、ミカンを振り返り、人差し指を立てた。

「いいですけど…一つだけ条件を飲んでもらいます」
「条件…ですか?」

別に抱かせろ、とか言わないから安心してくれ。無職の人っていつもそうですね…!労働者のことなんだと思ってるんですか!?

「アカリちゃんの病気が治ったら、私と一番に勝負してよね」

即。生き急いでるから即勝負してほしい。そのためにわざわざこんなところまで徒歩で足を震わせながらやってきたんだから、それくらい聞いてくれてもいいでしょ。こちとら命の恩人予定だぞ。早く抱かせろ。違った勝負しろ。
私の頼みにミカンは微笑むと、しっかりと頷いて無事言質を取る事に成功した。そうと決まればさっさと行こう。タンバにも海にもどうせいつかは行かなきゃならないんだ、覚悟決めてやるしかねーわな。何よりアカリちゃんを案じる心優しき気持ちは私の中にも存在しているからね…苦しむポケモンのためにも、寄り道はスタバとマックとセブンとヌン茶だけにしておいてあげるわ…。真っ直ぐ行け。

クールに去ろうと階段に足を置いた時、これまでの地獄が走馬灯のように蘇ってきた。息を切らしながら先の見えない道を一段一段上がり続けた経験に足が震え、慌ててミカンの元へ戻り、恥をしのんで頭を下げるのであった。

「…悪いけどエレベーター動かしてもらえます?」

条件二つになっちゃった。すまんな。

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