10.タンバシティ

知ってる?カビゴンって波乗り使えるんだよ。バタフライだけど。
いつぞやのアニポケのオープニングのごとく豪快なバタフライを披露するカビゴンに乗って、私はあまちゃんと完全一致の格好をしながら海を越えタンバシティにやってきていた。
そう、アサギの灯台でミカンに頼まれた、デンリュウの病を治す薬をもらってくるためである。自分で行けよと言うだけの度胸も甲斐性もなく、同情心に流されておつかいを了承した事自体は、別にそんなに後悔はしていない。していないけど海の家でレンタルした水着がウェットスーツだった事だけは本当意味わかんないから。普通に解せねぇわ。
タンバまでバタフライで行くと服が濡れるから水着貸してくれっつったのに何故ウェットスーツ?潜らないんだけど。密漁とかしないんだけど。もうその辺の海女さんに声掛けられて私仲間じゃねーからって足早に海から上がって着替えたわい。誰が地元民やねん。じぇじぇじぇ!

まぁそんなこんなあったけど無事に薬も貰って、ついでにここジムもあったから超特急でバッジ貰って、この間わずか三十分、一秒も無駄にせず任務を遂行して我ながら仕事早すぎ感動って具合にね、帰ろうとしているわけなんです。アサギに。再びウェットスーツを着用して。あの海の家のおっさんは私のビキニ姿が見られなかった事を一生後悔して生きてほしいわマジ本当。もう二度とねぇから私のくびれが見れるチャンスとか。これっきりだから。ん…?ラジオ塔…ロケット団…変装…?くっ頭が…!いや腹チラはアニメのムサシの衣装だけだった。
茶番をしながらUSJのジョーズなんて目じゃないくらい水しぶきを上げまくるカビゴンの波乗りバタフライに加え、完全な海女スタイルに戻る事に若干憂鬱な気持ちになっていると、事件というのは重なるもので、ウェットスーツを干している場所に戻ればそこにはありえへん世界が広がっていた。
ナレーション垂木勉って感じに驚愕の声を上げた私はまさかの光景に思わず失礼ながらも相手に向かって指を差す。一瞬名前をド忘れしたがすぐに閃き突如現れた青色の生物の名を叫んだ。

「スイクン君!」

呼ばれた本人は素知らぬ顔で転がっている。その姿は、人が作業してる時に限って膝に乗ってくる気まぐれな猫のようなものであったとかなかったとか。ねぇわ。
町の外れで私に指を差されても尚ふてぶてしく寝ていたのは、エンジュの焼けた塔で3対3の合コンをしたオーロラポケモン、十年熟成したストーカーが付いているレジェンド被害者ことスイクンであった。何故か干していた私のウェットスーツを座布団にしてその上で寝転がっている。何様なんだよ。
衝撃の展開に度肝を抜かれて普通に私はテンパってしまった。いや何でいるんだよあいつ。伝説のポケモンじゃなかったか?こんなフランクに寝姿を披露しちゃっていいのかい。伝説のポケモンは立ったまま寝る…みたいなイメージあったんだけど。気絶しても尚君臨するか跡部よ、みたいな感じでいてほしかったわ正直。跡部様より高貴な存在であってほしかった。
この通り混乱し切っている私であったが、思いの外肉体は冷静だったらしく即カメラを取り出し犬のように寝ているスイクンの撮影を反射的に始めていて、我ながら素早いと感心しつつも悲しみを抱いて目を細める。もう撮影が体に染み込んじまって取れねぇなこれ。したくもないのに撮影を始めてしまう、それは度重なる経験によって身についた条件反射…私こんな事のために生まれてきたんだっけ?ニートになるために生を受けたはずなのに…このままじゃ名乗る時すごい面倒な事になるぞ。俺、ヤマブキシティのポケモンニートレーナーカメラマンのレイコ!いらねぇこんな肩書き。
何でこんなところにいてしかも人のウェットスーツを下敷きにしてやがるんだと私は顔を歪めて少しずつ近付いていった。別にいいけどそれレンタル品だから破かないでくださいよ。あまりのあなたの神々しさに服が勝手に弾け飛ぶかもしれん。ギャグ漫画日和の如く。その時は弁償頼んだぜ。ポケモンだろうと容赦なく金銭を要求していく、それが人間の…クズだ。放っておいてほしい。

スイクンは寝ながら私に視線を向けたあと、休日の主婦なみに気だるそうな動きで体を起こし、冨永愛顔負けのモデルポーズを決めて満足したのかそそくさと海の上を走ってあっという間に逃げていってしまった。その速さ、まるで水切りで投げられた石のよう。もっといい例えあっただろ。

「一体何だったんだ…」

もはや影すら見えないスイクンが去った方向を見据えて私は呟く。マジでなんだあれ。シシ神様か?わざわざ人のウェットスーツの上で寝るとはとんでもない奴よ。マーキングされたんじゃないの。お前縄張り関係ないだろうが。
水面を跳ねるたびきれいに広がっていた波紋が消え、美しい水色を目の当たりにした地元の海女さん達はサザエを片手に去りゆくスイクンを拝み倒していた。なかなかにカオス風景。海女さん達でさえスイクンを見て思わず拝まなくてはという気持ちになるんだから、あの十年以上スイクンをストーキングしているという筋金入りの犯罪者は余程心酔してるんだろうな…なんてエンジュで出会ったタキシード男を思い出していると、見事とも言えるタイミングで後方から慌ただしい足音が聞こえてきたため私は身の危険を察知し勢いよく振り返った。
偶然というかフラグだったというか、まさにタイムリーな状況で振り向いた先に蝶ネクタイが見えた時はさすがの私も驚き、ムーンウォークを決めて後ずさったので何とか衝突は免れる。しかしそれを阻止するかのように現れた男は私の両肩をしっかりと掴んできたので、そういやこいつ人の肩掴んでないと喋れない奴だったなとあまり良くない事を思い出し、私は露骨に、これ見よがしに、お察しくださいと言わんばかりに、大きな溜息をつくのであった。

「よう、レイコ!今のスイクンじゃなかったか?」

ミナキ。そうミナキ君。そんな名前だった確か。突如として現れた人物に私は苦笑して軽く数回頷いておいた。
こいつだよこいつ、これがスイクンストーカーのミナキ君だよ。エンジュの焼けた塔でスイクン以外アウトオブ眼中だった握手券のためにCD千枚買いそうなガチファンな。彼の眼球は本当に推しメンしか目に入らないように出来ているらしい。ご覧の通り挨拶もそこそこにスイクンの話題一択である。アメトーークで話せやスイクン芸人。
そういえばマツバからタンバにいる的な事聞いたわ、と思い返してあそこからフラグが立っていた事に今頃気付きわりとげんなりしながら肩を落とした。ミナキ君がタンバにいる情報とか知りたくもないのに言ってきたという事はつまりそういう事ですよ、何故気付かなかったあれがフラグだという事に。マツバの華麗な建築技術に舌打ちして私は頭を掻いた。

いや別に会うのはいいんだけど…どこぞのツンデレDQNみたいに出会い頭に突き飛ばされたりしたわけじゃないしな。ないけど今じゃないよね、会うタイミング。確実に今ではない。ツンデレの相手をしておつかいをしてスイクンにマーキングされ海女スタイルでバタフライの水しぶきを浴びて疲弊しきったところに現れるこの男、正直しんどいの、わかるよね?残業で疲れて帰ってきたところに松岡修造現れてみろよ、はぐれメタルのごとく逃亡一択だろうが。そういう事だよ。日めくりカレンダー好評発売中!

「ちょっとしか見えなかったが、海の上をスイクンが走って行ったように見えたぜ…」
「そうだよ。海女さん達が拝んでるのはそのせいです」

漁に勤しむ熟女を指差して私は溜息まじりに呟く。あれが神々しいものを目の当たりにした人々の姿ってやつですよ。自然と合掌している感じの。私だって目の前を華麗に駆け抜けていくスイクンだったら感激しまくってただろうけどな、ここにいた時は寝てたからあいつ。優雅に昼寝。ニートかよ。わしを差し置いて無職とは許しちゃおけねぇな。謎の張り合いをしている私をよそに、ミナキは合掌している海女さん達に一瞥くれたあとようやくこちらの肩から手を離した。言っとくけどそれ完全にセクハラだからね。本当顔が良くなかったら今頃訴訟起こしてるから。イケメンだからという理由だけで私に許されている奴この世に多すぎると思うんだけど。何、私が面食いだから悪いのか?本当は大人の事情が絡んでいるんじゃないのか?なんか近い将来そういう理由でとある電波を許してそうな気がするわい。知らんけど。未来予知とかじゃねーけど。

イケメンタキシードから少し離れて私は潮風を浴びた可哀相な髪の毛を掻き上げる。するとミナキ君は聞いてもいないのにスイクントークを始めたので、私は私でこいつ半ズボンだったら八割コナン君だなとどうでもいい事を考えていた。お前の衣装の方が軽く事件なんでもう勘弁してください。その色着こなせるのあんたと美川憲一くらいだぞ。

「スイクンは美しくて凛々しい。しかもものすごい速さで街や道を駆け巡る。素晴らしい」
「そのようですね」
「見たところレイコはスイクン初心者のようだが…何かスイクンを引きつけるコツでもあるのか?スイクンはこの前からやけに君を気にしてるように思えるぜ」

何だスイクン初心者って。階級制なの?お前はスイクン五段とかなのか?どうでもいいわそんなもん。知らんがなと突っぱねようとして私は手に持っていたカメラに目を向けた。この時、そういえば、と思い至り、コツというほどの事でもないが案外関係あるかもしれないと高性能カメラを持ち上げて私はそれをミナキに見せる。確か初めてスイクンに会った時もカメラ持ってたし、何かわざわざ近付いてきたような気がするな。この辺の記憶は曖昧だが、私が床下に落ちた時この男が全く心配してくれなかった事だけは覚えているぞ。器小さすぎ。

「私じゃなくて近代文明に興味あるんじゃない?カメラとか」

投げやりな態度で告げるとミナキは私のカメラを覗き込む。さっきもウェットスーツの上で寝てたしね。新しいもの好きなのでは?だってあれでしょ、遙か昔から生きている伝説のポケモンなんでしょスイクン達って。ある時は紫式部の横を駆け抜け、ある時は戦国乱世を生き抜き、ある時は大正ロマンの風潮に思いを馳せたりした…のかもしれない。そして今、近代文明の王道アイテムとも言えるカメラと出会い、その謎めいた存在に触れた瞬間スイクンの中でビックバンが起きた…これが噂の…IT革命…?違う。
バリバリの団塊世代だしゆとり世代に興味あるんじゃねーの?と適当な発言をしつつミナキに記録した動画をチェックも兼ねて再生して見せてやる事にする。括目せよ、この私の撮影技術。マジ見てよこれ、あの速さに手振れ一つしていないだろうが。天才か?もしかして私…天才…?白々しく自画自賛していれば珍しく自賛が絶賛に変わり、ミナキはカメラに食いついて私の撮ったスイクン動画に感動の声を上げていた。かつてないこの反応、一体どうした。悪くないぞ。その態度に免じて今までの罪全て許してやる。チョロすぎか。

「おお!これは!すごい!」

小並感全開であったが彼のオーバーリアクションはまんざらでもなかったので、私は鼻を天狗にしながら気分よくほくそ笑みわずかな照れの心をごまかした。いやもっと褒めていいよ本当。誰も褒めてくれねぇから最高の気分だわ今。ありがとな。そのタキシード超格好いいよね。調子良すぎ。
マジでここまで頑張っても全然褒めてくれないから、記録頼んだ本人とか全然何も言わないから普通に嬉しいわ。あの父親の事だよクソ親父。ゲンドウでさえ良くやったシンジ、って言ってたにも関わらずですよ。私だったら絶対エヴァ乗らねぇわと思いながら、動画内でお手、お座り、伏せ、をしているスイクンをミナキと一緒に眺める。犬かよ。
何故かウェットスーツの番犬をしていたスイクン動画に激しく食いついたミナキは、目を輝かせると再びこちらに迫ってカメラを持つ私の手を力強く握ってくる。いつもならアウトだけど今日は気分がいいからセウトにしといてやるわ。3セウトで退場だから覚悟しろ。

「レイコよ、この動画…私にもくれないか」
「は?いいですけど…データ送ろうか?」
「是非頼む!待ってくれ今住所を書くから…」

郵送なのかよ。メールで送るとかそういう感じではない?金銀が発売された1999年はもうメールは一般家庭に普及していたはずだが…?しかもお前の登場は2000年のクリスタル版から…などと時代背景を混乱させている私をよそに、ミナキ君はやたら高そうな万年筆を取り出すと芸能人がサインでも書いているかのような動きで住所を紙切れにメモしていった。
お前万年筆はお洒落なのに服装は…あれなんだな…タキシード仮面様だって普段はタキシード着てないってのに…私だってこんなに衣装いじりしたくないけどでもやっぱおかしいでしょこの格好。ポケモン界でも浮いてるから。他にいる?こんな白昼堂々マント着てる奴なんて…え…?ワタ…ル…イブ…キ…?なんだ今のヴィジョンは。気のせいという事にしておいた方が賢明のようだな。ドラゴン使いに関しては触れてはいけない感じがする。
そうこうしてる間に書き終えたようでミナキは住所が記載された紙をきれいに四つ折りにして私に手渡してきた。つーかこいつよく二回しか会った事ない小娘に個人情報流出できるよな。出会い厨かよ。昔の同人誌の奥付じゃあるまいし。まぁ悪用する気のない良い子の私はフロッピーとかCDに焼いて送ってやるわい、と優しさを溢れさせて紙を広げた時、そこに書かれた文字を見て思わず驚きの声を上げた。

「え、ミナキ君の家タマムシなの?」

案外きれいな字で書いてあった住所に今度は私が食いついていく。こちらの問いにすぐに頷くとミナキはマントを風にたなびかせて言った。

「いかにも。私はカントーから遥々ジョウトまでスイクンを追いかけてきているのだ」
「ストーカーレベル高すぎて引いたけど、実は私もカントー出身なんですよ。しかもヤマブキ。結構近いね」
「そうなのか!それは奇遇だな!」

まさかの同郷ニアミスに我々は女子高校生テンションで手を取り合いながら砂浜で戯れる。タマムシのどこ住み?何歳?会える?など茶番を交えながらしばらく黄色い声を上げて盛り上がった。
うわマジかー。こんな格好した人がタマムシに住んでたら超名物になってると思うんだけど全然噂聞かないからもしかしてタマムシ人って皆こんな感じなの?結構引くけど。何にしても久しぶりのカントー感。当たり前だがジョウトに来てからジョウト人としか会ってないもんで同郷ってだけでかなり懐かしい思いっすわ。私だって年頃の娘…故郷に残した両親を思って泣いたりする日も…あるんだよ…憎しみで。憎しみで血の涙流してるからクソ親父に対しては。絶対に許さん。
スイクンストーカーの変態タキシードといえど地元が近いと何となく親近感も湧くもので、ちょっとタマムシのゲームコーナーのポスターの裏のスイッチについて語り合おうぜ、とジモトーークに移れる気持ちになっていた私であったが、そう簡単に染みついた彼のストーカー根性は拭えないらしい、どこまでもスイクン一神教のミナキは再び動画に目を向けると画面に映る青色の生物にすっかり見惚れて感心していた。おいもっと出会い厨しろよ。

「それにしても良く撮れている…こんなにもスイクンを近くで撮影できるとは…レイコ、君は一体何者だ…?」

知るか。ニートだよ。純粋に疑問の眼差しを向けるミナキに肩をすくめて私は沈黙する。
ニート以外の回答がねぇわ、その問いに対して。ニートです。無職だ無職。私が何者かなんて私が一番聞きたいんですけど。今もう自分が何なのか全然わかんないから。十五の夜以上にわかんない。トレーナー?カメラマン?ニート?海女?かなり混沌としてる。私別に自分探しの旅に出たわけじゃないんだが。そうだよニートになるためにこんなね、ポージングしてる青色の犬を真面目に撮影したりしているわけ。という事は今の私はまだニートではない…?じゃあ一体私は誰…?何者…?私は…私はレイコ。あなたの心と体を守ります。ベイマックスじゃねーよ。

自分の設定に迷いを感じていれば、ミナキは何か思い立ったように私にカメラを返してマントを揺らしながら後ずさった。彼と私の間に存在するこの一定の距離感には心当たりがなくもないので何となく嫌な予感に眉をひそめる。
全く想像もしてなかったけどこのミナキ君、もしかしてただの無職ではないのか?完全に奇抜な衣装の夢追いニートだと思っていたがマツバとも友達だし、スイクンを執拗に追いかけているなら単身での旅は正直厳しいはず…となると兼職の可能性が見えてきてバタフライのスタンバイをしているカビゴンのボールを私は叩いた。
こいつ、カメラマン以外は私と同業だ。いや海女の方じゃなくて。

「よし!トレーナーである君と戦って私もスイクンに認めてもらう」

やっぱり!こいつもポケモンニートレーナー!無職VS無職とか絵面悪すぎなんだけど。

「早速勝負だ!いくぞレイコ!」

しかも早いし。急。全てが唐突。
実はトレーナーだったミナキ君がボールを投げたので私もカビゴンをけしかけて図鑑とカメラを構えた。全くどいつもこいつもいきなりなんだから…誰だよ目と目が合ったら勝負の合図とか決めた奴。絶対に許さないからな。ゲーフリを根本から敵に回す発言はそこまでにしてもらおう。
しかしお前もニートレーナーだったとは…そういう事は早く言ってちょうだい。ていうかやめてよキャラ被るじゃないのよ。もしかして被らないためにわざわざそんな面白い格好してくれてんの?優しい。ありがとう。見直した。そんなわけない趣味以外で着るかあんな服。
万一負けたら服ディスはこれっきりにしてやるわ、と思ったそばから勝負はついたので、今後とも美川憲一色のタキシードネタをしつこく引っ張り続ける事をお許しくださいキャラデザの人。正直他にいじるところないわ。語彙不足乙。

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