11.エンジュシティ

夜のアサギシティ。灯台からの明かりが穏やかな海を照らしている。
絵になりそうな風景を見渡しながら、私はおつかいのお礼にミカンからもらったノンアル梅酒を瓶ごと飲んで疲れた体に染み渡らせていた。眠れない夜はこれを飲むとよく眠れるんです…と照れながら笑ったミカンの後ろには、空いた酒瓶が転がっていたので別に眠れない夜でなくても飲んでいるのだろう、酒豪からの贈り物を断るわけにもいかず苦笑気味に私はオールフリー梅酒を受け取って酔えない夜を嘆いていた。飲酒運転、ダメゼッタイ。

もうマジ疲れたんだけど。疲れすぎたから薬渡して元気になったアカリちゃんの代わりに私が灯台のメルヘンベッドで爆睡してたわ。気付いたら夜。起き抜けのジム戦。当然の勝利。寝ぼけながらバッジ授与ですよ。ボロボロすぎか。
あれからアサギに戻った私はタンバの薬をアカリちゃんことデンリュウに渡し、秘伝の薬は本当に秘伝だったってくらいアカリちゃんは一瞬で元気になって、約束通りミカンは私と最初にジム戦をしてくれた。マジですごかったから秘伝の薬。飲んだ瞬間から血色滅茶苦茶よくなって勢いよく海照らしてたんで多分あれ覚醒剤とか入ってると思う。この世界の闇を見たよね。もし私が消されたらそういう事だと思ってください。

冗談はさておいて、タンバもアサギもジム戦と記録を終えて用は済んだのでそろそろ次の街に進みたいところである。まぁ途中の海とか何か怪しげな洞窟とかはまだ行ってないんだけど正直あの辺もうあんまりうろうろしたくないから後回しにしたいんですよね。まともに波乗り使えるポケモンを調達したい。日雇いのマンタインとかで優雅に進みたいんだわ。というわけで陸に行くから陸に。私はタウンマップを広げてエンジュの先を確認した。
そういやエンジュシティの東になんとか山ってのがあるってマサキが言ってたような気がする…いいやそれもあとで。何かこのタイミングだとマサキと出くわして臨死体験する事になりそうだからパス。なるべくフラグを折りつつ地図上でさらに東を追っていくと、どうやら水辺を越えた先にチョウジタウンという町があるらしいので私の心は君に決めた!と早々に叫びを上げていた。探索するにしても宿はキープしておきたいからこれ決まりっすね。次の目的地チョウジタウン。ここにしよう。もう決めた絶対決めた。当分潮風には当たりたくねぇ。私この旅でトラウマしか作ってないんだけど。
飲み干したノンアル梅酒の瓶をゴミ箱に突っ込んで、日の落ちた海を優しく照らす光をバックに、私はガス欠から救った原付のエンジンをふかし、当分は質素に生きる事を誓いながら颯爽と中古車を走らせるのであった。
あばよアカリちゃん、シャブ漬けになっても達者でな!縁起でもない。


タイムリーすぎて全然笑えないのだが、エンジュに着いた瞬間にマツバから連絡があった。
そういや連絡先交換してたな…と着信元の名前を見て思い出し、またしてもトラウマが生まれた瞬間に立ち会ってしまった私は恐怖で背筋が凍りそうである。もう本当帰りたいからカントーに。一緒に帰ろうミナキ君。レイコをヤマブキに連れてって。
浅倉南顔でポケギアの通話ボタンを押すと、マツバは実に白々しい様子で、もしエンジュの近くにいるならこれから食事でもどうかとナンパすぎる事を言ってきたため、特に断る理由もないし断ったら呪われる危険性もはらんでいた事から私は裏返る声で了承をした。電話を切ったあと目を閉じながら荒ぶる気持ちを抑えるべく私は合掌する。神様仏様シシ神様…どうぞ私をお守りください…最後の奴不穏だったな。
全く…何が近くにいるなら食事でも、だよ。有り得ないでしょこのタイミング。エンジュ入りしてBGMが変わった直後だったからね電話掛かってきたの。おかしくない?あの人絶対察してるわ私がエンジュ入りした事。わかってて言ってるに違いないよ。何か人には見えないものが見えるとかいう設定抱えてた気がするし…何、その千里眼って私がどこで何してるかとかもわかっちゃうの?そういうレベル?マジ勘弁してほしい本当。バタフライカビゴンの背でウェットスーツに身を包んでいるところとか見られてたら出家するわ。
頭を丸める覚悟で合掌しながら、でもそこまで見透かして私をご飯に誘ってくれているという事は相当いい人なんじゃないか?と即座に考えを改めた私は、タダ飯にありつくため原付をすっ飛ばしさっさと待ち合わせの場所まで向かっていくのであった。どこまで現金。


「ごめん、遅くなって」

お前が経営してんのか?ってくらいゴースト感溢れる食事処で図鑑のチェックをしている私の元に、特に遅れてはないマツバが謝りながらやって来たので思わず立ち上がり私は舎弟のようにお辞儀をした。マツバさん!お勤めご苦労様です!どうっすかシャバの空気は!ヤンデレた体に染みますか!やめろ洒落にならん。
普通にわしがタダ飯に目がくらんで早く来すぎただけなんでこっちこそ逆にすまんなって感じに私は苦笑を浮かべ再び着席する。本当にすまない。タカリ屋すぎて申し訳ないし、あなたのキャラをはかりかねてヤンデレ扱いしている事に関しても申し訳なく思っている。本当。ヤンデレと服ディスしか手札がないから君達伝説厨に対しては。もっといいところを探す、そのために応じたところもあるよね、この食事会。嘘乙タダ飯目当てとイケメン鑑賞目的しかなかった。本当にすまない。
現金な私の思惑も案外見透かされているかもしれないというのに、今日も今日とてイケメンのマツバは向かいに座って品の良い微笑みを浮かべながら再度謝罪の言葉を投げてきたので、なんかもう私の中での申し訳なさがピークに達して逆に何も悪いと思わねぇわ。何でだよ。

「急に呼び出してすまなかったね」
「いえ、ちょうど見事なタイミングでエンジュにいましたから。お誘い頂けて嬉しいです」

軽いジャブを入れて千里眼を威嚇しつつ深々と私は頭を下げる。するとマツバも同じように笑顔で丁寧に会釈をしてきたので、この時点で好感度は世間の天海祐希に対する高さを易々と越えてマツバが暫定一位に降臨した。
何この人ちょっと可愛いんだけど。金髪のくせに腰が低い。私の中で金髪のイメージが完全に不良止まりな事はこの際どうでもよく、マツバへの評価をいい人とヤンデレの間で揺れ動かしながら混乱を極めた頭ではただただ苦笑を漏らす他なかった。
どうしよう。いくら何でもいい人すぎやしないか?いやもしかしてこれが普通?私が今まで関わってきた人達が普通ではなかったというだけで、彼は至って普通の世間一般に溢れる人であると、そういうわけなのか?いやさすがにこのポケモン界でそれはないっしょと疑いの眼差しを向けて冷水に口を付ける。もしこの人の千里眼のレベルが個人の行動の把握くらいまで可能なやつだってんなら私の事を幻滅していないのはおかしいからね。自分で言ってて悲しいけどそれくらい雑な生活をしているから。腹巻とかして寝てるから。ジバニャンと完全に一致。そんな私を見て食事に誘ったというなら確実に裏があると見て間違いはない。でも千里眼レベルがせいぜい背後霊目視程度とかで私と今飯を食ってるってんならそれはもうあれだよ、何か用がある。それしかねぇ。二者択一でファイナルアンサー。
みのもんたの反応を待っているとマツバは実にフランクな口調で世間話を振ってきて、ちょっと拍子抜けする私の間抜け面の出現までおよそ二秒。もうこの百万円には戻れません。

「ミナキ君に会ったらしいね」
「え?あ、はい」
「僕もさっき会ったんだ」

まさかミナキトークになるとは思わなかったため私は頷きながら気の抜けた返事をする。
何故急にミナキ。ていうかさっき会ったなら彼も一緒に誘ったら良かったのでは?それともスイクンを追っていった感じ?有り得る。というかそうとしか思えない。近くで会ったら嫌だな、と首を振るこの時の私は、嫌だなと思ったそばから近くで邂逅するはめになる事をまだ知らないのであった。ネクストコナンズヒント:42番道路。

「それで…これを君に渡してほしいって」

どうやら私のミリオネアは一千万円獲得でコロンビアだったらしい。そう言うとマツバはポケットから何やら紙切れのようなものを取り出して机の上に置いた。
この無駄にきれいな四つ折りの紙…めっちゃ見覚えあるんだけど。何となく察しつつ、どうやら彼が私を呼び出したのは何か裏があるわけではなく用がある方だったらしいのでちょっとだけホッとしていた。よかったわー大した事じゃなくて。ついでに私のズボラな生活もバレてないといいな、なんて事も結構ガチな気持ちで思う。こちとら出家覚悟してんだ、なめんなよ。
受け取った紙を開くと、これまた見覚えのある筆跡で規則的な数字が羅列しており、この正体がポケギアの番号だと気付くのにそう時間はかからなかった。ミナキ君本当個人情報の取り扱いには気を付けた方がいいと思う。ネット世代からの忠告。ミナキ、と書かれた名前の横にはハートマークまで並んでいて女子力の高さに私はただ平伏している。しようか、出家。

「ミナキ君の番号だよ」
「…もしかしてスイクンを見かけたら連絡をくれ…的な?」

率直に思った事を口にするとマツバは苦笑して視線をそらした。図星かよ。私はメモをポケットにしまって溜息をこらえられずに首を振る。引きつった顔が戻らねぇわ。
全くあの男は…一体私を何だと思ってるのかな?スイクン探知器?言うほど邂逅してないから。まだ二回だよ二回。それだけでスイクン発見器扱いされちゃたまんねぇってんだよ。大体連絡したところですぐ逃げるしあのオーロラポケモン。お前がストーキングしすぎて逃げ癖ついてるんじゃないの。やめて差し上げろ。スイクンの心中お察しすぎ。二回しか会ってないポケモンに同情心が芽生えて心苦しさに目頭を押さえた。あの綺麗な青い体に円形脱毛症でも出来たらと思うと気が気じゃないよ私は。
十円ハゲの心配でこっちまでハゲそうになっている出家コースまっしぐらの私を見かねたのか、マツバは眉を下げて慈愛に満ちた微笑みを浮かべると友人についてフォローの言葉を投げてきて、やはりジムリーダーともなると人間性が出来てるんだな…なんてコガネジムに対しては嫌味な事を思いながら耳を傾けていた。

「…もしかしたらミナキ君が迷惑を掛けているかもしれないけど、でも彼の気持ちもわかってあげてほしいんだ」
「充分ご理解存じ上げておりますよ…好きなものを追い求める気持ちくらい私にもありますからね」

苦笑まじりに応えたはいいが気まずさから私は視線をすぐに逸らす。私の追い求めているものの質がこの人と違いすぎてぶっちゃけ真っ直ぐ目を見られそうになかった。

ニート、だから。うん。ニートね。私が追い求めているものはニート。マツバが追い求めているのは伝説のポケモン。ミナキ君が追い求めているのはスイクン。それぞれ違えど愛するものを得るためにしてきた努力の大きさ、費やした時間、苦悩した日々に…きっと違いは…ないよね。あるわ。さらっとニートを一緒にするんじゃない。
まぁ私にとってはニートこそ至高なのでこの人達と同じくらいの情熱を持って夢を追いかけていると自負はしているわけ。単に価値観が違うだけだから。価値を見出しているものが違うだけ。方向性としては一緒。そういう事にしてもらわないと話が進まん。だからわかるよ君達の気持ち。夢のためなら最大限の努力をし、いかなる苦労も惜しまない、例えそれが私に迷惑を掛ける行為だとしても…いややっぱそれは解せないから悔い改めてほしい。とりあえずミナキ君は距離感が近すぎるのを改善してくれたら年頃の娘として何も言う事はねぇ。スイクン動画は着払いで送っておきます。
だから許す、と寛大な気持ちでふんぞり返るとマツバはイケメンスマイルセレクション金賞受賞の笑顔を私に向けた。

「…ありがとう」

惚れてまうやろ。やめろや軽率にイケメンを披露するのは。やめろ。神々しいまでのイケメンオーラの眩しさに私は目を細め、照れをごまかすように笑いながら首を左右に振った。
マジでその礼はミナキ君に言ってほしいから。無意識なんだろうけどいつもお触りさせてくれてありがとうくらい言ってほしい。キャバクラかよ。
友人のために謝礼の言葉を述べる事ができるこのイケメン、貴様は一体何者なんだ?私はあまりの眼福に何も言えずに真顔を作るしかない。本当にお前は何者なんだよ。神か?もうお前が神でいいんじゃないか?お前自身が伝説になれば?ポケモンクエスト3〜そして伝説へ〜。この感じでいいんじゃないのか?人格者イケメンとして神に昇格したマツバを拝んで私は冷水を飲む。ちょっとやばいな…ここまで心身ともにイケメンだと次こそ惚れてまうやろと口に出して叫んでしまうかもしれない…逆に何故ここまでのイケメンさを目の当たりにして私はマツバに惚れていないのだ…?すごくない…?私すげぇ。石油王以外には靡かないこのDNA、一億円でなら提供してやってもいいよ。誰も欲しがらない。
これで性癖までスタンダードだとしたら世の中不公平すぎると思うんで家ではパンツとか被っててほしいな、と均等な世界を望んで窓の外を見ながらポケットに突っ込んだ紙切れを触る。ライトアップされた塔が遠くに佇み、何となくいい雰囲気じゃねーのと店内BGMがシオンタウンの音楽でなければ素直に思っていただろうと感じる。何でみんなのトラウマ持ってくるんだここで。金銀版ではBGM変わったはずだぞ!
フラグが建設されているのか折られているのかよくわからない状況下で、ついでに番号を登録してしまおうと私はポケギアを操作しながらマツバに尋ねた。

「…マツバさん、わざわざこれを渡すために今日誘ってくださったんですか?」

ハイパー友達思いすぎて逆に勘繰るわ。怪しい。私だったらこんな小娘に飯まで恵んでやったりしないね、さっさと番号渡してアデューだよ。何かやっぱ裏がありそうだけど大丈夫?ミナキ君とはその…健全な友人関係なんですよね?脅されたりとかはしていない?パンツを被っている趣味をバラされたくなければ言う事を聞けとパワハラを強要されたり、スイクン探知器のご機嫌を取って食事に誘えとか命じられたりはしていないかな?厚生労働省の相談窓口の番号を今度は私が教えるべきか、なんて茶番をしていればマツバは照れ笑いを浮かべて頭を掻く。非常に今さらなんだか、もしかしてこれはデート的なものである可能性が微レ存…?と思い当たって己の喪女性に心底私は幻滅する事となった。私がモテないのはどう考えても私が悪い。せやな。放っとけ。

「ミナキくんが君の事を気に入ってるみたいだから僕も興味が湧いてね」

グレー。限りなく…グレーだ。デートの可能性…グレーゾーン。マツバの返答に脳内三ツ矢雄二が暴れ出し、イケメンとデートをしたという来世まで自慢できる既成事実をどうやら私は作る事ができなかったらしい。喪女脱却の一歩を盛大に踏み外して私は乾いた笑顔を浮かべた。
左様であったか。タダ飯に有りつけたのもミナキ様のおかげと…そういう事ね。有り難いんだかそうでないんだか微妙な気持ちだよ。興味本位で飯に誘われてこんな時どういう顔したらいいのかわからない状態。別にいいけど、逆に私とバトルして私に興味持たない奴とかいんのか?うちのカビゴン何レベだと思ってんの。自然界には絶対存在しないレベルなんだからね。脅威の強さ。これで放っとかれてたらどんだけみんなドライやねん。もっとグイグイきてくれていいと思う。お前の事だツンデレ野郎。早く認めろ私の強さ。

クソガキの事を思い出しておしぼりを握りしめていると、それまで邪気のない笑顔を浮かべていたマツバは不意に少し表情を変えた。私は無意識に背筋を伸ばし、ツンデレとかヤンデレとかスイクンデレとか好き勝手脳内で言っている事がついにバレてしまったか、と顔を引きつらせる。いやでもツンデレ君は名前知らないから許してくれや。全然教えてくんない。トレーナーカード落としてくれなかったから公式展開と相違があった。金銀版みたいに俺の名前は????って名乗りもしなかったからあだ名付けるくらい許してくれ。
懇願していればマツバは口を開く。店内で流れるシオンタウンのBGMは終盤に差し掛かり、奏でられる不協和音が何とも言えず私の恐怖心を煽った。増田絶対に許さない。

「それに…君は僕の夢を応援してくれた優しい人だ」

真面目な顔で言われて私は委縮する。何だか妙に有り難がられている事がちょっとだけ恐ろしくて息を飲んだ。
応援したっつーか社交辞令的なところあったんだけど大丈夫か。心底謝りたいんだが。いやしかし本心なのは間違いないから、伝説のポケモンに会えたらいいねっていう気持ちは超マジ大マジ。でもそれは私の記録の手助けになるからであって純粋にただあなたの夢が叶う事を願っているなんていう奇特な感じでは…ないんだなぁ…三回しか会ってない人の夢を全力で応援するとか逆に怖すぎなんだけど。草葉の陰から見守っている的な意味。何かあんなたった一言で壮大な神降臨計画とかに協力しろなんて言われたらどうしようと怯えて、しつこいくらいお冷に手を伸ばしていたらその手をマツバが握ってきてぎょっとした。冷たい指先に動揺し相手を見る。手の冷たい人は心が温かいとか何とか言うが…それは嘘だ。ソースはうちの親父。

「僕は夢のためなら何だってできる」

その言葉には全面的に同意であったので軽く頷いて見せたが、一瞬マツバの目からハイライトが消えた気がして私は恐れおののきゆっくりと手を離す。誰だ目のレイヤー非表示にした奴。早く戻して。マツバの光を取り戻して。
何だって、の部分が私の想像する範囲を越えていない事を祈り、すっかり氷の溶けた冷水を飲んでどうかこの会食が何のフラグでもありませんようにと心の底から願う事しかできなかった。もしやここで選んだ選択肢によってヤンデレエンディングを避ける事が可能とかそういう局面だったのではあるまいな。何だか焦った私は一度離したマツバの手を再び取る。相変わらず冷たかったが、顔を見上げるとどうやらレイヤーは非表示状態から解放されたらしい、きちんと目にはハイライトが戻っていて私は少しばかりホッとするのであった。

「…君の夢も応援しているよ」

ニートだけどな。私は息を飲んで苦笑した。

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