ワタルに案内された部屋は、本当に湖のほとりにある遭難者御用達って感じの山小屋だった。
冷暖房シャワートイレ完備のその部屋には、コイキング釣り大会歴代優勝者の写真が飾ってあったので、恐らくリッチなイベント小屋か何かなのだろう。釣り人を破壊光線で脅して借りた部屋でない事を私はただただ祈るばかりだ。人を改造ギャラドス事件に巻き込んだこの強引さを見る限り有り得ない話じゃないのがまた何とも悲しいよね。私の記憶の中の優しいワタル氏のイメージがどんどん崩れていくわい。三年前のポケモンリーグで唯一四方にカメラを設置しても引かなかった人だから切なさ全開ですよ。変わっちゃったね…ワタルさん。どっちが本性か知らんけど。こっちだろうな。

玄関先で目を細めていれば、重たいマントを脱いだワタルがタオルを投げ寄越してきたため、完全に油断していた私は驚きながらも何とかそれをキャッチしストライクを決める。何やねん今日ピッチャーやったりキャッチャーやったり。いつから片岡安祐美になったんだ私は。欽ちゃんファミリーじゃないんだよ。
などという文句は言えないので、どうもと素直に会釈をしつつ、もはやどこを拭いたらいいかもわからないくらいずぶ濡れの私はとりあえず顔を覆って息をついた。本当もう疲れ…え?何このタオル柔らかい…ボールドかよ…いろいろと忙しない頭を癒すように現れたタオルに私はしばしの休息を味わった。この世で最強なのは柔らかいタオルとお日様の匂いのする布団だと痛感するね全く。どんなラスボスも柔らかいタオルを被ったら一瞬で天から光が降り注ぎ何処からか羽が舞い落ち空に虹が掛かり戦場の兵士たちは銃をおろし空を見上げ涙を流す事になるから。もはや武具の扱いで良し。布団とタオルは武具です。
最終兵器に戦意を奪われて窒息寸前までタオルに埋もれていた私は、ワタルに呼ばれるまで完全に無の境地だったため、不意に声を掛けられた瞬間驚きのあまり凄まじい勢いで顔を上げてしまった。ヘドバンと完全一致の動作に首から恐ろしい音がしたけどそれは聞こえなかった事にしておく。

「そこがシャワー室だから。先に使っていいよ」
「え?いや…でもワタルさんが借りてる部屋だし…先に使ってください」
「じゃあ一緒に入ろうか?」
「お先に失礼します」

言いながら小走りで私はシャワー室へと駆け込んだ。セクハラを華麗に受け流す免許を持つ女子、それが私だ。冗談めかして笑うワタルに苦笑を漏らしながら肩をすくめて上着を脱ぐ。
あの人…あんな低レベルなギャグを言うようなタイプだったか?好青年のイメージが徐々に崩れていく現状に嘆きつつも、一体どれが本性かわからないので慎重に見極めたいところである。このセクハラ発言も案外本心を隠すためのカモフラージュかもしれないしな…裏ではヤクザと手を組み自分を育ててくれた孤児院の先生を殺した奴を探し出すためならどんな手でも使うっていう二面性のある輩かもしれない…それは龍崎イクオ。
ウロボロスかどうかはさておいて、マジでナンパだった可能性が濃くなってきたセクハラ厨二マントに警戒心を覚えた私は、のこのこ風呂に入ってしまってよかったのかと今さら考えつつ何度も鍵を確認し、とりあえず濡れた服を洗面で力いっぱい絞った。まぁこうなってしまったらしょうがないよ、こんな格好をしている以上風呂入らないとどうしようもないしね。さすがにポケモンリーグ四天王という威厳ある職種の人がギリギリ少女と呼べる私に手を出すなんて危ない橋を渡る事はしないだろ。いくら私が可憐だからってそんな…罪深い…ナルシストしている間にも絞った服からは大量に水が出てきて、ここだけ完全にナイアガラの滝が完成しさすがに苦笑を禁じ得ない。どんだけの重量かかってたんだ。もうほとんど鎧。言われてみれば確かに肩軽くなったな。もうピッチングはしないけど。今ならドラフトも1位取れるわ馬鹿野郎。
名投手として頭角を現し始めた私は、兎にも角にもジャージ以外の着替えを持っていた事に心底ほっとしているのであった。四天王にジャージ姿なんか見せられるかい。


「時空の歪みか…?」

さっさとシャワーを終えた私は、目の前に広がる光景に驚愕して思わず目をこすった。お湯が超絶ぬるくて逆に凍えるって感じの浴室を出た直後に飛び込んできたワタルの姿は、完全に遙かなる時空を越えていたため全く思考が追いつかず困惑の表情を浮かべる他なかった。じろじろと全身を舐め回すように見るなんて失礼極まりないけどでもこれは私でなくても絶対に混乱する。有り得ない。こっちが服装に気を遣った直後だっただけに余計衝撃的だった。

ワタル氏、再びマント着用。同じ服だ。さっきと同じ服を着ているこの男。何が驚きってさっきと同じ服なのに完全に乾いてるんだわ。あれだけずぶ濡れだったコスプレ的衣装がおろしたての新品のごとくきれいになって着用されてんの。何が起きたのかわからないスーパーマジックに私は髪をタオルで拭きながら閉口した。
まさか、スペアか!それ以外に考えられない事態に気付き私は目を見開く。同じ服を何着も持ってるパターンのやつ!?どういう事だよ!もっと動きやすく持ち運びやすい服はなかったのか!最近はコナン君でさえいろんな服を着せてもらってるってのに!いかにもポケモン界すぎる現状にはただただ頭を抱えた。
何?ドラゴン使いはマント羽織ってないと死ぬ病なの?そういう遺伝子を持って生まれいつしか衰退していくナウシカのような存在であったか?突然の尊さに余計物怖じしながらも、そんな私の混乱など全く気にせず、同じ衣装を着る事がさも当然のような振る舞いでワタルは私にソファへ腰かけるよう促してきた。CPUとして訓練されてるこいつ。
遠慮なく椅子へ座ると、相手も隣に腰を下ろしながら異様に煮立ったコーヒーを差し出してきて、もはや嫌われてんのか?と思うレベルの扱いにわずかに体をずらす。改造ギャラドス捜査線に巻き込んでセクハラギャグをかまして挙句この飲めない温度のコーヒー。実は根に持ってるな?三年前カメラを四方に設置した事、本当は快く思ってないんだろう。わかるで工藤。私だって挑戦者がカメラ設置し出したら軽率にキレるわい。ふざけてんのか。
身から出た錆なのか何なのか知らないがとにかく場を繋いでコーヒーを冷ましたい。私は当たり障りのない話題をコミュ障ながらも必死に探し、それでもこの微妙な感情を孕んだ言葉がつい出てしまって早速後悔する。

「…ワタルさんまだ四天王やってるんですか?」

どんな聞き方?自分で言ってさすがにないわと引いた。どこから目線なんだよ。まだ四天王なんかやってんすかね?的な。今時四天王とか儲からないっしょ、的な言い方。どういう事やねん。私が言うと嫌味でしかねぇわ。そういうつもりじゃなかったんですという顔をしたが時すでに遅しでワタルは意味深に笑った。

「いや今は…君のカビゴンにあっさりやられたのがショックでね」
「ワオ」
「冗談だよ」

やっぱ本格的に嫌われてるかもしんねぇな。爽やかな顔で返されて私は殺意と罪悪感のはざまを彷徨い唇を噛む。マジで心臓に悪いからやめてほしいんだけどそういう冗談は。私にだって罪の意識くらいあるんだからね。もはや愛想笑いすら放棄して煮立ったコーヒーに根性で口をつける。熱い。もう心折れた。

「君もまだ旅を続けているのか」
「そうですね…諸事情につき」

当たり障りのない話題を提供するテクニックはワタルの方が上級だったようで素直に完敗を認めた。まだ旅を続けているにも関わらず一向にコミュ力が上がらないのはどういう了見なんだ?接客はできるけどスタッフとは会話のできないタイプだとでもいうのかよ。三年前はそれなりに人語を話せていたかもしれないが、この数年ほぼカビゴン以外と口をきいていなかったせいで人の言葉を忘れつつあると知り心の中で涙する。ニンゲン、クウ。ニンゲンノチカラ、モラウ。もののけレベル。
私の中の猩々たちをサンが食い止めている間に、必死でコーヒーを冷ましながら私は先程のワタルの返答について考えた。

そうか、この人、四天王やめたのか。ぼんやりと昔の事を思い出して視線を天井に向ける。
へぇ、やめたんだ。意外。強かったのに、種族値が。何でやめちゃったんだろ。やっぱ儲かんねぇのかな。それとも契約更新みたいなものがある?なかなか様になっていたし、あそこ以外でマントを着用していたらかなりの不審者なので個人的には続けててほしかったんだが。だって私服でこれって事でしょ?四天王以外許されませんよこのファッション。黒バスの私服よりひどいから。これでまさかのショップ店員とかやってたら何のショップだかわからなくなるので出来れば伝統的マント職人とかそういうのに就いていてほしいと願うばかりである。擦れ違う人達のためにも。
わけのわからない心配をしている私をよそに、ワタルは世間話を終わらせてついに本題を切り出してきた。一気に捜査本部となったこの部屋で私は背筋を伸ばしながら相手を見る。ついに特命係が始動しちまうようだな。超帰りたいんだけど。

「君の捕まえたギャラドスなんだが」
「あ、はい」
「どうやら湖のコイキング達は、チョウジからの謎の電波で無理やり進化させられているようなんだ」
「電波…」

これより数年後、遥か遠いイッシュ地方で電波人間と出会う事になるなど、今の私には知る由もなかった。
ワタルは自身のポケギアを取り出してラジオのチャンネルを回すと、突然不快すぎる雑音を人に聞かせてきたものだから、マジで一体何の恨みがあるんだと私は隠す事なく露骨に嫌な顔を向ける。いやめっちゃ不愉快なんだがこれ。モスキート音に似た不快感を覚えるね。何やねん一体、と目を細めつつ、そういえばさっきクソ親父と電話した時も何か似たような音が聞こえていたような気がして耳をすませた。暴風雨でほとんど聞き取れなかったけどこの嫌すぎる音、一回耳にしたらそうそう忘れまい。何すかこれと訴える私の目の前でワタルは別のチャンネルに切り替える。するとそこでも同じ音がしており、この時間このチャンネルはオーキド博士のポケモン講座がやっているはずなのでようやく私は異常事態に気が付いた。
なるほど、電波ね。電波がおかしくなってるのか。それでラジオが流れてこない。だからって電波でコンキングを無理やり進化させてるという結論に行きつくのはちょっと安直すぎると思うが、でもこの変態マントの事だ、どうせ目星はついているのだろう。普通強引に進化させるくらいの強靭な電波なら人体にも影響ありそうなもんだが、そこはお得意のかがくのちからってすげー!ってやつで解決しているんだろうな。都合のいい世界である。そのご都合主義で私も早くニートにしてほしいわ。こうしてレイコはニートになった、とかいうナレーション一つでニートにしてくれや。何故ここばかり異様に現実的なんだろうと不満に思う私にワタルは続けた。

「チョウジに怪しい木が立っていたのを見たかい?」
「いや…私チョウジタウンはほとんど素通りしたんで」

答えるとワタルは頷いたのち、何故か突然立ち上がる。不審に思いつつも見上げていれば、彼はコーヒーを飲み干してごく自然に、人使いの荒い発言を繰り出すのであった。

「俺は木の横のお土産屋さんが絡んでると思うんだ。レイコちゃん、先に行っててくれるかな」
「は?」

さらっとそんな事を言ったのち、こちらのキョトン顔を完全スルーしてワタルはコーヒーカップを置くとそのまま風呂へと向かっていってしまった。取り残された私は呆然と相手を見送り、灼熱のコーヒーを見ながら、あの人どうやってこれ飲んだんだと驚愕してしまう。
いやそこじゃねぇよ!はあ!?何だって?先に?行ってて?くれるかな?どういう事?わけがわからなくてワタルを追うも、完全にバスルームの戸を閉められてしまったのでワイフでもない私が中に入れば確実に訴訟、結果文句も言えずに引き返し、煮立ったコーヒーを見ながら頭を抱えるしかなかった。
マジでどういう事なんだよ!意味がわからねぇわ!えっ何で私が単身敵地へ乗り込まねばならない?お土産屋さんが怪しいんだよね、ちょっと先行ってきてよ、じゃねぇんだよ!おかしくね?その発想、常人の頭では思い付きません。あの人絶対に私を吉田沙保里か何かだと思ってやがるなと憤慨し、熱すぎるコーヒーはいよいよ水で薄めた。飲めるかこんなもん。
ありえないでしょ本当に。何が起きるかわからない怪しいお土産屋にか弱い私を一人で行かせるその諸行、まさにゲスの極み。大丈夫かあの男?これで一気に好感度下がったんじゃねーの?知らんけど。あとで私のピンチにタキシード仮面のごとく颯爽と現れても見直したりしないからな。一人でぶーらぶらしてろ馬鹿野郎。

ようやく口をつける事ができたコーヒーを一気に飲み干し、半ギレで私は目を血走らせながら髪をかきあげた。上等じゃねーか。こうなったらやってやるよ、そっちがその気なら出るとこ出てやる。こっちは単身ポケモンタワーにも行ったし、単身ロケット団アジトにも乗り込んだスーパーギャルなんだ、今さら土産屋ごときでビビるほど温い人生歩んでないんだよ。思い返すと相当怖い者知らずなクソガキだったな三年前の私。よく生きてた。これがポケモン界じゃなくマジのチャカとかが出てくる世界であったら即死だっただろう。ポケモンバトルに強いだけで人生イージーゲームだなんて超絶ゆとり、ポケモン強くてよかったー!嫌味でしかない。
カビゴンが無敵である限りピンチに陥るはずもない事に気付いた私は、複雑な気分で小屋を出たあと、濡れた原付を酔拳の修行みたいに拭いて、言われた通りチョウジタウンへと向かった。

雨はすっかり止み、私は心を病み、晴れ渡る空とは裏腹に曇りまくった気持ちを抱えて道中を進む。マジに出てそうだよな水難の相…絶対におかしいから水関係。前世の私は流れてくる桃太郎を見殺しにでもしたのか?新しい街に来たっていうのに心機一転できずこのザマとはどういう了見よ。体の節々が痛んで悲鳴を上げているのをスルーしひたすらに街へ向かっていた時、不意に大きな影が私と原付を覆ったのを感じて全身に寒気が走りたまらず身震いをした。暗くなった景色にびびり、急ブレーキをかけて停車する。えっ、何。なんだ?飛空艇?
巨大な影がちょうど真上に来た瞬間、何事だよと即座に顔を上げた。風を切る音が上空から聞こえていたため、まさか跡部的なヘリが…?と考えるも、それは財閥の自家用ジェット機などではなく超有機物、黄色の巨体が翼を広げ、その速度は自らが投げた柱に飛び乗る桃白白のごとくマッハで空を駆け抜けていった。見覚えのある姿に私は間抜けに口を開ける。

カ…カイリューだ!あのメタボボディと神速、カイリュー以外にありえない!そしてこんなところにいるという事は野生でもカタギでもない、間違いなくあの男の手持ち!そう思った時にはカイリューの背でたなびくマントが見えて、私は驚愕の声を上げるしかないのであった。

「追い抜かれた!」

マッハ2パネェ。

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