02.ヨシノシティ

ヨシノシティの先にあるというポケモン爺さんの家を目指し、私は原付を走らせる。

プテラに乱雑に投げ捨てられたせいか、体の節々から変な音はするし、原付のタイヤからも変な音がするので、どうやら開始早々大切なものを失ってしまったようだが、そんなダメージなど吹っ飛ぶくらい、私は衝撃的な出会いをした。

そう、ジョウトのポケモン達である。

「知ってる奴がいない…」

原付で軽やかに草むらを駆け抜けながら、飛び出してくるポケモンを片っ端から記録した。驚いた事に、カントーでは見たことがない奴らがうじゃうじゃ出てきて、あれも知らないこれも知らないとかなりカルチャーショックを受ける事となった。

マジでこんな…こんなに違うの?カントーとジョウトってだけでそこまで?
遠く離れた地方とはいえ、同じ日本である。関東人と関西人も多少の違いはあれど、人間という種である事に変わりはない。ポケモンだってせいぜい豹柄のシャツ着たコラッタが出てくるくらいの感じでしょ?と思いきや、全く馴染みのない生物だらけで、この先の道のりがいかに過酷か思い知らされるようだった。

マジかよ。百種いるとは聞いてたけどかなりだるいな。
ちょっと道を逸れるとまた違うポケモンが出てくるし、これなら確かに親父が生息地研究をしたくなる気持ちも理解できるな…とサイエンティスト達の心にわずかに歩み寄った。
だって同じ日本内でここまで違うんだろ?疑問に思う気持ちはわかるよ。わかるが、別にやりたくはないしどうでもいいので、自身の知的好奇心に娘を巻き込まないでいただきたい。絶対に許さないからな。

父への憎しみを抱いていると、ヨシノシティへはあっという間に辿り着いた。時間を忘れて父を恨んでいたのもあるが、普通に距離も近かった。
マサラからトキワに行くようなもんだったな…と特筆する事もなかった道路を振り返りもせず、この街もさっさと抜けて目的地へ向かう。

確かヨシノシティの北って言ってたけど…。という事は町はずれに住んでるってこと?絶対変わり者じゃん。ぼくなつ2の狼ジジイみたいな感じじゃないのか。
どうせ偏屈な爺さんなんだろうな。きっとスマホを何台もチャリに装備してポケGOに勤しむ老人とかだろ。何かあった時のためにポケギアは常備しておくべきだろうな。早速携帯がこんな事で役に立たないよう祈りながら、ひたすらに走り続けていれば、遠くにわりと大きな家が見えた。

あれか、変なおじさんの家。

いつの間にか志村けんと化した脳内イメージを振り払い、徐行して近付いていく。結構入り組んだところにはあったが、家自体は普通だった。敷地も広く、付近には雑草一つ生えていないため、案外金持ちなのかもしれない。
誰にも邪魔されぬ場所に家を買い、一山当てた金で好きな事をやって暮らす…老後の道楽ってやつかな、いいね。私も早くそうなりたいよ。もらえるかわからない年金を払い続ける憐れな若者は、暗い老後を想像しながら原付を降り、チャイムを鳴らした。立て続けに知らない人の家に行く事に緊張しつつ、お宅チェックは欠かさない。

このインターホンもウツギ研究所のやつよりちゃんとしてるぞ…意外とまともなジジイなのでは?
ワカバでは散々だったので淡い期待を抱いたけれど、ここはサスペンスの国ジョウト…油断は禁物だ。聖母たちのララバイが聞こえてきたらダッシュで逃げれる準備をしとけよ。
私はポケギアを強く握りしめ、どうか船越英一郎じゃありませんように…と心の底から祈った。そして欲を言えばおヒョイさんみたいな紳士でありますように…と現金な事を考えていたら、珍しく思いが通じたらしい。ドアを開けてくれたのは、この家に住むに相応しい、上品そうなジェントルであった。

「やぁやぁ、君がレイコちゃんだね」

名乗ってないのに先手を打たれ、私は呆然としながらも頷いた。出てきた爺さんは、自宅だというのに何故かスーツと帽子を被った白髪の紳士であった。
いや逆におかしいだろ、と思いながらも、変なおじさんではなさそうなので、招かれるまま自宅にお邪魔させていただく。内装も金持ちって感じの小奇麗さで、稀に変なオブジェは飾ってあるものの、まとも判定圏内余裕の家であった。

え…急にこんなちゃんとした人が現れたらそれはそれで困惑するわ…。不審者と関わる方が多かったレイコはただ戸惑い、校長室にあるような高級ソファに座っても、落ち着かない様子で周囲を見回してしまう。

「さっきウツギ博士に連絡したのは私だよ」

本当にこれがポケモン爺さんなんて呼ばれてるジジイなのか?と疑いを抱き始めた私を見透かしたように、ジェントルは正体を明かした。丁寧な口調にも好感が持て、ジョウトも奇人ばかりではなかったんだ…とようやく現状を受け入れられた。

よかった…普通の人で。あまりに変人ばかりだと、あの優しいヒビキくんは私が生み出した妄想の産物なんじゃないかと疑ってしまうところだったよ。
自分の頭が正常である事にも安心し、真面目にポケモン爺さんの話を聞く事にする。

確か…何かを発見したみたいなこと言ってたな。徳川埋蔵金だったら大手を振って喜んでるところだけど、ポケモン爺さんというくらいだからポケモンにまつわるものだろう。正直微塵も興味がないので、早めに済ませてもらいたい限りである。

「早速だけど、ウツギ博士に調べてほしいものというのはこれなんだよー」

挨拶もそこそこに本題に入ってくれた爺さんは、机の下から木箱を取り出し、それを私の前に置いた。結構でかい箱だ。
マジで埋蔵金?と懲りずに思ったけれど、掛けられていた布を取った時に、その正体はすぐ判明した。全く想像していなかった物体に、私は思わず目を細める。

「…卵?」

間抜けな声を出して、現れた物を凝視した。

卵だ。どう見ても卵だな。今日は丸いものにやたら縁があるぜ。マリルボール事件を思い出したが、しかし今度は楕円形のでかい球である。360度回転してみても顔などはついていなかったので、ポケモンじゃなさそうだった。

だとしたらやっぱ卵だろうな。私達が普段食してるものとはかなり違うし、そもそもでかいし、変な柄もついてるけど、でも質感も形状も卵だと思う。卵は卵以上でも以下でもないので、何故こんなもののために私がわざわざここまで派遣させられたのか、全く意味がわからなかった。

ていうかこの距離なら自分で博士に持って行けよ。ただの卵だろ。一体何が大発見なのか見当もつかず、無知な私は椅子の上で首を傾げる事しかできない。
リアクションもせず黙っていると、そんな知性のない私へ、ジェントルは卵を撫でながら説明を寄越した。

「これはエンジュの知り合いから譲り受けたものでねー。私はポケモンの卵じゃないかとにらんでるんだ」
「ポケモンの?卵ですか?」

爺さんの言葉を復唱し、私はもう一度卵を見る。
ポケモンの…卵。ポケモンの卵…ポケモンの…卵か。
で…そのポケモンの卵が…どうした?

ポケモンと言われたら記録するしかないので、素早くカメラを構えて撮影しながら、私はレンズ越しに覗き見る。
ていうか、ポケモンって卵から産まれてくるんだな。小学校で習わない事は完全無知な私なので、新たな知見を得た事に頷き、表明を少し触ってみる。

普通に卵。やっぱただの卵なんだけど、わざわざウツギ博士に見せたかったのはどうしてなの?貴重なものだってこと?
ポケモンの卵と言われてもいまいち状況が飲み込めず、私は爺さんにカメラを向けながら尋ねた。

「珍しいポケモンの卵とか?」
「いやいや」

すると爺さんは首を横に振り、とんでもない事を言い出すのである。

「そもそも、ポケモンの出生については全く解明されていないんだよ」
「…えっ!」

衝撃の展開に、私は思わずカメラを下げた。そんなことあるわけないと思っていただけに、今日が何月何日かつい確認してしまう。エイプリルフール…ではない!
ちょっと待ってくれと失笑し、長い人類史を考え、結果スペースキャット顔になる。

ポケモンの出生について全く解明されてないって…それつまり、ポケモンがどうやって生まれてくるか誰も知らないってこと?この世に七十億人も人がいて?誰一人調べられなかったっていうのか?

嘘松!と言いたい衝動をおさえながら、肩をすくめて薄ら笑いを浮かべる。
冗談でしょ!地球が誕生してから四十六億年、数多の人間が生まれては死に、数多のポケモンが生まれては死に、いつしか共存するようになって、長い歴史を共に歩んできたというのに…まさかのポケモン出生の秘密を誰も知らないとか!無理ありすぎだろ!

いやマジでありえねぇな。ポケモン図鑑に科学技術詰め込んでる場合じゃないだろ。携帯獣学者全員寝ぼけてんじゃないのか。今もどこかでポケモンが誕生しているだろうに、どうして誰も知らないわけ?絶対おかしいじゃん!
でも確かに聞いた事ないからな、ポケモンの繁殖とか卵だかっていう話は。自らのニート人生を振り返り、気付けば近くにポケモンがいたという状況しか体験していない事に気付いて、一人静かに唸りを上げる。

私を騙してるわけじゃないとしたら…本当にそうなのか。ポケモン誕生の秘密、誰も知らないんだ。怖。この現代社会でそんな初歩的な事が解明されてない事実がただ怖いよ。そしてこれまでの人生で一度もポケモンの出生について考えた事がない自分も恐ろしいよね。
全く興味がなくて…とポケモントレーナーにあるまじき無関心さを披露する私だったが、しかしこれが本当にポケモンの卵だとすると、世紀の大発見に立ち会った事になるので、それは普通に興奮ものである。

すごいな。本物だったらとんでもない事ですよ。ようやく使い走りにされた恨みも吹き飛びそうで、根に持ちがちな私もこれにはニッコリである。
日本初上陸のモナリザやパンダのように、展示された卵を数秒しか見られない連中がいる中、私はこんな間近で触り放題…こんな優越は他にあるまい。
妄想で勝手に勝ち誇る私へ、ジェントル爺さんは再び卵に布を被せると、何故かそれを箱ごと私の方へ寄せた。まるで、じゃあこれ持って帰ってね、と言わんばかりの空気に、顔が引きつっていく。

「ポケモン進化の研究ならウツギ博士が一番!と有名なオーキド博士が言ってるんだよー!だからくれぐれもよろしくね」
「よろしくねって…」

え?オーキド博士?
キーワードの多い会話に、私の頭上にはクエスチョンが散乱している。何一つ整理できず、錯綜する情報に惑わされそうだ。

つーかよろしくねって何だ。まさかと思うけどこの卵を持ってウツギ研究所まで戻れって言うんじゃないだろうな?初対面のニートレーナーに頼むべきでない内容に、私は憤りを隠せない。
貴重なものだって言ってませんでしたっけ?もしポケモンの卵なら大発見だっつってたよな?それを…こんな管理が杜撰な女に託していいわけないだろ。リュックの中なんてコンビニでもらった割り箸だらけなんだぞ。捨てろや。
冗談も休み休み言ってくれ。信頼関係のない人間におつかいを頼む奴が多すぎる問題を提唱しながら、もう一つ気になった事に触れるべきか否か私は悩んだ。突然出てきた知り合いの名前に、この爺さんの謎は深まるばかりだ。

今さらっと言いやがったけど…オーキド博士っつったよな?何故に世界的権威の名を?まさか知り合いなの?
マジで何者なんだよ、と失笑し、しかしどれだけ顔が広いジジイだろうと卵の持ち帰りは拒否したいと強い意思を持つ。私の荒っぽい運転じゃ安室透のRX−7みたいになるのがオチだぞ。廃車。
卵のためにもやめてくれって感じだったが、ちょうどその時、どこからかトイレの流水音がし、私は顔を上げる。私以外にも客がいたのか?と視線を向けたら、なんと、現れたのは驚くべき人物であった。

「おお!レイコさん!待っとったぞ!」
「お…!?」

オーキド博士…!?何故こんな僻地に!

ラルフローレンのハンカチで手を拭きながらトイレから出てきたのは、先程話に出ていたオーキド博士だった。
開口一番に歓迎の台詞を放たれ、私は軍隊のように背筋を伸ばし、素早く起立する。とんでもない場所から出現されても、オーキドの前では即座に取り繕う事ができる自分の下っ端根性に、私は心の中で泣いた。いやでもオーキド博士の前だとみんなそうなるだろ。孫の育て方以外は素晴らしい人だぞ。

一番大事なところがクソじゃねーかと悪態を吐きつつ、思いもよらない再会に戸惑いを隠せない。
そんな…テルマエロマエじゃあるまいし何故トイレから…。どうやら私が来る前に爺さん宅にお邪魔していたらしく、二人は親しげに老人トークを展開していた。こんなにフラットに訪問する仲って余程の事じゃないか?得体の知れないポケモン爺さんへの疑惑も深まったところで、一応私とオーキドの関係を説明しておこう。

オーキド博士といえば三年前、私に図鑑を託した、ド田舎に研究所を構えている超有名な博士である。
父とオーキド博士の共同研究がきっかけで、私のニートを目指す旅が始まってしまったから、多少の憎らしさはあれど、まぁ功績的にも人格的にも立派な博士だ。問題点があるとしたら孫の教育が行き届いていないところと、川柳の腕が微妙という二点だろうか。夕方のお茶の間にいきなり「ちゃっちゃっちゃ、ちゃちゃちゃバケッチャ、ちゃっちゃっちゃ」という川柳を流された時は、薬でもやってんのか?って危惧したもんだけど、この様子を見るにシャブも打たず元気にやっているみたいだな。

ご無沙汰してます、と頭を下げ、還暦を控えても尚若々しい博士に微笑みを浮かべる。
まさかこんなところでお会いするとは…オーキド博士でさえド田舎からさらに外れた僻地に足を運んでるっていうのに、あのウツギときたら…人におつかい押し付けやがって…とんでもなく自堕落な野郎だぜ。少しは見習え。もしくは罰当たれ。尚、このとき研究所では盗難事件が起き、今まさに罰が当たっている事をレイコは知らない。

「友達のポケモン爺さんを訪ねてみたら、ウツギ君からレイコさんが来ると聞いてな、ここで待っていたんじゃ」
「それはわざわざ…すみません」
「実はウツギ君の研究パートナーに、君たち親子を推薦したのはわしなんじゃよ。きっといい結果を残すだろうと思ってな」

てめぇかよ!余計な事してくれたな!
衝撃の事実に開いた口が塞がらず、声にならない声が出た。本当の敵はすぐそばにいた事を知らされ、私は何も信用できない修羅と化した。

信じられねぇ。この何もかもが醜く薄汚れた世界で、オーキド博士だけは私の味方だって信じていたのに…図鑑完成させてやった恩を仇で返すなんて非道すぎるよ…。過酷な現実に私は涙し、所詮世界のオーキドもマッドサイエンティストの一人、研究第一の狂人に過ぎなかったと悟り、全てに絶望した。もうどうにでもなれって感じだ。

あーあ。つら。この世はクソだな。悪気なく笑うオーキド博士に怒りをぶつける事ができない私は、無気力に棒立ちしながら世界を憎む。
いいや…もう…どうでも。卵も持って帰ればいいんでしょ?おつかいでも何でもしてやるっつーの。
自暴自棄に陥り、こんな老人の巣窟からはさっさと退散しようと箱を抱えれば、オーキド博士もラジオの収録があるとかで、そろそろお暇するところだったらしい。玄関先で別々の方向に足を向けながら、我々は別れの挨拶を交わした。

「ではな、レイコさん!またいつでも遊びにきておくれ」
「はい。お気を付けて。お孫さんによろしく…お伝えください」

何をよろしく伝える事があるのかって感じだけど、実際それなりに気にかけてはいるので、私はジョウトで立派にやってるとお伝えしていただけたらありがたい。しばらく会ってないけど元気かグリーン。少しは生意気さが軽減されてる事を祈ってるぜ。
お疲れ様でした、と舎弟姿勢で博士を見送り、私も馬鹿でかい卵をリュックに詰め、ポケモン爺さんの家をあとにした。

本当さぁ…マジでこの卵、偽物だったら絶対許さねぇからな。無駄な往復にならない事を願い、ウツギ博士の元へと引き返す私は、このとき研究所でとんでもない事が起きているのを、まだ知らないのであった。

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