私は絶句した。その後絶望した。ボールから飛び出たポケモンを見て、失礼ながらも笑顔を失い、有頂天だった私のテンションは一気に、天国から地獄へ急降下である。

「ミ、ミ、ミ…」

喉に空気が詰まって声すらろくに出ない。それほどまでに衝撃だったのだ。だって、だって、だってワタル!言ったじゃん!龍の穴に行けば!カイリューが!あのカイリューがもらえるって!

「ミニリュウじゃねぇか…!」

カイリュー詐欺事件勃発。出るとこ出ますよ!

恐怖の祠を脱出した私は、イブキの素行や老人の雑な試練も全て水に流し、清々しい気持ちでフスベシティの空気を吸っていた。いろいろあったけど…でももういいんだ。もういいの。そういう爽やかで寛大な気持ちが、私の情緒を安定させる。
だってカイリューもらえたからねー!フゥ!過酷だったこの旅。私が空を飛ぶをどれだけ欲していたかお分かり頂けるだろうか。つらい事もたくさんあったよ、さっきだって人間性問われてつらかったし、ワタルの老後の頭皮問題とか垣間見えて本当につらかった。でももう…いいの。いいんだよ。全部許したから。カイリューとの出会いが!私の心を浄化してくれたの!腐り切ったこの醜い心を!寒空の下、小さな子供が必死に募金を募っているのを一瞥もくれず無視するくらい非道な私の心を!春風のような暖かさで包んでくれた!これで私も人間らしく生きられる!そう思った!
だのに!

「ミニリュウかよ!」

もう絶望。何度同じ言葉を叫んだかわからない。
いきなりニートレーナーに預けられ、右も左もわからぬまま、ミニリュウかよを聞かされ続けるポケモンの気持ちを考えられるほど、今の私は冷静ではなかった。嘘だろ承太郎と何度も顔を覆い、もしかしたら見間違いかもしれないと思って薄目を開ける。しかし、現実は非情である。何度見てもそこにいるのは、つぶらな瞳で小首を傾げる小さな、といっても2メートル近くはある龍であった。

死んだ。私の心は死んだわ。真実の愛でも蘇る事はない。マレフィセントもお帰りいただいて大丈夫よ。
あー…もう…嘘だよ…嘘でしょ?マジで私今すぐワカバまで空飛んで行くつもりだったんですけど?段取りが滅茶苦茶。リハ通りにやってくれませんか?なんで?どうしてこうなっちゃったの?私が悪いの?長老の問いにパーフェクトな答えを出さないと神速を覚えたミニリュウはもらえないように、やはりあの雑回答ではカイリューに至らなかった…?もうわからない。何も考えたくない。膝をついて落胆し、私はしばらく放心していた。
思い返せばワタル…カイリューをくれるなんて一言も言ってなかったかもしれない…育てるといいよ!みたいなニュアンスだったような…詐欺だよそんなの…普通にもらえると思うじゃん…だってカイリューまで育てるのどんだけ大変かわかるか?チート使ってるからお前わかんねぇんだろ。いや私も育てた事ないからわかんないんですけど。
ていうか、まずポケモン育てた事ねぇから。

「詰んだわ…」

情緒不安定なトレーナーに怯えるミニリュウをボールにしまい、ひとまずその日は寝た。一晩経てば気分も変わるかもしれないと期待したが、また原チャリでワカバまで戻らなくてはならない事を考えたら余計に心が挫けた。もう私のライフはゼロよ。ポケセンのベッドから出たくない。いっそここでニートになっちゃおうか?通報されるからやめとけ。
力なく横たわり、身も心も死んでいる私の元へ、普段まず鳴ることはないポケギアの着信音が響いた。何人かと連絡先は交換したが、それも所詮は形式的なもの…友達のいない私にかかってくるはずもないと思っていたのに、突然の呼び出しについ体を起こしてしまう。
誰だよこんな時に…親父だったら切るぞ…今あいつの無神経な声聞いたらいよいよ世を儚みそうだから絶対に出ねぇ。お前を殺して私も死ぬ。
物騒なことを考える私だったが、どうやら人殺しをせずに済んだらしい。着信相手はウツギ博士だった。それもそれで微妙だが、今は誰からかかってきても微妙なので、私は溜息と共にポケギアに応答する。

「…はい」
「あ、もしもしレイコさん?」

なんか久しぶりに聞いたな博士の声。アニメではCV井上和彦だった事とかこの瞬間まで忘れてたわ。
絶妙なタイミングで私に電話をかけてきたのは、影が薄い博士オブザイヤー二十年連続受賞のウツギ博士だった。そしてこの先も受賞し続けていく事でしょう。殿堂入りを勧めたい私に一体何の用なのか、いや今はどんな用でも構わない。懐かしさすら覚えるその声も、私の心を癒す事はできないのだから。別に元々癒しキャラでもねぇしな。
相変わらずそうな博士の様子に、ご無沙汰ですと椿鬼奴なみの掠れ声で挨拶するも、特に心配される事なく流れるように会話が進行される。おい。ちょっとは気にかけろ。図鑑預けた奴が酒焼けみたいな声してたらびびるだろ普通。

「調子はどう?さっき転送されてきた動画見たんだけど…もしかしてもうバッジ8つ集まった?」
「まぁ一応…」

思い出したくないバッジの話をされ、私は素っ気なく応えた。薄ら笑いすら出てくる。
もうやめてくれバッジの話は…!そりゃな、ジム戦に勝った様子の動画見たら普通にバッジ貰ってると思うよな。そうだよ本当だったら昨日の早い段階で貰えてたの!それが危うく貰えないところだったんだよ!意味がわからん。やっぱおかしいだろ絶対。博士からも言ってやってよ。
バッジ渋った挙句カイリューじゃなくミニリュウを渡されるという聞くも涙、語るも涙な愚痴を博士に聞いてもらおうかと思ったけれど、それより前に称賛の台詞を投げられ、単純な私はまんざらでもない気分になってしまう。

「すごいなぁレイコさん。図鑑もどんどん埋まっていくし、君はとっても多才だね!」
「いや…そんなことは…」

ありますな。もっと言ってオラに元気を分けてくれ。

「実はいいものが手に入ったんだ。よかったら取りにおいでよ」

称賛のターンを五秒で終えた博士は、急にそんな事を言い出し、私を真顔にさせた。今の私は、もらう、あげる、等の言葉に敏感になっている事を彼は知らない。
いいものって…なんですか?カイリューですか?カイリューですか?カイリューですか?カイリューですか?あなたは好きですか?あなたは好きですか?赤い部屋、好きですか?
フラッシュ全盛期の私を呼び覚ましてしまうほど、カイリュー詐欺事件は心に深い傷を残してくれたようだ。もうなんか幻覚とか見えるし。黄色いメタボボディがその辺に見える。どう考えても薬物反応です本当にありがとうございました。
もちろんシャブになど手を付けてはいないので、しっかりしなくちゃ…といい加減立ち上がった。簡単に取りに来いなんて博士は言うけど、ワカバタウンはド田舎である。こんなヤク中状態じゃ辿り着けないよ…原付だしさ…少しの油断が命取り、ストップ交通事故。イメージキャラクターの仕事、待ってます。

「じゃあ行かせてもらいますけど…でも私まだフスベなんですよね。いつワカバに辿り着けるか…」
「え?フスベシティだったら南に下ればすぐワカバだよ。一方通行だからこっちからは行けないけどね」

最終的に私を元気にさせたのは、博士のこの言葉であった。
適当に電話を終え、朝なのか昼なのか微妙な時間帯のポケモンセンターで、私はタウンマップを開く。
ほんまや。ワカバ、真下じゃん。
ひたすら真っ直ぐ南にド田舎が見え、私はやっと重い腰を上げる気になった。カイリューの件もショックだったけど、遠いワカバに帰るのが何よりもだるかったため、かなり希望が持てた。このところの筋肉痛、腰痛、関節痛も相まって、とにかく移動がつらい。休みたい。休みたいけど、早くフスベからは出たい。なんかどこに行っても私…早くここから出たいって言ってる気がする…そのせいで休む間もなく次の土地へ移動してないか…?何番道路とかで野宿するのが実は一番安全…?悲しい事実に気付いた自分を封殺し、私はリュックを背負い、ミニリュウのボールを握りしめた。
とりあえず…出よう。ウツギ博士の言ってたいいものってのも気になるし。金券とかだとありがたいよな。この際秘伝マシン2でもいいわ。秘伝マシン2…空を飛ぶ…空を…ウッ!
空を飛ぶをもらったところで使えない現状に、私の悲しみは舞い戻る。
ミニリュウ…なんでミニ…なんで…え…?どうするのこれ?親父に送った方がいいの?でも育てたら空も飛べるし、戦力としても申し分ないし、やっぱカイリューは欲しい。正規のレベルで進化させたカイリューを従え、マントを着ずともドラゴンを使いこなせる事をあいつとかあいつとかに思い知らせてやりたい気持ちもある。でも。

「ポケモンって…どうやって育てるんだろう…」

自立したカビゴンと生活してきた私にとって、それは難しすぎる課題なのであった。

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