もしかしたらリアルファイトになるかもしれないとさえ思っていたのに、舞妓さんは一人も脳筋などではなかった。

「ようお越しやす」

物腰の柔らかい五人の和服美人が、横一列に並んでいる。まるで歌舞練場に足を踏み入れる前から私の来訪を知っていたような態度で、配置もばっちり決まっていた。たぶん立ち位置にテープとか貼ってあると思うわ。それくらい均等。ていうかみんな同じ顔。大好き五つ子?

ツンデレと別れ、五人抜き覚悟で歌舞練場へ乗り込んだ私を待っていたのは、マツバではなく舞妓さんだった。
人数的に、おそらくこの人達がツンデレを打ち破った五人囃子なのだろう。小梅太夫を彷彿とさせる白塗りであったが、化粧などせずとも元の造形が美しい事は一目瞭然である。五つ子で美女とかキャラ付け欲張り過ぎでしょ。分けてくれ、主に美女のところを。残念ながら喪女成分が圧倒的な私は、妬ましい気持ちで華やかな舞妓さんたちを見つめた。
真ん中の舞妓が長女だろうか、代表ポジ感のあるその人だけ、少し雰囲気が違う気がする。どっちにしても圧巻よ。引いたよ。

「こ、こんばんは…」

舞台に並ぶ五人の舞妓に会釈をし、謎の状況に私は委縮する。
何これ。どういうこと?
他に誰もいないので、公演などは行われていないらしい。休館日だったのかな?いきなり入っていったというのに全員冷静な上に、揃いも揃って同じ角度の微笑みをたずさえているから正直不気味だった。
怖すぎなんですけど。そりゃ玄関先でツンデレとごちゃごちゃやり合ってたら、ああこの人たぶん今から入ってくるだろうな、って予想して定位置に立っておくことは可能でしょうけど、それにしたって何だろう、この威圧感は。舞台から見下ろされるという謎状況に慣れているはずもない私は、迷子の子供のようにキョロキョロと辺りを見回す他なかった。マツバママはどこ行ったの…?

「あの…マツバさんは?」

注目に耐え切れず声をかけると、真ん中の舞妓が静かに首を横へ振り、目を伏せる。

「先程お帰りにならはりました」

また行き違いかよ。お前千里眼でわざと避けてない?
がっかりすぎる返答に、それならそれでさっさと退散しようと私はドロンのポーズを取った。ツンデレの気持ちでも体験してみるか…って三分前には思ってましたけども、正直怖いからいいですやっぱり。だって全員同じ顔とか聞いてないし。私の知ってる五つ子は拓也・美穂・慎吾・紀香・剛だけだから。私も花王のように健やかな毎日を目指しているので、この不穏な空間からは早々に立ち去りたい限りである。
じゃあジムの方に戻ります、と勢いよく踵を返して、フラグが立つ前に扉を開けようとした。およそ人間とは思えない脚力をこの時は発揮したのに、扉まであと一歩というところで劇場内に声が響き、この瞬間、健やかな一日に終わりを告げる事が確定した。私の人生も花王に提供されてぇよ。

「待ちなはれ。あんさんを帰すわけにはいきまへん」

終わったわ。貫禄ある舞妓の声には、所詮NPCの強制力の前では主人公など無力だと、そう思わせるだけの力があった。エンジュ弁も相まって私の中の恐怖心が膨らんでいく。
怖いよぉ!ツンデレよくこの人達と戦ったな。五人抜きくらい簡単…とか思えるお前の慢心力も怖ぇわ。
一度入れば勝敗が決まるまで出られないというポケモンリーグシステムでもあるのだろうか、私を引きとめた舞妓は聞いてもいないのに名乗り出して、こっちの事情などお構いなしにとんでもない発言を繰り返していく。

「うちは舞妓のタマオ」
「どうも…レイコです」

ときめきメモリアルガールズサイドサードストーリーの攻略対象みたいな名前だ。

「訳あってあんさんの動向を見守らせてもらいました」

そしてストーカー。もうやばい気配しかしない。
どうやら私は招かれざる客ならぬ、招かれるべくして招かれた客だったらしい。信じ難いタマオの言葉に、動揺しないほど私はストーカー慣れしていなかった。すでに何人かの被害には遭ってますけども。言わせないで。
一体どういうことなの…ともう半泣き状態で私は舞妓ゴレンジャーを見渡した。怖い。何回見ても同じ顔だよ…ロボットみたい…全員からのくろいまなざしで逃げ場を失った私は、これから一体何をされるのかわからず、怯えてボールを握りしめた。

マジにどういうこと?動向を見守ってたって何?旅の様子を見てたってわけ?
私はこれまでの道中を走馬灯のように思い出していく。
藤岡弘みたいにジョウトの地をサバイバルし、ぼんぐりの木を意味もなく揺らし、カビゴンのバタフライで波乗り、人気のない場所では大声でB’zを歌い、いかりまんじゅうを買い食いしながら運転、出られなさすぎて気が狂った頃に氷の抜け道でスケートをして遊び、脱皮したミニリュウの皮をメルカリで高額で売ったりしていたわけだが…そういうのを全部…見てたって事?
やめて!と私は叫びかけた。頭を抱え、羞恥心に耐え切れず舞妓の顔を見られない。どういうことだよ!苗木でもタマオでもいいから説明してくれ!恥ずかしい!もはや何もかもが理解できずに、私の心は瀕死寸前だった。ここまで来たらおとなしく死なせてくれ。岡田准一も結婚しちゃったし夢も希望もないですよ。
さとう珠緒だか中村玉緒だか知らないが、いきなり犯罪歴を暴露して私をビビらせるなんて全くとんでもない女である。意味がわからん。マジでストーキングしてたの?ちゃんと事情を教えてくれんか?もしかして私のようなクソニートに記録させるの心配だからウツギ博士が刺客を放ってちゃんとやってるか見張らせてたとか?それとも報復を狙うロケット団の残党?住所バレした系?怖すぎる。
何が目的か知らないが、相場の倍以上でミニリュウの皮を出品したゲスさを知られた以上殺すしかない…と物騒なことを考えるまでに追い詰められた私だったが、舞妓は漆黒の追跡者でもゼロの執行人でもない事がすぐに発覚した。

「うちらの使命は、ホウオウを招き寄せる事のできる、清く正しい心を持った人を探すこと」

私じゃないよ〜絶対私じゃないやつ〜。
壮大な話になってきたところで、私の心は無に帰した。そっと合掌し心を落ち着ける。

ひとまず自己紹介してくれた事には感謝するわ。そうかい、お前らは使命を持って生まれた聖地ラムダの双子のような存在ってわけね。高貴なオーラが見えるのはそのためだろう…エンジュの人間はその土地柄ゆえか、大概にして何かを抱えているとは思っていたが、まさか使命のためにストーカーまでしなきゃならないなんて思ってもみませんでしたよ。犯罪。出るとこ出たら勝てるから覚悟しとけ。勝訴の文字を裁判所の前で掲げてみせるわ。
弁護士を雇うことはひとまず後回しにし、私は気になる単語を調べるため図鑑を開く。
さりげなく新語が出てきたが…今言ったね、ホウオウって。それが伝説のポケモンの名前か?
ルギアのように爆誕できなかったホウオウの名を図鑑で探したが、当然見つからない。図鑑だいぶ埋まってきたけど記録できてないって事は…伝説級のレアポケで確定だな、ホウオウ。そりゃ伝説じゃないポケモンの降臨で使命負ったりしないだろうしな。コラッタを呼び寄せる人を探してるとか言われたらどうしたらいいかわかんないし。1番道路行け。
とにかく伝説のポケモン…ホウオウってやつがすぐそこまで迫っている事は把握した。となると私が持ってる羽根が目的なのかもしれない。清く正しいという言葉が出た時点で私にとっては他人事なので、羽根の譲渡を条件に撮影交渉をする事しか正直頭になかった。ツイッターで取引垢作ってやろうか?譲:虹色の羽根、求:ホウオウの撮影権。
アカウントの新規作成をする私などお構いなしに、タマオは話を続けていく。

「うちらはもしそんな人が出てきはったら、目印となる不思議な卵を渡すよう、ポケモン爺はんにお願いしておりました」
「爺はん…」

そんな日本語ある?とエンジュ弁に気を取られたのも束の間、それまで一線引いていた私は、急に渦中に飛び込まされた気がし、嫌な汗を背中に流していく。
ポケモン爺はんと…不思議な卵って…?あれじゃん。最初におつかいに行ったやつか?何、いきなり私と結びつけられたんだけど。急。
サスペンスドラマを見てたら真犯人が今まで一回も登場してない新キャラだった…くらい突然舞台に上げられ、私は死ぬほど戸惑った。模範的なキョトン顔である。なに?心の清らかな人に卵を渡すよう頼んでた…?卵を受けとったのは私…?つまり私の心が…清…らか…?
これは…涙…?と自分が泣いている意味がわからない綾波レイのごとく、私には現状が理解できない。
まぁ…私の心が清らかだったとして、だ。いや清らかだし!実際澄んでる!正しい審美眼がありますな!でもあれジョウトに来た当日の出来事だぜ?私が何者かなんて全然わかんない段階じゃん。いやまぁカントー全域記録調査図鑑完成果たしてる時点で相当優秀なのは一目瞭然でしょうけども。そういう問題じゃないんだよ。
そういう問題じゃなくて…つまり…。
どういうこと?

「そしてポケモン爺はんからウツギはんを通じて、卵はあんさんに渡されたのどす」

そして今はヒビキくんの元へ。ポケモンはらはらリレー。

「せやけど…心の清らかさだけではポケモンの力に負けてしまう。ちゃーんとポケモンを扱えるか、今からそれを確かめさせてもらいます」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ…!」

キムタク顔でようやく制止を求めた私は、頭を抱えながらテンパった。
なんか展開がおかしいぞ。私…ここに何しに来たんだっけ?五人抜き…じゃなくて、そうだよ、伝説のポケモンを記録させてもらいたくて…その交渉権として羽根を持ってきたんじゃないか。でも羽根を渡す相手は…どこにもいない…というか羽根が必要な相手は…。
まさかの私…なの?わらしべ長者失敗?

「それじゃまるで…私がホウオウ降臨の儀に立ち会うみたいじゃないですか」
「そうどす」
「そうどすじゃなくてよ…」

話が噛み合わん。どうなってやがる。
人選ミスだよ…!とその場で項垂れ、私はしゃがみ込んだ。

そんな馬鹿な。私が?ホウオウを?招き寄せる?清く正しい心を持った?ヒューマン?
復唱すると茶番すぎて笑えてきた。どう考えてもありえないね。

「確かに…羽根はもらったけど、でも私そんな事できない。だって清らかじゃないもん」

いや清らかだけど!虫も殺せない良い子だけども!でもさ!ニートなんですよこっちは!ホウオウとニートの組み合わせ考えてみ?叶美香と岡崎体育のツーショット以上の違和感ですよ。バランスが悪い。こちとらポケモン撮り続けて早三年…いつだって脇役に徹し、ポケモンがいかにカメラの中で輝けるか、それだけを研究してやってきたわけ。それが急に…主役ですって?いきなり選抜に選ばれる岡ひろみの戸惑い思い知っちゃうよ。冗談は止していただきたい。五人も揃ってどこに目ついてんの?清らかの意味辞書で引きなさいよ!
私は焦った。死ぬほど焦っていた。だってどう考えてもホウオウとご対面を果たすのは私じゃない、と思うからだ。という事はこのままこの人達の勘違いで私がスズの塔に登っちゃったら、ホウオウは降臨してくれずどっか遠くに行っちゃって、二度と撮影できないなんていう悲劇に見舞われるんじゃないのか?嫌な想像は恐怖心を煽り、体を震わせる。
い、嫌だ…!記録できなきゃニートになれない…そんなの嫌だ!無理!絶対無理!何のためにここまで来たと思ってんだよ!逃したくないこのチャンス!間違えるわけにはいかないんだよ!
悲願!ニートのために!

「夢が…」

たまらず涙が零れ落ちそうになった時、夢というワードで、私は当初の目的を思い出した。
そうだ、私の夢もそうだけど、マツバのビッグドリームのために私、羽根持ってきてやったんだった。

「マツバは…」

今度は居場所ではなく、別の意味で舞妓たちに尋ねる。すると五人とも眉を下げ、まるで艦の秘密を守るため乗組員を犠牲にしたネモ船長のように悲痛な空気を纏ったので、私はすべてを察してしまった。ナディアの如く、この人殺し!と叫んでしまいそうになった口を塞ぐ。

夢。それは人生である。
微妙にホラーだった彼との思い出を振り返り、私は呆然と立ち尽くした。
ホウオウを招き寄せるために修行を積んできたマツバ…人には見えないものが見えるとか超絶怖いことを言ってたが…そんなになるまでの修行って相当な努力があったと思うんですよ。会うたびにその話しかしねぇし、まさに悲願って感じがひしひし伝わってきて、わりと重いから私も応援したくなったわけ、同じ夢追い人として!
それを…こんな…横取りするみたいなこと…できるか!?並の神経じゃねぇよ!応援してますね、なんて言っといてお前がホウオウ呼んでんじゃねーか!ってブチギレられてもおかしくない!それほどのことをさせられそうになってる!今!
そんなクソ野郎になりたくないんです!とタマオに熱い眼差しで訴えれば、彼女は悲しげに目を伏せ、衝撃の事実を私に告げたのだった。

「…予言したのはマツバはんどす」
「えっ」
「先程、報告に。あんさんがホウオウを呼び寄せる姿を見たと」

千里眼千里眼ー!滅相あるじゃんー!
まさに撃沈という言葉が相応しいくらい、私はショックのあまり膝から崩れ落ち、オリオンをなぞった。半信半疑あっちこっちだった心が…今、確信に変わりそうで怯えてしまう。
そうだった…マツバ、千里眼あるんだった。今回ばかりは間違ってほしいと思う限りだけど、でもどうりでどこに行っても会えないわけだと納得し、全身から力が抜けていく。
あんまりだ。現実は非情だっていうけど…こんな事あるかよ。大体さぁ、この世にはどうして私なの?って事が多すぎると思うんだよな。清く正しい心なんて持ってないし、ロケット団退治だって別に正義の名の元にやったわけじゃなく、全ては通行の邪魔だったから倒しただけだ。卵のポケモンもヒビキくんに押し付ける形で厄介払いして、愛と信頼がわからない思春期ボーイにろくな教えも説いてやれない、性根の腐ったクソニートだよ。そんな私に…神とまで言われるホウオウと対面する資格…あるか?滅相ないですって。オリオンなぞれないって。
マツバがどんな思いで千里眼発動したのかと思うと、感情移入してしまって目頭が熱かった。祈るような気持ちでさぁ…見てたんじゃないのかよ。わかるよ。私も毎日が祈りの日々だよ。どうかこんな断崖に住んでるポケモンなんていませんように…って祈りながら崖をちょっと登っていったら、遥か上の方に鳥ポケモンの巣があったりすんの。とても人が行ける場所じゃない鋭角な斜面にいたりするの。それを記録しなきゃいけないの!絶望、深い。それでも諦めずに、頑張って頑張って頑張って頑張ってるのは、夢がいつか叶うって信じてるからだよな。
それなのに。

「何で私なんだ…」

つらい。
アマガミで二股プレイをした時のような精神的苦痛。こんなにつらいなら一人に絞っておけばよかった…って心から思った。同じように、マツバと夢を語り合わなければよかったと後悔しているところですよ。まぁ私は語ってないけどな。語れるかニートなんて。スケール違いすぎるわ。
何もかもがわからなくなっている私に、タマオは優しく声をかける。どことなく高圧的だった雰囲気から一転、押してダメなら引いてみろとでも思ったのか、慰めるように言葉を発した。

「龍の穴で言うてはりましたな」

そこも尾行してたのかよ…と項垂れる。語彙がないのもバレたわ。何もかもがつらい。

「強さとは、自分の弱さを認める事だと」

言ってねぇ。
タマオの台詞に私は思わず顔を上げ、ホーホーくらい鋭利な角度に首を傾げた。
いや言ってないんですけど。別人じゃない?間違えてないですか?やっぱ本当は私じゃないでしょ絶対。どっかで取り違えがあったよ。
すごい湾曲して伝わってんじゃねぇか、と私は伝言ゲームが下手すぎる舞妓たちに唸り、再び視線を下げた。
そんな語彙のある台詞言ってねぇわ。カビゴンいないと私はクソ弱いって言っただけです。そういう方向に受け取られたの?それであの試験合格した?それが…私にあってイブキにないものなの…?だろうな。だってあいつ敗北認めようとしなかったもんな。納得。じゃねぇよ。

「ポケモンあってこそのトレーナー…ちょっと卑屈やけど、あんさんはそれをわかってはる」

力強さを感じる声に、私は少しずつ気力を取り戻して、重い腰を上げた。この頃膝が弱くなってきた年寄りのようにゆっくりと立ち、フルハイビジョンより迫力のある舞妓たちを眺める。
そりゃそうだろ、カビゴンいなかったら私とかクソザコだぞ。北斗の拳であべし!とか言って死ぬタイプのモブと同レベル。カビゴンがいるから世紀末覇者なんだよ。卑屈じゃねーわ。圧倒的事実。
でもそう、カビゴンがいてくれるとやっぱ自信湧いてくるよな。先輩ヤンキーの腰ぎんちゃくみたいな気持ちに似てるのかもしれないが、カビゴン先輩も私だからこそ力貸してくれてるんだと思いたいし、強くなるって…もしかしたらそういう事なのかも。互いに信頼し合ってる同士だからこそ、力が発揮できるみたいな、そういう感じ。
自信持ってレイコ!とJKみたいに励まされながらも、それでも私はやるせない気分のままだ。トレーナーなら、当然のように誰もがそういう気持ちを持っているだろうと思うからだ。私である意味を感じない。私以外私じゃないけど、数あるトレーナーの中からホウオウが私を選ぶ意味とは一体何なんだ。
見つからない答えを探す私に、タマオは一歩踏み出してボールを構える。

「さぁ、ポケモンを出しなはれ」

極道の妻たちみたいな迫力に、私は言われるがままボールを投げてしまった。震える手から離れたそれは、赤い光に包まれ、私達の前に姿を現す。
いつものように、黒い巨体がそびえ立つのを想像していた私は、まさかの青い稲妻が現れた事に驚愕して、間抜けに口を開けてしまう。

「あ」

間違えた。カビゴン出そうと思ったのにミニリュウ出してしもうた。
巨体ならぬ巨龍の出現に、トレーナーの私が一番驚きである。
違う、ごめん普通に間違えた。今までボール一つしかなかったから選ぶという概念が消失してたわ。適当に取ったものをそのまま投げてしまった私は、ただでさえ舞妓の気迫に怯えているというのに、ミニリュウの初トレーナー戦というのもあって、緊張がマックスハートプリキュアである。
どうしよう。何もかもがどうしようだよ。タマオが繰り出したブラッキーの強気な眼差しに怯み、しかししっかりとカメラを構えている自分には称賛しかない。記録者の鑑かよ。テンパってるんだか冷静なんだかわかんねぇよ。
今まで最強のカビゴンに頼りっ放しだったため、耐久型のポケモンが出てきただけでも相当な精神ダメージである。まずいぞ。ブラッキーは硬い。特防と防御が高いから、のろいを積まれたら倒しにくくなる。ミニリュウもいまいち未知数だし、どういう戦い方をしたらいいのかが全然わからん。本当に私トレーナーとしてクソド底辺なんだと痛感して、途方もない絶望に襲われた。
こんなクソトレーナーにホウオウさんが一体何の用なんですかね?もしかしてトレーナーの在り方とか指南してくれんの?マジで頼むわ。あんまり言いたかないけど、まぁニートが最優先とはいえ私だってちょっとはまともなトレーナーになりたいって思い始めてきてるわけ。三年前はさ、初めての旅だからがむしゃらにやってるだけだったよ、でもジョウトに来て…いろんな事あったじゃん。主にツンデレ、それから伝説厨コンビ、癒しの波動ヒビキくん、ロケット団、バーチャルじゃなかったマサキの妹等々…数多の出会いが私を変えた。ただカビゴンが強ければいいなんてもう思ってない。成長したい!このミニリュウと心通わせ、カビゴンと同じように強くしてやりたい!並び立ちたいと思う!だって!
空を飛ぶが、ほしいから…!

不純な動機を抱えて棒立ちする私に、指示を待ち続けているミニリュウが痺れを切らしたらしい。相手のブラッキーに向けていた視線を私に移動させると、さすが関西人と言うべきか、次の瞬間、強烈なツッコミが私の前頭葉を揺らした。一瞬見えた景色は、たぶん三途の川と呼ばれるものだったと思う。

「い…っ」

いてぇ!
あまりの痛みに声も出ず、のた打ち回った。
いってぇ!はぁ!?何なんだこいつ!頭突きされたんだけど!?出会って二日目で謀反を起こされた衝撃で、それまで思考していた事は全て飛んだ。
てめ…ふざけんなよ!まだバトル始まってねぇから!ちょっとも待てねぇのか!?子供がまだ食べてる途中でラーメン下げようとする店員かよ!お前一回自分の頭見てみな!なんかよくわかんない丸いやつ付いてるだろ!後々ツノになるやつじゃね!?それがもろに入ってめちゃくちゃ痛ぇんだわ!ビール瓶で殴られたかと思っただろうが!死にますよ普通!貴乃花だったら警察に届け出てるから!

「殺す気か!」

これだからカイリュー破壊光線の里で育った奴は!と治安の悪さを嘆き、眩暈がするほどの頭痛をやり過ごしていると、閉じた瞼の隙間から突然まばゆい光が差しこんでくる。
今度は一体なに!と顔を上げれば、私の目の前で、その青さがわからなくなるくらい、ミニリュウが発光していた。オタ芸で使われるサイリウムが如く。
いくらド底辺トレーナーとはいえ、ポケモンが発光する原因くらい把握している。それは卵が孵る瞬間と、新しい私がデビューする瞬間…つまり、進化です。

「…え?」

嘘でしょ?
今の頭突きで、経験値上がったの?

一面が真っ白になり、開けていられない目を覆って、私は光がおさまるのを待った。こんなチンピラみたいな一撃で進化されちゃたまんねぇよと悲しみつつも、現れたドラゴンの神々しさの前には、あらゆる負の感情など消失してしまう。
完全に光が消え、瞼を開いた私の視線の先に、鮮明な景色が戻ってくる。変わり映えしない中にたった一つ、オーラを滲ませる新たな存在が出現した。

ミニリュウ、進化しやがった。私を攻撃して。

どういう事だよ!と不満が溢れたが、それ以上に感激が勝った。
ただでさえ巨大だったのに、体長、倍になってしもうた。食費がかさむ。かさむけど!でも嬉しい!見えてきたぞカイリュー!すなわち空を飛ぶ!
ドラゴンの背に乗って空を駆け巡る自分を想像し、私は未来に希望が持てた事を喜ばしく思った。ミニリュウの時点で神聖さはあったけど…でも格がちげぇ!ハクリューはガチ!なんか輝いてる!美しさが際立ってる!
あらゆる角度から撮影する私にハクリューがドン引きしている間、これまでの全てを忘れていた。何なら舞妓の存在すら忘れていた。悩みが吹っ飛んで、神々しい…以外の語彙を失っていた頃、タマオの声で私は現実に引き戻される。
そうだった。今伝説のポケモンが降臨するかしないかの瀬戸際だった。空を飛ぶへの執着がありすぎて記憶喪失になってましたよ。

「そのハクリュー…龍の穴でもらったポケモンどすな」

そしてストーカーされていた事も思い出してしまった。私がイブキのツンデレに萌えていたところまで確認済みかよ…鬱だ。つらい。逆にそんなに監視してたくせによく私が伝説のポケモンに相応しいと判断したな。ニートの一日に密着したらドン引きして終わるだろ。見たでしょ、私がインスタント麺を鍋のまま食べてるところ。ホウオウも秒で引き返すわ。
荷が重い心境を思い出して再び落ち込んでいれば、タマオは真剣な顔つきで私とハクリューを交互に見る。諦念すら抱いているような表情が何を意味しているのか、ド底辺トレーナーの私にはわからないままだ。

「一つ教えて差し上げましょう」
「何でしょうか」
「ついこの間までミニリュウだったその子を、こんなに早くハクリューまで育てる事は、普通は無理な話なんどす」

そういやヒビキくんもそんなこと言ってたな。
私はハクリューを見上げ、そうは申されましてもこの通りですし…と眉を下げる。
無理って言ったって…進化したじゃん普通に。今日の怒涛のレベリングの賜物でしょ。最後の一撃は切なかったですけども。普通がわからないニートレーナーの私は、反応に困って縮こまった。そしてこの時、まさかチートを疑われているのでは…?と思い至って、かつてないほど焦った。誤解だ!と叫びたい衝動に駆られる。
違う!やってない!改造なんて!断じて違うから!確かに成長スピードは驚異的だったかもしれない、でも正規の手順でレベル上げをしてこうなっただけだから!バリアー覚えたカイリューとか持ってないよ!?道具画面でセレクトボタン押すとミュウが手に入るバグとかやってないし!けつばんの鳴き声がサイドンだなんて事も知らない!僕はキラなんかじゃない信じてくれよぉ!
焦るあまり、演技が迫真すぎて何を言ってるかわからない藤原竜也状態になってしまったが、どうやらチートを責められたわけではないようだった。当たり前だやってねぇよ。無罪。

「それをここまで育てられるのは、間違いなくあんさんの才能と努力、そして愛情の賜物…」

めちゃくちゃ褒めてくるじゃん。その絶妙な塩梅は何なの。威圧的かと思いきや優しさ見せつけてくる感じ、DV彼氏に似てます本当にありがとうございました。騙されないんだからね!
しかし褒められて悪い気はしない私である。才能ならしょうがないな…と天狗し、ハクリューの横に並び立った。よくわからないが、ハクリューの育成は順調、という事は確定。それだけで充分よ。空を飛ぶに近付く事が今の私の喜び…他に何も望まないから…だからやめようよ、私にホウオウ降臨を押し付けるのは。チェンジを要求します。

いまだに納得できないが、舞妓たちはどうも初めから私一択のようだった。ハクリューに進化した時から全員の目つきが変わり、いよいよガチのポケモン勝負が始まると肌で感じる。しかし私は天狗である。進化した今、もはや微塵も負ける気はしなかった。
悪タイプ対ドラゴンタイプ…ともにフェアリーに怯える者同士、同情しつつも手加減はしないぜ。ニートレーナーの本気見せてやるよ!と意気込んで技リストのカンペを見る私に、タマオは瞳をギラつかせた。

「今、確信しましたえ。ホウオウが何故あんさんを選んだのか」

一番聞きたいことに言及してきたタマオに食いついたら、隙を突いたブラッキーから早々に一撃を食らった。卑怯じゃね!?

「うちもあんさんと戦いたくてたまりまへんのや」

やっぱりサイヤ人じゃねぇかよ。
どいつもこいつも戦闘狂ってこと?怖すぎなんですけど。柔らかな物腰の裏に潜む、ポケモントレーナーとしての熱く貪欲な魂を全面に出してきたタマオは、どこから取り出したかわからない扇子を開き、手慣れた様子でブラッキーに指示を出す。一方手慣れていない私であったが、ハクリューから感じる容赦のない圧に、敗北のはの字すら浮かぶ事はなかった。何故か確信できた勝利は、才能か努力か、それとも愛情かわからないけど、ちょっとだけトレーナーとしての自信を付けさせるのであった。
こちとらVシネ常連だからな、負けねぇよ。それは白竜。

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