立ち塞がるようなマツバに、私は思わず拳を握りしめた。脇に控えるゲンガーの意味深さとか、陰になって見えづらい瞳の怪しさなどが恐ろしすぎて、足を踏み出す勇気が遠のく。
どうしてこんな絶妙なタイミングでここにいるんだ。
…いや、愚問だろうね。私は問いかけるのをやめ、千里眼男から軽く視線をそらす。
歌舞練場で会えなかったのは全てここで待ち伏せをかますため…しかもホウオウ降臨という重要な局面でやってくるという事は、確実に何かあるぞ。絶対。本当。間違いない。
呼びかけても返事はないし、いよいよ嫌な予感がする。とはいえ私は急いでいる身…早急にこれを乗り越えなくてはならないわけだ。苦行。わざわざ待ってたっぽいマツバの横を、ちょっとすいませんね、って通り抜けていく試練。こんな地獄があるかよ。気まずさで人が死ぬよ。
私は身を削る思いで、右足を踏み出した。何故ここにいるのかは知らないが、いやまぁ無関係ではないだろうからいてもおかしくはないけども、今は時間がない。マツバの傍まで歩いて行き、止まるか無視するか迷った時に、ようやく声をかけられた。ホッとしたような、ゾッとしたような。

「…驚いたよ。不思議な子だとは思っていたけど」

不思議ってどういう意味だ。ニートって事か!
何もかも見透かしているような発言に、私はいきなり出鼻を挫かれた。牽制とも取れる言葉を投げられ、完全に足が止まる。
なんか普通に怖いんですけどねぇ!どうするこれ!?怒ってんのかな!?そりゃ怒るよなぁ!ホウオウ降臨の夢叶うといいですね!って言ってた女が自らホウオウ呼び寄せてたらそんなもんブチギレですよ!僕の気持ちを裏切ったなってシンジくんじゃなくても言うわ。現実は非情。私だって代われるものなら代わりてぇよ。でもホウオウが私をご指名したんだから、こっちからチェンジはできない…まず指名されたかも実際はわからねぇ…ていうかお前やん千里眼マネージャー。お前が見たんだろ?私が神々しくホウオウを降臨させる姿を!ポンコツなんじゃね?両眼メンテナンスに出したら?
気まずすぎて心の中でディスるしかない私は、マツバの視線から逃れるよう下を向く。マツバさんは大人だから、ホウオウは君を選ぶような気がしてたよ…とか言って道を開けてくれるかと期待したもんだが、どうも違うねこの雰囲気。まばたきしたら次の瞬間病院にいるかもしれないよ。恐怖。身の危険さえ感じる私をよそに、一度喋り出したマツバは止まらない。

「僕は今日という日のために修行を続けてきた」

語り出す〜!つらいよ〜知ってるからつらいよ〜!
突然生い立ちを話し始めたマツバから精神攻撃を受け、私はすでに瀕死であった。
幼き頃から心血を注ぎ、この日のために修行に明け暮れていたマツバ…泣きたくなるような日もあっただろう、投げ出したくなる日もあっただろう、しかしいつか夢が叶うと信じ今日までやってきた…それをこんなクソニート小娘に横取りされる現実、死ぬほどつらい!
何も言われずともマツバの心情を察してしまい、私はその場から動けない。そうしている間にもマツバは近付いて、不意に肩に手を置かれた時、謎の冷気が走って私は怯えた。
こ、殺される!

「…君にはわかるだろう、どんな思いでここまで来たか」

わからないけどわかる!同じ夢追い人として気持ちはわかるけど!夢の質があまりに違って居たたまれないよ!
せめて私の夢がもう少し高尚だったらなら互角に太刀打ちできたのに…!と己の運命を呪ったが、それでも私は何を犠牲にしたって手に入れたいニート生活がある。このプレッシャーに耐え、早くスズの塔に登らなくては。
強気にマツバの手を払おうとしたが、途端に悲しげな目を見てしまい、私は崩れ落ちたい気分に駆られながら戦意喪失した。無理。つらいんですけど。

「僕のやってきた事は…無駄だったんだろうか」

同情以外の感情が消えかけたその時だった。肩に置いてあったマツバの手が、徐々に移動している事に気付いたのは。
なんかくすぐったいな…と思った頃には、首に手がかかっていた。喉元を軽く親指で押され、息苦しさを感じるけど、意図的に呼吸を止める。このポジショニングはまるで絞殺でもしようとしているみたいだな…なんて冷静に考えてしまったが、これはもしや、しようとしてるんじゃなく。
マジで殺されるのでは?

「…君は強い」

指先に力がこもる。

「でも、それだけだ」

間違いない、殺される!

私は本気出してきたヤンデレに、リアルガチでびびった。語彙が出川哲朗レベルになってしまうほどに。
おい!マジか!?絞められるんじゃね!?絶妙な力加減で、息苦しいけど止まるほどではないギリギリのラインを保ったまま、私はマツバに拘束される。
これは…振り払って走ってもいいか!?そんなことしたら背後から刺される!?判断できずに私はされるがままだ。モンスターボールはリュックに入れてしまったから、カビゴンのボディプレスを喰らわせて正当防衛を主張することもできない…!完全にハイライトを失ったマツバの瞳に怯えているうちに、段々と理不尽な現状が嘆かわしく思えてきた。

大体なんで私がこんな目に遭わなきゃならないんだ?千里眼発動してこんなところで待ち伏せして恨み言ってどういう了見なんだよ。そりゃ残念だとは思うよ、今まで努力してきた事が報われないってのは心底つらいと思うぜ。美帆ばっかり注目されて悔しがる高木菜那の気持ちだってよくわかる、この度は金メダルおめでとうございました。
でも仕方ないじゃないの。ホウオウが私をご指名だっていうんだから、そんなのもういくら頑張ったってどうしようもないし、相手のいる事なんだから上手くいかない事があるのは当然。ていうかそっちの方が多いっしょ。私を責めるのはお門違いだ、何を期待してるんだお前は。推しアイドルに高い時計を贈ったのにメルカリに出品されてるの見てブチギレるキモヲタか。金や労力をかけて想いが報われると思うな。カノバレでファンを絶望に叩き落とした若手俳優を責めるのはもうやめよう!高橋一生が十個も年下の女とお泊まり愛してたらなんだっていうんだ!そういう事だ!みんな!乗り越えて!生きてる!

「愛が…お、重い…っ」

掠れた声で思わず呟いてしまうと、マツバはすぐに手を離した。失われていたハイライトが徐々に戻り、その様子を見て失言をごまかすよう、私は一つ咳払いをする。咄嗟に謝ったが、でも本当のことだ。自分がいくら好きでも、相手が自分を好きになってくれるわけじゃないんだ。当たり前のことだけども、一生懸命努力してきた人より、何もしてないクソニートの私が選出されるのはやっぱり心苦しいので、弁解みたいに言葉を続ける。ひとまず絞め殺されなくてよかったわい。これ以上絞められてたらポリゴンみたいに二度とアニポケに出られないところだったよこいつ。

「マツバさんが選ばれたらいいのにって思ってたのは本当です…今もマジで私なのか疑わしいし…」

怪しいからなあの舞妓共。結局何の説明もないまま謎の鈴を持たされた事を根に持っている私は、本当にホウオウが降臨するまでは塩対応でいこうと決めた。これでホウオウ来なかったら一生煽り散らしてやるからな。舞妓殿〜顔真っ赤でござるよ〜っつって草を生やしまくってやるから!危うく絞め殺された恨み、生涯忘れねぇ。
マツバが面食らっているうちに私は言葉を続け、同情しつつも、こっちにだって譲れないビッグドリームがあるという事を思い出しながら強い意思を持った。マツバのやばい修行には及ばないかもしれないが、私だって過酷な旅を続けてきたんだ。空を飛ぶも使えない中、必死で走り続けた。この流れを止めたくない。ここで行かなきゃ私の夢が断たれちまうんだよ。腕が故障しても跡部に勝たなきゃいけない手塚のように、青学を全国に連れて行きたいんだよ!

「でも…夢があるから…行きます」

とても永久無職を望んでいるとは思えないドヤ顔で、私は言い放つ。

「無駄だったかどうかは、最後の最後に決めたいんで」

例えここでホウオウに出会えなくとも、私は諦めずに追い続ける…ニートのために。真に追い求める者にこそ、ニートの神は微笑むと信じてるんだ。というか信じるしかない。賭け、望み、祈り、執念よ。ポケットモンスターというゲームが出続ける限り私の永久ニートはないという天の声を無視して生きていくしかないんだよ。頼むからもうやめてくれよゲームフリーク。あとホウエン、シンオウ、イッシュ、カロス、アローラまで続くというビジョンが見えたけどこれは錯覚だよね?もうゴールしていいよね?251匹で打ち止めだって信じてるんだから!
不吉な予感を振り払い、私は手持ち無沙汰になったマツバの手に、首の代わりに羽根を握らせた。虹色に輝くそれは、夕陽に照らされて一層神秘的に見えた。
私にはもう必要ない代物だけど、マツバさんにも諦めてほしくないというか、普通に申し訳ないのでそれを持って今後も頑張ってほしいという罪滅ぼしの意味で羽根を託す。これで上まで登ってまた羽根が必要とか言われたらダッシュで取りに行かせてもらうけどな…あとで渡せやKY。
再び喋り出される前に私は足を踏み出して、スズタワーへと駆けた。首に残る感触が私の心苦しさを助長したが、振り返っている時間はない。メルカリで売ったミニリュウの皮を発送する時間もないのは許してくれ。これが終わったら送るから。もう一回、マツバに謝ってからだけど。

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