「まだ水難の相出てんのかよ…」

私は無気力にカメラを構えながら、レンズ越しにスイクンを見つめる。

クチバを出た私は、シオンを南下してセキチクへと向かっている途中で、またしてもスイクンに遭遇した。原付で桟橋を快適に走りながら、ずっと海が視界に入っていた事にも気付かず、のん気にサイクリングを展開していたわけである。
そうだよ…水辺に行くと出会うんだって…何で忘れる?知能が低下してんじゃない?旅の代償に大事なものを失っている私は、東京ガールズコレクションのように桟橋を優雅に歩いてくるスイクンを、ひたすらに撮影し続けていた。ドヤ顔でポーズを決める小奇麗な犬は、もはや威厳を失った現代機器の奴隷…一番いいカメラを見せてやると尻尾を振って喜び、まるで童謡に出てきそうなその姿に、さすがの私も和まされる。
犬だな。ちょっと可愛くなってきたわ。まぁガーディやデルビルには到底できない曲芸を披露したりもしているが、おすわりしてレンズ交換を待っている姿などは犬そのものである。さっき海を割って近くにいた釣り人を失神させてた時とは大違いだよ。迷惑だからやめろ。
ここまで来たら触れるんじゃない!?と軽率に思い、接触を試みた途端、スイクンは突然神々しいオーラを纏い、人間風情が…みたいな目で見てきたので、オンオフの激しさに私は調子に乗った自分を恥じた。そうでなくともクソニート、生き恥を晒しながら生きているのに…スイクンさんに触ろうなどと愚かしい真似を一瞬でも考えてしまった事、申し訳ないと心から思う。絶対CV美輪明宏だろこいつ。
モロの君が行く手を阻む中、ついに撮影地獄から私は解放された。ニートにもトレーナーにもなれぬ哀れな山犬の姫を救ったのは、不覚にもアシタカには程遠いあの男である。
軽やかに水の上を走り去るスイクンを横目に、私は颯爽登場したタキシード美青年を見つめた。前話で予習復習済みなので何の驚きもないな。スイクンを頼むと今ならポテトもついてくる!ってくらいのアンハッピーセットだから。

「またレイコかー!」

いきなり不名誉すぎる挨拶を受け、私は走り来るミナキにとうとう肩バンをした。それはこっちの台詞だよ!と激昂せずにはいられない。
再登場が早いってミナキくん!二回目!どういうこと?カントー帰ってきたのに地元の友達には会わずジョウトで知り合った人と二回も遭遇するってどんな運命のいたずらだよ。地元の友達がいない事には気付かないでくれ。
先を越されて悔しがるミナキに、越してねぇわとカメラをしまいながら溜息をついて、水の波紋を遠目に見つめた。
向こうが勝手に現れるんだよ私の進路に…!パリコレの感じで歩いてきたから!撮ってもらう気しかない。カメラ出さないと蹴りそうだもんあいつ。普通に怖すぎる。フレーム越しにしか対話ができない、そういうビジネスライクな関係性を強いられてるんだ私は。
そんな悲しい魂の叫びをミナキくんが聞いてくれるはずもなく、すぐさま立ち直って私の肩を叩く。いてぇよ。

「だが次こそ負けないぜ!」
「いや別に勝負してないんで…」
「ここまで追いかけてきたおかげでスイクンの目指しているところがさらにわかってきたんだ!」

聞いちゃいねぇ。

「本当はこの情報を独り占めしたいところだが…私はスイクンの前では正直でありたいんだ。だから君にもヒントをあげよう!」

そしていい奴。無意味に紳士感出すのやめてくれんか?感情移入しちゃうから。お前がいい奴であればあるほどこっちもつらくなる、それがこの旅での学びだから。スズの塔ホウオウ横取り事件がトラウマとなっている私は、伝説のポケモンを追っている男には極力近寄りたくないと願ってやまない。
私も正直にスイクンが求めてるのは蜷川実花とかレスリー・キーなんだって事を教えてやった方がいいかも…と思案していると、ミナキは聞いてもいないヒントを与えてくれたので、逆にその場所には近寄らないようにしようと固く誓うのだった。

「まず方角は北」
「うん」
「それから高台になったところだ」
「わかった」

南を拠点にしよう。ミナキの雑ヒントを胸に刻み、私はしっかりと頷いた。
大丈夫、絶対行かない。用事もねぇよ北なんか。まぁヤマブキも北寄りといえば北寄りだが、今回用があるのはトキワとセキチクの南側のみ。おつきみ山も洞窟だから水はない!実家に寄らずジョウトにとんぼ返りすればいける!大丈夫!もうスイクン専属カメラマンは卒業だよ。そしてミナキくんとの遭遇もな。
今生の別れさえ覚悟しながら、私は正直者の好青年を見上げた。夢を追い続けるその姿は私には眩しすぎて、もう邪魔をしないようにしてあげなくちゃ…と思わずにはいられない。いや邪魔した事は一回もないけどな。私ただ歩いてるだけなんで。進行方向にスイクンとお前がいる、それだけよ。
でもただ歩いているだけで繋がってしまうのが縁だという事も痛いほどわかった…ツンデレとか立ってただけでド突いてきたし…一生根に持ってやるぞ。

「…もし今度も私が先に見つけたらどうすんの?」

歩いているだけでうっかり縁が繋がってしまった時の事を懸念し、私はミナキにそう尋ねた。
万が一、万が一ね。マツバの時みたいにラッキーでホウオウと邂逅したように、スイクンも私のカメラを本気で気に入ってしまったら、ミナキくんは…どうするんだろう。何せあのマツバの友達だからな、待ち伏せして首絞めたりする可能性は否めない…こういう根明の人がヤンデレだった時ほどショックは大きいため、恐る恐る様子をうかがっていれば、ミナキは一切態度を変える事なく、爽やかに言い放った。

「その時は…潔く負けを認めよう」
「え?」
「スイクンがレイコを選んだなら、私にとやかく言う権利はないさ」

スカウターがぶっ壊れるほどの清々しさを見せつけられ、私は思わず仰け反った。驚きのあまり開いた口が塞がらず、そりゃ多少の強がりはあるだろうけども、本心から出ているであろうミナキの台詞をすぐには受け入れられない。だって…ビッグドリームなんでしょ?スイクンに認められる事は。ミナキくんの一途で健気な悲願なのではなかったか。

「何年も追ってきたのに?こんな…私のような品性の欠片もない小娘相手に諦めちゃっていいの?」

ついつい自虐してしまうほど衝撃的だったミナキの言葉に突っかかれば、彼はさらに爽やかの追い打ちをかけ、私をその眩しさで覆い尽くした。さながら太陽拳のようであった。

「スイクンの幸せが私の幸せだ」

いい奴すぎる。
脳天に雷が落ちたみたいに、私の思考回路はショート寸前、今すぐスイクンに会って、ミナキくんの健気さを伝えたいよという気分になり、またしても大口を開けてしまう。このミラクルロマンスは、まさに真実の愛であると幼いながらに感じた。感動の一瞬だった。

ミ、ミナキくん…!私は誤解してた…。嫌がるスイクンをストーカーするクソファッション変態野郎だと思っていたけど、本当は相手の幸せを心から祝福できる、思いやりに満ちた素晴らしい人だったんだね…。前者とのギャップが激しすぎて正直ついていけないが、優しげなミナキの眼差しに嘘はないように思え、私は感激が止まらない。
愛…愛だな、これは。好きだからこそ追いかけるが、好きだからこそ幸せになってほしい…その両者が対立し合った時、彼は自分の気持ちよりスイクンの気持ちを選択すると…そういうわけなんだな。尊い。まさか推し以外に尊いという感情を抱く日が来るとは…しかもミナキくんに…何だか胸が熱くなってしまい、親の脛をかじってでもニートを諦められない自分との違いに思わず目頭を押さえた。
同じ無職の穴のムジナと思ってた自分が恥ずかしいよ。この素敵ファッション以下だったんだな私は。マジでまともな人間になりたい。何とか就職せずにまともな人間性を得たいんだが無理か?当たり前だろ。

「かっこいいね…」

感心のあまりストレートに褒めると、ミナキくんは少し照れたように笑ってタキシードを整えた。

「惚れるなよ」
「それはない」

調子乗んな。そこまでじゃねーわ。
いつものジョークにマジレスして、一気に無の表情になった私はそそくさと原付に跨った。
ミナキくんの純粋な思いを聞けたのはよかったが…それはそれとしてまた無駄な時間を過ごしてしまった…。私の幼少期の成長記録動画よりも尺が長いであろうスイクン動画に思いを馳せ、微妙な気持ちでヘルメットを被る。
ミナキくんはミナキくんの夢、私は私の夢を追わなきゃな。一分一秒でも早くニートになりたい、だから行くよ。セキチクジムへ。行けば勝ったも同然だからな。失礼なことを言うのはやめなさい。
お開きムードを出すとミナキも手を挙げ、スイクンを追いかけ始める。

「じゃあな!先に行かせてもらうぜ!」

何故か飛ばされた投げキッスを避けながら、私はおとなげなくミナキくんを原付で追い越した。どこへでも行ってくれと手を振り、これはマジにスイクンが誰かを選ばない限り追いかけっこが終わらないのではないかと絶望を抱く。
いつまで続くんだこのやり取り…私がカメラを手放さない限りスイクンは永遠にやってくるんじゃないの…?恐ろしい想像をして、左右に首を振る。
早くニートになろう。そしたら二度とカメラなんて持つ必要はなくなるわけだからな。こっちはスマホ程度の画素で充分なんだよ。毛穴まで見えると困るし…女子アナか。
果ての見えない追走劇に溜息をつきながらも、案外終わりはすぐそこまで迫っている事に、私は気付かないのであった。

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