たかが三年、されど三年である。
私がだらだらしている間に、グリーンが血の滲むような努力をしていた可能性を思うと、敗北の二文字が一瞬脳裏に浮かんだ。いくら私が最強とはいえ、相手もチャンピオンになった男である。直前に結婚の約束を持ち出した事もあり、相当な自信を持っていると感じ、柄にもなく焦りを覚えてしまったものだ。
でも私も、三年で錆びるほど安い設定抱えてねぇんだよな。

「なんてこった…俺がニートなんかに負けちまうなんて…」

うるせぇよ。大体そっちだって仕事サボってたでしょ!
敗北して尚減らず口なグリーンに、私は怒りを通り越して溜息案件である。お前…負けたならもっとしおらしくしてくんないか?何故試合に勝って人生に負けたみたいになってんだよ。ジム戦くらい勝ち誇らせてくれ。

最強の名は伊達じゃなかったようで、たとえ三年ニートしていようとも、空を飛べないクソトレーナーでも、私はグリーンに圧勝した。普段通りの展開であった。
危惧するだけ無駄だったみたいだな。大体ここに来るまでも無敗だったんだ、錆びてないことは明白だったじゃねーかよ。まぁそれでも?他のトレーナーよりかは?相当強かったと思うぜグリーン氏。カビゴンの息が乱れてるからな。ジムリーダーに登り詰めた実力は本物だったという事だろう。別に疑ってもいなかったけど。

危なげない勝利に安堵する私だったが、微妙な気まずさに悩まされていたので、相手の出方を窺った。勝負の前に持ち出された話が、気にならないはずもないわけだ。
だってどういう…なぁ?どういうあれだよ?ご説明いただきたいけどいただきたくないというこの複雑な気持ちね。ごちゃごちゃ考えると照れてきそうだったので、心を無にしながら待っていると、グリーンは不本意そうな顔でこちらに近付く。

「…ちっ、しょうがねぇ。グリーンバッジだ、お前にやるよ」

知らない人が聞いたら凄まじい自己顕示欲だと思われそうな名前のバッジを投げ寄越され、私は慌てながらもそれをキャッチした。入山許可が懸かっている大事なものを粗末に扱わないでくれと憤りつつ、確かに三年前と同じデザインのバッジを握りしめ、ホッと息をつく。

よかった…いろいろあったけど、これでシロガネ山に行けるよ。解放の喜びに瞳を潤ませ、再ニートの日々への現実感が湧いてくる。
長かったなぁ…ここまでさぁ…。セキチクとトキワのバッジくらいすぐ手に入るだろって思ってたけど、おつかいとかスイクンとかツンデレとかサボリーダーのせいで孤島に行かされたりとかで結局8話も使っちまって…。でもその地獄ももう終わりだ。シロガネ山を越え!ジョウトにとんぼ返りし!海やら洞窟やらを記録してようやく!私のニート生活が戻ってくるんだよ!意外とまだ長ぇな。つら。

これ本当に終わるのかと絶望を抱きつつも、着実に進んでいる事は素直に喜ぼう…と己をごまかす私に、グリーンはやっと声をかけた。リーダーから挑戦者へ贈る感動の言葉…が来るはずもなく、限りなく無に近いトーンで台詞が発される。

「…変わんねーな、レイコ」

どういう意味なんだ。まるで成長していない…的な目をするのはやめろ。私だって懸命に生きてるんだぞ。

「なんだか俺がどんなに強くなっても、お前に追いつく気がしないぜ」

思いがけずナーバスモードに戻ってしまったグリーンに、そんな事ないよ!と言いかけて、わずかに残る良心から、心にもない事を口にするのは止した。ナイスファイトを繰り広げた相手に、気休めを言えるほど薄情ではないからだ。

なんつーか…現実が見えるようになったんだな、グリーン。
そうだよ、私はどれだけ走っても距離を縮める事ができない孤高のランナー…。星に手が届きますか?そういう次元で生きてるわけ。最強設定の看板の重みは伊達じゃないんだ。あまりの遠さに、お前が絶望を抱いても無理はない…そう思うよ。
今晩一杯やるか?と慰めのドリンクバーに誘おうとする私だったが、次の瞬間グリーンが爽やかな闘志を見せつけてきたため、その諦めの悪い眼差しに、私は全てを察してしまった。もう腕上がんねーよと言った三井寿が、そんなヤワな男ではなかったように。

「まぁ、勝つまで諦めたりしねーけどな」

日清のCMなら、アオハルかよとほざいていたに違いない。一点の曇りもないトレーナー魂を見せつけられ、私は思わず一歩引いた。まさかのグリーン相手に輝きを見出した衝撃で、上手く言葉が出てこない。

なんてこった…現実を見るどころか、悪化の一途を辿っていたとは。圧倒的な差を見せつけられてもひるまないサイヤ人タイプだった事を思い知らされ、いっそ私は悟りを開きそうである。

やっぱ…ポケモントレーナーなんだな、グリーンって。しみじみ感じたよ。こちとら半分ニート、人生酸いも甘いも経験し、諦められる事と諦められない事を仕分けながら今日まで生きてきたじゃん。そんな中で私はニートを諦めず、グリーンは私に勝つ事を諦めない選択をした…これがどういう事かわかるか?尊さが違いすぎる。死にて〜。

人間性の差を痛感したショックで、私は大敗した。人生の価値で負けたわ。仕事をサボるような男でも、トレーナーとして突き進む姿は紛れもないプロフェッショナルだったというわけだ。
私もニートへの思いは天下一だが…こんなワンパンでカビゴンに倒されても諦めずにいられるグリーンの原動力は一体何なんだろうな…一生遊んで暮らせるわけでもあるまいに…私に勝ったからって人生が変わるわけもなくない?なく…ない?
ないのか?

「約束って…」

考えながら思わず呟くと、グリーンはやや動揺気味に目を見開き、私を見つめた。どうやら私が記憶を振り絞って思い出した約束と、グリーンの言う約束は同じものらしいと確信して、こっちまで動揺してしまう。

もし…私に勝つ事への執着が…約束を原動力に…いや原動力の一端を担っているとしたら…それはわりと…やばいな。やばいと思う。絶対に負けられねぇし、もし負けたら、ちゃんと責任を取らないとオーキド博士に顔向けができない。二度とマサラの地を踏めないよ!いやあんな田舎別に踏まなくてもいいけどな!

「…約束って、時効とかないんですか…?」

狼狽えるあまり、クソみたいな台詞になってしまった事を心底恥じた。違うから!と弁解したくなるも、上手い言葉が出てこない。
いや本当に違うんで!時効が来てほしいとか約束破りたいとかじゃなくて、お前の人生それでいいのか!?っていう警告の意味での発言だから!律儀に守らなくてもいい、その気がなくなったらいつでも反故にしたまえ、という温情よ!わかってこの気持ち!私なりの友情だから!

勝手にテンパる私だったが、グリーンもわりとテンパっていたようで、いつもの減らず口を封じ、大股でずかずかと近付いてきた。そしていきなり私をド突くと、たった二文字で反論されてしまうのである。

「ない!」

簡素な宣言に驚く間もなく、私はド突かれた勢いで転倒した。本来なら転ぶような威力ではなかったのだが、真後ろにあった例の床のせいでバランスを崩し、そのままグリーンから遠ざかっていく。徐々に小さくなる相手に何か言おうにも、結構なスピードで床が動くため、それ以上の会話は叶わなかった。
呆然としながら座り込む私は、変わり続ける景色をただただ横目で見るばかりである。

なんで…トキワのジムって…動く床の仕掛けがあるんだろうな…。
改装されて三年前とはかなり変わっているというのに、何故か床の仕掛けだけは踏襲されている事に、疑問を覚えずにはいられない。
まぁ助かったといえば助かったけども…帰るタイミングを失って気まずいまま留まり続けるよりは余程マシだろう。

羽田空港の動く歩道の三倍のスピードは出ている床に座りながら、時効ないのかぁ…としみじみ考え、さすがに顔を覆ってしまう私であった。まぁ私の強さにもたぶん時効ないんだろうけどな…と野暮な事を考えながら。

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