強い。強い。強いぞ!
私がじゃなくて、このガキが強い!

何が何だかわからないまま私は唖然とし、無言で勝負を仕掛けてきた少年と、カビゴン対カビゴンの勝敗を見守っていた。

戦い始めてやっと落ち着いてきたが…相手はどう見ても少年だった。遠目で顔はよくわからないけど、私より若い可能性もある。何故こんなところにいるのかは知らないが、そもそもシロガネ山にいる時点で、一つだけはっきりしている事があるわけだ。

それは、ジムバッジを十六個所持し、チャンピオンになった経験のある、凄腕のトレーナーだという事実である。

そうだよな、この山に入れるって事は…入山条件をクリアしているということ…ならばこの頂上にいてもおかしくはない…。いやおかしいだろ。凄腕でも軽装で山頂に立てるわけねぇから!もしかして私が脆弱なだけ?そんなはずあるか。この世界がどうかしてるんだ、もう何も信じられないよ。
世を儚む私だったが、実はそんな事をしている場合じゃないくらい、窮地に陥っている。

この凄腕トレーナー、マジで凄腕。今まで出会った奴の中で、確実に一番強い。
負け知らずのぬるま湯で育ってきた私は、いつものようにカビゴンのワンパンでいけるだろうとタカをくくり、山頂の亡霊に怯えながらも勝負に応じていた。
しかし、ワンパンどころかツーパンでも倒れないポケモンが現れ、ついには向こうもカビゴンを繰り出し、それまでの勝負で疲れ始めていたこちらのカビゴンは、勝利をおさめながらも体力の限界が見て取れた。ピコンピコンとHPが減っている音がし、初めての経験に狼狽えずにはいられない。

嘘でしょ。強すぎじゃないか?トレーナー本人も普通じゃないが、ポケモンの強さも有り得ないレベルだぞ。
別に種族値の暴力パーティというわけでもなく、カントー御三家進化系という布陣なので、いつもなら圧勝余裕の面子である。さっき野生のドンファンをなぎ倒した時は変わりなかったから、カビゴンの調子が悪いわけでもない。厚い脂肪があるのだ、この程度の寒さは物ともしないはずだけど。

という事はつまり、やっぱり、どう考えても、この謎の半袖トレーナーが異様に強い。私のカビゴンを退けようとしているくらいには。
どうしよう…と焦っている間にも、相手は最後のポケモンを繰り出した。きっちり六匹持ってやがる。こっちは空を飛べないポケモンが二匹だぞ、かわいそうだと思わないのか。

情に訴える私であったが、意外にもアンカーはピカチュウだったため、これはギリいけるかなと一瞬思った。しかし影分身を積まれたせいで泥仕合は確実となり、再び絶望が舞い戻った。ただでさえ鈍足のカビゴン、体力も限界に近く、地味に攻撃を食らい続けたらいつかは倒れてしまうだろう。幼い頃から苦楽を共にしてきたカビゴンが膝をつく姿を見るのは、あまりにもつらすぎた。

い…嫌だ…普通に負けたくねぇ。私の最強ブランド、こんな雪山で雪崩れ落ちるような安いものじゃねぇんだよ。この連載の存続がかかってるといっても過言じゃないぞ。お前とは背負ってるものの重みが違うから、と半袖トレーナーの事を知りもしないのに思い、初めて真剣に勝負を見据えた。カメラを投げ捨て、代わりにボールを持つと、カビゴンを引っ込める。

「ありがとう、カビゴン…」

脂肪が燃焼するくらいよく働いてくれた。ライザップも驚くダイエットだったな。お前には帰り道で襲い来るドンファンをなぎ倒してもらうという重大な任務が残ってるから、ここで倒れられたら互いの生死が危ないんでね、今はゆっくり休んでほしいと思う。代わりはこのいろんな意味で青いドラゴンが務めるから、勝利を祈っててくれよな。

意を決してボールを投げた私は、出てきたハクリューの不安げな顔に、わりと自信を喪失しかけた。味方のピンチに奮起してくれるタイプじゃないんだな…と苦笑しながらも、こういう時は私がしっかりしなくてはならないので、歯を食いしばる。

互いに残り一匹…どっちも進化前のポケモンだ。見たところピカチュウは、強いと言っても限度があるので、ハクリューがすぐにやられる事はないだろう。影分身で残像まみれだけど、一発でも当てればきっと勝てる。進化しないながらに、こいつの強さはしっかり見てきたのだ。ワタルのカイリューをボコボコにする勇ましい姿とかをな。冷凍ビームって最強の技だと思うよ私は。

「進化…したくないなら…しなくてもいいよ、勝てなくてもいいし…」

終始テンサゲの相手に語りかけると、ハクリューは驚いたように首を揺らした。あれだけ空飛べよ!と騒いでいた私の心変わりに、衝撃を覚えたのかもしれない。
でももういいんだ。徒歩でこんなところまで来れたんだぜ?些細な事だよ空を飛ぶなんて…いや本当はものすごくほしいけど、でもそれより大事なものがあるっつーか、ニートとはいえ捨てられないトレーナーの心が、やっぱ私の中にもあるんだよな。

「一緒にいられたらそれでいいよ」

紛れもない本心を告げると、ハクリューは数秒固まったのち、ピカチュウに向かって身を翻した。気持ちが伝わったのかは知らないが、戦う気になってくれたようなので、私も残像と化したピカチュウを視線で追う。

そんなに長い付き合いじゃないけど、ここまで一緒にやってきたんだ、私がクソニートレーナーでもどうか見捨てないでほしい…後生だから。手持ち増やすのだるいなって気持ちがなくもなかったが、いざ自分のポケモンになったら、やっぱり可愛くてしょうがなくなると思うぜ誰だって。子供は好かんとか言ってた頑固親父も孫ができたら溺愛し始めるのと一緒だ。つまり好きだ!一緒にニートして暴れようぜ!?ワタルをボコった時みたいに!

空を飛ぶへの未練を断ち切った私は、負けてもいいとは言ったけどできれば勝ってほしいので、どうか一発入れてくれ…とハクリューに祈った。お前の好きな技で好きなように戦ってくれて構わない、最強の名は惜しいが…負けたらその時だし、連載の打ち切りも甘んじて受け止めるよ。だから今は、私とカビゴンのために、何卒全力で挑んでほしいと思う所存…そして再び吹雪く前に終わらせてほしい、これはガチな願いだよ。

風が吹き始めた山頂で、勝負を決める気なのか、ピカチュウがハクリューに向かい突進してきた。無数の残像が溢れているせいで、私にはもうどれが本物なのかわからない。
ていうかいくら何でも速すぎでしょ、ユーキャンの影分身講座でも受講したのか?謎の多い半袖トレーナーを恐れる私とは裏腹に、ハクリューは妙に落ち着いていた。残像に囲まれても慌てる事なく、あのローテンションがデフォルトの根暗龍とは思えないくらい、何だか闘志に満ちている。
そして、目にも止まらぬ速さのピカチュウより速く、ハクリューの尾が動いた。風を切る音が聞こえたかと思うと、突っ込んできていたピカチュウは半袖野郎の元まで吹っ飛んでおり、私に理解できたのは、人知を超えた二匹の戦いに終止符が打たれたという点のみである。
気絶して動かなくなったピカチュウを見ながら、私は呆然と立ち尽くした。

「…え?」

勝った?何も見えなかったんだが。

視認できない超次元バトルは、いつの間にか終わっていた。かろうじてハクリューが尻尾を持ち上げた瞬間は捉えられたけど、あれはドラゴンテールとかだったんだろうか。ピカチュウの飛び具合からしてぶん投げられた事は間違いないと思うが…全く目視できず、何の手応えも得られないまま勝利した私は、しばし呆然と立ち尽くす。
やめてよ人間に視認できない勝負するの。私が育ててるのは龍なのか神なのかもうわかんねーよ。とりあえず勝ったんだな?ピカチュウが勝手に飛んで行ったわけじゃないのね?

審判のいない野良試合である。とりあえず確認を取るために、今の見えた?と半袖くんに思わず話しかけようとしたところで、ただでさえ白い景色が、また一段と眩しくなる気配がした。まさか朝陽…?と時間の感覚がわからなくなっている私は、振り返った瞬間、驚きの声を上げる。

「うわっ」

え!ハクリュー光ってる!なに!?
視線の先で、いやもう光りすぎてて視線の先には白しかないが、私の目の前でハクリューが突然真っ白に光り出したではないか。
急展開の連続に頭が追いつかず、もはやただ怯えるばかりだったけれど、よく考えたらポケモンが光る現象なんて一つしかないので、私は衝撃に口元を覆った。

待って。嘘でしょ。これってまさか…あれか?待ち望んで待ち望んで待ち望んでたった今諦めた、あれなんじゃないのか?
光るハクリューのシルエットが変化していく様子に、私は思わず感涙しそうである。無理、待って、と語彙を失ったオタクような言葉しか出ず、感情が展開に追いつかない。

うそ、本当なの?もう本気で諦めてた。ポケモンも人も千差万別…働きたくない人がいるように、進化したくないポケモンもいるだろう。それを受け止め、共に歩む道を模索していくのがトレーナーなのだと私はようやく一つの答えを出したのだ。この雪山とか、グレンの火山なんかを見て、人間にできる事って小さな事なんだよな…としみじみ感じたせいもあった。

もしかするとハクリューは、空を飛ぶを諦めるほどの覚悟を欲していたのかもしれない…アッシーだけで終わりたくない、実力に見合った対価がほしいという労働者として当たり前の感情に…私は気付かなかったんだな…ニートだからね。
翼の折れたエンジェルで構わないと思った瞬間に翼を得るってのは、なかなか皮肉なトリックだったな…と考えていられたのもそこまでで、光の中から黄色いドラゴンが現れた時、私は死んだ。理性が。

「か、か、か、カ…カ…」

山伏国広かな?
言語すらまともに喋れない私は、元ハクリューに駆け寄る事もできずに立ち尽くした。夢にまで見た瞬間がいざ訪れると、正常な判断力を失うのだと実感した。

細長い青の肉体から、黄色のメタボボディへ華麗な転身…顔なんて変わりすぎて面影すらないが、それでも感じる破壊光線村でお育ちになられたオーラ…どこか吹っ切れたような表情は凛々しく、そして何より、背中に生えた二つの翼…!

「し、進化した…!」

おめでとう!ハクリューはカイリューに進化した!

テロップが流れるのが見え、私はこの感動に居ても立ってもいられず、半袖奴を振り返った。倒れたピカチュウをボールに戻す彼に、見て!これを!と叫びたくて仕方ない。
もう誰でもいいから分かち合いたかった。雪男でもイエティでもビッグフットでもいい、他ならぬ君のおかげで進化したんだよ!雪山最高〜!

「ありがとう…!ありがとうありがとう…!」

テンションが極限となった私は、狂ったように礼の言葉を発しながら、戸惑う少年の手を握った。どんなやばい奴かと思ったけど、近くで見ると至って普通の男の子だった。

なんだ、やたら強いポケモン持ってるからグラップラー刃牙みたいな男かと思ったもんだが…人畜無害な目をしてるじゃん。帽子の下に隠れていた顔はまだ幼く、碇シンジくらいの年齢かな…と推察する。
何にしても恩人だよ。私は握った両手を振り回し、一人飛び跳ねて喜び勇んだ。少年はわりと引いていたけれど、奇妙な女に合わせて空気を読む。

「おめでとう…」

喋った。第一声で賛辞を述べさせてすまない。
落ち着きを取り戻した私はカイリューをボールにしまい、無口なトレーナーに苦笑を向け、とりあえず当たり障りない事を話し出す。

「えっと…ハクリューがずっと進化しなくてさ…嬉しくてつい…どうもありがとう…」

軽めに事情を語れば、少年は軽く頷き、ピカチュウの入ったボールをじっと眺めた。私も強敵に敬意を払い、心の中で彼のポケモンを称賛する。
強かったな…そのピカチュウ…何より速すぎた。黄色い塊がかろうじて見えるみたいな…そういう次元のスピードだったからね。他のポケモンも何度殴っても立ち上がるゾンビのような集団で本当に恐ろしかったし…とにかくとんでもなかったよ。一体どう育てたらあんな風になるんだろうな…まぁ私が言うのも何なんですけど。
やけに口数の少ない小僧だったが、感情がないわけではなさそうなので、深く噛みしめるように一言呟く。

「負けた…」

そうだな。私は勝ったが。
リアクション遅い芸人かな?とワンテンポ遅れがちな彼に苦笑しつつ、確かにあれだけ強ければ普段負ける事はないかもしれない…と想像する。
まぁ…でもこれが現実なんで。受け入れてくれたまえよ。君は確かに強かった、六体みんな強かったけど、しかしそれでも?たった二体で私は勝利し?カイリューに進化までさせたわけですから?その実力差は歴然…なんですよね。残念だけど。
勝った途端に調子に乗り出す私は、ここで会ったのも何かの縁という事で、謎多き人物に問いかけをする。

「きみ…ここで何してるの?修行…?」

もしくは懲役?わざわざ半袖でこんなところにいるくらいだ、何かを課しているとしか思えずに尋ねると、相手は静かに頷いたため、相当物好きな修行僧だと判明した。野生ポケモンの強さからいって、鍛えるにはいい場所だとは思うが、でも死ぬよねって感じである。確実に死。何故半袖で生きているのかわからない。特殊な訓練でも受けたのか?
見てるこっちが寒くなりそうだが、何にせよ私もしばらくこの辺りでの記録を強いられるので、一応挨拶くらいはしておこうと名を名乗った。この常識的な対応が、半袖ボーイの態度を一変させる事になるとは知らず。

「私はレイコ…何日かこの辺うろつく事になると思うからよろしく」
「…レイコ?」

いつもより丁寧に自己紹介したつもりだったが、私の名を聞いて、突然半袖くんは目の色を変えた。初期アバターみたいな表情だったのが、課金ガチ勢のように瞳を鋭くさせ、何故か一歩引いていく。あまりの変わり様に驚かないはずもなく、私は立ち尽くすばかりであった。

えっ、なに急にどうしたんだ。名乗った途端に態度を変えるとは何事?まさか…知り合いだった系か?
しかしどれだけ記憶を辿っても、半袖で雪山の頂上にいるような人間に心当たりはなく、そもそもここまで強ければ忘れるはずがないため、まず初対面だろう。ただでさえ友達は少ないし、細々と生きてるからトラブルとも無縁だ。したがって知り合いの線は無い。賭けてもいいぞ。
そうやって無意味な賭博を始めている愚かな私に、半袖はさらに驚愕の言葉を投げかけた。

「…ヤマブキシティの?」

何故に町名を聞く。

「シルフのロケット団事件を解決した?」
「えっ」

アキネーターみたいに次々と質問してくる少年のこの言葉で、私はただでさえ寒い体に悪寒が走った。何故ならシルフの件は、一部の社員と警察しか知り得ない情報だからだ。
どうしてその事を、と後ずさり、謎の人物を恐れて距離を取る。ただでさえ不審なのに、私の事を一方的に、そしてやたら詳しく知っている相手が、恐ろしくないはずがなかった。

何この半袖。怖すぎなんですけど。人ん家の町名まで知ってるなんてストーカーを疑われても文句は言えまい。というかストーカーだろ紛れもなく。マジで誰?こっちに微塵も心当たりがないのもやばすぎるし、よりによってこんな逃げ場のないところでやばい奴に出会ってしまう私の引きの悪さ、神懸かってるでしょ。

まさかロケット団の残党か警察関係者だろうか。現実的な推理をする私だったが、彼の正体は全く別の、ド田舎方面から判明する事となる。

「僕はレッド…」

誰。知らん。

「君に人生を狂わされた男…」

微妙にかっこいい言い回しをした少年の瞳は、半分生気を失っていた。めちゃくちゃ重いことを言われた私はたじろぐしかなく、名乗られてもやはり全く心当たりがない事実に胸を痛めた。

レッド…。レッド?前前前世か?
REDとRADの区別もつかず、リアルに君の名は?って感じだったけど、名を聞いてもピンと来ないので、やっぱどう考えてもそんな知り合いはツイッターのフォロワーにもいないと思う。しかし頭の片隅に、何だか引っかかるものがある気がして、私は額を押さえた。

レッド…レッド…なんか聞いた事がある気がしてきた…。記憶を辿り、わりと直近に会った人物の顔を思い出した時、瞬間的に私の脳に閃きが走る。

ああ!あれ!わかった!レッド…レッドか!レッド!ゲシュタルト崩壊してきたレッドって!あれじゃないか!?
生意気なバイビー野郎の腹立つ顔を浮かべた時、それは自然と覚醒した。
三年前、私やグリーンと大体同時期にチャンピオンになったはずなのに、何故か一度も擦れ違う事なく、話に上がるたびに思い出してはすぐに忘れてしまうあの、伝説の!マサラの建物三軒のうちの一軒に住む!

グリーンの幼馴染の、レッド!

バイビーのイマジナリーフレンドじゃなかったのか!と失礼な事を思う私は、これから彼との奇妙な縁を知る事となる。

  / back / top