騙されてアサメタウンまでホイホイやって来てしまった私は、全ての元凶である父から電話を受け、この状況の解説と、そして最後に言い残す言葉を聞き出すべく受話器を握りしめていた。遺言の準備はできてるか?骨は拾ってやるから安心しろよ。まぁ破壊光線で全部吹き飛んじまうかもしれないけどな。

「詳しく説明してもらおうか…!」

いま僕は風の大地くらい冷静さを欠こうとしてるんだよ…!とナオト・インティライミ以上にサイコな表情で父に迫り、声を震わせた。もう全てがわからなかった。

騙されてカロスに来たまではまぁ理解したよ。いつものパターンだと、私に図鑑とカメラを持って記録の旅をさせるのが父の目的である。
で?それで?素直に旅立つわけがないよなぁ?Wi−Fi完備の家からよぉ!
絶対まだ何か隠してる事がある…と踏んでいる私は息を飲み、刺し違えてでも殺すと決めた父からの非道な言葉を待った。平成最後の親子喧嘩が勃発しているというのに、グリーンが後ろで平然と引っ越し作業を続けている事に気を散らせながらも、受話器を力強く握りしめる。

「単刀直入に言うと、お前がその家に住む事はない。何故なら旅に出てもらうからだ」

憎しみで人が殺せたら、たぶん父は跡形もなく粉砕していた事だろう。憎悪。もうこの世の憎悪が全てこいつに集中してる。
死んでくれ、と言ってしまいそうになるのを何とか堪え、私は冷静でいるよう努めた。受話器が軋む音を聞きながら、ほー…?と低音で唸る。

「…出ると思うか?」
「いや必ず出る。何故ならお前とプラターヌ博士は運命の糸で結ばれているからだ」
「誰だよそいつ」

貴様と一緒に山中に埋まりたい奴か?とプラターヌとかいう共犯に憤ったところで、私は先程の封筒に書かれた名前を思い出した。ハッとして裏返し、無駄に達筆な差出人を見る。

プラターヌ…この手紙の主か!知らない人だけど殴りてぇ!

いい香りのする封筒を使っているところも癇に障り、それで何者なんだよそのクリスティーヌって奴は…とすでに名前を忘れた事など気にもせず、私は床を何度も踏みつける。明日から踏む予定が一切なくなる床をな。泣けてきた。

「まず、今お前が床を踏んでいるその家は、プラターヌ博士の持ち家だ」

お前だったのか!住めない家買ったドジっ子は!
絶対チャランポランな奴だろジョセフィーヌ。もう一生会いたくない。どうせ蛭子能収みたいな野郎だ、字がきれいだからって騙されたりはしないぞ。

「最初は本当にお前を住まわせるつもりだったんだよ。プラターヌ博士がレイコの正体に気付くまではね」
「人を黒幕みたいに言うな」
「ちょうど博士は、研究の手伝いをしてくれる有能な人間を探していた…ポケモン図鑑を完成させるだけの力があり、トレーナーとして腕も立ち、そしてとある現象を発現させた事のある人間を…」
「…とある現象?」

含みある言い方をする父に尋ねると、それは博士から追々聞いてくれと濁され、もったいぶる感じもまた怒りを増幅させた。今は箸が転がってもキレる時期であった。

「お前をニートだと知らない博士は、レイコを優れたトレーナーだと誤解した」
「いや誤解じゃなくて事実だから」
「そして是非!研究を手伝ってほしいと言われ!その熱意に負けた父さんは、承諾するしかないのであった」
「勝手に了承してんじゃねーよ!」

身勝手な父を怒鳴りつけ、その辺にあった空の段ボールを蹴り飛ばした。本当は父をサッカーボールにしてやりたい気持ちをおさえ、歯を食いしばる。
なんて白々しいんだ!元々断る気もなかっただろ!大体いつもこうなんだよな!勝手に先方と約束して私に断る余地を与えない手法!悪質だわー。有名博士相手に世間体を気にして私が強く出られない事を見越した手口、姑息すぎる。常習性もあるから確実に勝訴だな。

父と娘がここまで激しく争うのは、おそらく大塚家具以来だろう。さすがの私も、今回は何があっても拒否しようと決意した。だってこんなの人権無視だからね?娘を道具か何かだと思ってらっしゃるんですか?プラターヌなんて聞いた事もないし、どうせ片田舎のしょぼくれた博士だろ。有名人でもない奴に媚を売るほど私も暇じゃねぇんだよ。
知名度のない奴には塩対応を貫く人間性が欠落した私は、絶対旅なんて出ないから、と言い放ち、そのまま電話を切ろうとした。このクソ野郎とこれ以上喋ってても殺意が増幅するのみだ、話すだけ無駄だろう。

しかし、耳から受話器を少し離したところで、父はまたしても意味深な言葉を投げかけ、無情にも私を引きとめる。

「お前には、プラターヌ博士の頼みを断れない理由があるのだ」

気になる言い方をされ、私は思わず固まった。再び受話器を押し当てながら、不穏な雰囲気に息を飲む。

なに、断れない理由って。まさか…ニートなのがバレて…!?
私は戦慄した。もしかして…私が無職なのを知ったプラターヌ博士が、それをネタにゆすってきてるって事か!?お前それでもポケモン博士かよ!?恥を知れ!このゲームは全年齢だぞ!
生き恥を晒している私は早とちりをし、ますますプラターヌへの印象を悪くさせていく。
最低だな。脅迫なんて人間のクズがする事ですよ。よく平然と少年少女の前で、ポケットモンスターの世界へようこそ!なんて言ってられるよなぁ!見損なったぜ蛭子能収。もう何も信じられないよ。
被害妄想も蛭子能収への風評被害も済んだところで、父が真実を語り出した。頼みを断れない、正当な理由ってやつを。

「あれはまだお前が幼かった頃…その日、松岡修造がソチ五輪に行ったおかげで、カントーは数十年振りに大雪に見舞われた」

出オチやめろ。もうすでに聞く耳持ってないぞ。
いきなり胡散臭い話が始まり、真面目に聞くはずもない私は、引っ越し蕎麦を茹で始めたグリーンに、私のも頼むわとジェスチャーで伝える。面倒そうに溜息をつきながらも、ちゃんと蕎麦を二袋開けたグリーンを見て、平穏ってこういう事を言うんだな…と涙が出そうだった。
小うるさいクソガキがいてもいい、Wi−Fiのある家で慎ましくニートができたらそれだけで…それだけでいいのに…。現実がつらすぎて妥協し始める私だったが、そんなささやかな夢さえも、この父は打ち砕いていくのである。

「あの西武線も止まるほどの大雪だったと言えば、そのすごさがわかるだろう」
「うそ…止まったらニュースになると言われているあの西武新宿線が…?」
「全ての交通機関が息絶える中、よりによってお前は高熱を出した」

京急と並んで最強クラスと言われる西武線の運転見合わせに、ついつい反応してしまったが、父のペースに巻き込まれてはいけない。再び気を強く持った私は、すぐ塩対応に戻り、本題を急かした。大雪も高熱も全く記憶にないので、嘘松の可能性もあった。
修造のあたりから胡散臭さがすごいんだけど。言っとくけど蕎麦ができたら電話切るからな?西武線は止まっても私の怒りは止まらねぇから。
急行ニート行きの電車にしか乗らないつもりの私に、父は無駄話を続けた。番外編参照、の五文字で済む事を長々と喋るんじゃねぇよと言いたい気持ちは何とか堪えた。

「当然この雪で救急車もタクシーも呼べず、そうこうしている間にお前の意識は薄れていき、止むを得ず父さんは車を出した…しかし西武線が勝てなかった雪に、我が家のボロ車が勝てるはずもない…案の定、道の真ん中で立ち往生。お前は重症。この世は無情…」

韻を踏むな。ヒプマイのコミカライズのようにお前の頭も炎上させてやろうか?

「そこに通りかかったのが若き日のプラターヌ博士!」

急に大声を出した父に、私は思わず受話器を落とした。うるせぇ!と怒鳴り返し、やっと登場した渦中の人物が、一体何をしたのか地味に気になって、ついつい話を聞いてしまう。

「カントーに出張に来ていた彼は、我々の車が動かないこと、そしてお前が重症である事に気付くと、とんでもない行動に出た…」
「蕎麦伸びるから早くしてくんない?」
「なんと!着ていたコートを躊躇いなく車の下に敷き、タイヤが雪に取られないようにしてくれたのだ…!」

それジョジョ4部の話ですよね?この件は全く記憶にないけど、幼い私もきっと同じ事を指摘してると思うよ。
いよいよ嘘の線が濃厚になり、私は深い溜息をついた。よりによって荒木飛呂彦をパクるとは…我が父ながら恐ろしいね。偽りのエピソードを並べてまで娘を旅立たせたいかよ?お前も人間をやめてくれ。
浅はかな父にいっそ呆れ返った私は、もはや怒りを通り越し、愚かな父を憐れまずにはいられない。

馬鹿な父さん…もうあなたとは親子の縁を切るけれど、私が強くて優秀だったばっかりに、こんな妄信に取り憑かれてしまったんだね。これが鳶が鷹を生んだ代償か…悲しい末路よ。
今まで育ててくれたようなくれてないような事に礼を言い、私は電話を置こうとした。さよなら、と綾波レイくらい素っ気なく、しかし身を盾にして初号機、もとい父を守ったりはしないという決意を込め、短い親子関係に別れを告げる。

もうこれっきりにしてほしい、私を旅に縛りつけるのは。箸を持った回数より図鑑を構えた回数の方が多い人間が幸せになれると思いますか?お前の娘でいる限り、私の幸せは遠ざかるばかりなんだよ!プランターだかシチリアーノだか知らないが、そんな博士の手伝いはごめんだね!年号も変わろうとしてるご時世に…そんなジョジョ4部のパクり話を信じると思う?平成初期の作品だぞ!今時そんな奇特な若者いるかっつーの!

やってらんねぇな、と溜息をついた時、父は最後に私の良心を揺さぶった。もう何が起きても電話を置くと決めた心をあっさり打ち砕く、小賢しい一言だった。

「命の恩人の頼みを断るのか?」

重すぎるフレーズに、手が止まる。

「…は?」
「偶然通りかかったプラターヌ博士の温情で、お前は無事病院に辿り着き、一命を取り留めたんだ。この意味がわかるかね?」
「なんだよ」
「プラターヌ博士が助けてくれなかったら、お前はこの世にいない…つまり今まで楽しく過ごしていたニート期間も、博士がいなかったら有り得なかったという事なんだよ!」

激しく叱責され、私は衝撃で言葉を失った。わずかばかりとはいえ、だらだら過ごした数年の記憶がよみがえり、その幸せは他人のコートの上に成り立っていた事を思い知らされる。それは、純粋な私の心には重すぎる十字架だった。

嘘でしょ。私…他人にもらった命でニートを…?
レイコは想像した。修造がいない極寒の日本は、きっと身も凍るような寒さだったに違いない。そんな中、今にも息絶えそうな美少女がいた。か細い命を救うため、凍えるのも構わずコートを犠牲にした蛭子能収…。冷たいカントーの空気が、どれだけ身を痛めた事だろう。それでも幼い美少女を助けるためなら…と微笑み、溶鉱炉に沈んだ。だというのに、助けた少女は…少女は…!

あろうことか、ニートになっていたなんて…!

「お、重い…!」

己の命の重さ、そして人生の重さを知った私は、膝から崩れ落ちた。両親が適当に育てたと思っていたこの生命は、善良な人間のコートを犠牲にして成り立っていたのだと突きつけられ、何故衝撃を受けずにいられるだろう。私の人生は私だけのものだと思っていたのに、プラターヌ博士がいなければ失われていた命だったのだ。つらいなんてもんじゃなかった。

う、嘘だ…そんな取ってつけたような過去を今頃暴露するなんて…お前絶対切り札として取ってただろ、マジで許さねぇわ。プラターヌの事は許してもお前とは確実に縁切るから覚えてろよ。
もはや離縁状を書く元気すら失った私は、失意の中で、父の勝ち誇った声を聞く。

「…レイコ。お前は…働かずに生きていこうなどと甘い事を考える、本当にどうしようもない人間だ。クソだと思う。カスだとも思う」
「お前が言うな…」
「でもな、命の恩人の頼みを断るようなクズではないってこと…父さん信じてるから」

半笑いで言う父に、怒りも限界に達する。

「プラターヌ博士の言うこと、何でも聞くんだよ」
「消えろクズ!」

叫んだと同時に、電話は切れた。規則的な機械音を聞きながら、手紙を握り潰し、やり場のない怒りをどうする事もできず、目頭を押さえる。

こんな…こんな事ってあるかよ…!覚えてもいない過去に人生狂わされるなんて…今すぐ番外編を消し去りたい…!床にうずくまりながら、私は織田信成のように泣いた。西武線より止まらない涙を拭う事なく、引いているグリーンは無視して拳を握りしめる。

無理。本当に無理なんですけど。嫌だ…こんなの嫌だ…!Wi−Fi完備の家を置いて旅に出るなんてそんなの嫌だ…!セレビィさぁ、ちょっと…時渡りしてみない?ソチ五輪の日に行きたいんだよ。なぁ。頼むよ…お願いだから…私が西武線を動かしてみせるから…!

願いも虚しく、セレビィがウバメの地から応えてくれる事はなかった。なんだあのクソポケモンは…自分の都合のいい時ばっかり扱き使いやがって…もう全てが憎い。この世の全てが憎い。今すぐカロスを兵器か何かで吹き飛ばしてやりたいよ…。
軽い未来予知をする私の姿に、さすがのグリーンも気の毒に思ったのか、いつになく優しい声色で言葉を投げてきた。わけありのギンに黙って飯を差し出すサンジのように、机にそっと蕎麦を置く。

「…食べろよ、蕎麦」

1LDKのバラティエで、私は涙を拭いながら席に着いた。冷酷な父の仕打ちで傷付いた心に、あたたかい蕎麦が沁みる。

「クソうめェです…サンジさん…」

面目ねぇ…と泣きながら食べる私を、俺はグランドラインにはついて行かねぇからな、とグリーンは普通に突き離し、やっぱこの世はクソだなとレイコは涙を止めた。
こうしていつも通り旅に出る事が決定し、握り潰した手紙を拾って、プラターヌという博士の依頼を、受ける他なくなる私なのであった。

あ〜前澤〜!同情するなら百万くれ〜!

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