「完全に止まった」

数分前から、進まないとは思っていた。思っていたけど錯覚であってほしいと願い、しかし父の言葉により、希望は一瞬で潰える。

「…一応聞くけど何が?」
「車」

そして私の心臓も止まりそうだよ。
助手席で横になる私は、深い溜息をついて目を閉じる。高熱を出し、息も絶え絶えの状況、救急車が来られないなら自家用車を使うしかないという発想はまぁ…悪くはなかったと思う。ただし道の真ん中で止まらなければの話だ。
家を出た我々は車に乗り込み、初めは何やかんやありつつも順調に進んでいた。この大雪である、車通りの多い道ではないから、辺りには人の気配すらない。街頭も雪で覆われわずかな光を放つばかり…そんな機能不全状態のヤマブキで、私達は立ち往生を強いられた。地獄である。

マジでないわ…厄日すぎだろ。体調はどんどん悪くなるし、起き上がるのもままならないから熱も上がっているような気がする。そんな中で絶望が深まる発言をされ、もはや急死してもおかしくはなかった。
なんで修造ソチ行っちゃったんだよ…あなたさえいてくれたら…今頃病院だったのに…世界一熱い男に思いを馳せ、焦る父が発する騒音を聞きながら、私は体力温存のため喋るのをやめた。四駆に切り替えたりバックを試みたり後ろから押したりしていたようだが、何の成果も得られず運転席に戻ってくる。もはや微塵も役に立たない父に、人を呼ぶ、ポケセンまで走ってカビゴンを連れてくる、私を背負って病院に行く、の三択を提案しようとした時、運命を変える事態が訪れた。

この大雪の中、誰かが車の窓をノックしているような気がする。確かめる気力すらない私は胸の上で指を組み、深い眠り、もしくは永遠の眠りに落ちる寸前だったが、突如として開けられた窓に思わず目を見開いた。さっむ!

「あ!プラターヌさん!」

父が声を上げたので、私は運転席側の窓を見た。するとそこにはこんな雪にも関わらず人が立っており、一瞬親子そろって幻覚を見たのではと私は思った。だって普通外出ないでしょこういう日は。頭おかしい奴以外。つまり頭がおかしい奴って事だ。
名前を呼んでいたから、恐らく父の知り合いだろう。どうやら幻覚ではなかったらしい。たとえ頭がおかしかろうと人手が増えた事に私は少し安堵して、これなら何とか病院に行けるかもしれないと再び目を閉じる。
プラターヌ…誰だろう、聞いたことない名前だ。親父無駄に知り合い多いからな…あの有名なオーキド博士とも顔見知りらしいし…おかげでこうして助かったから持つべきものは変人の父ですよ…心にもない事を言いました。お詫びして訂正いたします。

「先程はどうも!というか大丈夫ですか?こんな雪の中…」
「いやー案の定帰れなくなりましてねー。お言葉に甘えてお宅にお邪魔しようかと思ってたところで…」

なに世間話してんだこいつら?プラターヌさんとやらはともかくお前は娘が危篤状態だろうが!なに外面モードと切り替えてんの?二重人格?
悠長に話し始める父の膝をつねり、激しく咳払いをして私は存在をアピールした。ていうかもしかしてこのプラターヌって奴、さっき父さんと電話してた人か?文脈から記憶を呼び覚まし、雪で帰れないならうち来れば?みたいな事をほざいていた父を思い出して薄っすら目を開ける。
この辺うろついてたら雪降ってきて帰れなくなったっていうドジな帰宅難民かよ。なんて役に立たなそうな助っ人なんだ。もういいや何でも…頼むからとにかく助けてほしい、このポンコツ親父とポンコツ車から。祈りながら窓の外を見て、必死に焦点を合わせようとする。

「…お嬢さんですか?」

父に尋ねたその声に、何だか聞き覚えがあるような気がした。しかし相手の顔を認識した瞬間、それは錯覚であると気付く。何故ならこんな顔面を一度見たら、絶対忘れるわけがないからだ。

「い、イケメン!」

私は無意識に叫んでいた。熱も吹っ飛ぶような衝撃で、雪の音も聞こえなくなる。顔がいいというのはすごい。それだけで苦痛が和らいでいく。アニマルセラピーのように。全然ちげぇよ。

なんだこの人。めちゃくちゃイケメンなんだが?え?こんなイケメンと知り合いなの?なんで?世界に二人きりにならないと知り合えないレベルの顔面戦闘力の違い。いっそ恐ろしいよ。
一度目が合い、しかし急に起き上がったせいで体力を削られた私は、そのまま座席に倒れていく。確実に熱上がったな。イケメンは毒にも薬にもなるという事を身を以て伝えられたと思う。用法用量を守ってご使用ください。

「君は…!」

倒れた私を見てイケメンは何かに気付いたようだったが、重大な事をやっと思い出した父がそれを遮る。

「実は娘がひどい熱で…病院に向かってたんですがタイヤが雪に…」

このザマですよ、とふざけた外国人みたいなポーズで肩をすくめた父に、私の苛立ちもピークだ。元気だったら殺してたかもしれん、命拾いしたな。
完全に詰んでいるこちらよりも、よっぽど事の重大さを理解したらしいプラターヌさんは、吹雪に晒されているにも関わらず私の身を案じてくれたので、やはりイケメンは心も美しい…と感動せざるを得ない。

「それは大変だ…!カビゴンはいないんですか?」
「それがこの馬鹿がポケモンセンターに預けっぱなしにしてて」
「僕もヒトカゲを連れてたんですけど…ポケモン勝負で完敗してしまいましてね、同じくポケモンセンターに…」

揃いも揃って間が悪い。やっぱり厄日だと痛感して、ふと私は違和感に気付く。
あれ…なんでこのイケメン…うちにカビゴンがいるの知ってるんだろう。父さんが話したのかな?
最強のカビゴンである、自慢したくなる気持ちは大いにわかるから、まぁ触れ回っててもおかしくはないだろうよ。そんな世間話で得たカビゴン情報をすぐに思い出せるなんてイケメンは頭も回るんだな…素晴らしい…もう褒め殺しが止まらないよ。
確かにヒトカゲがいれば雪を溶かして一発だった事でしょう…無念だ。ヒトカゲっつったらあの不審者も連れてたわと嫌な事を思い出したので、私はイケメンの顔を見て記憶の上書きを図った。するとプラターヌさんは突然着ていたコートを脱ぎ、そのコートも何だか見覚えがあるような気がしたけども、ついでに巻いてるマフラーも見たような気がするけども、いきなりの奇行にそんな事を考えていられる余裕は消え、思わず二度見する。
何で脱いだの?寒すぎると生命維持のために体を温める作用が働いて逆に暑く感じ、服を脱いでしまうというあの矛盾脱衣現象が起きた可能性が微レ存?
やめろ凍傷で死ぬぞ!とすでに死にかかっている私が注意喚起しかけたが、どうやら彼の心身は正常だったらしい。雪に足を取られているタイヤの下に、高いコートを惜しげもなく敷くと、白い息を吐きながら台詞までイケメンである事を披露した。

「この上を走ってください、抜け出せるといいんですが」
「え!」
「後ろから押しますので、そのまま走って」

なんかジョジョ四部で見た事あるんですけど?
彼が寒空の下コートを脱いだ理由は、タイヤにかませて脱出させるためであった。一度止まればまた雪にはまるかもしれないから、ここは俺に任せて先に行けと、完全にジョジョの奇妙な冒険みたいな事をやってのけるプラターヌ氏に、私は感動が止まらない。
そんな漫画知識で上手くいくかはわからないけどでも何か行動しなければならないというその心意気、これだよ…これが私は見たかったんだ…!このクソ親父のようにそわそわするだけの人間に比べたら五億倍マシ。人間ができてる。育ちがいい。顔もいい。上から下まで全てがいい。宗教画にして飾りたい。
プラターヌ教に入信する私をよそに、父は後々の損害賠償について心配になったのか、一応コートの確認をしやがったので、そんな場合かと再び膝をつねる。

「しかしこれ…お高いのでは…?」

娘の命の方が高いだろうが!気持ちはわかるし私も逆の立場だったら聞いちゃいそうだけども!こんなところで血を感じたくなかった。
チェーンのついたタイヤで走ったら高いコートは二度と着れなくなる事でしょう…その上彼はコートを失った体で吹雪の中を徘徊しなくてはならない、風邪で死ななくても申し訳なさで死にそう。というかこの人が死にそう。一緒に乗ってけば?と思うも、後ろから車を押す人が必要なので、誰かの犠牲は必須…親父代わりなよ。私プラターヌさんの運転で行くから。
親父を生け贄にイケメンを召喚したかったけれど、私の意識はいよいよ朦朧とし始めた。コートの心配をする父に、プラターヌは首を振ると、最後にこう言い残す。

「運命の人の命に比べたら安いものですよ」

何だかどっかでそのやばいフレーズ聞いたな…と記憶を辿っている途中で、私の思考は停止した。

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