忠犬

「12番道路に、突如現れたカビゴンが通路を封鎖して、およそ三週間が経過しました。いまだ動く気配はありません。時々エサを求めてこの場を離れる事もあるようですが、すぐにまた桟橋の真ん中に戻って行くようです」

朝のニュースでこの事が放送されるのは、久しぶりのような気がした。初めはメディアも騒ぎ立てたものの、段々と頻度は減り、世間からの注目も薄れていったが、地域住民としてはまだ現場で事件が起こっているので、風化させてもらっちゃ困るという感じであった。

私の名はレイコ。ロリロリの小学生である。卒業したらニートになる予定なので、当然勉学には励んでいない。公立の平々凡々なセキチク小学校に通い、毎日をだらだらと過ごしていた。齢一桁にして人生の輝きを失っていた。

実家のあるヤマブキから、セキチクの小学校へは、シオンタウンを南下し、桟橋を通るルートが通学路と決まっている。チャリ通が許可されているから別に遠くはないし、信号に引っかかる事も通勤ラッシュに揉まれる事もないから、わりと快適だったんだけど、とある事件に巻き込まれたせいで、私は地獄の日々を体験していた。

そう、カビゴン桟橋封鎖事件である。

「はい、では船を出しまーす」

引率の声を合図に、私はシオンの船着き場から海へと繰り出した。同級生数人を乗せ、船頭であるゴーリキーが、せっせと粗末な船を動かしている。これが苦行であった。

あれは今から三週間前。どこかからやってきたカビゴンが、突然12番道路の桟橋を陣取り、動かなくなってしまったのだ。いきなりの事に誰も彼もが驚き、そして困った。何故ならそこは公道だからだ。

カビゴンは、でかい。そして桟橋は、狭い。つまりカビゴンがそこで寝ている限り、道は完全に封鎖されてしまうのである。何故だかわからないけどカビゴンはずっとそこにいて、たまに起きてどこかへ行っても、また戻ってくる。
塞がれた道に住民たちは困り果て、行政も困り果て、初めの数日は、ひとまず学校閉鎖の措置が取られた。ラッキーだったのはそこまでである。

野生なのかトレーナーがいるのか未知数であるカビゴンは、当然危険な生物として扱われた。だって460キロだからね、踏まれでもしたら命にかかわるだろ。
一般人は桟橋の通行を禁止されたし、専門家がカビゴンを動かしてみようといろいろやったらしいけど上手くいかず、さらに愛護団体から抗議も入ったりで、対応は難航するばかりであった。生息地研究をやってるうちの父にまで相談が舞い込むくらいだから、余程手をこまねいていたのだろう。
学校が休みの間、悠々自適に過ごしていた私であったが、いきなり事件は進展する。それは航路の確保であった。つまり、道が通れないなら海を渡ればいいじゃない!って話だった。

臨時で定期便が出る事になったので、私はシオンからセキチクまで、しばらく船での通学を強いられた。これが本当につらい。理由は船頭のゴーリキーで、こいつがとにかく船を漕ぐのが下手なわけだ。
激しい水しぶき、揺れる船体、嗚咽する子供たち…まさに地獄絵図。三半規管がめちゃくちゃに刺激され、毎日マジ酔い1000%…吐き気に耐えながら通学する状態はまさに拷問で、一人また一人と脱落し、私も限界を迎えそうだった。

冗談抜きで本当につらいんだけど。乗り物酔いって耐え難いものがあるよな。全く慣れる気配ないし、ゴーリキーの運転が上手くなる気配もないしで、こんなのもうシンプルに児童虐待よ。誰だこの愚策を考えた奴。国を相手に訴訟起こしてやってもいいんだぞ。


そんな裁判も辞さない構えだったある日のこと。実は私にはもう一つ悩みがあった。
それは、給食のパンがクソ不味い、という、小学生にとってはかなり重大な問題であった。

昨今の給食は美味しい。このお値段でこのクオリティ?と二度見してしまうレベルだと感じる。
でもパンだけは異様にまずいんだよな。何故?イースト菌じゃなくて別の菌使ってんじゃねーか?ってくらいやばい。不味い。おかしい。度重なる船酔いのせいで私の味覚が狂ったのかと一瞬思ったが、みんなが口を揃えて不味いと言っているので、私個人の問題というわけではなさそうだった。じゃあ味をどうにかしてくれよ給食センター。船酔いと不味いパンでダブル嘔吐とか笑えねーぞ。

朝夕は通学で吐き気、昼は不味いパンで吐き気という絶望の中、私は自らの体調を顧み、パンを食べることを放棄した。残すと怒られるからこっそり持ち帰り、どこかで捨てるべく不法投棄に手を染めようとする。
セキチクから早足で帰路を進み、めぼしい場所やごみ箱を探して、次第に海が近付いてくると、急速に気が滅入った。

また今日もあの船に乗って帰らなきゃならないのか…本当に…つらいな…ただただつらい。
耐え切れなくなった同級生は大きく迂回して登校したり、空を飛ぶを使ったりしてるようだが、私は早起きしたくないし、空を飛べるポケモンも自宅にいないので、船に頼る他ない状況である。家庭での格差が激しすぎる世の中を、ニートは恨んだ。

それもこれもあのカビゴンのせいだよ。マジで何なのあいつは?あそこじゃなくてもよくないか?
釣り人が常駐する以外に何の特色もない桟橋である。あんな場所を陣取る意味がわからないし、梃子でも動かないところも謎に満ちている。巣でも作ったのか?逆にカビゴンの巣って何?狭すぎるだろ。東京ドームとかに住めよ。

恨めしい気持ちを抱きながらも、ひとまず今はパンの処分である。タイムリミットはゴーリキーの船が来るまで…さっさと捨てなくては。ヤマブキに戻るともう捨てるタイミングなくなるからな、不法投棄してもバレない田舎にいるうちに何とかしないと。

私は人目につかない草むらに入り、いっそコイキングの餌にでもするか?と海に向かって歩き続けた。
本当は野生ポケモンが出て危険だから草むらには入っちゃいけないんだけど…でも若気の至りってあるじゃん。毎日憂鬱でむしゃくしゃしてんだ、自暴自棄になったっておかしくないだろ。

苛立ちながらがむしゃらに歩き続け、もうその辺に捨てても問題なさそうな場所に来たのだけれど、不意に現れた黒い物体を見て、私はその場で硬直した。背の高い草が視界を奪って気付かなかったのだが、いつの間にか桟橋まで辿り着いてしまったのだ。
しかも、立ち入り禁止とされている場所…そう、カビゴンが陣取っているエリアである。

マジかよ、と思わずパンを握りしめ、私は憎しみの巨大生物を呆然と見つめた。予想していたより、ずっとずっとでかかったからだ。

やば。カビゴン、いる。
こんなでかいのかよカビゴンって。ていうか私どうやって入ったんだ!?警備員が四方八方を封鎖してるはずなのに何故辿り着けたの…?獣道すぎてノーマークだったのかもしれない。危なすぎるだろ。杜撰な管理してんじゃねーぞ。

雑な行政にキレ散らかしている場合ではない。数発ぶん殴ってやりたいところだったが、間近で見るカビゴンがあまりにでかすぎて戦意喪失はした。普通に怖ぇ。もはや兵器だよなこんなの。そりゃ対応も慎重になるわけだぜ。

幸いぐっすり眠っているようなので、私は後ずさりながら元来た道を引き返そうとする。
このまま起こさないように戻れば大丈夫だ…元々食うか寝るかのポケモンだし、凶暴ではないと思うんだけど、でかいという事がすでにもう危ないからな。私のようにか弱い子供なんて一瞬で潰されちゃうよ。

細心の注意を払って後退していたのだが、それまで一切動く気配のなかったカビゴンが急に身じろぎ、寝たままの姿勢で私の方を向いた。山のような巨体が振り返っただけでも恐ろしいのに、目が合ってしまった瞬間といったら血の気が引いて止まらない。

ていうか目…合ってるのか?糸目だから起きたのかすらわかんないんだけど。

ただの寝返りかもしれない…という希望も虚しく、カビ野郎は明らかに私を見つけていた。ゆっくり上体を起こすと、起動音でも聞こえてきそうな動きで立ち上がる。そして脂肪を揺らしながら、その巨躯を私に知らしめた。並外れたサイズに、思わず息を飲む。

が、ガンダム大地に立つ…!

連邦の白い悪魔なみの存在感は、私を大いにテンパらせた。いくら何でもでかすぎるだろ。
ただでさえ横に広いのに、加えて背も相当ある。2メートルは越えてるか?八村塁じゃねーかよ。こんな桟橋にいないでNBAで活躍してくれ。

人の気配で起きてしまったんだろうか。そんなに繊細なポケモンとは思えないけど、何にせよ逃げないとまずい。立入禁止区域に入った事がバレるのもやばいし、あと命もやばそうだしな。潰されるならまだしも、最悪食われるかもしれない。まだニートになれてないってのに死んでたまるかよ。
果たして逃げ切れるか…とじりじり後ずさり、それ以降動かないカビゴンと、徐々に距離を取っていたその時だった。さらに驚くべき事態が訪れたのは。

「お嬢さん」
「うっわ!」

背後からいきなり人の声が聞こえて、私は奇声を発しながら飛び上がった。前からも後ろからもハプニングが発生し、もはやテンパりすぎて半泣きである。

一体誰!?こんなところで声を掛けてくるのは!それとも幻聴!?

「どうしたんだい。道に迷ったのかな」

幻聴ではなかった。
カビゴンを警戒しつつ振り返った先にいたのは、全然知らない爺さんだった。突然の来客に心臓が飛び出そうだったが、最悪このジジイを囮にして逃げれる可能性を考え、わずかに心に余裕ができる。子供は残酷であった。

びっくりした…勘弁してくれよ本当に…。むしろお前の方がどうしたんだよ。ここは立入禁止だぞ。

まぁ警察じゃなくてよかったわ…と安堵しつつ、警戒対象は増えてしまったので、油断はしていられない。前方には危険生物、後方には不審な老人という爆弾に囲まれたボンバーマンくらい絶体絶命の私は、ひとまず人語が通じそうな方を対処しようと試みた。

一体誰なんだよてめぇは…。近所の爺さんか?よく見るとバケツと釣竿を持っていたため、桟橋に生息している釣り親父なのかもしれない。何故こんな立入禁止区域に足を踏み入れているのか知らないが、それはお互い様なので触れないようにした。

「迷子じゃないけど…カビゴンが起きちゃって…逃げようとしてたところ」

パンを捨てにきた事は伏せ、それ以外の事実をありのままに伝える。
だから爺さんも危ないぞ、と忠告したのだが、余程耄碌しているのか、老人はカビゴンに一瞥くれたあと、微笑みながら謎の言葉を発した。

「逃げなくても大丈夫だよ。お目当てはそのパンだからね」
「え?」

そう言いながら爺さんは、私の手にあるクソ不味いパンを指差した。その口振りだと、嘔吐反射に拍車がかかるレベルの炭水化物を、まるでカビゴンが欲しがっているように聞こえる。そんな馬鹿な…とせせら笑い、首を左右に振った。

こんな子供の味覚を狂わせるようなパンを…カビゴンが食べたがってるって?そんなわけないだろ。
私は大地に立ったガンダムを振り返り、いくら食い意地が張ってるからってそれはないよね?と同意を求める。
しかし、爺さんの言ったことを裏付けるよう、カビゴンの視線は確かにパンに向いていた。試しに上空に掲げるとそっちに目を向け、地面に置けばそこを凝視し、投げる振りをすれば口を開けた。犬かな?

ジジイの言う通り、パンを動かすたびに目で追っていくため、マジじゃんと驚愕し、今度は私が半口を開けた。

こんな不味いパンが…欲しいっていうの?正気?
そういえばカビゴンって、カビが生えたものでも平気で食べるポケモンだった気がする。質よりも量ってやつか…食文化を見事に冒涜しているな。

という事は人の気配じゃなくて、パンの気配で起きたの?
常軌を逸した嗅覚にドン引きしながら、どうしたらええねん…と呆れていると、爺さんが投球フォームのジェスチャーをした。どうやらパンを投げろと言っているらしい。

本当に食べるかなぁ…だってマジで不味いよ。どうなっても知らないからね。
不味すぎて怒り狂うなんて展開になりませんように…と祈りながら、私は大きく振りかぶり、キャッチャーミットより狙いやすいカビゴンの口めがけてパンを放り投げた。
案の定、ブラックホールのようにパンは口内へ吸い込まれていき、ろくに咀嚼もせず飲み込むと、しばらく沈黙があった。固唾を飲んで見守っていれば、次の瞬間カビゴンは満面の笑みを浮かべ、あの不味いパンを喜んで完食したではないか。衝撃すぎて、私は絶句した。

え〜!マ〜?あんなに不味いのに!?味覚死んでんのか!?
絶対死んでる!と確信し、再び横になったカビゴンを呆然と見つめ、この不思議な生き物への疑惑と興味が一気に押し寄せた。巨大で怖かったというのに、味覚の死を感じると急に恐れが消えたのだ。欠点を見ると親近感が増すあの現象である。

「あんなに不味いパンを…」
「何でも食うよ」
「でも…めちゃくちゃ不味いのに…」
「本当に何でも食うよ」

信じられなくて爺さんと何度も同じやり取りをしてしまったが、次第に気分も落ち着いてきて、私は寝ているカビゴンをまじまじと見つめた。相変わらずでかいが、もはや起きそうになく、軽く小突いてもびくともしない。

食い物以外無反応かよ。逆に食べ物で釣ればここから動かせるんじゃねーか?
真実に気付いた時、爺さんが私に閃きを与える発言をした。

「わしはここで釣りをするのが日課でね。竿に引っかかった海藻なんかをカビゴンが食べるんだよ」
「へー…」

雑食すぎる。同人カップリングとかもこだわりないんだろうな。
口に入れば何でも食べるらしい生き物を冷ややかに見つめながら、瞬間、私は思い至った。自然な流れで手から消えていたパンを思い出し、ハッと顔を上げる。

そ、そうだ!カビゴンにパンを食ってもらえばいいんじゃないか!?
グッドアイデア賞金賞受賞の発想に、私は打ち震えた。

不味いパン、ここで始末しちゃえばいいじゃん!そしたら捨てなくて済むし、無理に食べなくて済む!ていうか嫌いなもん全部ぶち込んじゃおうぜ!?私も嬉しい、カビゴンも嬉しい、爺さんはどうでもいい、完全に得な事しかねぇな!
天才小学生レイコは鼻を高くし、明日も来るわとカビゴンに一方的に告げた。大体お前のせいでこっちはひどい目に遭ってんだから少しは役立ってくれてもいいだろ。爺さんも立入禁止区域で釣りしてるから文句言えないだろうし、今日からここを残飯処理場とさせてもらう。

勝手に決定した私は何も知らない爺さんとにこやかに微笑み合い、船の時間に遅れないよう、そそくさと立ち去った。憂鬱だった日々が何だか好転しそうな気配がし、軽やかな足取りで帰路を行くのであった。

レイコは 残飯処理機を 手に入れた!▼

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